宗田花 小説の世界
「 J (ジェイ)の物語」
第二部
19.始まりのために -2
次は、哲平。
「お前はインドで良かったんだよな」
「ええ、いいです。チャンスだと思って勉強してきます」
「寂しくなるな」
「休暇で帰って来たらカラオケ行きましょうよ」
「帰って来なくていい、現地で骨を埋めろ」
「花みたいなこと、言わないでくださいよー」
そして、これも爆弾。
「あのですね、ちょこっと言っておきたいことが……ご報告しておきたいことがあるんですが」
「なんだ? 改まって」
「その、俺、彼女が出来まして」
「結婚予定か? インドどうするんだ?」
「遠距離恋愛でしばらく続けます。まだ結婚とかって話になってないし。つき合い出して間が無いんで」
「遠距離恋愛って難しいだろ。大丈夫なのか?」
「戻って来たら結婚申し込むつもりなんです」
「そうか。本気なんだな、お前は」
「はい」
「答えられるならでいいが。これは、俺の好奇心だからな。相手はどんな女性なんだ?」
「あの、課長もよくご存知で」
「俺が知っている? 社内ってことか?」
「はぁ、部内って言った方が早いかも」
「……この中か!?」
「千枝です」
一呼吸、間が空いた。
「千枝!? いつの間に……」
「なんとなく、お互いに気にはなってたんですが、この前のカラオケの帰り、その……」
「分かった、もう言うな! そうか、千枝か……」
「課長、お願いがあるんですが」
「なんだ?」
「千枝に変な虫がつかないように見張っててくれませんか?」
またもや一呼吸。
「次、呼んでくれ」
「課長、俺の頼み……」
「次を呼べ。そんなのは自力で解決しろ」
よりによって、哲平の呼んだのは千枝。
(あいつ……)
「課長、どうしても飛ばすならインドにお願いします!」
「おいおい、いきなり変わったな」
「哲平さんからお聞きになったんでしょう? なら話が早いです。あの人調子がいいじゃないですか。不安です、一人で野放しにしておくの」
今日は何回溜息をつくのだろう。
「分かった。以上だ、次を呼んでくれ」
「課長! 私の話は?」
「次を呼べ。そんなのは自力で解決しろ」
宗田花。
(こいつは特に問題無いだろう。対象にすらなってないんだから)
そういう意味では一番楽かもしれない。
「行きません、ここでいいです」
「分かった」
(やっぱり楽だった)
「で、伝えておきたいことがあるんですが」
(お前もか? 何を言いたいんだよ!)
顔は冷静に保った。
「なんだ?」
「11月に結婚します。それだけです」
「お前も社内恋愛か」
「え?」
(しまった! 余計なことを言った!)
「違いますけど。幼馴染みと結婚するんです。誰ともうまく行かないし、愚痴零している内に、あ、こいつでいいじゃん! って思って」
「安直だな!」
「向うはとっくに俺が好きだったらしくって。だから妻帯者になるんでよろしくってことです」
「そうか……お前が落ち着くとはなぁ。思ってもいなかったよ」
「結婚式、招待してもいいですか?」
「ああ! もちろんだよ。喜んで出席させてもらうよ」
「哲平さん来れないのは残念だけど。後で言って結婚祝いだけ先にもらっとこうと思ってます」
「お前らしいな」
「あとはチームのみんな。他にもちょっと。ジェロームは彼女連れて来るんで、楽しみにしてるんですよ」
「か、彼女?」
「恥ずかしいらしくて返事言い淀んでましたけどね、頷いてはくれたんで。課長も楽しみでしょ?」
「……花、次呼んでくれるかな……」
ジェロームが入って来た。
「座れ!」
「は、はい。なんで怒ってるんですか?」
「怒ってない! お前は対象から外れた。それでいいな!?」
「はい……あの……」
「後でじっくり話したいことがある。以上だ」
(会社だ。俺は課長だ。きっと仕方ない状況で返事したんだ)
溜息ではなく、深呼吸を繰り返した。過呼吸が起きても仕方ない。そう思った。
蓮にとっては本当に厄日の一日。止めが来た。
「河野! お前、部長と揉めたろ」
入ってくるなり威勢よくデカい声で喋ったのは、営業一課の課長の坂崎。
「おい!」
周りを気にするという感覚を坂崎はほとんど持っていない。生まれついての押しの一手の営業課長。蓮のデスクに手をついて喋り出した。
「俺も言ってきたよ、いつでも辞めてやるってな。納得いかないんだよ、俺も。なんでこっちが頭下げなきゃならないんだ? あっちが謝んのが筋ってもんだろ!」
「いいから、こっちに来い!」
慌ててミーティングルームへと引っ張る。が、坂崎は入る前に後ろを振り向いて宣言した。
「俺たちは辞めてでもお前たちを守るからな! 安心してろ」
「……もう、帰ってくれるか」
「なんで! ミーティングルームで打ち合わせするんだろ? 部長にどう対抗するか」
(俺にも政治力は無いが、こいつには完璧に無いな)
「今日はもう疲れたんだ。日を改めてにしよう。もうミーティングルームに入る意味もなくなったし」
坂崎は腑に落ちないという顔をしながら出て行った。
「課長! どういうことですか!」
野瀬も池沢も血相が変わっている。みんなも周りに集まってきた。
「みんな仕事に戻れ。まだ何も決まっていない」
「冗談じゃない、こんなんで仕事なんか出来ないですよ!」
「頼むよ、野瀬。チーフが浮足立つな」
「そりゃ無理な話です」
ビシッと大きな声で池沢が答える。
「こうなったらもう話すしかないですよ」
田中が詰め寄るみんなと蓮の間に割って入った。
「田中……」
「課長、俺から話させてください。みんな、俺の知っていることだけ話す。それ以上のことを課長に聞くな。話していいと判断すればきっと話してくれると思う」
田中は息を継いで周りを見渡した。
「今回の異動等に関することで課長は上とやり合っている。多分自分の首を賭けて」
サッとみんなの顔色が変わった。
「さっきの坂崎課長の話からして、これは営業でも起きていることなんだろう。来週には結果が出ると聞いた。俺が知っているのはここまでだ。課長判断で話してもいいと思うことだけ話してくれたんだと思う。だからこれ以上を聞くのは止めよう」
「なんで田中さんだけに」
「課長がこのゴタゴタから解放されるまで後を任されているのは俺だ。だからだ」
「どこが論点になっているのか知りたいです」
それはジェロームの声だった。
「面談した者の態度や面談そのものだけが原因なんですか? それとも他に何かあるんですか?」
「そこは言えない部分だ、ジェローム。言う気も無い」
蓮がジェイをしっかり見て答えた。
「俺たち面談した者が全員頭を下げて済むことなら……」
澤田の声にも不安が滲み出ている。自分たちのせいで課長が……
「何の意味も無いよ。そういう問題じゃないんだ。もう面談云々の話じゃない。それを気にしている者がいるなら心配は要らない。だからこそ、今回改めてみんなの意志を確認した。この先はお前たちの関わる話じゃないんだ」
「さっき坂崎課長が『辞めてでもお前たちを守る』って言ってました。それって俺たちの盾になってるってことですね? なら俺たちが関係してるかどうかじゃない、俺たちに課長が関係しているってことだと思いますが」
「尾高、これ以上この話を広げたくない。いくら聞かれてもさっき田中の言った通り、来週にならなければ何も分からない」
蓮は口を閉じた。
「明日はもう金曜だ。来週はすぐなんだ、みんなどうなるのか分かるまで待とう。だから業務を続けるんだ。仕事をストップすることは課長に余計な負担をかけるだけだ」
田中の言葉でチーフ二人がすぐに反応した。
「仕事に戻ろう。野瀬さん、今こっちでリサーチしている案件は来週にはそっちに回せます」
「分かった、じゃその時打ち合わせよう。田中さん、同席しますか?」
「時間が決まったら教えてくれ。スケジュールが合えば話を聞きたい」
「了解です。みんな、月曜には野瀬チームに回すぞ。そのつもりでいてくれ」
チームのみんなは8時で上がった。ジェイはグズグズと席で片づけをしていた。携帯が震える。
『今日はホテルに行く。悪いな』
『このまま蓮が終わるの待ってる』
少し間が空く。まだ残っている者がいる。
『帰るんだ、待つな』
『さっきの話、何も聞かないよ。一緒にいられればそれでいい』
蓮からの返事が来る前にもう一つ送った。
『抱いてほしい。だから』
返事が来ない。もう一度送った。
『抱いて』
『先に帰ってろ。俺も帰るから』
『分かった。待ってる』
一緒にいたかった。蓮は一人で戦っている。
(クビを賭けて……)
誰が何をどう言おうとも発端になったのは自分だと確信している。自分が出した[左遷]という言葉。
(あれから始まったんだ)
それがあったからこそ他の人が助かったと言わてれても、自分の不用意な言葉が蓮を苦しめるきっかけになったことに違いはない。きっと蓮は否定するだろう、『そういう問題じゃない』。
何が出来るだろう。サボって横浜で食べて、自分を抱き続けると宣言した蓮。
(そんなに苦しい思いして。俺を抱き続けることで何かが楽になる?それくらいなら俺は役に立てる?)
10時を過ぎ、疲れた顔で蓮は帰って来た。バッグを受け取る。上着を……そのまま抱きしめられた。ただじっと自分の肩に蓮の頭が乗った。その背中に手を回す。そのまま時間が過ぎていく。
やっと蓮の手が離れた。頭が撫でられる。『嫌いだ』そう言いはするけれど、本当は撫でられるのが好きだ。
「さ、何を食うか。さすがに冷凍品、飽きたなぁ」
蓮は冷凍庫を覗き込んだ。
「昨日たくさん仕入れるって言ったくせに」
「車で出てもいいんだが」
「それ、止めようよ。それよりゆっくりしてほしい。今日は我慢して。明日は外食とかしない? 金曜なんだし」
「そうだな……」
開けた冷凍庫をパタンと閉めて蓮はスーツを脱ぎ始めた。それを一つ一つ受け取ってハンガーに掛けていく。
Yシャツを受け取る時。伸ばした手を蓮が掴んだ。Yシャツが落ちる。引き寄せられて口付けられる。激しく口の中をなぶられるのをジェイは逆らうことも無く受け続けた。どんどん深まるキス。
(今は全部忘れさせてあげたい……)
唇が離れた。
「蓮、シャワー」
「ああ。お前は食ったのか?」
「今はいいんだ」
「そうか。俺も今はいい」
もう一度軽く唇を合わせ、バスルームに二人で向かった。その前で全部を脱ぎ去る。
シャワーから降り注ぐ温かな湯。抱き合ってその中に身を浸す至福の時。蓮がシャワーを止めた。ジェイはソープに手を伸ばした。その手を蓮が掴んだ。
「俺、蓮を洗ってあげたい」
「いいんだ、俺がお前を洗う」
「でも、蓮は疲れてるよ。それぐらいは蓮にしてあげたい」
「前にも言っただろう? お前はされるだけでいいんだ」
「やらせてよ……」
「俺からそれを取り上げるな。お前を幸せにしたい、守りたい。だから俺がお前にしてやれることを取り上げないでくれ……」
ジェイは目を閉じた。背中から抱かれた。耳を含んだ蓮の口が軽く食む。それだけで漏れそうになる声を堪えた。ジェイの弱い首筋を下りていく、胸が荒い呼吸で上下する。頭が蓮の肩に乗る。いつの間にか泡立った蓮の手がジェイの肌を滑り出す。遅く、速く、立ち止まり、蠢いて、体を煽っていく……
そこに辿り着いた時には弓なりになったジェイの体は小さく震えていた、イくまいと。
「我慢なんてするな」
「い……だ、いや…だ おれだけ…いっしょ……」
その言葉に心が揺れた。
「ああ、そうだな。ベッドに行こう。俺もお前と一緒にイきたい」
体が拭かれる。額に口付けられる。蓮が自分を拭いている間にベッドに横たわった。
遅れてきた蓮が覆いかぶさる。シャワーの後、いったんは冷めたはずの快感がすぐに蘇った。体をまさぐりながら蓮が下りていく……待っているそこを温かい口が覆う。
っ…… っあっは…ぁ
必死に耐える、まだだ、まだだ。
(……いっしょに れん……)
自分に出来ることはただそれだけ。蓮に渡せるものは自分の体だけ。せめて待ちたい、先にイきたくない…… 自分に課したその枷がジェイの性を花開かせていく。
「っは……れ、きて……き……おねが……きて……」
その懇願に蓮の理性が飛ばされそうになる。
「きて……お、ねが……れ」
見上げれば涙が零れる濡れた瞳が蓮を求めている。掻き分けていく、ジェイの中を。求められるままに。いつもならゆっくりと入っていくのに引きずられる、ジェイに。
「あぁ ジェイ、ジェイ、じぇ……」
立った膝が震えて蓮の腰を締め付ける。同時に中が蓮を締め付ける…… 蓮の頭の中にはその閉じられようとする門をこじ開けることしか無い。
奥へ……
ジェイの肩を掴み打ちつける、奥へ行きたい…… 背中にジェイの指が食い込んだ、もう声は出ず蓮にしがみついた。
突然痙攣が起きる。
「あ、じぇい、だめだ、そんなに……」
震え続ける奥が蓮を掴んで離さない。中だけで達してしまったジェイの苦しさはまるで出口を塞がれたように逃げ口を探した。
……れ……
痙攣は続いているのにジェイのそこは勃ったまま。
っは……っぁくるし…
「イか……せてやる」
(助けてほしい、くるしいんだ、れん おかしく……なりそ……)
頭の中が白くなる。
(……い かせ……)
それが最後の思考。叫んだことも分からない、たすけて と。蓮が自分の中に吐き出したのも、自分を掴んでイかせてくれたのも夢の中。満たされ過ぎてただ苦しい……
口に冷たいものが少しずつ流れ込んできた。こくんと飲む。こくんこくんと飲んだ。
「ジェイ、分かるか? 俺が分かるか?」
『分かる』そう言いたいのに声が出ない。また唇に冷たくて柔らかいものが触れてきた。
こくん
ほんの少し目を開けた。気遣わし気な目がそこにある。
『れん……?』
「ああ、無理して喋るな。もう少し水を飲むか?」
頷いた。口移しに水が与えられた。
「きれいにしたからな、このまま眠れ。俺も寝るから」
それにも頷いて目を閉じた。すぅっと眠りに落ちた。