J (ジェイ)の物語」

第二部
14.救い -2

「どうだった?」

 ジェイを見てみんなの手が止まった。結局休憩は取らずに戻った。蓮の様子が気になる。チラッと見ると野瀬チーフと話をしていた。

「ちゃんと謝罪してきました。湯川課長もそれを受け入れてくれて、上手く行ったと思います」

 その言葉に池沢が顔を上げた。

「上手く行った?」
「はい。頭下げたので喜んでらしたです」
「ジェローム、お前、機嫌取りに行ったのか?」

(チーフは何を言ってるんだろう)
 反応が早かったのはまた哲平だった。

「チーフ、ジェロームは頭を下げる必要がありました。だからそうして来たんです。責めるのはおかしいです」
「なんだと?」

 チーフが怒っている……こんな池沢を見るのは初めてだ。そしてみんなの反抗的な態度も。

「務めを果たしてきたんだからいいじゃないですか。誰だって頭何か下げたくないですよ。けどそうするしかないならしょうが無いでしょう?」

 花の剣幕に池沢はじろりと睨みつけた。

「そうか。お前たちがそうしろと言ったんだな? ジェローム、お前納得して謝ったのか? 心から悪いと思ったのか? あの言葉を使ってはいけなかったのが何故か分かった上で謝って来たんだな?」
「変ですよ……変ですよ、チーフも課長も。俺、謝ったから湯川課長も穏やかに話してくれました。これからもそういう姿勢でいなさいと言ってくれました。どうしてそれで俺が怒られなきゃならないんですか? 謝罪しろって言ったのは課長です」
「それが本音か。謝罪しろと言われたから頭を下げた。お前の意志は欠片も無かったということだな?」
「俺の意志って……チーフの言ってること全然分かりません。だって必要だったじゃないですか! 取り敢えず謝って来たんだからもういいじゃないですか!」

 叫んだ途端、ジェイはハッとした。
(俺……間違ってる……蓮はそんなこと、望んでなかったんだ……)

「チーフ、済みません。頭冷やしてきたいです」

「ああ、そうしろ。自分の言ったことをよく考えて来い」

 ジェイはみんなに頭を下げた。みんなも間違っていないのだと思う。いろんなことを知った上でのアドバイスをくれた。けれど自分は……

 4階で椅子に座って考えた。どうすべきだったのか。自分は課長、チーフから何を求められていたのか。冷たいものがいきなり頬に当てられて飛び上がった。

「ほら、飲め」

 蓮だった。大好きなジョーグルのペットボトルを渡された。黙ってキャップを外して飲む。

「美味いか?」
「うん……」
「そうか、お前これ好きだもんな」

 何故だろう、蓮に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「俺、間違ってた? 謝ったことがじゃなくて、俺の考え方」
「そうだな。それが分かればもういいよ。謝罪はすべきだった。けれど卑屈にはなってほしくなかった。お前が自分を捨てたように感じたんだ。悪かったな、イヤな思いをさせて」

 やっと求められていたものが分かった気がする。謝罪はあれで良かったのだ。ただ心持ちが悪かった。池沢の言った『ご機嫌取り』その言葉が頭に響く。

「俺、恥ずかしいことした……ごめんなさい」
「もういいよ。こうやっていろんなことを覚えていくんだからな。忘れるな、自分を見失っちゃいけない。小手先で物を考えるな。自分の中に揺るがない芯が無きゃだめだ」

 蓮の中に塩崎が頭を下げた姿が残っている。コーヒーを飲み終わって蓮が立ち上がった。

「先に行くからな」
「はい」

 やっと蓮はほっとした。
(ジェイを失うところだった……)
今さらながらそう思う。ゾッとする。間違えた道を歩ませるところだった。

(さぁ、ここからだ)
もう後は進むだけだ。

 素通しのドア越しに蓮を見つけて池沢が出てきた。

「どうでした?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう、池沢。お前のお蔭だ」
「そんな……課長も俺を大切に育ててくれましたよ。何度も俺は間違いを犯した。けどその度に根気強く俺にいろんなことを教えてくれました。何度課長に歯向かったか……なのに……俺、5人預かっています。まだ力足らずですが5人をちゃんと育てたい。そう思うようになったのも課長のお蔭です」

 ジェイが出て行った後、花が池沢に突っかかっていった。

「俺は納得行かない! ジェロームは悪くない、やるべきことをやって来たじゃないか! あれ以上何を求めるんだよっ!!」
「花!」
「三途さんは黙っててください! いつだってジェロームは一生懸命じゃないか! なのに何で助けてやろうとか、よくやったとか言ってやんないんだよ! あいつがここに来た時もそうだ、すんなりと受け入れてやらなかった、あいつはいつも孤独だったんだ、ここに来て。俺は!」

 今度は哲平が止めた。

「もう止めろ。チーフの話を聞こう。チーフ、俺だって納得行ってない。俺もいろんな思いしてきたよ。だからあいつを助けたいと思ったんだ。あそこまで言われる必要ないよ。あいつがご機嫌取りだなんてそんなこと出来るヤツじゃ無いことくらいチーフだって分かってるじゃないですか」
「お前たち、何考えてるんだ? おい、花。お前ジェロームに何て言ったんだ? どうせ頭下げりゃいいんだとか言ったんだろう。違うか?」
「言ったよ! 本当のことじゃないか、会社なんてそんなもんでしょ! 俺はさんざん痛い目に遭ったからよく分かってるよっ!」
「哲平は?」
「反省したとこを見せれば課長もこの先やりやすくなるって」

 蓮はそばまで来ていた。池沢のチームが揉めているのはフロア内筒抜けだった。

「三途! お前は?」
「考え過ぎ……左遷の部分だけ形として謝れって……」
「千枝、お前は!」
「気にし過ぎだって……それじゃ見えるものも見えなくなる……」

 バンッ!! と池沢がデスクを叩き、千枝が思わず身をすくめた。

「バカヤローッ! お前ら、揃いも揃ってあいつを潰す気か!? 花、さっき言ったな、痛い目に何度も遭ったって。哲平もな。で、あいつには絹の絨毯でも用意するのか? いつも安全な道を教えてやるのか? じゃ、あいつはこの先何を自分の基準にして進んで行けばいいんだ? みんな自分で考えて決めて行くんだよ、手を握って引っ張ってもらうんじゃなくて。分かんないのか、そんなことが! 助けてるつもりか? 『つもり』だけで助かるヤツなんか世の中にはいないんだよ!」

 みんなが黙ってしまった時に蓮はオフィスを出てきた。後は池沢に任せれば大丈夫だ。
(ジェイ、お前が混乱したのも無理はないな……あそこで放り出すべきじゃなかった。俺にも責任はあるんだ)
 そして、4階で話した時にはジェイはもう後悔をしていた……

 


「みんなはどうした?」
「あれきり静かですよ。仕事はちゃんとしてます」
「そうか、俺から話すよ」
「すみません、お願いします」

 蓮が入って来たことでチームの手が止まった。花は剣呑な目。哲平は思い悩むような目。三途は蓮からすぐ目を伏せた。千枝はべそをかきそうな顔……

 蓮はみんなを見回した。

「みんな、ありがとうな。池沢、お前もだ。なんだかんだ言ってお前たちはジェロームのことを真剣に考えた。それぞれ結論は違った。下手をするとあいつは間違った道を進んでいたかもしれない。けど俺は仕方ないと思うよ。なぜか分かるか?」

 蓮はオフィスに入って来たジェイに振り向いて、それでも言葉を止めなかった。

「なぜなら、誰がどんなアドバイスをしようとそれを選ぶのもそれを基に考え直すのもジェロームの責任だからだ。みんな自分が分かる最良の道ってヤツをこいつに提供した。そうだな? ジェローム」

 落ちる涙を拭いもせずジェイは頷いた。

「そして、ジェロームはそこに飛びついた。ジェローム、その後、気が楽になっただろう?」
「はい……ホッと……しました、俺、そこで考えるの止めました……すみません、課長にもチーフにも『考えろ』って言われたのに。みんなもアドバイスくれたのに。なのに、俺、それが答えだと思ったんだ。今朝課長に『答え出たか?』って聞かれて、俺は自分の答えを言ったつもりだった……でも違った。借り物の答えだったんだ。みんな苦労してその答えを手に入れたのに……俺は何の苦労もしないで……」

 花がその言葉を遮った。さっきのキツい目が消えていた。

「ごめん! ごめんな、ジェローム……俺、考えが足りてなかった。お前何度も聞いたのに。ホントにそれでいいのかって。あんなに迷ってたのに俺、軽く返事したんだ。初めてのトラブルだったのに俺はちゃんと向き合ってやれなかった……」
「いえ、それは違う。考えなかったのは俺です。みんな、ありがとうございます。そしてごめんなさい。チーフもありがとうございます。俺、今度のことすごくいい勉強になりました……」

 定時となったが、池沢は全員に残業を言い渡した。

「あんだけごちゃごちゃ騒いでくれたんだからな。その分精一杯働いて行け。きっと今日はぐっすり眠れる。だいたいお前ら、面談の前もジェローム焚きつけて、謝罪の前もこれじゃ……」
「もう勘弁してくださいよー。少なくとも、俺は反省してますから」
「抜け駆けすんじゃないわよ。連帯責任でしょ!」
「俺は残業、構わないよ。今日はデート無いし」
「私、頑張ります。反省もします」

 自席からそんな声を聞きながら蓮は笑っていた。
(頑張れ、みんな。俺も頑張る)
仕事はたっぷり溜まっている。
(今日はこれとこれを仕上げないと)

「あ! ジェローム! お前デートは? 今日は大丈夫なのか? 女の子なんてデートすっぽかすと機嫌取るのに苦労するぞ」
「え? お前、誰か付き合ってんの!?」
「ホントか! へぇ、ジェロームにねぇ。お前みたいな純なヤツの恋人なら会ってみたいもんだな」

 蓮の手が止まった。姿勢が真っ直ぐになる。三途川の手も止まった。そして、ジェイは息まで止まりそうだ。

「あ あの、俺、そんな……」

 会話になんか、なりはしない。

「どんな子なんだ?」
「あれ、池沢チーフもご興味あります?」
「おい、花。似合わない敬語止めろ。気持ち悪い」
「反省してるってとこ、表わしてるつもりなんですが。チーフが嫌がってらっしゃるなら改めましょうか?」
「お前、ほんっとにイヤな性格だな! いいから普通に教えろ、どんな子なんだよ」

 千枝も哲平も興味津々の顔。

「まずね、背が高い。髪は……染めてないってことだよな? 黒だって言ったんだから。で。ストレート。優しくって……後、なんだったっけ?」
 
「面白そうな話じゃないか。ジェローム、お前に彼女が出来るなんて俺も驚きだ」

 いつの間にか蓮が後ろに立っていた。冷ややかな声に慌てて振り返ると目が……(怖い!)

「違うんです、花さん、誤解して……」
「いいって! 誤魔化すなよ、俺あれ聞いた時嬉しかったんだ。お前にそんな人が出来たなんてさ、すごくホッとしたんだから」
「そうだよなぁ。そうかぁ。彼女が出来たのか」

 池沢、哲平、花、千枝がほのぼのとした顔をしている。

「応援するからねっ! 何かあれば相談して。たとえばプレゼントとか」

 みんなジェイが奥手だと思っている。いや、その通りなのだが。恋愛さえもおっかなびっくりなんだろうと、手解きする気満々だ。

「春にはそんな雰囲気無かったんだから最近ってことだな」

「ジェローム。そんなことで上の空だからトラブルが増えたんじゃないか?」

 冷たい蓮の声。みんなとまるで温度が違う。
(違う、違うよ、蓮。蓮の髪好きだから……背だって高いし。優しいし)
三途川は声に出ない課長のヤキモチに目を覆わんばかりだ。でも……楽しい。
(どう考えたってそれって課長でしょ!)

「それで? 他に特徴は? 目は?」

 哲平の追及が半端無い。

「目……切れ長で……」

 見ると蓮の目がさらに鋭くなっている。
(蓮の目だってば……)
もう、泣きそうだ。

「どんなこと喋るんだよ。お前、女の子と会話出来んの?」
「あの……えと、料理とか……」
「ええ!? もう食事作ってもらってんの!? すげぇ、なんだよ、しっかり恋愛してんじゃん」

 その頃になってやっと蓮は ん? という顔になった。

「初デートってどこだよ?」
「あ え、あの、ゆうえんち」

 もう消え入りそうな声に、蓮は慌てて自席に戻った。
(俺、ヤキモチ焼いたのか? 俺に?)
頭の中が茹っているような気がする。必死に目の前の書類に集中しようとする。
(あ、課長。気がつきましたねーー)
これはこれで、三途川にしてみれば面白い。課長の一喜一憂がえらく楽しい。

「お前たち、さっさと仕事しろ!」
「課長、今いいとこなんだからちょっと待ってくださいよー。ちゃんと仕事しますから。チーフだって聞きたいんでしょ?」
「うーん、これは大事なことだからな。ウチのチームの末っ子に彼女とはねぇ」
「も もう、話すこと、ないですから!」
「あれだろ? お化け屋敷とか連れ込んで『きゃぁ、怖いぃ』とか言うのを抱きしめたりしたんだろ」

 落ち着こうと水を含んだ時だったから堪らない。思い切り蓮は書類に噴き出してしまった。

「あれ? 課長大丈夫ですか? 千枝、ティッシュ!」
「い いや、いい。大丈夫だ」

 とにかく誰にもそばに来てほしくない。いいから黙って仕事をしてほしい。
(ジェイ、逃げろ!)
もう気が気じゃない。きっと不器用なジェイはボロを出す。

「ほらほら、チーフまでもう。私これ以上残業増えるのイヤなんだけど。お喋りなら終わってからにしてくんないかな」
「よし、じゃ、後で聞かせろよ。今日はこの後飲みに行こうぜ」

 三途川の言葉にホッとしたのも束の間。酒に弱いジェイ。酔った勢いで何を叫ぶやら…… あの、おでん屋の時もデカい声でカミングアウトしたのだから。
『セックスもぉ! 経験無しっ!!』

「おい! 今日は俺が奢る。早く今日の分終わらせろ。最近いろいろ大変だからな。久し振りに奢るぞ」

 自分のいないところでジェイが飲むのが怖い。ジェイも蓮がいないところで追及されるのが怖かったからホッとした。
(大変ねぇ、二人とも)
三途川は傍観者の位置を楽しんでいる。

「どこ、連れてってくれるんすか?」
「ゆっくり話せるところがいいですね、たっぷりジェイの話聞かなきゃならないし」
 ジェイの肩がビクリ! と動いた。何が質が悪いと言って、池沢がここまで食いついていることだ。
(ゆっくり話す? 勘弁しろ、池沢!)
ジェイのおどおどする顔を見るだけで、『全部話しちゃいそうです』と言われているような気がしてくる……

 思い余った蓮はとうとう言ってしまった……

「カラオケに行こう! たまには俺も騒ぎたい!」

 あそこなら落ち着いた話など出来るわけがない。追い詰められたような気持ちで口走ったのがまずかった。ぴたりと止まったみんなの体。

「いいですねぇ! 悪いけどジェロームの話より面白そうだ! 課長、前回俺と引き分けですからね、今日こそ決着つけましょうよ!」
「そうだよ、哲平さんいなくなったらもうゲーム出来ないしね」
「珍しいですね、あんなに嫌がるカラオケに行くなんて。ま、ストレス発散も必要ですよ」

 池沢の言葉が有難いのか、悲しいのか。みんながすっかりジェイの話を忘れたのはいいが、新たなる拷問が蓮を待ち受けていた。