J (ジェイ)の物語」

第二部
5.蓮に会いたい…… -2

 哲平と花にはジェイが他のフロアに行っている間に三途川から話をした。

「じゃ、要するに親から捨てられたみたいな気持ちになってるってこと? 課長がいないから?」
「私たちには分からないことよ。だって肉親を全部失ったこと無いもの。課長はいつもジェイに保護者みたいに接してたじゃない?」
「なら会いに行けば……」
「花、人前で、それもご家族の前で泣いて縋るなんてあんたなら出来るの?」

 池沢が口を開いた。

「仕事はちゃんとこなしているし、俺たちには見守るしか出来ないな。課長が復帰したらジェロームも落ち着くだろう。明日は二人で見舞いに行って来い」
「分かりました。課長にはそのこと言わなくていいんですかね?」
「今の課長には負担をかけるだけだ。皆無事にいつも通りにやってるって報告しておけ」
「了解っす」

 金曜の夜から日曜の夕方まで。ジェイは洗濯をする以外はただ蓮の枕を抱きしめて過ごした。ほんの時々うとうとする。でもぐっすり眠ることなど出来ない。もう会えないという母の亡くなった時の恐怖が喉元にせり上がってくる。
(生きててくれるだけでもいいんだ)
必死にその思いにしがみつく。

 携帯が震えた。メールだ。登録していないアドレス。しかしタイトルを見てジェイは慌てて座り直した。

『元気か?』

「連!!」

『ちゃんと食ってちゃんと寝てるか? 心配かけたな、ごめん。俺は大丈夫だ。三途が不便でしょうがないってみんなのアドレスの入った携帯をくれたよ。一週間5000円で貸すってさ。暴利だと思わないか? 面会時間は8時までだ。それを過ぎたらメールするから安心して待ってろ。いいな。じゃ、後は今夜』

 何度か読んで、さらに声に出して何度も読んだ。

「『元気か』うん、元気だよ。『寝て食ってるか』ごめん、蓮、これからはちゃんとそうする……」

 今夜8時過ぎ。蓮からメールが来る。誰もそばにいない蓮からのメール。自分たちはまだ繋がっている。ちゃんと蓮は自分を忘れないでくれる。

 時計を見た。今は6時過ぎ。ジェイはシャワーを浴びて支度を始めた。

 8時13分。外は雨が降っている。携帯が震え、すぐに開いた。

『ちょっと遅くなった。夕飯食ったか? 俺は不味い病院食を食った。自分で作りたいほど不味い! お前の味噌汁の方がマシかもしれない。今何やってる? またテレビ見てるのか?』

味噌汁の下りでくすくす笑った。

『味噌汁作って届けた方がいい? 俺、外だよ。メール出来て嬉しい! 足、痛い?』
『ギプスしてるからたいして痛くない。外って外食か?』
『蓮ならどこにいる? 俺、入院してメールしか出来なかったら』

少し間が空いた。

『お前、ここにいるのか? 病院には入れないだろ!』
『うん。でも近くで話したかったから』
『ばか、風邪引く』
『ちゃんと傘持ってる』

 上の方の明かりを見上げた。どの部屋かは知らない。でもこの中に蓮がいる。また間が空いた。

『ホントにバカだなあ。来週水曜に退院する。家に家族が入るけど』
『大丈夫、俺の物全部片づけたから。安心していいよ』
『じゃお前アパートに戻ったのか?』
『うん』
『悪かったな、しばらく我慢してくれ。早く家族追っ払うから』
『いいよ、ちゃんと家族と過ごして』
『愛してる。メールで書くとこっ恥ずかしい! もう二度と書かないからな!!』

ジェイは吹き出した。確かにメールに書くのは恥ずかしい。簡単に返事を返した。

『俺も』
『お前、ずるいぞ! ちゃんと書け!』
『何て?』
『だから、あ、また書かせようとしてるだろう!』

楽しくてしょうがない。まるでそこにいるみたいだ。あっという間に9時近くになった。

『もう寝て。また蓮のメール待てばいい?』
『ああ、待ってろ。周りに面倒なのがいなくなったらメールするから。今度は家にいろよ。ここまで来るな』
『分かった、そうする』
『ジェイ、いいか、会えるまでちゃんと元気でいてくれよ』
『うん。元気にする。蓮も体大切にして。またメール待ってる』

(女学生みたいだな、こんなやり取り)
蓮はそれでも今のメールを読み直した。
(良かった、三途がこれをくれて。いいさ、5000円でもいくらでも払ってやるよ)
 三途川が二人のことを知っているとは思っていない。

 今日の午前中に面会に来た三途川がポイッとくれたのがこれだった。

「いちいちチーフ通して指示もらうのとか確認するのとか面倒だし。私もう来ませんからね、お見舞いはこれってことで」

 アドレスには会社のみんなの分が登録されていた。

「だがこれ……」
「なに? 赤にピンクのストライプじゃイヤですか? じゃ、持って帰りますけど」
「分かった、分かったよ。ありがとうな、助かる。みんな、その元気にしてるか?」
「ええ。あ、ジェロームがまたひねくれちゃってますけどね」
「ひねくれる?」
「会社に入った時みたいに拗ねてるって言うか。みんな親みたいな課長がいないせいだろうって言ってますよ」
「親はないだろう!」
「似たようなもんでしょ。ひな鳥は親鳥がいないとダメってことですね」

 だから三途川が帰ってから周りに人が居ない時にすぐにメールをした。


 久し振りに長男の世話をする母は鬱陶しいほどそばを離れない。
(こんなこと考えたら罰当たりだよな、ジェイ)
 そうは思うが同じ世話をされるならやはりジェイにいて欲しいと思う。家を掃除してくると言われた時にはかなり焦った。だから「まだいい、退院するまで入ってほしくない」と突っぱねた。蓮が強情なのは分かっているから母は「はいはい」と従ってくれている。けれどジェイが片づけてくれたのならもう心配は要らない。

(水曜。退院したら早めにジェイを呼び戻したい)

そんなことを考えながら消灯になって目を閉じた。

 

「またジェロームが変わった」

 チームのみんなが不思議そうにジェイを見る。相変わらず見舞いに誘っても行くとは言わないが、少しずつ余裕が出てきたのが分かる。コミュニケーションが取れ始めている。

「三途さん、ジェロームに何か言った?」
「え? そうね、『今のあんたを見て課長、喜ぶかしらね』とは言ったけど」
「さすが、三途さん! きっとそれで立ち直って来たんだよ」
「みんなが哲平みたいに単純だったら楽なんだけどね」
「俺はいいヤツってこと?」
「おめでたいってことじゃないの?」
「花っ! お前に言われたくない!」

 池沢はパソコンに向かっているジェイに目を向けた。

(本当に真面目なヤツだな。仕事早いし)
課長が一緒に仕事していて楽だと言っていたことが良く分かる。

 

 変わったと言えば、田中が大きく変わった。
 正直言って池沢には素直に田中の下につくのが苦痛だった。時々魂胆丸見えなほど露骨に課長に反発することがあるし。けれど課長から大滝部長に「田中に業務を任せてほしい」と進言があったらしく、田中が引き継ぐことになって様子が変わった。

 

 デスクに入っている業務日誌を見れば全部分かるはずだと伝言をもらった田中は、そんな物を見るより自分のやり方でやってみたいと思っていた。しかし念のためにと日誌に目を通した。そしてその中身に愕然とした。
 業務を中心としたものが一冊と、メンバーについてのものが一冊。

4/19 浜田

発熱により退社。後を広岡に任せる。フォローを入れること。
4/20 浜田

引き続き有休(残14日)風邪とのこと。37.9℃。広岡にフォローさせる。余裕がありそうだから会議メモのまとめも任せよう。最近広岡は様子が落ち着いている。薬を飲んでいる様子は無い。
中山 廊下で転んで足を捻る。様子を見る。
4/21

田中 腰痛。しばらくは事務処理中心に回すこと。状態によっては業務中に通院させるか。

 それはもちろん事故の起きる前日まで続いていた。
(こんなこと、あの忙しさの中でずっと……)

 自分たちの疲労の様子、それによって回す業務。全てがそこに書いてあった。それを引き継いでやってみたが、とても業務時間内ではこなせない。連日の会議。鋭い上司たちの指摘と追及。詳細な説明、応答。

「やはり河野君でないと厳しいね。でも君に彼は期待してたよ。頑張りなさい」

 大滝部長にそう言われて田中は改めて河野を見直した。
(とても俺なんか太刀打ち出来ない……)
3歳年下の課長の下にいることが我慢できなかった。けれどあまりにも自分と違い過ぎる……

 田中の心構えが変わった。みんなに目を向ける。そしてそれぞれのチーム内のバランスを考えて仕事を回す。その傍らプロジェクトが常に進行するように声をかけ、様子を聞き、絶えず進捗を掴んでおく。
(河野課長。あんたはすごいよ)
そんな中で新入社員にまで心を砕いていた。
(見習わなきゃな。今回のことは俺のいい経験になる)


 8時になるとソワソワする。なかなかメールが来ないと自分に言い聞かせる。
(毎日なんてきっと無理だ。もしかしたら熱出してるかもしれない)
そう思えば、自分にメールくれるよりもゆっくり寝ていてほしいと思える。けれど時間はズレてもしっかりとメールは毎日届いた。短いやり取りの時も結構ある。けれどそれでも充分だった。繋がりを感じられるのは今はこのメールだけ。

 割と愚痴が多いのにちょっと笑う。

『寝てるのに飽きた』
『もう病院の飯は食いたくない』
『外を歩きたい。廊下はもうたくさんだ』
『退院は明日だけど今帰りたい』

 焦れて、我が儘になっている蓮。
(きっとお母さんがそばにいるから子どもになってるんだ)
でも今日のメール……『今帰りたい』その後についていた言葉。

 

『早くお前を呼び戻して抱きたい』

 ずくり と体の芯が重くなった。

『そんなの、だめだよ、当分』
『当分っていつまでだよ』
『蓮がもうちょっと良くなって、お母さんが安心して帰るまで』
『ずい分先になっちゃうぞ。それでいいのか?』
『困るよ、そんな風に聞かれても。体のことが一番でしょ?』

少し間が空く。

『悪かった、お前に八つ当たりしてたな。だめだな、こういう動けない状態が苦痛なんだよ』
『そうだよね、蓮じっとしてらんない人だから』
『人を熊みたいに言うな!』

(熊だって)
笑いながら次を打った。

『じっとしてらんないって、ゴリラとかじゃないの?』
『お前! 覚えてろよ!』
『蓮、ホントに怒った?』

返事がない。

『蓮、怒った? ごめんなさい』
『怒ってないよ、ジェイ。大丈夫だ。ちょっと拗ねただけだ』
『拗ねたの?』
『ちょっとだ。もう立ち直った』

 こんな蓮の姿はきっと誰も知らない。会社ではいつも大人で、立派な人。でもこんなに我が儘で自分には言いたい放題で。口元に笑みが浮かんでくる。自分だけが知っているのだと。

『蓮、マンションに戻れたらリハビリ手伝うね』
『仕事には再来週には復帰する。そしたらこっちもきっと落ち着くよ』
『え、だめだよ。ちゃんと良くなってからじゃないと!』
『松葉杖で会社に行く。メールじゃなくて会えるな。楽しみにしてるよ』
『会えるのは嬉しいけど』
『大丈夫だ、心配するな。じゃ、お休み。ちゃんと寝るんだぞ』
『ちゃんと寝るよ。心配しないで。おやすみなさい』


(早すぎるよ、蓮。途中で何かあったらどうするの?)

 でも頑固な蓮のことだ。きっと出社するだろう。
何とか蓮の役に立ちたいと思った。蓮が忙しかった時に何もしなかったのだから。