宗田花 小説の世界
九十九と八九百と十八
13. 出た
「居候はどうしてる」
「八九百と十八?」
「そのネーミングセンスはいただけないけどな」
「ケチつけるわけ?」
「数字で書いてみろ。4月1日99、89100,18。何かの暗号か?」
俺のセンスにケチつけてんのはマスター。存在そのものにセンスがないあんたに言われたくない。よっぽどそう言おうかと思ったけど、さっき酔っぱらいを追っかけてきたチンピラを眼光で追い返したゴルゴを思い出して、我が身を大事にすることにした。
「あいつ、急に怖がってさ。あんまり知りたくないみたいなんだ、自分のこと。早く知りたいって言ってたのに」
「そういうもんじゃないか? 忘れてるから知りたいが、よく考えたら何をやったか分からない過去を思い出す。そりゃ怖気づくさ」
「そういうもんか…… 何もしない方がいいと思う?」
「そうだなぁ」
「あちこちに写真バラまくとか」
「ヤバいことやってたらどうするんだ? 記憶をな失くすほどだ、何かあったと思う方が妥当だろ」
「やっぱりそうなるよな」
時計を見るとまだ 8時35分。今頃飯食い終わって十八とのんびりしてるとこだろう。
(まだ時間かけてもいいか。八九百自身が望んでないなら急ぐ理由も無いしな)
俺は仕事の方に集中することにした。
「ねぇ、今夜付き合わない?」
「付き合わない」
「どうして? いつも九十九ちゃんは断るわね」
「あんたが女だから。前にも言ったよな」
目の前のカウンター席に座ってるのは俺を夏から口説いてる30過ぎのオバさん。
『金持ってんだから一晩つき合っちゃえばいいのに。ヤるだけでしょ?』
『瑠美ちゃん。10代の乙女がそんな言葉使っちゃいけません』
『PTAみたい。案外硬いよね』
『しょうがないの! 女相手に勃たたないの!』
『九十九って、とことん安パイでつまんない』
オバさんが帰ると必ずする会話。でも今日のオバさんは何が何でも俺をお持ち帰りするつもりらしい。
「言うこと聞きなさいな。あんたにとってもお得よ」
「どこがお得なの?」
一応客だから話は聞いてやる。
「そうね、旅行連れてってあげる。最初は香港かな。セブ島でもいいわよ」
「なんか成金丸出しだね」
「あんたも言うわねぇ」
マスターが出てきた。ちょっとホッとする。マスターは俺がこの手の誘いを嫌っているのをよく知っている。
「こいつに粉かけても時間の無駄だよ、りつこさん」
「マスター、邪魔しないでよ。今は九十九ちゃんと話してるんだから。ところでそろそろ本名教えてよ、九十九ちゃん」
ふざけた名前だから逆に源氏名だと思われてるらしい。願ったり叶ったりだ。
「こいつは『氷の九十九』。女になびいたのを見たことが無い。ゲイなんじゃないかって俺は疑っている」
「またまたぁ!」
いや、マスターは知ってるから。俺が時々客を物色しちゃ、サービスしてんのを。たいがい連れがいたりしてダメなんだが。
「ね、考えといて。あんまり袖にするといいこと無いわよ」
怖いオバさん。凄んだ目で捨て台詞残して出て行った。
「なんだ、最後の。あれって脅し?」
「ちょっと調べとくよ。俺も気になる」
「助かる」
「従業員の安全に気を配るのは雇い主の務めだ」
マスターは裏のことをよく知ってる。どっかのアニメの主人公いたいだ。マスターこそ謎の男だと俺は思ってる。
「これ、持ってけ」
「牛肉? たっぷりあるじゃん!」
「今日は思ったよりミニステーキの注文が無かった。冷凍にしたやつを客に出すのは好かん」
「……ありがとう。いつもより発注が多いなって思ってたんだ」
「ふん。お前は結構働きもんだからな。おい、いい男だって言ってたよな。なんとかなりそうなのか?」
「多分だめだ。あいつはそういうんじゃないんだ」
「そうか。ま、お前のいいところだ。見極めをつけるのがいつも上手い」
「下手くそなんだよ、つき合いってのが」
「そうとも言うな」
ちょっと出るのが遅かった。家に着く頃には4時近いかもしれない。うんと迷ってあの裏道を行くことにした。そんなに続けていろいろ出られて堪るか。
それが、出た。出た、ってか、降って来た。
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