
宗田花 小説の世界
Fel & Rikcy 第4部[ LOVE ] 3-2.指輪[決断]
# R #
「フェル! あんたナニやってんのよ! もう、呆れちゃうわ」
「見てらんない、勘弁してくれよ」
ロイの声。あんまり恥ずかしくって俺は顔も上げらんなくって……
「おい! どうした!! フェル、大丈夫か!?」
タイラーの声に驚いて顔を上げた。
「フェル、どうした、何があった?」
真っ青な顔をして目を閉じてる……
「俺がフェルを引っ張ったんだ。その、人前でいちゃいちゃしようとしたから。そしたら振り向いて俺を見た途端……」
「指輪を……」
小さな声で聞こえた言葉。タイラーの手を見た。
「タイラー、指輪してたっけ?」
「家に帰った時にアイツに指輪くらいつけろって怒られたんだよ。浮気する気かって」
「横にした方がいい。寝室に入ってもいいか? お前の手じゃ連れてけないだろ?」
レイがフェルを寝室に運んでくれた。
タイを緩めてやる。
「…指輪……」
まるでうわ言みたいでそっと手を包んでやった。少し震えてる。
「どうした? フェル、俺ここにいるよ」
返事が無くって少しずつ体の力が抜けていくのが分かった。穏やかな息で、震えが止まる。俺は静かにカーテンを閉めた。
「どうだ? フェルは」
「少しあのままにしとくよ。もう少ししたら起こしに行く。フェルの言ってる指輪って…俺の、だよな、きっと」
あれっきり指輪の話は出ていなかった。事件が事件だし、もう諦めるしかないだろうと思っていた。フェルの記憶を突っつくのも嫌だったし。けど何かありそうだ、あの様子じゃ。
「リッキー、指輪見つからなかったのよね?」
「そうなんだ……でもいいんだ、フェルの方が大事だから」
「私たち、指輪のこと全然分からないの。何とかしてあげたいんだけど」
みんなも心配そうな顔だ。
「気にすんなよ、俺大丈夫だから。みんなが考え込むことじゃねぇよ」
「そうは行かないよ。さっきの様子じゃ根っこが深そうだ。だって俺の指輪見ただけであんなじゃ、これから先どうやっていくんだよ」
「カウンセラーは?」
「バカ! 考えても見ろよ、ロジャー。ああなった原因はあの事件だぞ。カウンセラーになんて説明するんだよ」
ロイの言うことは尤もだ。とても第三者になんか相談出来ねぇ。下手すりゃ逮捕だ。
「医者には守秘義務があるだろ?」
「いや、レイ。危険は冒せない。フェルはやり過ぎてるからね」
エディの言葉にみんな黙ってしまった。
「俺が聞くよ。何とかフェルから聞き出す」
「それは多分無理ね。あんたの指輪が絡んでたら絶対にフェルは喋らないわ」
「僕がやろう。任せてくれないかな?」
「なんか当てがあんのか?」
「事件の詳細をまとめてあるんだ、まだ途中だけど。これから先に何があるか分からないからね。時間が経つとみんな記憶があやふやになるだろう? 辻褄の合わない話になっちゃ困るからさ」
俺はエディに抱きついた。俺の腕の中でもがいてる体を抱きしめる。
「頼むよ! フェルをなんとかしてやってくれ、頼む! もう見てらんねぇ、俺も限界だ!」
「分かった! 分かったから放せ!」
俺の腕から抜け出したエディは何か言おうとして俺の顔を見た。
「……泣くなよ、分かったから。僕はカウンセラーじゃない、けどフェルについてだけ言えばフェルの行動心理はきっと理解できると思う。今回のこと、危なかったし言いたいことは山ほどあるけどでもな、それとは別にフェルに『よくやった!!』って言いたいんだよ。一人の人間のためにあそこまでするなんて出来ないよ。なのにフェルは迷いなく動いた、誰も当てにせずに。リッキー、君は本当に幸せだと思う。君の元にフェルが笑って帰れるように僕も精一杯やってみるよ」
エディになら安心して任せられる気がした。いつも冷静で変に肩入れしたり同情したりしない。それに……俺のこと、幸せだって言ってくれた。
「無理して起こさないでいいわ。充分私たちディナー堪能したから。楽しかったし。ね?」
ロジャーが笑いを抑えられないって顔で頷いた。
「チョコ入りのサラダ!! シェリーもタイラーもいいもの食べたよね!」
「ロジャー! 絶対お前にも食わせてやるからな!」
どうなるかと思ったチョコ騒ぎも悪くは無かったらしい。結構ワイワイとみんな出て行った。エディがドアの前で振り返った。
「フェルと明日にでも話すよ。君はいない方がいい」
「でも、俺いねぇとフェルが」
「いない方がいい。いいね? 明日連絡するから。それを待ってて」
厳しい顔だった。どうする気なんだろう……
片づけをしていたら青い顔のフェルが寝室から出てきた。
「ごめん、みんな帰ったんだね。怒ってただろう」
「そんなことねぇよ、みんな楽しかったって。ま、サラダは何だけど他のは成功だ。またやろうぜ、今度はもっと余裕持って」
「そうだね……後、僕がやるから。リッキーも疲れたろ? ちょっと休んでろよ」
まだ辛そうな顔してるからフェルを抱きしめた。
「俺、聞かねぇよ、言いたくないことは。俺だって入院した時お前が何も聞かないでくれたの、嬉しかった。だから言ってもいいってお前が思うまで待つよ」
泣きそうになったフェルが俺の顔を両手で挟んだ。
「愛してる。リッキー、本当に心から愛してる」
後はフェルのキスの中に俺は溺れて行った……
今から行く そうエディから連絡があったのは次の日の昼過ぎだった。俺は落ち着かなくって、あっちこっち物を動かして片づけてる振りをしていた。
「どうしたんだよ、何かあるのか?」
「いや、なんでもねぇよ」
「夕べ辛かった? またヤり過ぎたか? お前二度も気を失って」
「いや、あの、そんなのはいいんだ、もうちょっと加減してくれたらもっといいけど……でも辛くなんかなかったから」
今エディが来るのにそんな話で盛り上がるわけには行かねぇし。俺はハラハラしながらエディのノックを待った。だってこんな話の後はたいがいフェルはキスしてくるんだ。そしたら、俺……
そこにノックがあった。俺は深呼吸を繰り返しながらドアを開けた。
「やぁ、話があって来たんだよ。リッキー、フェルと二人にしてくれないかな」
# F #
「話って? その、チョコの苦情? でもエディは食べて無いだろ?」
リッキーが出て行ったドアについ目が行く。なんでだろう、不安で堪らない。リッキーにそばにいてほしい。エディの顔がまともに見れない……帰ってくれないか? そう言いたいのに言えない……
「話が終わったら僕からリッキーに連絡を入れるよ。そんなに不安?」
「何のこと?」
「僕は一つだけ質問しに来たんだ。だから君が答えてくれればきっと話はすぐ済むよ」
「質問?」
言いながら立とうとした。
「どこ行くの?」
「なにか飲み物を……」
「要らないよ。でも君が欲しいなら構わないよ」
「喉が渇いて……」
なんでこんなに言い訳めいているのか分からない。水を持って座った。
「で、僕が答えれば話は終わり?」
僕から目を離さないエディが頷いた。
「どんなこと?」
「指輪、どこに隠したの?」
「……ル、フェル! おい、フェル!」
そばに膝をついたエディが肩を掴んでいた。
「ほら、飲んで」
いつの間にか取り上げられたグラスが口に当てられた。口に水が入って来る。時間をかけて呑み込んだ、水がつかえそうで。
「やっぱり君が持ってるんだね? どうしてリッキーに渡してあげないの?」
「なんでそれが分かった?」
まるで囁くみたいな僕の声……
「今回の事件のこと、僕はまとめているんだよ。いつか何かの調査が入るかもしれない。時間が経てばみんな記憶は飛んでしまって口にしちゃいけないことを言ってしまうかもしれない。そのための保険ってわけさ。使わずに済めばそれが一番いいけど」
エディならそういうことを考えるだろう。そして適任だ。
「だから時間を追ってみんなの話を聞いたんだよ。今、それを最初からまとめ直しているとこ。今ならあの9日間のことをみんな頭の中に再現できるからね。本当は君にもリッキーにも聞きたいよ。でもそれは無しっていうのを前提にしてる。シェリーにしたってビリーだって、全部は話してくれないし。目的は君ら以外の僕たちの証言が一致することだから正直真実は聞く必要無いんだ」
事の真相を追及されるんじゃないか そんな恐怖が去った。今度は震えずに自分で水を飲めた。
「これから言うことは僕の推測だから。リッキーの指輪を奪ったのがオルヴェラだっていうのは分かっている。君がアイツを襲ったのだって復讐もだけど指輪を取り戻す気だったんだろう? あれ以来君が指輪を気にしないのが変だとは思ってたんだよ。ただ事件の後遺症がお互いにあったからね、特に君ら二人には。だから頭から飛んでるんだと思い込んでた。君の頭からリッキーのことで飛ぶものなんて無いはずなのに」
僕は聞く一方だった。僕の中でさえ整理の付いていないこと。どうすればいいか分からずにいること。
「なら指輪はどうなったのか。何も言わない君が持っているっていうのが一番妥当な線だ。その間にあったことで一つ思い出したんだよ、ビリーが言ったこと。たぶんあの騒ぎの中だからうっかり口走ったんだろうけど」
ビリー? ビリーがなんで指輪に関係してるんだ?
「君はオルヴェラの左手の指を切り飛ばしたね? アイツが手を怪我してたっていうのはタイラーからも聞いてる。ビリーが言ったのはね、『転がってる指にフェルが目もくれずに何か拾ってたから引っ掴んできた』ってこと。それ、指輪だろ」
腸が……捩れる。怒りがこみ上げる、殺せば良かった。あんなヤツが嵌めていいものじゃないんだ、リッキーと僕との愛の証。
「フェル! 事件はもう終わってる、もうそんなに殺気立つなよ!!」
顔を上げた僕に見えたのはエディの心配する顔だった…
「な、終わったんだ。全部君が終わらせたんだよ。だからリッキーは悪夢から解放された。なのに君は悪夢に捕まったままだ。これじゃ本当に終わったことにならないよ。君がしたこと、いいことばかりじゃなかった。むしろ言いたいことたくさんあるんだ。けど言わない。なんでかって、君がしたことは当り前だって思う気持ちが僕にあるからさ」
「当たり前……エディ、お前、本当にそう思う?」
「ああ、思うよ。僕にも君ほどの決断力と行動力があったらって、何度も思った。だから君たちをどうしても守りたいって最後まで思ったんだ。今でもそう思ってるよ。だから資料だってまとめてる。後は君がその指輪から解放されれば終わりだと僕は思ってる」
立ち上がると少しふらつく感じがした。一緒に立ったエディに首を振った。
「大丈夫、待っててくれ」
自分の机のこの引き出しを開けるのはあの事件以来だ。リッキーはここを触らない。お互いそのくらいのプライバシーは守っている。一番奥にそれはある、ハンカチに包んで。何度も躊躇って手を伸ばし、それを掴んだ。
「それがそう?」
エディが手を伸ばす。僕は躊躇ったまま差し出せずにいた。
「渡して、フェル。君が持っていていいとは思わない、取りあえず今は。いいから僕に渡して」
有無を言わせぬ口調に僕は右手を伸ばした。
「あの時のまま。そうなんだね? これはアイツの血痕か。だから苦しかったんだろう? リッキーにこれを渡せない。リッキーにこれを返したい。どうしていいか分からずにいる。だから君は決断するってことが出来なくなってしまった」
そうだ、どうしていいか分からない。取り返したのに。リッキーのために取り返したのに。アイツの指に嵌っているのを見た時の憎しみが蘇ってしまうんだ、この指輪で。
「フェル、どうしたい? 僕がずっと預かっても構わない。リッキーには言いたくないんだろうから。でもそれって逃げてるだけで解決にならないよ。君らしくない。どうしたらいいのか分からないんじゃないだろう? 本当に分からないって思ってる? 君なら取る行動はたった一つだと僕は思ってるんだけど」
僕の取る行動? 一つ?
「どうするって……僕ならどうするって思ってるんだ? 僕にさえ分からないのに」
「避けてるだけじゃないのか? フェル、時間稼ぎは意味無いよ。むしろ逆だ。時間が経てば経つほど君はダメになっていく。だからもう終わりにしたらいいと思う。そしてその終わりを決めるのは君じゃないよ」
「何を……何言ってるか分からない」
「また逃げる。僕はね、君に憧れてきたよ。誰にどう思われようが関係なく隠すことなく君はリッキーを愛してきた。今もね。そのためなら何でもする。自分のことさえ捨てる。凄いことだと僕は思う。そんな君が僕のなりたかった姿なんだって今回のことでよく分かったんだ。ただの憧れなんかじゃなくって」
エディが僕の両肩を掴む。
「思い出せよ、結婚式。君はリッキーを守り抜くって、彼のために戦い続けるって誓ったんだろ? 幸せにするって。だったら今の君をただ見続けて戻ってくるのを待ってるリッキーのことを忘れるなよ! そんなの、君じゃない!」
あの沈着冷静なエディが…僕らのために、僕のために声を荒げて…… その顔から目を逸らしちゃいけないと思った。
「……僕は……自分がするだろうってことが怖かったんだ、きっとそうだ。今も怖い。それが正しいのかも分からない。でも……」
「でもいつかしなきゃならない。そうだろ?」
そうだ、決めるのは僕で、それをいつにするのかを決めるのも僕だ。
「いつにする? もっと時間が要る? なら指輪を持って帰るよ」
「いや」
その言葉は考えることもなく僕の口から衝いて出た。勢いで決めていい事じゃないのにもう止まらない、止められない、自分を。
「もう時間かけてもかけなくても変わらないと思う。エディの言う通りだ、僕は逃げてるんだ。今も逃げたいしこれからも……」
苦しい、しなきゃならないこともすべきだってことも分かった今、だからこそ苦しい……
「じゃ、いいね? 僕が連絡することになってる。呼ぶよ」
手で顔を覆ったまま僕は頷いた。もう引き延ばすことは出来ない。これで引き延ばしたら僕は一生決断出来ないだろう。
「終わったよ。待ってる」
短い電話。リッキーが来る。もう引き返せない。そしてこれはきっと正しいんだ。
「エディ、さっきの」
「単なる推測だったからね、リッキーには何も言ってないよ。この後は君の決めることだ。今までだってちゃんと決めて来れたじゃないか。さっきも言ったけど全部がいい決め方じゃなかったかもしれない。でもね、僕は不本意だけどこう言うよ。君は愛する人のために正しくあるべきことをやったってね」
後は何も言わずにエディは出て行った。僕はリッキーを待つために座った、指輪を前にして。
「あの、俺。入っていいか?」
小さなノックでちょっとドアが開いて聞こえた、小さな声と見えた愛しい指。ああ…… その指に僕のすべきことは何なのか。今、はっきりと分かった。
「お前の部屋だよ。入れよ」
おずおずと入って来て閉めたドアにもたれかかったままリッキーは僕を見つめた。真っ直ぐ僕を見る黒い瞳。その目に嘘なんかつけるわけがない。
僕は立ち上がって愛するリッキーの足元に膝まづいた。左手の薬指。そこはようやく傷が癒えて微かな傷痕だけが浮いて見える。その手を取って僕はそこにキスをした。
「フェル」
リッキーの手が僕の髪に潜り込む。
「そんなに苦しむなよ……俺、なんにも出来なくってごめん。でも少しでもお前に幸せになってほしいんだ、俺が幸せにしてもらったみたいに」
まだ包帯の取れていない右手が僕の頬を拭ってくれた。
「俺、愛してんだ、お前のこと。変わんねぇよ、何があっても。そんな簡単な安いもんじゃねぇんだ、俺にとってのお前は。俺の全てだ」
リッキーが引っ張るから立ち上がった。その手に無理させたくない。
「こっちに…こっちに来てくれるか?」
左手を僕の手のひらに乗せてテーブルへと連れて行った。テーブルの上に乗っているハンカチの包み。リッキーの目がそれと僕を何度も往復する。
あれから何も出来ないでいる。洗うことさえ。その血を消すことさえ。どうしていいか分からずに。だからそのままの姿で指輪はハンカチの中にある。
「あれ、取ってもいいか?」
頷いた。そうだ、所有者はリッキーなんだから。不自由な指先でハンカチを広げる。息を呑むのが伝わる。細い指先が小さな指輪を摘み上げた。じっと見てリッキーが振り返った。僕は目を閉じた。閉じたまま口を開いた。
「ごめん。そんな姿にしてごめん。どう言ったらいいか分からない……ごめ」
次の瞬間僕はリッキーに抱きしめられた。
「ありがとう!! フェル、見つけてくれたんだな、ありがとう、ありがとう!! 俺、俺……俺、嬉しい……」
「リッキー、聞いてくれ、僕はそれを」
「いい! いいんだ、フェル。これが戻ってきた。お前が取り戻してくれた。それでいいんだ」
繰り返し繰り返し、キスが背伸びをしたリッキーから送られる。
「お前、僕を許すのか? それについてるの……」
「うん。血だろ? 見りゃ分るって。それが誰の血でもいいよ。洗えばいいだけだし。俺にとってそれ、大事なもんなんだ。お前から初めて貰った大事なもんなんだ。俺、一つ嘘ついてた」
「うそ?」
小さく頷く頬の横に黒い髪が揺れる。
「指輪のこと、気にしてねぇって。大丈夫だって。それ、嘘だ。どうなったのか、どこに消えたのか考えるだけで涙が出るんだ。大事にしなきゃいけねぇのに俺は失くしちまった。俺、辛かったんだ」
その体を抱きしめた。
「じゃ……じゃ、これで良かったんだね?」
「ああ、良かった。頼むよ、お前も一緒に喜んでくれよ。ちょうど傷も治ってるしさ。ちょっとでいいから嵌めてもいいかな?」
僕の許可を……いいかと聞いてくれるのか?
「待って。綺麗に洗ってくる。だから」
「一緒にやろ! 俺も一緒に洗う」
キッチンに立った。広げた僕の手にリッキーが指輪を置いた。蛇口からきれいな水がほとばしる。両手にそれを受けながら指輪を水に浸した。そこにリッキーの指が潜っていく。ころころと指輪を小さく水で擦りながら付いている血を落としていく……
「泣くなって…俺のためにありがとう。お前がこれ俺にくれるの、これで二度目だ。ありがとう」
僕の手の中の水に指を入れたままリッキーが何度も囁く、ありがとう、愛してる……
「僕も……愛してる、お前を。お前が僕を愛してくれるから生きていけるんだ。お前がいなかったら僕は……」
「もう元気になったよ、フェル。お前に料理のことで文句言うくらい元気になったんだ。まだお前をこき使うつもりだからな。覚悟しとけよ」
水だけでは落ちない所があって後は僕が引き受けた。不思議だ、見れば辛いと思っていたこの指輪。リッキーと一緒に洗ったことで僕の中の何かが一緒に洗い流されて行く。
丁寧に洗った。何度も見て、光にかざして、どんな微かな汚れも残す気は無かった。
「もういいと思う。仕上げだ」
「おい!」
容赦なく台所洗剤が僕の手に降り注いだ。
「その泡が切れるまで洗え。それで終まいだ。いいな、何もかも終まいだ。そのつもりで洗え」
それで許されるんだと思った。あの悪夢のような9日間からやっと解放される。もうこの指輪を見ても苦しくない。
「リッキー、まだ泡が落ちないよ」
「がんばれ」
「僕の指がふやける」
「がんばれ」
手に注ぐ水。これは、ただの水。物の汚れを落とす水。
「リッキー」
僕の声が変わったのを感じたリッキーがそばに来た。
「どうした?」
「これは……ただの水だね。きれいにしてくれるけど、きれいでいるかどうかは自分次第なんだ。ただの水だ」
「ああ。ただの水だよ。お前を楽にするんでも要らねぇもの引っぺがしてくれるわけでもねぇよ。そんなこと、こいつには出来ねぇよ」
後ろから抱きつかれる。お前はいつもそうやって僕を包んでくれるんだ。
「それ、俺の役目だから。お前をきれいにすんのもお前の要らねぇもんを削んのも、俺の役目だ。水なんかに仕事取られてたまるか」
何度も頷いた。もう声なんか出ない。リッキーがいればそれでいい。
「きれいになったな、泡」
手のひらにきれいに光る指輪が残った。
「嵌めてくれる?」
差し出された左手をそっと握る。
「まるで結婚式だね」
「俺をもう一度奥さんにしてくれるか?」
「お前は大事な奥さまだよ。世界一の奥さまだ」
指に滑り込んでいく指輪が一際光った。もうそこにあの黒い影は無い。リッキーが浄化してくれたんだ。だから僕の怒りも泡と一緒に消えた。
「今日…たくさん愛してもいいか?」
途端に赤く俯く顔を指で押し上げた。ゆっくりリッキーを味わう。舌が擦れあい、互いに絡め合い、相手より相手を吸い尽くそうと互いに性急なキスへと変化していく。
「愛してる……僕のそばにいてくれてありがとう」
濡れた瞳が僕を見つめて微笑んでくれた。僕は…自由になったよ。本当の自由に。
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