九十九と八九百と十八

11. 5日目:お仕事

 さすがにこれ以上は休めない。だから3時には家を出た。
「大丈夫だな? 家を出るんじゃないぞ」
「大丈夫だよ。十八と待ってる」
「寝てていいんだから。俺が帰って来るのは3時近くだし。何かあったら電話しろよ」
 『初めてのお留守番』に八九百がやけにはしゃいで見えた。なんというか、大人にはどうしても見えない不思議なヤツ。車が角を曲がるまで十八を抱いた八九百が手を振っていた。

 久しぶりって感じがする、一人での外出。ずっと一人だったのにもう3人でいることに馴染んでいる俺ってやたら順応性がいいようで意外だ。
 それでももうあの道は通りたくない気がする。今度は別のもん拾うような気がして。

 田舎道みたいなところを20分くらい走って大きな道路に出ると、すぐにいろんな店が増え始める。そして建物がやたら並んでいる道を右に曲がると細い路地がその先に広がる。飲み屋街だ。どれもいかにも飲み屋。
 俺が働いているバーはその奥の方にある。表には何も出していない。入り口は木で出来たドア。そのドアの目線くらいの高さに、焼きつけられた文字がある。
『Salud por la vida』
どういう意味かマスターに聞いたら
『スペイン語で<サルー ポル ラ ビダ>。人生に乾杯っていう意味だ』
と教えられた。
 店の名前自体は『Salud(サル―)』。『乾杯』。見た目の割にはロマンティックな拘りを持つマスターだ。体はごつくていかにもガテン系なのに。

 ドアを手前に引いて中を覗くとほの暗い空間に漂うアルコールの匂いと煙草の匂い。入り口は狭いが5歩くらい入るとそこに違う世界が広がっている。密やかに男女が酒を飲んだりヤバい話をした男たちがいたり。奇妙な空間を持つ店。
 壁には酒樽が3つ積み上げられ、カウンターの後ろのライトは怪しげな光を出す。カウンターには5人座れる。奥にはテーブルが5つ。3人掛けだったり4人掛けだったり。今は開店前だから明るいが、店が開くと照明が弱くなる。

バー.jpg

「休みは楽しんだか?」
「俺がそういうタイプに見える?」
「見えないな、トラブルボーイ」
別に悪口言われてるわけじゃない。俺には『トラブルが似合ってる』んだそうだ。冗談だろって思うけど。
「何があった?」
マスターになら言ってもいいような気がする。この人にはそういう雰囲気があるんだ。
「男と赤ちゃんを拾った」
そう言うと楽しそうな顔をする。けど、思い浮かべてほしい。顔に大きな傷があるグラサンのゴルゴ 13みたいなおっさん。楽しそうな顔になればなるほどおっかないって。
 事の顛末を話して聞かせた。
「ふーん。要するに困ってるんだな?」
「困ってはいるけど」
「けど、楽しい?」
「……うん」
「ならいいじゃないか」
「そうもいかないだろ? 何も無いんだ、証明書みたいなもんが。そりゃ税金とか払わなくていいものもあるけど、病院に行くのも銀行も外国旅行もだめだろ? なんとかしてやりたくて」
「お前はそういう男だったか? 冷たくてシニカルな笑いしか浮かべない『氷の九十九』の名が泣くぞ」
「それ、勝手にマスターが言ってるだけじゃん」

 俺がやる気を失ってここで飲んだくれた次の日、目が覚めたら隣に寝てるおっさんがこのマスターだった。『いくらなんでもコイツと寝るなんてとんでもねぇ!』と、慌てて下着の中のジュニアとケツを確認した。どっちも無事でほっとして、見たことないおっさんがマスターだと知った。
 あの日以来、俺はここで働いている。そうじゃなきゃ無銭飲食でサツに突き出すぞ、と脅されたからだ。銀行で下ろして清算すればいい話なんだが、なんとなくの流れで俺はここで働くことに承諾した。
 マスターは小山泰平という、恐ろしく雰囲気に合わない名前で、格闘技をやっていたという体はビビるほど鍛えられている。
 その力で、揉め事や酔っぱらいは大人しく店から消えていく。

「要するにルーツがある背景を作ればいいのか?」
「まあ、それがあれば楽だけど」
「用意するのは戸籍とマイナンバーでいいか?」
(げ!)
俺は無言になった。にやっと笑ったマスター。だから、怖いって。
「冗談だ。俺にそんなことは出来ない」
「冗談には聞こえねぇよ」
「世の中ってのは何が起きても不思議じゃないんだ。特に夜の住人にはな」
この人が言うと真実味があって……やっぱり怖い。


 いつもと変わらず開店し、もう一人の女の子瑠美ちゃんがドリンクなんかを運び、俺はカウンターの中に入った。マスターは何をやってるかって言うと、会計をしたり忙しけりゃカウンターに入るし、その時その時でやりたいように好き勝手にしてる。しまいには俺の店かと思っちまう。

「マスター、閉めたよー」
最後の客が出て行って、奥に引っ込んだままのマスターに声をかける。
「おう、お疲れ!」
「お疲れって、掃除するからまだだよ」
「今日は帰れ。お子様たちがお待ちだろ?」
「いいの?」
「ああ、瑠美ちゃんが残ってくれるって言ってたからな」
ちなみに瑠美ちゃんが『瑠美ちゃん』なのかどうか、俺は知らない。時々怪しげな素振りを見せる 19歳の女の子。マスターが抱えてるんだからやっぱり訳ありの子なんだろうと思う。
「瑠美ちゃん、悪いね。俺帰るわ」
「OK、ボス!」
「おい、ボスはアッチだよ」
「あっちは魔人だから」
「……言えてる」

 結局俺が店を出るまでマスターは奥から出てこなかった。車のドアを開けて乗り込んだ俺は背後から走ってきた男を見て思わずエンジン全開するところだった。
「なに!?」
そりゃ驚く。いきなり顔面も筋肉で出来てるだろうごつい男が追いかけてきたんだから。
「九十九、この名刺をやる。困ったら頼れ。力になってくれる」
『片平 周』。弁護士。見たことあると思ったら店に時々飲みに来る客だった。二人はほとんど会話はせずにアイコンタクトでコミュニケーションしている。なんとなくお似合いのペアに見えてしまう。
「いいの?」
「今のお前にはきっと役に立つ。何かあったら相談しろ」
そう言ってマスターはのっしりと店に戻ってしまった。

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