宗田花 小説の世界
Fel & Rikcy 第3部[9日間のニトロ] 14- F
6日目
黒い車が近づいてくるのが分かった。僕はモールの中に入って突き当りに転がっている椅子を引き起こして座った。足元をまた鼠が走り去る。そこに落ちている細い懐中電灯を拾った。携帯が鳴る。
「着いたのか? 時間、きっちりだな」
『ああ、どこにいるんだよ。お前の車は見当たんないな』
「免許持ってないからね、近くまでタクシーで来て歩いた」
あちこちをパッパッと瞬間的に照らしてみる。距離感が掴めた。
『そうか、なら帰り送ってやるよ』
「悪いな、助かるよ」
『で、どこだ?』
「中だ。モールのそっちから見て正面にデカいゲートがある。その脇に関係者用の入り口があるからそこから入れ」
『分かった』
自分がどういう気持ちになるのか知りたかった。興奮するのか。しり込みするのか。それとも、この土壇場に来て倫理観だとか道徳観だとかが浮かぶのか。
どれも違った。
蘇る、リッキーの倒れていた最初の姿。手術室に吸い込まれて行く姿。目を開けず、だからただ手を握って待っていたあの時間。やっと目を開けて頼り無げに僕を見たあの目。無いと分かっているのに手に指輪を探す、何度も見たあの仕草。僕に話そうと、繰り返し言葉を飲みこむ震える唇……
――止まった心臓
――消えたかもしれない愛しいひと
リッキーを脅かす存在。なら、不要だ。立ち上がって僕は奥へと入っていった。
ガチャ
ドアが開く音が中に反響した。
「おい! どこだ、来たぞ」
「!Mierda!」
「スペイン語使うな! 俺たちだって立場はヤバいんだぞ」
「俺、英語、苦手だ。けど、なんだよ、真っ暗じゃないか」
外から入って来たんだ、中を見るにはしばらく時間がかかるだろう。手元の携帯が震える。通話ボタンを押して黙って待った。
『おい! 聞こえてねぇのか? 中に入ったぞ、どこだよ。真っ暗で見えやしねぇ』
「ああ、悪いな、この前来た時は非常灯が点いてたんだがそれも消えたらしい。真っ直ぐ奥に歩いて足がなんか蹴飛ばしたら右に曲がって来い」
『そっちがここに来りゃいいじゃねぇか』
「さっきこの暗さで転んじまってね、出来れば来てくんないかな」
『こんだけ手間かけさせてたいした話じゃなかったらどうなるか分かってんだろうな』
「安心しろよ。飛びっきりのネタだ。アイツが自分から金差し出すくらいのな」
鼠だと騒ぐ声。派手に立てる足音。入り口から離れてこっちに向かってくるのが分かる。ゆっくりと二人の背後を取るように動いていった。闇の中にブロンクスが蘇る。
「おい! ふざけんのもたいがいにしろ!! どこにいやがるんだ!」
「ここだよ、オルヴェラ」
真後ろに響いた声に息を呑むのが伝わって来た。
「お 脅かすなよ、そばにいたなら声、かけろよ!」
「お前はリッキーに声、かけたか?」
「は?」
「現場でさ。遠くからじっと何度もリッキーを見てたんだろ? 誰の断りを得てリッキーをその汚い目で眺めてたんだ?」
「お前……」
「自己紹介が遅れたな。けどお前ら、僕を知ってるよな。フェリックス・ハワードだ。お前たちにこうやって会うのを楽しみにしてたよ」
動いたのはもう一人の方、ディエゴというヤツだった。僕はさっきの懐中電灯でいきなり二人の顔を照らした。
「!Mierda!」
どうやら クソっ! という言葉らしい。多分だけど。目が眩んだせいか、ディエゴの足が止まった。一瞬だったけどオルヴェラをはっきり見た。ガタイが良くて腕っぷしで生きてきたようなタイプ。もう一人は蛇のような顔。
この二人がリッキーを刺した。
二人が後ろに駆け出す、派手に物音を立てながら。それをのんびり追った。慌てなくても向うが居場所を教えてくれる。
「聞かせてやりてぇぜ! リッキーが俺に抱かれて悦んでた声を! あいつ、フェラ上手いだろ! 俺が仕込んでやったんだ、それでお前何回イったんだよ! 俺のお蔭さ、感謝しろよ!!」
こいつが生きてる限り、この声に『リッキー』という名前を穢される。
「あいつ俺から逃げたことがあってさ、そん時地面に頭こすりつけて許してくれって謝ったんだぜ。あなたから逃げたのは私の間違いでしたって!!」
こいつの吐く息で世界が穢される。
「その後は俺を悦ばせんのに必死だったぜ、俺と俺の仲間をな!」
どうしてコイツはこんなに死にたがってるんだ?
「おい! 何とか言えよ! もっと聞きたいか!?」
僕の腕が首に巻き付いたから汚い声が止んだ。必死に腕を掴む、引き剥がそうとする、デカい体が暴れる。背中に固いものが当たった。
「放せ、手を放せよ」
何言ってるんだ? こいつ。構わずオルヴェラの体を振り回した。武器を当てた相手がいきなりオルヴェラに変わったからディエゴが焦って飛びかかって来た。
動きが遅い。その腹に僕の足が食い込み、腕の中でもがいてるオルヴェラの呻きが徐々に小さくなっていく。やたらと物が飛び始めた。床にあるものを手当り次第にディエゴが僕に投げつけてるんだ。固いものが腕にぶち当たって思わず緩んだ隙にオルヴェラが腕から逃げた。棚の向こう側に逃げ込むのがチラッと見えた。
腹が立ったからディエゴを引きずり上げた。5,6発殴ると大人しくなったけどどうにも腹の虫が収まらない。さらに3発くらい殴って床に捨てた。腹を蹴り上げて背中を蹴る。
「殺す気かよ!!!!」
声のする方を振り向いた。
その声を消すためにここに来たんだよ、オルヴェラ。リッキーはお前の声が耳障りだってさ。
「フェルっ!!」
ドアが開いて眩しい光の中に人が立っている。
「フェル!! やめろっ!!!!」
息の切れたような声。ビリー? なんでお前がここにいるんだ?
ビリーが突き飛ばされてオルヴェラが外に飛び出して行った。
「クソッ! フェル、今のが犯人か!?」
それだけ叫んでビリーが表に追いかけて行った。
しょうがない。今回はチャンスが無かった。終わったことをあれこれ言っても仕方ない。気を失っているディエゴの襟首を掴んで外に引きずり出した。車の中にディエゴを放り込む。途中で息を吹き返されても困る。みぞおちに肘を叩き込んだ。
「フェル! あいつ、車で逃げた! 俺も追っかける!」
走っていくビリーの背中を目で追った。どうして気づかなかったんだろう? ビリーが僕に張り付いてるなんて思わなかった。取り敢えず僕にはビリーを待つ必要なんか無い。車を発進させた。オルヴェラが逃げ込む先はどこだ?
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