Fel & Rikcy 第1部

14.忍び寄る影

 グランパとグランマはなんて言うか、要するにやっぱりズレていた、そこらの爺ちゃん婆ちゃんよりも。

「困ったもんだ。マリサ、また孫が一人増えたよ」
「いっぺんに5人になった時も驚いたのにねぇ」

グランマが頬っぺたを突き出したから、リッキーも喜んでキスをした。

「でも、私、一つ条件があるわ」

ギョッとした。だってグランマは文句なく受け入れてくれると思ってたのに。

「ウェディングケーキは、私が焼いたパイにしてほしいの」
「マリサ、パイはケーキとは言わんよ」
「あなた、私のパイが気に入らなかったの? 結婚してずいぶん経つけどそんなこと一言も言わなかったじゃない!」
「いや、だからウェディングケーキというのはだな、」

「私たちの結婚式は誰も呼べなかったでしょう?   あの時、私が焼いたパイを美味しい、最高のウェディングケーキだと言ったのはあなたよ。あれは嘘だったの!?」

「グランマ、グランマ! 僕たちパイでいい! いや、パイがいい!!  グランマの作るパイは最高だよ、な、リッキー!」

助けてくれ という僕の悲鳴にリッキーは笑い転げている。

「グランマ、俺もパイがいいです。最高の結婚式になります」
「言い直しよ、リッキー」

「は?」
「言い直し」

「あの……パイがいいです」
「だめ、不合格」

「えと、パイが好きです」
「やり直し」

今度はリッキーが助けを求めてきた。僕も何がやり直しなのか分からない。

「リッキー。あなた私たちの何になるの?」
「……家族です……」
「そうよね? じゃ、こういう時、なんて言うの?」

「……ありがとうございます」
「違うでしょ?」

「嬉しいです」
「また間違えた」

「……降参です! 教えてください!」
「宿題にしようかしら。式はお預けね」

「それは困る! 今教えて、頼むから!」
「合格」

「……どこが?」

「分からないの? 家族はそんな他人行儀な言葉は使わないものよ」

あんまり嬉しくって、リッキーはグランマに跳びついて抱き上げた。

「ありがとう! ありがとう、俺も大好きだよ、グランマ!!」

「プレゼントをやろう」

やれやれ という顔でグランパが言い出した。

「え、いいよ! そんなことしなくても」
「お前たちにあの離れをやる」
「でもジェフが……」

「あれは私の物だよ。あの子には四の五の言わせん。こっちに来た時はあそこに住みなさい。好きなように変えるといい。内装の費用も半額プレゼントしてやろう。その代わり片づけと残りの資金の調達は自分たちでやりなさい。ジェフがゴチャゴチャ言わんうちに権利譲渡の手続きをしておこうか」

あの子……ジェフもグランパにかかっちゃ形無しだ。

「あそこ、二人の大事な思い出の場所でしょ? なのに」

「だからだよ、フェル。お前たちに大事なものをやりたい。それがプレゼントってもんだ。大事に使っておくれ」
「たまにはお茶に呼んでちょうだい。パイを持って行くから」

「お前はパイのことしか言わん」
「あら、美味しいと言ったのはあなたよ」
「言わなきゃ良かったよ」

 


「お前、恵まれてるよ」
「なんだ、他人事みたいに言うなよ、全部お前のものにもなるんだから」

「ウソみたいだ! まだ信じらんねぇよ。まさか今日ここまで話が進むなんて思ってもいなかった!」
「実は僕も今日はジェフにOKもらえないだろうと思ってたんだ」

「お前、頑張ってくれたから……とうとう俺のこと、何も話さずに承諾させちまった…… どうなるかってハラハラしたけど、全部お前のお蔭だ」

「頑張るのは僕の役目だからね。お前は リチャード・ハワード って間違えないで言えるように頑張ってくれよ」
「リチャード・ハワード……ウソみたいだ、フェル!!」


 まず、大学に戻ろう  そう二人で決めた。ジェフに言われたことは尤もだ。世間は甘くない。綺麗事じゃ暮らしていけない。それに社会に出るまでの猶予期間が出来たことで、僕らはきちんとした生活設計が立てられる。何もかも見越したジェフのアドバイスのお陰で、僕たちには現実が見えてきた。

 楽しいことを考える余裕も出来た。式に誰を呼ぶか。いつにするか。今は夏休み。サマースクールの申し込みはもう無理だけど勉強もしなくちゃ。

 7月25日に大学に戻って、7月中にリッキーのバイトを決める。そこからはお互いに働きながらこれから先のことを決めていく。リッキーはこれまでの送金にあまり手をつけていなかった。行動が制限されていたから使いようがなかったんだ。だからここで援助を打ち切ってもある程度の生活費はある。

 問題は僕だ。実は学費だけはこっそりグランパが出してくれていた。
「大学は出た方がいい」 
それはジェフと同意見だったから助けてくれたんだ。けど生活費は自分で作らなきゃならなかった。これを機会にリッキーも働きたいと言い出して、僕らは一緒にバイトすることにした。

 本当にやること、考えることがたくさんある。
「式はいつがいいかな。フェル、誕生日はいつ?」

楽しそうなリッキーの声。

「悪い、もう過ぎた」
「……うそ」
「ほんとだよ、4月だから。リッキーは?」

「4月のいつ?」
「8日。どうかした?」
「それって……俺たちが初めてセックスした後だよな……」

思い返してみる。
「そうだな、シェリーにばれた後だから」

みるみる目が潤んで僕は焦った。
「嫌いだ、フェルなんかフェルなんか大っ嫌いだ!」

 何が起きたのかさっぱり分からない…… 飛び出して行ったきり、1時間も戻って来ない。あちこち探して、家に行ってみた。

「母さん、リッキー来なかった?」
「さっき見かけたけど。どうしたの?」
「それが……」

経過を聞いた母さんが笑い始めた。

「それはあなたが悪いわよ」
「どうして!」
「考えなさいな。私は教えない」

なんでこんなことになるんだよ。

「少し時間いい? リッキーなら心配ないから」

何をもってして大丈夫だと言えるのか?

「ちょうど良かったわ、二人きりで話がしたかったから」

……逃げたい。話の予想はつく。

「スーのこと。本当にごめんね。今さらだけど、頭から鵜呑みにしないであなたと話せば良かった。長いこと辛い思いをさせてしまった……」

「僕なら大丈夫だよ。それよりスーに謝りたかった。アルが好きだって言われて僕はすぐに諦めたんだ。その方が彼女にはいいと思って。後悔したよ」

「ナイフに飛び込んだって……死にたかったの?」
「……ちょっと違う。あの時の僕はどうかしてたんだ、頭に血が昇って。今ならそんなことはしないよ。もう僕の中では決着がついてるんだ」

「アルとのこと……」
「その話だけはしたくない、母さん」

「いつからなの? こんなことになったのは」
「僕もアルも絶対話さない。でも母さんに対してやましいところは何もないから。母さんが知りたい気持ちは分かるよ。けど、これだけはいくら聞いても無駄だ」

「リッキーのことなら聞いてもいい?」
「どんなこと?」
「どこに惹かれたの?」

良かった、それならいくらでも語れる。

「彼は真っ直ぐなんだよ。たくさんの人に誤解されてる。本人もそれを知ってたけど何もかも諦めていた。死ぬほど辛い目に遭ってるのに、それが自分に与えられた人生なんだと受け入れていた。僕はね、リッキーを信じてないところからスタートしたんだよ。愛してるんだって言われた時、何を言ってるのか分からなかった。こんないい加減なヤツは見たこと無いって思ってたからね。でも違った。知れば知るほどどんどん自分の気持ちが変わっていったよ。まさかこんなに自分にとって必要な人になるとは思ってもいなかった」

「いい時ばかりじゃないわ」
「そうだね」

「いつか……子どもが欲しいと思ったらどうするの?」
「それは僕1人で考えることじゃないよ。これから先、色んなことがあると思う。僕は一人じゃなくて二人で解決していきたいんだ」

「分かった。聞きたかったのはそれだけよ。リッキーはビリーの部屋にいるわ。行きなさい。彼を苛めちゃだめよ、あなたよりうんと繊細なんだから」

 


 なんだか僕が苛めをしてるような言われっぷりに、謂れのない扱われ方をされているのは僕の方だとプンスカしながらドドっとビリーのドアを叩いた。

「誰?」

誰もへったくれもない、この叩き方は僕だけなんだから。

「お前の兄貴だ、知らないだろうが」
「入れば」

やけに刺々しい声。ガチャっと開けると向こうを向いて座っているリッキーがいた。

「リッ……」
「フェル、酷いよ! 俺だってそんなことしない!」

何につけても直情型のビリーの頭はあっという間に沸点に達する。

「ジェフみたいな大人になるんじゃなかったのか?」

自分で分かる、今僕はリッキーに声をかけるのを躊躇っている。

「一晩じゃ無理なことくらい分かるだろっ! それよりリッキーに謝れよ!」
「もういいんだ、ビリー」

なんて悲しげな声出すんだよ。

「フェルになんか分かんねぇんだ、俺の気持ち」
「ダメだよ、泣き寝入りしちゃ」
「おい! 僕がどれほどのことをしたって言うんだよ、説明しろよ!」

「フェル、なんで誕生日のことリッキーに黙ってたんだよ!」
「へ?」

なんだ、それ?

「それがどうしたんだ?」

また大粒の涙が流れ始めるからたまんない!

「待てよ、リッキー、誕生日がどうしたんだよ?」
「フェル、リッキーのこともう少し分かってるかと思った、俺見損なった!」
「だからどうしてそこまで言われなきゃならないんだ!」
「誕生日って恋人がいたら一緒に祝うもんだろ!」

あんぐりしている僕を見て、リッキーが細々とした声で言う。

「初めてのアニバーサリーだったんだ……俺、誰の誕生日も祝ったことない。憧れてたんだ」


 僕は騒がせたことをビリーに謝って……納得いかないけど……リッキーの肩を抱いて離れに戻った。

「僕に直接言えばいいんだ。心配したんだぞ」

さんざん僕に謝られて落ち着いてきたリッキーは、さすがに騒がせ過ぎたと思ったのかすっかりしょげている。

「ジーナにも心配かけたよな……」

いや、あの様子は心配というより面白がっていると言った方が正しい。

「気にするな、母さんは楽しんでたよ、息子じゃなくて娘が出来たみたいだってさ」
「消えてしまいたい……」

「ごめん、本当にそういうこと楽しみにしてたなんて思わなかったんだ」
「俺が悪い、考えてみたら俺が早く聞けば良かったんだ」
「ストップ! やめよう、また次のケンカになりかねない。どっちが悪いかなんてさ」

手を引っ張って額にキスをする。そうだった、リッキーは時々女の子になるんだ。今度からもっと気遣ってやらなくちゃ。

「リッキーはいつ? 式、その日にするか?」

「ずっと先だからそれはいやだ。俺、11月2日なんだ」
「じゃ、今僕が年上か」
「うるさい!」

ようやくいつものリッキーに戻ってホッとした。

 2晩続けてのセックスは、さすがに今の僕には無理だった。
「ごめんな、リッキー」
しかもここのところのいろんな騒ぎでドッと疲れが出た僕は、もう眠くてしょうがなかった。

「いいんだ、寝ろよ。俺、見ててやるから。今日は薬要らねぇと思う」
僕も出来ればそろそろ薬とも縁を切りたい。
「悪い、そうするよ。リッキーも早くねるんだぞ……」

 あれきり熟睡したらしい僕は早くから目が覚めて、リッキーの寝顔を眺めていた。髪が一房目にかかっているけど、あんまり綺麗で見惚れていた。かき上げてやったら起こしてしまいそうだ。

 打ち身の痛みはもう鈍痛になっている。肝心の場所も、バタバタしている時には忘れるようになってきた。フラッシュバックはまだ時折起こる。でも最初よりは落ち着いたかもしれない。

 誰かに対して責任を持つっていうのは、自分をコントロールするのにはいい薬になるのかもしれない。守っていくべき配偶者が出来る。きっとそのことも僕を強くしていくはずだ。

 結局僕はそのままリッキーに見惚れて、気がついたら30分も時間が経っていた。

『家族なんだからもっとフランクに』

今のリッキーには難しい宿題。そんなこともあったりして気疲れしてるんだろう。起きないリッキーをそのままに、そっと部屋から出てバスルームに向かった。

 昨日よりも体の痛みが取れている。動くのもだいぶ楽になっていた。夕べゆっくり眠れたおかげだ。


 バスルームを出たところでノックがあった。

「誰?」
「俺! 起きてた?」

バスタオル一枚腰に巻いてドアを開ける。
「今シャワー浴びてたんだ」

そして、ビリーから朝食の知らせを申し訳無さそうに俯いた顔で言われる羽目になった。

「あの……邪魔するつもりじゃなかったんだ……」

 ドアを開けたちょうどその時、ほとんど裸体で降りてくるリッキーを見て泡食ってしまったんだ。リッキーもビリーの姿を見て一目散に2階に駆け上がってしまった。

「良かったら朝食に来て! 来なかったら俺、適当に言い訳しとくから!」
ご丁寧に2階に叫んでビリーは戻っていった。

 

「バカ!! もっと早く起こしてくれれば良かったんだ!」
「見られちゃったもんはしょうがないだろ?」
「夕べはヤッてねぇ!」
「そういう問題?」

「ビリーにどんな顔すりゃいいんだよ!」
「堂々としてりゃいいじゃないか。それともヤッてないって言うか?」
「俺……フェルのそういうとこ、たまについてけない」
「気にするなよ、僕たち夫婦になるんだからな」

途端に赤くなったリッキーがおかしかった。

「いいから食事に行こう。食いっぱぐれちゃうし、ビリーの変な言い訳の方が心配じゃないのか?」

その言葉は効いたらしい、慌てて寝室にあるシャツを羽織りながらリッキーは下りてきた。

「シャワー浴びるくらいの時間はあるよ」
「お前は?」
「もう済んでる」

「……きったねぇ!」

バスルームに飛び込んで濡れ髪のまま家に向かった。

「あの……間に合って良かったね」

濡れた髪に目をやったビリーの要らない気遣いにリッキーは赤くなるから、まるで認めちゃったようなもんなのに本人は気づいちゃいない。ジェフも母さんも素知らぬ顔してんだか気づいてないんだか分からなかったけど、僕の口元はどうもニヤついてくる。お蔭でテーブルの下でリッキーに蹴られてしまった。

「いつ、ここを発つの?」
「明後日くらいかな、ゆっくり考えたいことも、やんなきゃならないこともあるからね」

「どんなこと?」
「俺のバイト先を決めるんです。自分の生活を変えようと思って。少しでも自力でやっていこうと」

「あのね、リッキー。グランマから釘を刺されてるの。普通に喋らないと式は見送りって」

「え……?」

思わずジェフを見るリッキーにジェフは笑っている。

「私に助けを求めないでくれ、リッキー。ここじゃ実権を握ってるのは母だと思った方がいい。私はよく家を留守にするからね」

これはリッキーにはハードルが高いだろう。

「あの、ジーナ……いきなりは無理かと……」
「そう? 私は構わないわよ。だってビリーには普通に喋ってるでしょ? 後は私とジェフにだけよ」

完璧に母さんはリッキーで遊んでる。

「……頑張ります」
「え? なんて言ったの?」
「が、がんばるよ」

しばらくはこの片言が続くだろう。大学に戻るまで大変そうだな、リッキー。


 母さんが力を注いだ贅沢な朝食を味わって、僕らは離れに向かった。あの後、リッキーはすごく口数が少なくって、いつもの倍くらい緊張してフォークを取り落としたくらいだ。

「早く大学に戻ろう」
「焦るなよ、僕はまだそんなに早く動けない」

急に不安そうな顔に変わった。

「まだ……そうだよな、まだ痛むよな……ごめん、平気な顔してるからすっかりそのことが頭から飛んでた」

「謝ることじゃないよ。無視出来ない痛みじゃなくなってきたから。でももうちょっとだけ待ってくれるか?」
「もちろんだよ! お前が最優先なんだ、してほしいことあったらなんでも言えよ」

「リッキーは充分僕の面倒見てくれてるよ。後は自分で立ち直んなきゃ」
「一緒に戦うって言っただろ? 自分だけ一人で頑張んなよ」
「お前がいてくれるだけで僕は頑張れるんだ。僕がだめな時は助けてくれよ。きっとお前しか僕を助けられない」
「任せとけ、お前には俺がいる」

そうだ。それが僕の支えなんだ。それから3日して、僕らは大学に戻ることに決めた。

 


「買い物につき合ってくれよ」

「買い物?」
「街まで乗っけて欲しいんだ」
「でも明日には大学に戻るぞ? なんの買い物だよ」
「内緒」

不承不承にリッキーは運転手になってくれた。最近はしょっちゅう運転してるから僕も安心して乗っていられる。リッキーもこの頃じゃドライブを楽しんでいる。

「どこ? 行きたいのは」

目的地を言いたくなかったから方向だけを言った。

「右」 「次、左」 「真っ直ぐ」 「そこ右」

「なあ、いったいどこ行くんだよ」
「内緒」

イライラしてるのが伝わってくるから余計楽しくてしょうがない。

「そこで止まって」

車から降りて不審な顔をしているリッキー。

「何があるんだ? 宝石店しかないじゃねぇか」
「おいでよ、リッキー」

その小さな宝石店に僕は彼を連れて入った。

  
「いらっしゃいませ」
「エンゲージリングが欲しいんですが、彼との」
「ではこちらへどうぞ」

 さすがにプロだ、眉一つ動かさずににこりと対応してくれる。後ろを見るとリッキーの動きは止まっていて、僕の言葉が理解できずにいるみたいだ。

「ほら、こっち」

握った手に大人しくギクシャクとついてくるのが可愛くてしょうがない。

「どういったものをお探しですか?」
「あまり高いのは買えなくて。まだ学生なので」
「ご予算はどのくらいでしょう?」
「1500ドルです。石はどうしようかと思って。僕も彼もバスケをやるので」
「かしこまりました。こちらではいかがでしょう?」

結構いろんな種類があって目移りしてしまう。

「どういうのがいい?」

てっきりショーケースを覗いてると思っていた僕は、リッキーがまだ硬直しているのに気がついた。

「エンゲージ……りんぐ?」
「そうだよ、今は婚約中だから」

やっぱり考えてなかったんだ、そういう顔してるね。

「リッキーはやっぱりゴールドがいい? 勝手に石要らないって言ったけどそれで良かった?」

コックン コックン と角ばって頷くのがおかしくてつい笑ってしまった。

「なんだよ、欲しくないのか?」
「ほしい」


自分の言った言葉を少しずつ飲みこみ始めてやっとショーケースに目を落とした。


「欲しい、フェル!」
「良かった、要らないのかと思ったよ」
「でも俺、金持ってきてない」
「要らないよ、僕が買うんだから。でも高いのは無理だ、ごめん」

きょとんとした顔。

「だって、フェルだって持ってねぇだろ?」
「貯金くらいしてるよ、少しだけど。今回だいぶ減るからまた頑張ってバイトしないと。僕だっていざって時のためにとってあるさ。今がそれ」

 病院から出た示談金もある。けれどそれで買いたくはなかった。あれは将来のための資金にする。でも、と言うのを何とか説得して、ようやくリッキーの目が輝き始めた。

「シンプルなのがいい」 「あれは?」 「これは?」

 どうやらその子どもみたいな様子が気に入ったらしくて、店主が「こちらはいかがですか?」とにこやかな顔で奥から揃いのリングを出してきた。

 

「これは新しいデザイナーが作ったものなんですよ。今日店に出すつもりでした。見た目はシンプルですが」

 流れる様な曲線が途中から二つに分かれてV字にクロスしている。片方の指輪にはそのクロスの真ん中に小さなダイアが埋め込まれていた。そしてその反対側。最初は模様かと思ったけど、よく見ると文字だと分かった。

  I promise everlasting love.

筆記体の美しい文字。 『永遠の愛を誓う』

 今は言葉が刻まれている指輪は珍しくはない。けれどその言葉は僕らの心を鷲掴みにした。

「でも僕が持っている金額では足りないんじゃ…」

「内側にはお好きな言葉を彫らせていただけます。その料金を含みまして、1200ドル。サイズ調整が必要ならお1つにつき、20ドルを頂戴いたします。いかがなさいますか?」

「これにしよう」

僕らはほぼ同時に言っていた。店主がにっこり笑う。

「サイズを見てみましょう」

 意外にリッキーの指は細くて、ダイアのついたリングを少し大きくしてもらえばいい。僕はもっと大きくしてもらわなくちゃならない。

「いつ頃出来ますか?」

確かサイズ直しは時間がかかると聞いていた。次に家に帰るまで無理かもしれない。

「今10時半ですね。サイズ直しだけなら3時には出来ますよ。内側に文字を彫るようでしたら……ちょっとお待ちください」

そう言って奥に入っていった。

「お待たせいたしました。夕方5時にはお渡し出来ます」

「そんなに早く?」

「実はデザイナーというのは、私の娘なんです。店に出すのはこれが初めてのリングです。だから金額を低く設定しています。それでもよろしいですか?」

こんなに有難い話はない。

「お願いします。5時に伺います」
「内側にはどう彫りますか?」

しばらく考えて僕は振り返った。

「リッキー、言葉、僕に任せてもらえる?」
「指輪もらえるだけで充分幸せだよ! 任せる、フェルに」

僕はペンとメモを借りた。

「これ、お願いしていいでしょうか。彼へのサプライズにしたいんです」
そこに書いた文字を見ると頷いてくれた。
「承知いたしました。大丈夫ですよ、ご対応出来ますから」

 本当にこの店に来て良かった! これなら形だけの指輪じゃない。夕方まで食事したり、リッキーは久し振りのボーリングを楽しんだり。指輪は僕と一緒に受け取るんだと、でれでれの顔をしてくれるのがとにかく嬉しかった。

 5時過ぎて、その宝石店に戻った。

「いらっしゃいませ」

出迎えたのは女性。店主の言っていた娘さんなんだろう。

「あの、私のデザインした指輪をお買い求めのお客様ですか?」
「はい、エンゲージリングの加工をお願いしました」
「フェリックス・ハワード様 リチャード・ハワード様 ですね?」
「はい」

隣を見ると、これ以上ないほど真っ赤になってるリッキーがいた。

「はい りちゃーど・はわーど です」

  ――どうしよう
言う必要の無い返事をする『りちゃーど・はわーど』を僕は今ここでキスして押し倒したい。まさか隣でそんな企みを抱かれてるとも知らず、リチャード・ハワードはしまりのない笑顔を僕に向けた。

「ありがとうございます! 初めて出した品をその日に買っていただけるなんて…… こちらです。サイズとデザインをお確かめください」

出された指輪を嵌めてみるとしっくりくるサイズだった。まるで指がリッキーに抱かれてるみたいだ……

 

 外して、両方の指輪の内側を見た。正直言って僕には分からないけど、彼女がにこにこしてるんだから間違い無いんだろう。先に支払いをした。

「キャッシュでよろしいんですね?」
「ええ、そうしたいんです」
「こちら、保証書になります。どうなさいますか? 包んでもいいのでしょうか?」
「いえ、このままで」

リッキーに向き合う。

「指」

照れきっているリッキーの様子を見て、彼女もくすくす笑っている。

「私が言うことじゃないんでしょうけど、お二人、お似合いです。あなた方に付けていただけるなんて、私もすごく嬉しいです」

 それを聞いてやっとリッキーが僕に手を預けた。プラチナの指輪をそっと嵌めていく、リッキーの左手の薬指に。リッキーがもう一つの指輪を取って、僕の指に嵌めてくれた。ただ指輪を嵌めただけなのに不思議なものだ、僕がリッキーのものになった実感が湧く。

「リッキー。内側、見てもらえるかな」

嵌めた指輪を外して内側の文字を読んだリッキーが僕を見上げる。きらきらした目から雫が溢れ出す……

「フェル……フェル……」

後は言葉にならず、僕が焦るほどわんわん泣き始めた。
「おい… おい、リッキー、そんなに泣くなよ……」
僕に抱きついて泣いてる背中が震えて泣き声が止まらない…

「大事な言葉なんですね、きっと」
彼女の言葉に背中を撫でながら頷いた。そうか、良かった。合ってるんだね? この言葉で。

   Estare contigo para siempre. (エスタレ コンティゴ パラ シエンプレ)

 

意味は『おまえとずっと一緒にいるよ』。

 ずっと泣きっぱなしのリッキーの肩を抱いて、何度もお辞儀をする彼女に礼を言った。

「ほら、リッキーもお礼言って」
「いいんです、ほら、彼今それどころじゃなさそうだし」
「すみません、本当にありがとう。今度はマリッジリングを買いに来ます。またその時にお願いします」
「喜んで。必ずご満足いただけるものをお作りしますから」

 

 

「僕が運転するよ」
「で……でも」

「声ひっくり返ってるし、涙止まってないし、僕が運転した方が絶対安全だよ。無理はしないから。途中休憩してもいいだろ?」

 どうしても運転するとある程度の緊張感が出るし、体勢を変えることも出来ない。それが出来るほどにはまだ僕の中の痛みは消えていない。今でも体に走るんだ、あのファントムペインが。

「うん……うん、ごめん。俺、今運転出来ない」
「分かってるよ。そんなに喜んでくれると思わなかった。良かった、それ彫ってもらって」
「ありがとう フェル、本当にありがとう……」

「また泣くー。 家に着くまでには涙しまえよ、ディナーが待ってるんだからな」


 朝食も豪華だったけど、ディナーはさらに豪華だった。今夜はグランパもグランマも同席してる。普段二人はあまりこっちの生活に介入して来ない。

『悠々自適 年取ったらこれに限る』
そう言って、子連れでジェフと結婚した母さんを気遣ってくれている。

 

「おや、まあ!」
こういうことには目敏いんだ、グランマは。
「リッキー、見せてごらん、その指を」

嬉しくてしかたないリッキーはすぐにグランマの傍に行った。

「まあ、シンプルだこと。フェル、もうちょっとお洒落なリングでも良かったんじゃないの? 華やかな方がリッキーには似合うような気がするけど」

「いいんです、これで。俺…い いいんだよ、これで。俺、気に入ってるから、めちゃくちゃ」

リッキーの言葉の方がめちゃくちゃになってるけど、グランマは 合格! と言った顔をしていた。

「その調子ね。私たち家族になるんだから。そう、この指輪でいいの。じゃ、良かったわね、リッキー」
「はい!……うん! 俺、フェルからのプレゼントも初めてだし、それがこんな素敵なもので……」

そこまでが精一杯だったみたいで、またダムが決壊した。

「ジーナ! タオル出してあげて。多分ハンカチじゃ足りないわよ」
「俺、取ってくるよ!」

すっかりリッキーの弟に収まったビリーがタオルを渡して来た。

「僕じゃない、リッキーが使うんだ」
「ホンっとにロマンチストじゃないな、フェルは。こんな時には彼氏が彼女の涙を拭いてやらなきゃ!」

「たまにはいいこと言うわね、ビリーは」
「たまにって何だよ、グランマ」
「お前は余計なことなら迷わずに言うからさ。だが、今の言葉は良かった。フェル、リッキーの」
「はいはい、僕がやるよ、グランパ。リッキー、手を離せよ」

手を顔に当てて泣いてる光景がみんなには微笑ましく映るらしく、口々におめでとうを言ってくれた。

「ジェフ、母さん、みんな。僕たちを受け入れてくれてありがとう。リッキーを家族に認めてくれてありがとう。心から感謝してる」
「お おれも、感謝……」

泣きっ放しのリッキーを僕は胸に抱きしめた。

「次はいつ帰ってくるの?」

「そうだね、式を挙げる時だと思ってくれる? 日程はまだ組めてないんだけど。ホントは夏休み中にしたかったけど、急すぎて友だちはみんないないからね。秋休みっていう手もあるんだけどさ、それまで待てないし。はっきりしたら連絡する」

「分かったわ。フェル。おめでとうって言うべきなのよね?」

僕の左手の指輪を見て小さい声で母さんが言う。

「母さん……僕はごめんって言わないよ。孫、作ってあげられない。母さんにとっては本当は不本意な結婚なんだと思うよ、そう思うの仕方ない。けど、僕はこれで幸せなんだ。今は『幸せ』を持ったことの無かったリッキーを包んでいきたい。そのためなら何でも出来るんだ」

「何も言わない。フェル。自分の思った通りに生きて。母さんは見てるから」

 大学への道中、左手を見てはにたにたするリッキーから、僕はとうとうハンドルを取り上げた。

「事故ったらどうすんだよ!式も挙げないうちに僕は寡夫になるのか!?」
「ごめん……交代で運転しよう、フェルだってまだ無理できねぇのに本当にごめん」
「まったくしょうがないなぁ。来いよ」

助手席のリッキーを引き寄せて口づけた。軽いキスのつもりだったのにリッキーがしがみつくように僕の首を抱く。たっぷり2分は口の中を荒らしまわってやっと満足したように僕の首から手を離した。


「んふ 夜、待ち遠しい」
「ヤるって決めてないぞ」
「ええ、ヤろーよー。無理しなくっていいから。俺、動くから」

なんて会話なんだろうな。僕たち、間違いなくバカップルだ。

 

 そんなリッキーの予定を覆すかのように、大学に戻って真っ先に僕らがやったことはケンカだった。僕と同じカフェでバイトしたいリッキーは、早速マスターに連絡を取って明日の夕方に面接を受けることになった。なんとしても受かりたいから面接の練習をしたい と言い出す。

「要らないよ、練習なんて」
「俺はしときたいんだ、何聞かれるか分かんねぇし」

 

 実はリッキーはすごくまめなんだ。だからあの時の言葉がある。

『俺、すっごく尽くすぞ』

 部屋の片付けも洗濯も、気がつけば終わっている。たまに作る料理も僕には手をださせない。作りながら洗いながら、料理が出来上がった時にはキッチンはきれいになっている。その点僕は その場その場でやっていけばいい というぶっつけ本番型だ。完璧派のリッキーにはきっと理解できないんだろう。

「聞かれたことに答えればいいだけだよ、就職じゃなくてただのバイトなんだから」

多分初めてのバイトに怖気づいているんだ。前に僕のピンチヒッターで注文取っていた姿はとても自然だったのに。

「俺、面接って知らねぇ。こういうのがこれから先のいい練習になると思うんだ」
「すぐにシフトを聞かれて握手して終わりだよ、僕の紹介で入るんだから」

「じゃ、フェルの紹介じゃなくていい」
「遅いよ、もう電話しちゃったよ」
「なんで電話したんだよ!」

「お前が僕と一緒にバイトしたいって言ったんだろ? なら電話するに決まってるじゃないか!」
「フェルのバカ!」


 最後に来るのは結局その言葉。きっと外から見れば、バカバカしい痴話げんかにしか見えちゃいないだろうけど。日用品を買いに行くことにしていたから、機嫌の直った頃合いを見て買い物に誘った。

「僕一人で行ってもいいんだ」
「行くよ。お前一人に持たせるわけにいかねぇよ」

半分怒ってるけど、そんな気遣いだけは忘れてなかった。蹴られたところより幻の痛みを強く感じる時があるって、どういうんだろう…… 思い出したように ズキン と中から来る痛み。なるべく顔に出さないようにしてるのに、ほんの時々思わず体が跳ねるように痛む。

「もう一回医者に行かないか? やっぱり痛み止めいるんじゃねぇか?」

「必要無いよ。診てもどこもなんともないわけだし、痛くないはずなんだから薬は飲みたくない。それに前よりずっと良くなってるし」

 それは本当だ。あの忌まわしい真実から来るフラッシュバックもこの痛みも、頻度はだいぶ減っているし、その程度そのものが軽くなってきている。

「分かった、でも辛かったら言えよ。隠すなよ」


 買い物が終わって帰る途中、またちょっとした諍い。ケンカと言うほどでもない、リッキーの心配が元なんだから。

「僕も持つよ、結構重いだろ、その荷物」

特売をやっていたから懐の寂しい僕はあれこれと買い込んだ。

「1人で持てる」
「半分ずつ持とうよ」
「いいんだ、たいしたことねぇ」
「蹴られたところもだいぶ良くなってるんだ、いいから寄越せ」
「いやだ!」

そう言って、ずんずん先を歩いて行く。


 その後ろ姿がまるで子どもみたいだと背中を見ながらのんびり歩いた。

(うちの奥さん、力持ちだな……)

左手を見てそんなことを考える。(指輪の持つ視覚的な効果って凄い) そんなことを思いながら。

 

リッキーの横を黒い車がすり抜けてきた。まるでスローモーションのようだった。


黒い車が真横で止まる。 
振り返るリッキー。
中から男が二人下りてきた。
リッキーが荷物を落とす。
走り出す、何か叫びながら。


  ――ああ、それじゃ卵は割れちゃうよ


柔らかい布を顔に押しつけられ、甘ったるい匂いを嗅ぎながら僕の意識は遠くなっていった。

  りっきー  そんなに走るな  ころんじゃうぞ 
リッキーの叫び声が聞こえたような気がした

  

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