Fel & Rikcy  第4部[ LOVE ] 6.浮気

 手を洗っていたから水の音でリッキーの言葉が良く聞こえなかった。

「……からエシューんとこ、行ってくる。遅くなっても気にすんな」

 

  ――え? エウシュロフネ・トゥキディデス教授? なんで? 遅くなる?


 ちゃんと聞き直そうとした時にはバタンとドアが閉まった。なに? 最初なんて言ったんだ? どうして遅くなるんだよ……

 眠れるわけがない、今もう10時過ぎてる。こんな時間から教授の所に行って気にすんなって……

 それでも頑張って11時過ぎまで待っていた。もう我慢出来ない。携帯を持ってリッキーのナンバーの上にしばらく指を浮かべ、意を決して押した。
 トゥルルル……シンプルな音が鳴る。3回目のコールでリッキーが出た。

『フェル? わりぃ、今いいとこなんだ。エシューとやんの久し振りでさ、もう少し楽しんでくから先に寝ててくれよ。帰りは送ってくれるっていうから心配ないからな。じゃな』

  ――エシューとやんの久し振り
  ――もう少し楽しんでく

……なんだって? え? いったい何が起きているんだろう……

僕の頭の中はまるで融けちゃったようにものをきちんと考えられなくなっていた。

  ――先に寝ててくれ

 

 世の中にこんなにも恐ろしい言葉があるだろうか。自分が前にリッキーにそんな言葉を言ったのを思い出す。リッキーもこんな思いをしたんだ。

 でも……リッキー、僕のどこが悪かったんだ?

 

 エウシュロフネ・トゥキディデス教授と最後に喋ったのはリッキーが入院していた時だ。あの時リッキーの身元を保証してくれるように頼んだ僕に、教授は訳を聞かなかった。

『いいわ。それは任せなさい。でもね、Mr.フェリックス・ハワード。これは貸しよ』

 そうだった。そう言われたのにあの時の僕は忙しくてそれをすっかり忘れていた。教授は今それを回収してるってことなのか?

 でも……どうしてリッキー、簡単に応じちゃったんだよ……久し振りって、僕とのSEXに飽きてたんだろうか。僕のはもうパターン化してた? 最近次の日の朝怒ることが多くなったよな。一昨日も蹴られた。
『しばらくヤんない!!』
 回数減らせばいい? 何か新しいこと研究しなきゃだめか? 倦怠期って……こんなに早く来ちゃうのか?

 

 不毛なことを考えて部屋の中をうろうろしているうちに1時。ビールを飲んで立ったり座ったりしている内に2時。

『なんなの!? 今何時だか分かってる?』
眠そうというよりキレてるシェリーの声。
「シェリー……愛ってどれくらいで冷めちゃうものなんだろう……」
「は? 寝呆けてんの?」
「帰って来てくれない……」
「誰……え、まさかリッキー? 今度は何ケンカしたのよ、またタイラーかエディのとこなの?」
「違う……エウシュロフネ・トゥキディデス教授」
「はぁ? なんで……」
「さっき電話した。でも……久し振りに楽しんでるから先に寝ろって……」
シェリーが黙り込む。

「これって……」
「あのさ! あんたまさか浮気とか考えてないわよね?」
「……」
「リッキーは今まで散々そんなこと心配し続けて、それでもあんたのこと信じようと頑張って、そして今じゃ心配もしなくなったのよ。なのに今度はあんたなの?」
「だって」
「あんたがリッキー信じなくてどうすんの! 何か訳があるのよ、きっと。それをちゃんと聞けばいいだけのこと。いい? くだらない心配すんじゃないわよ」

 

 シェリーは怒ってんだか励ましてんだか分かんなかったけど、言うことは尤もだと思った。そうだ、リッキーがそんなこと考えるわけがないんだ。そう思うとさっき自分が考えたことがアホみたいに感じる。きっとそろそろ帰ってくるさ。

 ビールのせいもあってどうやら眠ってしまったらしい。3時過ぎまで覚えている。でも昨日は講義の後急にマスターからの電話で、休んだ子のシフトに入ってそのまま8時過ぎまでカフェで働いた。疲れてたからあれだけのビールのせいで眠っちゃったんだろう。

 目が覚めたベッドの隣にリッキーの姿がなかった。でも寝た跡がちゃんとある。良かった、帰って来たんだ!

「リッキー! リッキー!」
 シャワーかな? キッチン? そんなに広いわけじゃない。それを丁寧に探した。認めたくなかったんだ、いないって。

「リッキー……」
 呟くように呼んだ。返事なんか無い。目に留まったテーブルのメモ。すっ飛んでそれをひったくった。

『よく寝てるから起こさずに出るよ。俺、夕方まで講義。昼はみんなでレポート仕上げながら食べることになってるから一緒になれない。講義終わったらエシューんとこで昨日の続きをしてくる。昨日応戦一方だったから今夜はこっちから仕掛けないと。やられっ放しは性に合わねぇからな。満足したら帰るよ。じゃな』

 僕は自分が再起不能のダメージを受けたような気がした……

 


 ノック。リッキーならノックしない。だからどうでもいい。またノック。違う、リッキーじゃない。リッキーじゃないなら僕には用がない。
 電話してみよう。シェリーの言う通りだ、きっと何か理由があるんだ。その思いに縋ったけど、何を考える余裕も今の僕には無い……

 強いノック。やっとノロノロと僕は立ち上がった。


「いるじゃないか! シェリーに言われてきたんだ、フェルが心配だって。今日講義すっぽかしたろ」
タイラーだった。ほらと渡されたのはサンドイッチ。
「シェリーも俺もリッキーに電話してみたんだけどさ、明日かけ直すって切られちゃって」

 

……明日……

 

 え、今何時? 時計を見ると4時半だった。そうか、もうリッキーはエウシュロフネ・トゥキディデス教授のところだ。

「フェル、相手が相手だから心配なのは分かるよ」
リッキーのあの頃の遍歴は有名だから今じゃ誰でも知っている、教授との関係を。
「でもリッキーはそんなことしないよ。考えても見ろ、浮気するのに相手の名前や行き先言うと思うか? だからそんなんじゃないよ」
僕は黙ってメモを渡した。読んでしばらく黙っているタイラー。

「な、少し落ち着け。今コーヒー入れてやる。まずそのサンドイッチ食ってしまえ。それから考えよう。俺にはそれ読んでも浮気には感じられないぞ」

 

 コーヒー渡されて、封を切ったサンドイッチを持たされた。
「食えよ、いいから」
 機械的にタイラーに言われるとおりに口に運んで口を動かす。動きが止まると次のサンドイッチを持たされた。また口に運んで口を動かす。

「リッキーよりお前の方がこういう状況に弱いんだな。ちょっと意外だったよ。リッキーはそれでも立ち直ろうとするんだ、必死にな。でもお前は溺れて息も絶え絶えになってる。強くなれよ、フェル。お前、いつだって凄いじゃないか、リッキーを守るためなら何でもする。そういうとこ尊敬してるんだ。みんなもそう思ってる」
「タイラー……僕にはたいしていいとこ無いんだ……いつもだらしなくて」
「怒るぞ!」
俯いたままの僕の肩にがっしりした手が乗った。

「お前はいいやつだよ。なんにでも一生懸命で。俺たちはみんなお前たち二人が好きだ。な、思い切って教授んとこ行ってみろよ! そうだよ、そうすりゃ一発で分かる! 行ってこい、フェル。夫なんだからな、妻の所に行ったって誰も文句言えないさ」
僕は初めてタイラーの顔を真っ直ぐ見た。そうか、直接行ってみればいいんだ!
「そうだよな……うん、そうだ! タイラー、ありがとう! これから行ってみるよ。そうすれば何てことないって分かるよな?」
「ああ、そうさ。そして心配かけるなって少しは怒ってやれ」

 タイラーに背中を押されて僕は教授の所に行くことにした。近くまでタイラーが送ってくれる。
「ごめん、いつも迷惑かけてる。車、買うつもりだから。その時はまたいろいろアドバイスしてくれよ」
「俺がいつも行くところで買えばいい。紹介してやるから。少しでも安くなるよ。なんなら一緒に行くから」

リッキーがいつも言う通り、タイラーは最高の友人だ。今日だって僕を心配して来てくれたんだし。

 

「ここでいいのか?」
「ああ。悪かったな、心配ばかりかけて。ちゃんと様子見てくるよ」
「10分待ってるよ。出て来なかったら帰る。よく話して来い」
「ありがとう」

 教授の庭はまるでバラ園だ。きっと季節には見事に咲き誇っているんだろう。真っ白な2階建ての3段の幅広い階段を上がって、ナチュラルオークの大きなドアがある。いかにも教授の性格らしい単純明快な造り。


 思い切ってノックをした。何の反応も無いからもう一度。
「はい、どなた?」
 半開きのドアから見えたドキッとするような妖艶な感じの教授。ラフな淡いピンクの部屋着で、肩が少し見えている。いつもきっちり結ってある髪が、背中で波打っていた。
「あら、Mr.フェリックス。どうしたの? リチャードならまだ返すわけには行かないわ。あなたは私に借りがあったわよね?」

「エシュー!」
奥から聞こえたリッキーの声。
「はい! リチャード、今行くわ!」
教授は僕を見てニッコリ笑った。
「彼と一緒にいるのは楽しいわ。今夜も彼と過ごすつもりよ。じゃね」

とうとう僕は一言も発することなくとぼとぼと道を引き返した。
「フェル! どうした、フェル!」
タイラーの車の前を呆然と歩く僕は後ろから掴まれた。
「お前、真っ青だ。来い、車に乗るんだ」
されるがままにタイラーの車に乗せられた。
「リッキーと…何を話したんだ?」
「……話せなかった……教授が……今夜もリッキーと過ごすつもりだって。普段着じゃなかった……」


あれきり黙っている僕はタイラーの部屋に連れていかれた。
「今日は一人でいちゃいけない。俺んとこにいろよ。好きなようにしてて構わないから。夕飯に文句は言うなよ」
「少し眠ってもいいか?」
「ああ! 構わないとも!」
 僕はソファを借りた。タイラーがブランケットを持ってきてくれた。疲れきった僕の頭はあっという間に暗い闇の中に沈んで行った。


「……してちゃんと言わなかったんだ! フェルはもうダメになっちゃうぞ! ああ、ああ、あんなメモで分かると思うか? 帰って来い! 俺んとこに今すぐ!」

タイラーの怒鳴り声で目が覚めた。
「どうしたの?」
「今、リッキーと話した。もうすぐここに来る」
「え?」
「悪いな、余計なことをして。ただ俺も納得行かなかったんだよ。だからまた切ろうとしたリッキーに怒鳴っちまった。ごめん、お前のやること取ってしまって」
リッキーが来る。リッキーが。何日も会ってないような気がしている。
「顔洗って来るよ」
リッキーに会える。

 しばらくして車の止まる音がした。ちょっと間が空いてノックがあった。
「いいか、ピシッと言ってやれ」
そう言ってタイラーがドアを開けた。
「あの、ごめん、ありがとう、タイラ……」
僕は飛びついていた。
「リッキーリッキーリッキー」
抱きしめてキスをして名前を呼んで……タイラーが黙って出て行った。

 

「フェル、ごめん、本当にごめん。俺つい分かってると思っちゃったんだ。説明足りてなかったんだな、許してくれよフェル」
「リッキー、僕が嫌になったんならそのまま言ってくれ……直せるものなら直す。お前が愛してくれるなら僕はどんな努力でもするから」
「ごめん! 俺、エシューとゲームしてただけなんだ、ホントだ、信じてくれ」
「……ゲーム……?」
「入院の時の借りを返せって、新しく買った格闘ゲームの相手をしろって。前はよくやってたんだよ。エシューんとこだけ時間が長かったのはそのせいもあったんだ」
あの時のスケジュール。教授の所だけ2日だった。

「ゲーム……だけ?」
「もちろんだよ! それしかしてない、信じて欲しい。指輪に誓うよ、俺お前に対して恥じるようなことしてない」
「リッキー」
「この先もうエシューんとこには行かねぇ。もし必要になればお前と一緒に行く。他んとこに行くのもちゃんとお前に分ってもらってからいく」
「僕は束縛したいわけじゃ……」

でもこれは束縛してるのと同じだ……こんなこと、僕のしたかったことじゃない。

 

「リッキーが僕のことで安心出来るようになったのは僕を信じてくれてからだったよな」
「うん。もう疑ったり不安になったりする必要、ねぇんだ。フェルが俺のこと思わねぇわけがねぇからな」

 僕は殴られたような気がした。僕はリッキーを信じてないのか? そんなバカな……じゃ、なぜ不安になった? なんでただ待ってられなかった?

「リッキー、済まない。僕が間違っていたような気がする……お前何も悪くないよ、今度のこと。僕が全部悪かった。ごめんな、いやな思いさせた」
「何言ってんだよ! フェルはどこも悪くねぇよ!」

 それにはもう返事しなかった。これは僕の中の問題だ。リッキーを信じ切っていない僕。僕は自分と対決しなきゃならない。

「タイラーに悪いことしてる。ここ、出ないと」
「あ、そうだな、タイラーの家なのに」
リッキーがすぐ外に出て行った。

僕はタイラーに頭を下げた。
「本当に済まなかった、たくさん迷惑かけた」
「気にするな。何かあれば相談しろ。お前は自分一人で抱え込み過ぎる。俺はお前が心配なんだ」
「ありがとう……また夕飯食いに来てくれよ。いつでも歓迎するから」
「そうするよ。たっぷり用意してくれよな、俺は大食いだから」
笑うタイラーと握手をした。送ってくれるというのを二人で歩くからと言って断った。

 

 


「フェル、ホント、ごめんな。俺、うんと反省してるから」
「大丈夫だよ。怒ってなんかいない。だってお前どこも悪くなかったんだから」
「フェル、キスして」
 通りの中でリッキーが僕の首に両手を回してきた。その腰を抱えて深いキスをする。なんて安心感だろう……
僕がしてると言うより、僕がリッキーにキスをもらっているんだと思う。

 ようやく唇を放してリッキーを抱きしめた。
「僕はバカだなぁ」
「フェル?」


 自分が散々リッキーに言ってきた言葉を思い出す。
『僕を信じろよ!!』
今度は僕がやり直さなくちゃならない。リッキーは僕を愛してくれてるんだから。