Fel & Rikcy 第5部[ 帰国

​2.決意

 見たことの無い公園のそばに止めた。車から降りて一緒にその中に入っていった。もう夕方。じきに暗くなる。寄り添っていたリッキーの肩を抱く。

「行くか」
驚いたように僕を見上げた。
「フェル?」
「覚悟ついてるか? 見つかるとお前、ヤバいことになるだろう?」
「ああ、多分殺されると思う。分かってる」
「それでも行きたいんだな?」
「……親父の……最期を知りたい……エミディオはいつも庇ってくれた、俺のこと」
「そうか。リッキーの大事な家族だね」
「フェル、俺……」
「故郷だもんな。家族が消えてしまう。ごめん、僕には想像もつかない、リッキーの辛さ。お姉さんはいいのか? 会いたくないのか?」
「あの人は……俺のこと穢らわしいって思ってるから……」

 

 他国に来て、持っていたのは『リッキー』という呼び名と孤独と哀しみだけ。そして僕を選んでくれた。

「ありがとう、僕を好きになってくれて。僕に愛をくれて。僕の心を助けてくれて」
「俺、忘れない、フェルのこと。ごめん。ごめん、ごめん……俺のことこんなに大事にしてくれてんのに裏切るみたいになっちまって、ごめん、ごめん……」

 溢れる『ごめん』を閉じ込めたくて長いキスをした。性的なキスじゃなくて、愛情のキス。唇を離して濡れる目を、頬を撫でた。

「ばかだな、お前を独りにすると思うか?」
「え?」
「指輪にはなんて彫った?」
「でも!」
「『お前とずっと一緒にいるよ』 『俺の心はお前のもの』」

「それはダメだ! そんなこと、ダメだ!」
「『たとえ死が二人を分かつとも、なお途切れぬ愛情がこの結婚にある。あなたと共に生涯を歩き、支え合う。あなたにこれを誓います』 僕はね、リッキー、お前に誓ったんだ。お前は僕の全てだ。お前は望めばいいだけなんだよ」
「フェル、これは俺の問題だ、ダメだ、絶対にダメだ!!」

泣いて何度も ダメだ を繰り返すリッキーを抱きしめた。

 

「お前はもう独りになることなんて無いんだ。一生僕がそばにいる」
「でももし……もしバレて捕まったら……」
「一緒に捕まればいいさ」
「もし殺されたら」
「手を握って一緒に死ねばいい。最後までお前を抱きしめるのは僕だけだ」
「甘いこと言ってられる状況じゃねぇよ、フェル」
「お前が生まれた国、僕も見たい。お前の大事な海を見たい」

リッキーのお母さんが消えていった海。多分戻ったら真っ先に行きたいだろう、海。

 

「俺、お前の命懸けてまで……」
「僕の命はとっくにリッキーのものだ。そしてお前の命は僕のものだ。だから独りでいくなんて許さない。もしこっそり行ったら僕は追いかけるよ。お前の国で会えるまでずっと探し続ける」

リッキーの手が……しがみついて震えて。

「……ごめん、フェル、ごめん……俺、行きたいんだ。どうしても行きたいんだ……」
「いいんだよ。謝ること無い。何年も我慢してきたんだよな、アメリカで。ずっとずっと帰りたかったんだよな。一緒に行こう。お前の金、一気に使うぞ」

 胸の中で頷くリッキーが愛しくて。お前のために命懸けるなら本望だよ。大事な大事な愛しい人。

 その夜は何をすることも無く抱き合ったまま眠った。落ち着いたのか、リッキーの寝息が聞こえるのは早かった。

 出るなら早く出よう。誰にも何も言わずに。部屋はきちんと片づけて行こう。もし……もし帰って来れなかった時に他の人が困らない様に。それなりに私物は一ヶ所にまとめておこう。帰って来れたならそれをまた広げればいい。

 持って行くのはパスポートと金と着替えと。なるべく持ち物は少ない方がいい。治安は良くないだろうから覚悟しないと。ブロンクスどころじゃないだろうな、きっと。普通に命がかかっている。何も目的を果たすことなく死ぬことだって有り得るだろう。
 言葉……こんなことならスペイン語を勉強しとくんだった。これはきっと致命的なハンデになる。もし僕がリッキーのお荷物になるならそれはそれで考えなくちゃならない。足を引っ張るために行くんじゃないんだから。

 向うでリッキーは引っかからないだろうか。国を出て5年のはずだ。それならだいぶ姿かたちは変わっているかもしれない。けれどオルヴェラは一発で見抜いた。リッキーの持つたたずまいが独特だからだ。分かる人間にはきっと簡単に分かるんだろう。

(リッキーを抱いた……オモチャにした連中がいる)

 目眩がしそうなほど怒りが湧いてくる。出会ったら僕はまた何をするか分からない。だめだ、これはリッキーのための旅なんだから。僕なんかどうでもいい。

 パスポート。パスポート? リッキーは持ってないんじゃないか? 申請してないだろう、きっと。

 

 具体的なことが次々と頭に浮かぶ。今どんな状況なんだろう。入国出来るんだろうか。向うのアメリカ大使館はどうなってるんだろう。観光ビザを受け付けてくれるんだろうか。とうとう起き上がってラップトップを開いた。

(エディなら簡単に調べるんだろうな)
 ふっとそう思って笑った。リッキーは全部お膳立てしてもらってアメリカに来たんだからきっと何も知らない。だから僕が調べなくちゃならない。

 クーデターのことは報じられていた。ただ詳細が記事によってだいぶ違う。恐らく向うで戒厳令が敷かれているんだ。息子が父と弟を手にかけたなんて国のイメージとしては大打撃だ。きっと誰かがスケープゴートになる。

 

 その時携帯が震えた。時計は1時半。

「エディ? どうした、こんな時間に」
『やっぱりね、起きてると思ったよ。ニュースを拾ったから電話したんだ』

 ニュース? 僕の頭は一瞬混乱した。どうしてエディが…… そうか、大使館に行った時タイラーは先回りしていた。じゃリッキーの国のことはみんなに知られているってことだ。
 バカだ、あの時のことをちゃんと頭の中で整理出来ていない。きっと直視できなかったからだ、自分のことを。もっと緻密にモノを考えないと。リッキーの嫌がる……『あの僕』に力を借りないと。

「エディ、正直に言ってくれ。正確にリッキーのこと、どこまで知ってる?」
『母国。家族。単なる繋がりとしてね。詳細は全く知らないよ。僕も根掘り葉掘り調べる気なんか無かったし。そしてさっきクーデターを知ったばかりだ。リッキーは? もう知ってるの?』
「知ってる。僕が話した」
『そうか……フェルから聞いたんなら良かった! それも心配で電話したんだよ』
「悪いな、いつも心配かける」
『心配はこれで終わりじゃないと思うけど。リッキーの反応は? 大丈夫?』

何も言うつもりは無いから大丈夫だと答えた。そのために僕がいるんだと。

「向うの情報、どれくらい知ってる?」
『そうだね……まだ将軍を誰が殺したのかはっきりしないとはなってるけど、憶測はずいぶん飛んでるよ。最有力なのは一人残った長男のビセンテだ。でも政府としちゃ他に犯人がいるって逃亡犯を追ってるなんてことを言ってるみたいだけど』
「向うにいるアメリカ人はどうしてるんだろう」
『取りあえずまだ退去勧告は出てないみたいだけど。でもきな臭くなってきてるからそのうち入国規制がかかるだろう』
「きな臭い?」
『どうもビセンテって人望が無いみたいでね、このまま内乱に発展しそうなんだよ。もう反勢力がいくつも出始めている。彼らに取っちゃあのマルティネス一族は目の上のたんこぶみたいなもんで……ごめん』
「謝るなよ、そんなこと分かってるから」
『うん。だから下手すると根絶やしにされるかもな。ビセンテ以外に残っている親族は結構国外に逃げてるよ』
「詳しいんだな」
『向うの記事を直に読んでるからね。翻訳アプリが大活躍さ』

そこまで正直なエディに笑った。

「内乱か……えらいことになりそうだな」

 その中に入っていく。入れたとして無事な出国は厳しいかもしれない。あの老人に頼る気はない。彼も命を懸けている。そう考えて素直に申し訳ないという気持ちになった。彼が望んでいるのはリッキーの平和。だからこそ僕に全てを託したのに。

 けどリッキーの望むことこそが僕のすべきことだ。

『元々が内紛の多い国だ。悪どいとは言えあの将軍はそういうものを抑え込んでいたよ。その力が消えたんだからこうなるのは当然のことだね』

 あの支配力が、それでも一国を安定させていた。皮肉な話だ、その非道な男の死を一番気にかけているのは、彼が死ぬことを願った息子一人なのだから。

「ありがとう、心配してくれて。また何かあったら教えてくれるか?」
『OK。ニュースに注意しておくよ。リッキーには話さずにフェルにだけ連絡するから』

 


 こんな時に頼れる相手がいない。みんなすぐに勘づいてしまうに決まっている。でも、誰か…… 僕は携帯を握って外に出た。

『フェルか? どうした?』
「ごめん、こんな時間に」
『起きてたよ。珍しいな、お前が掛けてくるなんて。もう俺のことなんか忘れてると思っていた。俺も忘れてたからな』

この笑い声を聞くのはずい分久しぶりだ。

「そっちはどう?」
『おい、お前はもうここと関係無いだろう? まさかこっちが気になったとか、俺が心配だとか、そんなんで電話して来たわけじゃあるまい? 言えよ、何を頼みたいんだ?』

泣きたいほど昔通りだ……

「ミッチさ、今でもあちこちのツテは健在?」
『ああ? 何やる気だ、俺は健在というより勢力伸ばしてるぞ。ポリ公か? それとも裁判か?』
「そんなもんなら電話しないよ」
『まあそうだろうな、お前だから。ってことはヤバい話だな? なんだ?』
「アメリカを出たい」
『はぁ? 何したんだよ、お前』
「別に何もしてないよ、まだね。誰にも知られずに出たいんだ。人数は2人。写真なら送る。金も一緒に。2日で欲しい。出来れば向うからこっちに無事に帰りたい」
『どこに行くんだ?』

目的地を告げる。一瞬間が空いた。

『おい……そりゃ止めといた方がいい、あそこは今火がついてる』
ミッチはバカじゃない。バカじゃブロンクスの一角を仕切れない。

「話が早いってことはあっちに誰かいるんだな? 事情の詮索は無しだ。金を払う。ブツをくれ。シンプルな取引だ」
『相手がお前じゃなきゃな。お前は命の恩人だ。だから心配はする』
「なら力を貸して欲しい。もしこれで金以外に借りが出来るというならそれも返す」
溜息が聞こえた。

『この頑固もん。写真、携帯で送れよ。金は二人分で3000でいい。パスポートと引き換えだ。明日夜10時。場所は連絡する』

電話が切れた。良かった、これで大きな心配が消えた。ミッチに任せれば大丈夫だ。

 ミッチは29。僕なんかよりずっと歳上だ。情け容赦ないギャングのボス。若くてその座に就いたのは決して父親の跡継ぎだったからじゃない。彼自身が切れるからだ。跡継ぎなんかが通用するような世界じゃない。度胸と頭。それが無きゃ命を棄てるようなもんなんだ。

 出会いは僕がミッチを突き飛ばした時。僕はまだ15、彼は24だった。たまたま通りかかったアパートの上を見上げて光るものを見た。そしてその先を。
 グループの先頭で大きな笑い声を上げながら喋ってる男に僕はタックルをして思い切り突き飛ばした。胸倉を掴まれた時には僕の肩から血が流れていた。2発目が地面を抉った。
「ショーン!」
名前を叫ばれて一人がアパートに走って行った。僕の体に狙われた男が覆いかぶさっていた。

「大丈夫か、坊主」
「坊主じゃない」
「威勢がいいな。あそこにトラックがあるだろう? あそこまで走れ」
「あんたは?」
「俺は大丈夫だ。行け、そして待ってろ」

 僕は頷いてまた銃弾が地面に穴を空けた瞬間に飛び出した。トラックの影に隠れて様子を見守っていたけどそれ以上の銃声は鳴らなかった。しばらくしてさっきアパートに入っていった若い男が下りてきた。

 

「おい、こっちに来い」
 言われても動かなかった。状況が掴めない。言われてすぐ動くんじゃアホだ。向うがこっちに歩いてきた。
「用心深いな。なのに俺の前に飛び出してきたのか?」
「手っ取り早かったから」
「それでも考えるんだ。衝動的に動いちゃダメだ。まず、考えろ。どう動くのが効率的か。一番いい方法は何か。お前、俺に怒鳴ったって良かったんだぞ、自分が危ない目に遭わずにな」
「それじゃ間に合わなかった。あんた、死んでた。きっとあんたボヤっと『なんだ!』って怒鳴り返してただろ?」

じっと僕を見た男はデカい笑い声を上げながら僕の肩をバシバシ叩いた。
「痛いよ、そこ!」
「ああ、悪かった! 度胸あるぜ、そうか、考えてタックルしたってわけだな? ならいい。ありがとう、助かった。俺はミッチだ。お前は?」
「フェル」
「そうか、今日からダチだ。よろしくな」

 それから僕たちの関係は続いている。途切れたように思っていたけど、こうやって今に繋がっていたんだ。

 

 ミッチは僕をガキ扱いしなかった。いろんなことを教えてくれた。ほとんど使わずに済んでいる技も。ま、その一部の知識のお蔭で売人の車を爆破出来たんだけど。

 あれにはミッチが泡食ってたっけ。

「お前、やるなよ、あんなこと! 俺の客だぜ?」
「ヤクは嫌いだ。扱うヤツも嫌いだ」
「じゃ、俺もか?」
「ああ、そうなるね」

確かあの辺りがつき合いの最後だったような気がする。リッキーの国と繋がっているのは多分ヤクの絡みだ。

 

 いろいろ調べた。メキシコとは国境開放している。だから行き来は自由だ。逃げ出すなら道一本抜ければいい。ま、逃げ出せたらだけど。90日以内の滞在ならビザは要らない。入出国カードを書けばいいだけ。ただこれを失くすと厄介なことになる。出国が出来ない。

 経路はここから飛行機でテキサスのサンアントニオへ3.5時間。そこからバスでテキサスのエルパソまで11時間。メキシコに入国してからまたバスを乗り継いで、3日くらいかかってリッキーの国だ。飛行機を使うと早いけど足が付くから無しだ。

 

 治安レベルが悪い。元々が悪かったのが、軍がまとまっていたから抑えが効いていた。けれど今度のことでもう軍は当てにはならない。内乱寸前なら治安もへったくれも無いだろう。

 警察はむしろギャングたちの仲間。蔓んでいることで身の安全と収入を得ていると言ってもいい。1年間の殺人事件が3000件以上。平均、一日8人は死んでいる計算だ、さほどデカい国じゃないのに。銃を持ち歩くのが当たり前。デカい麻薬組織がある。行方不明になる外国人も結構多い。

 アメリカ大使館は今のところ健在だ。まだ退去勧告も出ていない。


 溜息が出る。生半可な覚悟なんか通用しない。僕なんかにリッキーが守れるのか? いや、そのために行くんだ。

  ――お前のためならなんでもする

 

 その思いはそのままなんだから。僕は充分お前にとち狂ってるからね。だから今更なんだよ、身の安全なんて。眠れないまま朝を迎えた。

「お前、寝たのか?」
「ああ、心配いらないよ」
「俺……行くの止めるよ。今さら親父のこと知ったってしょうがないんだ。悪かったな、振り回して」
「そしてお前はまた心を鎖で封じ込めて鍵かけるのか? 本心からそう思ってるなら止めても構わないよ。けど」
「だってどうしようもねぇじゃねぇか! 行きたいって言ったからって行けるわけじゃねぇんだ、行く手立てなんか無ぇんだから!」

じっとリッキーの目を見つめた。黒い瞳が涙に揺れている……

「じゃ、行ける手段あったらどうする? それでもやめるんならこれ以上何もしないよ。その方がお前は安全なんだから」
「行ける手段が……ある?」
「あるよ」
「どうやって?」
「パスポートは今夜手に入る」
「え?」
「まさか本名で行くとは思ってないよな? 殺してくださいって言ってるようなもんだ」
「パスポート……偽造?」
「そうだよ」
「簡単には作れねぇ」
「大丈夫、プロが作るから」

リッキーが僕を抱きしめる。僕も抱き返した。

「俺、お前に危ない橋渡ってほしいわけじゃねぇんだ!」
「じゃ、諦めるのか? 本心からか? 結婚の誓いに、この指輪に誓えるか?」

リッキーの言葉が途絶えた。
「僕はどっちでもいいんだよ。お前が望むことをしたいだけだ。頼むから僕に嘘をつかないで。それが一番悲しいから」

リッキーの指輪に口づけた。
 そうだよ。お前が望むならジャングルにだって南極にだって行く。太陽の炎を取って来いと言うなら喜んで取りに行く。

「俺……どうしたらいいか分かんねぇ……」
「いいよ、ゆっくり考えて。お前のしたいようにしていいんだ。今夜10時にパスポートを受け取ることになってる。これはもし行くのを止めても金を渡さなきゃならない。いいよな?」

「俺、それ一緒に行っていいか?」
「僕は一人で行くべきだと思ってるんだけど」
「行きたい、フェル一人でそんな取引させたくない」
「相手はよく知ったヤツなんだ」
「ならいいだろ? 俺、行く」

考えてみた。もし僕なら?

「分かった。知らないところで事が運んで行くのはイヤだよな。一緒に行こう。ただ喋るのは僕だ。いいね?」

 頷くリッキーの顎を捕えてキスをする。素直で子どもみたいになってるリッキー。不安でいっぱいなんだろう。

 食事をして、一緒に家事をやり。時間が進むのがのろかった。
(まだこんな時間?)
何度も時間を確かめた。そして、8時半。寮を出た。

 指定された場所は昔懐かしいショーンの家だった。

「相変わらずボロいね」
「おい、ドラマチックな再会で言う言葉がそれか?」
脇でミッチが笑ってる。

 

 ミッチは変わらない。細いしなやかな体。黒い短い髪。黒の洒落た革ジャンと細いジーンズ。切れ長の目に黒い瞳。
「ミッチが直接来るとは思わなかったよ」
「旧友の頼みだからな、他のもんには任せたくなかったのさ。久しぶりに喋りたかったしな」

座れという目付きに、僕らは座らなかった。
「なんだ、座らせてやらないとダメか? ブツが欲しいんだろ? 座れ」
リッキーに眉を上げると大人しく座った。
「綺麗なお嬢ちゃんだな」
「彼のことは気にしないでくれ」
「そうは行かない。取り引きの現場を見られてるんだからな。写真よりうんと美人じゃないか」
「受け取ったら帰る。金はこれだ」
「相変わらずせっかちだ、お前は。懐かしいよ」

 バサッとパスポートと紙切れがテーブルに放り出された。中身を調べるとフェラルド・ヘイワード、リック・ヘイワードとなっている。写真は僕は普通に、リッキーのはほんのいくらかボケている。本人確認には困らないがリッキーの面影が不鮮明になる程度に。

「どうだ? お前のややこしい注文をクリアしたか?」

「ありがとう、充分だよ」

立とうとした気配を読んだのか、ミッチの目が細くなった。これは立てない。

「いくつか聞きたいことがある」
「詮索は……」
「ああ、聞かない約束だ。お嬢ちゃん。あんたのためにこいつはアソコに行くんだろ? それがどういうことを意味してるのか、分かってるんだな?」
「ミッチ……」
「お前に聞いてない、フェル。お嬢ちゃんに聞いてるんだ」
「俺はお嬢ちゃんじゃねぇ」
「リッキー!」
「フェル、俺が聞かれてる」

「いい度胸だ。で?」
「全部分かってる。アソコは俺の国だ、全部承知してる」
「一人じゃお家に帰れないのか?」
「離れることは出来ねぇ」
「なんで」
「愛してるから」

ミッチとショーンが目をパチパチしてる。

 

「聞いちゃいたが……まさかと思ってたんだ。ホントにこのお嬢ちゃんと結婚したのか?」
「した。紹介するよ、妻のリッキー・ハワードだ」
「そうか……じゃ、何か? 嫁さんの里帰りに旦那が付いてくってことか? あの火の中に」
「そうだよ、ただそれだけのこと」
ミッチが僕をじっと見つめて、僕はその目を逸らさなかった。
「結婚祝いがまだだな」
「要らないよ、ギャングの結婚祝いなんてお返しに困る」
「フェル!」
「ショーン、いいから。こいつは昔っからこうだ。変わってなくて逆に嬉しいよ。媚び売るヤツなら掃いて捨てるほどいる。そのメモが結婚祝いだ。覚えたら燃やせ」

ニックネーム。住所。電話番号。

「ハックルベリー・フィン」
「そんなに気の利いたヤツじゃないがな、取り引きの仲立ちをやらせてる。覚えといて損は無い。トムと言えばいい」
「トム・ソーヤー?」
「ああ」
思わず吹き出した。
「なんだよ、それ。ベタ過ぎるだろ」
「ミッチは昔っからセンス無いんだ。お前と同じさ、変わってない」
「そう言うショーンだってあんまり変わってない」

「いいか、メキシコからはバス以外使うな。飛ぶのもタクシーもダメだ。夜は出歩くな。大使館のそばから離れるな。目的は知らんが、用は昼間に終わらせろ。タトゥーに近づくな。タトゥーが多いほどヤバいヤツだ。大金は隠してはした金をすぐ見つかるところに入れておけ。生きてあの国を出たかったら、はした金のことを忘れるな」

「他には?」
「意地を張るな、ハックを頼れ。お嬢ちゃんもだ」
「リッキーだ」
「……リッキーもだ。お前さんの国だろうが、今はだいぶ様子が変わっている。覚悟して行くんだ」

 

 ミッチがこっちを向いた。
「言葉は?」
首を横に振った。覚えるヒマなんて無い。
「じゃ、とことん分からないで通せ。アメリカ人は嫌われてるぞ。どれくらいいるつもりだ?」
「分からない」
「国境が封鎖される前に戻れ。いいな?」

話が終わったという顔をしてるから金をミッチの手元に押しやった。ミッチは1000ドルしか取らない。
「ミッチ、」
「帰って来て払え。貸しだ。1週間過ぎたら利子が付く。借金が膨れ上がらないうちに戻れ」
頷いて金を取った。

 リッキーが立ち上がった。
「お嬢ちゃん。いや、リッキーだったな、あんたの結婚相手は当たりだ。無茶なヤツだから頼むよ。壊さずに連れ帰ってくれ」
「……ありがとう。金、払いに来るから」
ミッチはリッキーに頷いた。

「いいヤツなんだな。ギャングのボスってもっと怖いもんだと思ってた」
「ミッチは変わってるんだ。ガキだった僕をまともに扱ってくれた」
「フェルにも友だちいるじゃねぇか。ミッチと喋ってるフェル、すごく自然だった」

 話を逸らしたいのか、肝心のことに触れないようにしているのが分かる。寮に着くまではあれこれと話をしたけど当たり障りのないことばかり。

 部屋に入るなり僕は聞いた。

「行くって決めたのか?」
「俺……分かってんだ、我が儘だってこと」
「妻の我が儘なら僕は叶えたいよ」

 胸に抱きついてきたリッキー。きっとお前の目には涙が溢れてるんだろ? 苦しいんだよな、僕と故郷を天秤にかけるようで。

「僕は物見遊山で行くんじゃないって分かってる。僕が一緒に行くって言う前にリッキーは自分が殺されると思うって言ったね。そこまで覚悟するほど帰りたいのに、無かったことに出来るのか? ならやめよう。もう父親のことも兄さんのことも考えるな」

 ホントは僕だってお前を故郷に行かせたくないよ。真実を……父親が望んでいたのは自分の死だったなんて知って欲しくない。行けばそれを知ってしまうかもしれない。

「フェル……もう一度頼む、俺一人で行かせてくれ」

 

 これで決まった。僕もしっかり覚悟するよ、リッキー。抱きしめた、強く。

「その選択は無いよ。お前と僕は二人で一人だ。明日はこの部屋を片付けよう。しばらく留守にするからね」
「フェ……」
「こうやっていよう、しばらくの間。僕はお前の温度を味わいたい」

 朝早くから部屋の中をあれこれ片付けた。持っていくのは最小限の着替えと必需品。現地の地図。ジェルとコンドームもしっかり持った。リッキーは笑ったけど大事なものだと譲らなかった。

「旅先でもヤり殺す気か?」
「新鮮だろ? いい刺激になるよ」
「お前、刺激無くったってヤるクセに」
「まあね。夫の義務を果たさないとね」
ティッシュの箱を投げつけられた。


 二人で見回す。それほど物を溜め込んでない。せいぜい日用品と講義で必要なもの、衣類くらいだ。飛行機は明日の午後2時サンアントニオ行きを予約した。他にすることは無い。

 早い夕飯を食べてベッドで抱き合った。お互いを貪るように。リッキーの悲鳴を聞きたくてイかせ続けた。
「し…ぬ……」
そう聞こえてやっと僕もイった。もつれ合ったまま夢も見ずに眠った。


(ばかっ)
翌朝、掠れ切った声で起きたリッキーが枕を投げてきた。
(もうヤらせてやんねぇ!!)

 

 本気で怒ってるからバスルームでは大人しくちゃんと全部洗ってやった。リッキーをソファに寝かせて、シーツを洗い、ベッドメイクをし、そして修正される。リッキーの言う[ピッとしたシーツ]だ。用意したベースボールキャップを二人共被った。

 

 空港まであの車で行く。駐車場に預けて旅に出る。

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