
宗田花 小説の世界
Fel & Rikcy 第5部[ 帰国 ]
8.入国 -母の海へ-
バスは定刻より15分遅れで発車した。まあ、時間なんて目途に過ぎないんだろうと思う。僕もリッキーも無言のまま手を繋いでいた。窓の向こうの人工の光が、それでもとてもきれいだ。
いつの間にか僕は窓際に座ったリッキーの映った窓ガラスを見つめていた。繋いだ手に指輪を感じる。このひと時を壊したくない……
どうしてだろう、ひどく感傷的だ。ガラスの中のリッキーに……涙が落ちる自分に驚いた。気づかれないように涙を拭った。どうかしてる、今の内に見ておきたいって思うなんて。
外は少しずつ街の光が遠のき始め、雲に隠れていた月が顔を出していく。
「きれいだな」
「そうだな。でもお前の方がきれいだ」
振り向いた顔に微笑みが浮かんでいる。可愛いキスの音が僕の頬に鳴る。
「俺さ、フェルに愛してもらえるなんて本当は思ってなかったんだ。あの頃の俺は滅茶苦茶だったし」
「でもお前は懸命に生きていたよ、その中で」
「夜、お前がドアを開けてくれるのだけが生きがいだった」
「僕は……お前を愛せて良かったと思ってる。あそこでお前を否定していたら僕の人生はきっと干からびたままだった」
「お前は俺を救ってくれたんだ」
「お前も僕を救ってくれた。こんなに幸せになれるとは思ってもいなかった」
自然に合わさる唇が愛おしくて……ああ お前のためにだけ僕は存在しているんだ……
うっすらと目を開けると光に溢れていてもう一度目を閉じた。また目を開ける。隣を見るとリッキーが僕を見ていた。
「おはよう、フェル」
「おはよう。早いね、もう起きてたの?」
「1時間くらい前に」
座り直した。
「起こせば良かったのに!」
「お前の寝顔、見ていたかった。きれいだった。ブルーの目が見えんのを待ってたんだ」
「ごめん、気がつかなくて」
「今8時前だよ」
「え? そんな時間?」
「後1時間くらいでカンペチェだ」
遅れてメキシコシティを発車している。着くのは何時になるんだろう。
「カンペチェからはバスがあちこちに止まる。いったんペオルで下りて入出国の検査を受けなくちゃならない。大丈夫だな?」
「ああ、大丈夫だ。俺もずい分変わった。それに死んだことになってんだからすんなり国境を抜けると思う。誰も俺に注意を払わねぇよ」
もうすぐこの旅は命懸けになっていく。リッキーの指輪にキスをした。
「離れないからな」
カンペチェに着いたのは9時半を回っていた。ターミナルを出た辺りで簡単な朝食を取る。意外と屋台の食べ物は美味かった。リッキーの勧めるものを食べる。ミネラルウォーターを4本買い込んだ。
「あのバスだね」
今までのバスと大違い。見るからに古びていつ廃棄場に入ってもおかしくないようなバス。
「走るのか? これ」
リッキーが笑う。
「いい方だって。あっちに着けば分かるよ。並ぼう」
「並ぶの?」
「じゃねぇとずっと座れねぇよ」
もう20人ほどが並んでいた。僕らが並んですぐに後ろに列が出来ていく。40分ほど並んでやっと運転手が来た。手垢のついた白かっただろう帽子。運転手だってことを教えるのはその帽子だけ。開いたドアから駆け込むように人が乗っていく。
「行くぞ!」
リッキーはその間を縫うように座席を確保した。けれど僕がまだ到達していない。他の乗客が無理やり座ろうとするのを押し戻している。
「フェル!!」
「今行く!」
一瞬飛び込むのが遅れた僕は、力づくで人を掻き分けリッキーの元へと辿り着いた。リッキーに掴みかかろうとする男を引き剥がして隣に滑り込む。
「凄いな!! 驚いた、いつもこんなだってこと?」
「そうだよ。乗客の数によっちゃ違うけど、今日は混み過ぎてる。今にケンカが始まる。誰のことも助けるなよ、面倒なことになるから」
罵声が飛ぶ、足元に子どもが突き飛ばされた。思わず手を出しそうになる僕の手をリッキーが掴んだ。
「子どもだぞ?」
「突き飛ばしたのは母親だよ。子どもを使って席を譲らせる気なんだ」
誰も席を譲らず、役に立たなかった息子は母親に引っ叩かれていた。
「カンペチェからこんなに荒っぽいだなんて。ここはまだメキシコだろ?」
「違う、行き先がマリソルだからだ。多分半分以上がマリソルの人間だよ。国境は解放されてるからな」
マリソル人。ここにいるのはまだ一般人だ。
(気を引き締めなくちゃならない。守る優先順位はリッキーが一番なんだから)
頭の中を空にする。アメリカでの常識なんか通用しない。
通路は床に座り込んだ人でびっちりだ。後ろの方はみんな立っている。もう8月。ムッとする汗の臭い。泣く子ども。うるさいとでも言っているのだろう、怒鳴る声。少しずつ停留所で下りる人間が出始めて人の密度が薄くなっていった。
ペオルで全員が下りた。バスが奥へ引っ込んでいく。ツーリストカードと荷物検査だ。あまりに簡単に通れたから驚いた。リッキーの進む方へ足を向けた。何か話しかけられて肩を引っぱられた。
盛んに喋っているが何を言っているのかが分からない。リッキーが慌てて傍に来た。早口で何かを言っている様子からいい内容じゃ無さそうだ。
「フェル、金出した方が早い。カードのことでケチつけられてる。使える範囲を越えてるって」
「いくら出せばいい?」
「50ドルならいいと思う。ここはドルが使える」
言われた通りの金額を男に渡すと、さっさと行けと言わんばかりに手を振られた。
「良かった、あれで済んで!」
リッキーが喜んでる。本当にこれが普通なんだ。
次に乗るバスは本当に酷かった。窓はいくつも割れている。座るためにそこから潜り込むヤツまでいる。そうだ、ここはマリソル。リッキーの母国。今その入国手続きをしたんだ。
席は空いてなかった。下に座るのもイヤだ。
「立ってよう、何かあっても逃げやすいから」
リッキーの言葉にいて後ろの方に立った。こっそりと銃を腰に差す。リッキーにもそうさせた。
「まだ早くねぇか?」
「今の内にその感触に慣れておくんだ。慣れないうちは鬱陶しくてしょうがないからね。弾倉は抜いてるから使う時に」
「素早く中に入れる」
「そうだ。最初から入れておくとセーフティが無いから尻を撃つ羽目になるかもしれないからな」
銃を使わずに済めばいい。心からそう思う。僕だって人を撃つ自信なんて無い。
揺れるバスの中で1時間立っているのは結構大変だった。みんな慣れっこなのかたいして表情も変わらない。
「俺、足痛ぇ」
リッキーが先に音を上げた。僕は夫としてのプライドが邪魔して痛いと言えなかった。
「タキナまで後どれくらいだ?」
「多分20分位。クソっ! 下手だ、この運転手」
確かに下手だ。やたら揺れるし真っ直ぐ走ってないような気がする。
「きっと酔っ払ってるぜ」
(え!?)
「それも、普通?」
「結構な割合でな」
益々頭空っぽにしなきゃならない。これがマリソルだ。
タキナで下りた。大正解だ! なんてきれいな所だろう!
「町で下りるのかと思ってたよ」
「ああ、ここは町と町の間みたいなもんだ。ここは穏やかなはずなんだ、前のまんまなら」
言いながら帽子を深く被り直した。
「誰と出くわすか分かんねぇからな」
そうだった。この辺りまで来ると、昔のリッキーの行動範囲なんだ。
「あまり顔を上げるなよ」
「分かってる」
上に羽織っていたシャツを腰に巻いて袖を縛った。
「うん、それならきっと動きでは分かりにくいと思う」
リッキーの動きは独特だから分かるヤツには分かってしまう。
それでも途中の伸びやかな景色を眺めながら歩いていると、二人で散歩でもしているような気分になってきた。
「あそこな、でかい木があったんだ。抜いちまったのかなぁ。俺、好きだったのに。よく登ったんだ、太い枝があってさ、そこに座って遠く見てた」
しばらく離れるとどうしても変わっていくものがある。
「仕方ないよ。何年も離れてたんだから」
「海、変わってねぇといいなぁ」
そうであってほしい、リッキーのために。
なだらかな坂を上がりなだらかに下りていく。家はポツポツと建っていて、レンガで覆われているのが大半だ。住んでるわけじゃないから観光客の様に(きれいだ)なんてお気楽に思ってしまう。この国の今の実情にまだ脅かされていないのだろう。子どもが自転車で走っている。干してあるシーツが風ではためいている。
空が青くて、太陽は半端無く照らす。滴り落ちる汗を拭いながら、ぬるい水を飲んだ。2時過ぎにアニトという町に着いた。結構賑やかだ。建物の上の方で他の建物の住人同士がデカい声で喋っている。思わず笑った。
「どうした?」
「あれ、まるでブロンクスだ。よく隣のアパートの連中と窓越しに怒鳴り合ったりケンカしたりしてたよ」
「そうか。似てるとこもあるんだな」
なぜかリッキーも嬉しそうだ。
「この町を抜けるんだな」
「うん。腹ごしらえしようか。昔入ったことのある店は避けるよ。その代り気をつけろよ。俺にも様子分かんねぇから」
「食べてすぐ出よう」
「それがいいと思う」
辛い物が多いのだと言う。確かにリッキーはスパイシーなのが好きだし。それはお国柄ってやつなのか。僕はあまり冒険はせずにタコスにした。いろんな物が入ってるから栄養はたっぷりだ。
食べ終わる頃にひと騒動あった。酔った男が入って来るなりそばのテーブルに座っていた男の襟首を掴んで叫び出した。リッキーが小さな声で翻訳してくれる。
「座ってる方が立ってるヤツの奥さんと寝たんだとさ」
これ幸いと払わずに逃げ出した客を店員が追いかける。
「目立つのはイヤだからちゃんと払って出て行こう」
支払いはリッキーに任せた。お店の人が何度もお礼を言ってるのが不思議だ。
「な、さっきのはお礼言われてたんだろ? なんでだ?」
「普通、こんな時は払わないでずらかるからさ」
本当に驚く。なんでもありなんだから。
通りを歩いて分かった。僕は相当目立っているらしい。多分こんなところまで観光客は入り込まないんだろう。
「僕は目立ち過ぎてるみたいだね」
「そう思うよ。でもお蔭で俺に目が集まらない。まだ難癖つけられないからマシだ」
アメリカ人は嫌われている そう言われたのを思い出す。敵意とまでは言わないけれど、歓迎はされていないのは肌で感じた。
停留所で15分ほど待った。町の外れにあるそれは、言われなきゃ分からないような棒が突っ立ってるだけ。
「ちゃんとここに停まってくれるのか?」
「ああ、用意しとけよ、手を上げて走るからな」
「走る?」
「運転手によっちゃ、ちょっと減速するだけだから走って飛び乗るんだ。たまに乗れねぇことだってある」
何度目かのカルチャーショック。
「乗せなきゃ儲かんないだろう!」
「運転手はそんなこと考えねぇよ」
「まさか、また酔ってる?」
「それは暴走の仕方で分かるよ。とにかく目立つように手を振って走るからな」
お待ちかねのバスが来た。リッキーが手を振り上げたから僕も手を振った。走り出すその背中を追う。走るのは速いんだけど、何せ勝手が違うんで体が面食らってる。先に飛び乗ったリッキーが手を伸ばした。
「フェル! 早く!!」
どうやら一人乗せたことで満足したらしい運転手はスピードを上げ始めた。必死に走ってリッキーの手に掴まった。バスがほんのちょっと減速したから体を引きずり上げるように乗り込む。小太りの運転手がこっちを向いてにやっと笑った。片手にはしっかり酒瓶が握られている。
ドアが無い。窓はほとんどが割れている。座席のシートはたいがい剥がれていて、そこにみんな座っている。こんなに揺れてちゃその尻はさぞ痛かろうに。
「ありがとう、置いて行かれるかと思った!」
「ああ、親切な運転手で良かったよ」
アメリカの過保護な運転手を思い出した。今は遠い国だ。
「下りる時は? まさか飛び下りるんじゃないだろうな」
「運転手にこの辺で下りたいって言うんだ。バス停に関係なく下ろしてくれる」
「料金はいくらになるんだ?」
「40ペソくらい渡せば文句言わないと思う」
「ずい分適当なんだな! それってアメリカなら75セントくらいだよな?」
「うん」
「お前、アメリカに来た時に困らなかったか?」
リッキーが思い出したように笑い転げた。
「まさかさ、コーヒーで4ドルも取られるとは思わなかったよ」
途中の停留所で2度止まらなかった。後ろから走ってくる人を尻目に全く減速しない。本当に僕らが乗れたのは運が良かったのかもしれない。
いつも40分位で着くと言うサンブレスに約30分で着いた。着いたというか、交渉して降ろしてもらった。バスから降りるのに交渉するってのも変だけど、僕がアメリカ人だからか値上げを要求したんだ。70ペソのはずがドルで要求された。リッキーが何か言ったけど運転手の顔つきが変わらないんで僕は5ドル出した。
「これで済むんなら払ってしまおう」
「でも!」
「いいよ、本当に降ろしてもらえ無さそうだ」
5ドルを渡したらパッと笑顔満面で止まってくれた。現金なものだ。
バスから降りるとリッキーの顔つきが変わった。まるで子どものような顔。バスの中にも流れ込んでいた潮の香りが強い。
「こっち!」
リッキーが手を引っ張る。早い足取りについて行くと波の音が聞こえ始めた。途中から坂を上がる。周りに木が立ち並び細い道がくねっていた。その先が見えない。坂を越せば海が見えるのか。どんどんリッキーの足が速くなり、坂のてっ辺が近づいてきた時には走り出していた。その後を追いかける。
突然視界が開けた。少しずつ坂を下り始め、その先は崖だ。崖。リッキーのお母さんが消えた海。あの写真の笑顔が浮かぶ。
僕の手を振り切って駆けていく、崖に向かって。
「mama!! !he Venido a verte!!!」 (ママ! 会いに来たよ!)
そのまま……海に飛び込むかと思った……
「リッキーッ!!!!」
ふわっと飛び上った体に跳びついた。驚いた顔が空中で僕に振り返る。きっとお母さんが振り返った時もこうだったに違いない。驚いたような顔。何が起きてるのか分からない顔……
そのままごろごとと地面を転がった。
「どうした? フェル」
「お前が……お前が飛び込むのかと思ったんだ……」
リッキーの手が首に巻き付いた。
「そんなわけ、ねぇよ。俺、フェルのそば離れねぇから。心配すんなよ」
「リッキー、リッキー、リッキー……」
さっきの恐怖が消えない……離したらまた飛びそうで。
「フェル、安心しろって。俺、mama に会いに来ただけだ。俺の居場所はお前の腕ん中だ」
「……置いて行かないでくれ……」
「そんなこと、しねぇよ。置いてなんか行かねぇ」
二人で並んで座った。ただ海を眺める。崖にぶつかる波の音がする。きっとリッキーには母さんの声に聞こえるだろう。
いつの間にか僕の肩に頭を預けて目を閉じている。聞いてるのかい? 本当のお母さんの鼓動。僕に求めた温かな鼓動。
少しずつ陽が傾き始めた。何て眺めだろう!! 水平線に太陽が姿を消していく。空をオレンジ色に染めていく。リッキーを見た。目が開いていた。二人でその沈んでいく太陽を眺めていた。
「どうする? もう一日ここにいるか?」
「俺……朝陽だけ見たい」
「じゃ、そうしよう。どこかこの辺に泊まれるとこあるの?」
「ごめん、フェル。無いんだ」
「寒くないし。ここにいようか。その方がいいだろう?」
体が擦り寄ってくる。肩を抱きしめた。
「落ち着く。ここのせいかな。それともフェルがいるからかな。俺さ、もっと悲しくなるかと思ってた。泣くかなって。でもそんな気持ちになんねぇんだ。不思議だよな、あれだけここに来たくって、やっと来れて。でも気持ちがあったかいんだ。包まれてるって感じで」
「きっとそばにお母さんがいるんだよ。リッキーのことを包んでくれてるんだ。だから寂しくないんだよ」
リッキーの顔がこっちを向いた。
「フェル、キスして。その……」
「分かってるよ。そういう意味じゃないキスってことだろ?」
柔らかな唇にそっと口を合わせた。互いにゆっくり味わった。性的じゃないキスを。家族のキスを。
「フェル、うんと愛してる。俺、mama にお前を見せることが出来て嬉しい」
「僕もお前の海を見ることが出来て良かった。本当にきれいだ、ここは。あの夕陽は今まで見た中で最高だった。波の音がして、きれいな星がいっぱい輝いていて、すごく今贅沢な気分だよ」
「フェルが気に入ってくれて良かった! 今俺、大好きなもんに囲まれてる。これ以上は要らねぇんだ」
星空の下で波の音に揺られながら僕らは眠った。幸せな夜だった。
暗い内から僕らは起きていた。どんな朝になるのか。まるで子どもの頃の様にドキドキする。今か今かと太陽を待つのは楽しかった。
いつか思ったこと。
――今死ねるなら、僕はきっと幸せだ――
なぜその言葉が浮かんだんだろう。胸はときめいているのに。
太陽は静かに光を届け始めた。空が柔らかな色で満ちていく。水平線が煌く。カモメたちが鳴く。美しい光景に目を奪われて言葉も出ない。やがて強烈な光が姿を現した。空が真っ青で、どこまでも真っ青で。
「フェルの目の色だ……」
「あんなにきれいじゃないよ」
リッキーが僕を見つめた。朝陽を浴びて微笑む顔は女神にしか見えない…
「やっぱりフェルの目の色だよ」
「本当にいいのか? まだいてもいいんだ」
「ううん、もういい。後は爺さんのとこに行って、そしてアメリカに帰ろう」
「帰る……のか?」
「うん。俺、もうアメリカの人間だ。ここに来て分かったよ。もうこの国に来ることは無ぇと思う。けど、いい。もういいんだ。俺はフェルの奥さんでいいんだ」
ちゃんと笑ってそう言ってくれた。
「来て良かったよ。お前がそう思ってくれて嬉しい。来て良かった」
「なんで泣くんだよ、泣くなよ」
「分からない、でも流れて来ちゃうんだよ」
僕らはそのまま抱き合って波の音を聞いていた。リッキーはやっとこの海にサヨナラを言えたんだ。
サンブレスから市街地に行くバスがあると言う。朝早いから多分混んでないだろう。
「パルマオってとこで下りる。こっから2時間はかかんねぇ。軍人の様子が分かんねぇから気をつけねぇと。爺さんは市街地の外れだから多分大丈夫だと思うんだ」
「なんて人?」
「チコって言うんだ。けどあの辺じゃ爺さんってしか呼ばれない。小さい時はそれが名前だと思ってた」
「ならかなりの歳だろ?」
「分かんねぇ。昔っから爺さんだからな。そうだな、結構な歳だよな」
ちょっと遠回りだけどきれいな場所を見せたいんだと言う。歩いて行くと開けた場所に出た。まるで観光の写真に出ているみたいな浜辺
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「これ、本物か?」
「いいだろ! 俺、ここでずっと泳いでたんだ」
だから泳ぐのは速かったのか。
「泳ぎたいか?」
「止めとく。ここ、俺たちの溜まり場だった。いつ誰が来てもおかしくねぇ。見るだけでいい」
ちょっと足を止めて見ていた。
「そうか、これがマリソルの海なんだな。朝は太陽を見たし、今は海を見た。これでマリソルか」
「うん」
浜辺から少しずつ遠ざかって、バス停が見えた。
「また飛び乗る?」
「いや、ここ始発だからゆっくり乗れる」
「そうか。でも来た時みたいな座席だったら座るのは勘弁だな」
「なるべくいい席取ろうな」
果たしていい席だあるんだろうか。かなり疑問だ。
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