Fel & Rikcy 第5部[ 帰国

11.試練

  # Ricky #

「でも良かった。お前が拉致られたと聞いた時には肝が冷えたよ」
「心配かけたね、ハックが来てくれなかったらどうなってたか……命の恩人だよ、ハックもミッチも」
「クラックからあっさり立ち直ったヤツなんて初めて見た。それじゃこっちは商売上がったりだ。傷はどうなんだ?」
「だいぶ良くなったよ。改めて二人で礼を言いに来る。今日はもう疲れた。早く帰ってゆっくり休みたい」

うん、俺も帰りたい。寝慣れたベッドで休みたい。これなら2、3日くらい軽く眠れそうな気がする。


 ハックには本当に世話になった。ウチの手落ちでこんな目に遭わせたんだからって、退院するまで手を尽くしてくれた。病院には2週間入って退院した。フェルのコカインは抜けたらしくて安定しているみたいに見えた。
『ハック、スノーとロックってなに?』
『スノーはパウダーのコカインだよ。ロックはコカインの純度を高めたクラックっていう塊だ。コカインより効果が高くて効果が短い。人によって多少は違うが15分くらいしか効かないんだ。だから抜け出せなくなるんだよ』


 ミッチが黙ってフェルを見てるからその視線の先を見た。フェルの手……なんだかじっとしてない。落ち着かないように見える。口を開こうとしたらミッチが目を上げてほんの少し首を横に振った。

「慌てるなよ、ウチのもんに送らせるから。まず銃を返してくれないか?」
「そうだったね! 僕もこんなもん持ち歩くわけにはいかない。リッキーも」
「あ、分かった」

ハックは病院を出る時に中身を何も触らずにバッグを返してくれた。銃はミッチに直接渡せって。

 

 フェルの手元が気になる。バッグをテーブルに乗っけてジッパーを開けようとして上手く行かないのに苛立ってるのが伝わってくる。でもすぐに開いて銃と弾をミッチの前に出した。俺も銃を渡してホッとした。持ち慣れないもんなんか御免だ。

「どうした、フェル。落ち着かないみたいだな」
「疲れてるから。もう帰るよ」
「待て、金の話だ。お前、俺に借りがあるだろ?」
「分かってるよ! だからまた来るって」
「気が立ってるな。ショーン、今日届いたもんをくれないか。悪いな、仕事しながら話すよ。明日渡さなきゃならないんでな」

 小さな箱が置かれてミッチがそれを開けた。たくさん入った注射器。フェルの拳が固く握られたのが分かる。目が……注射器から離れない……

「フェル、どうした?」
「リッキー、帰ろう。悪い、ミッチ。後は今度来た時に」
ショーンが扉の前に立った。
「フェル、座れ」
優しい声だ。
「なんなんだよ! どけよ、ショーン!」
いきなりショーンに掴みかかった。こんなフェル初めて見る……

「フェル。このまま帰すわけにはいかなくなった。ここに泊まれ。リッキー、あんたは帰っていい」
「どういうこと!?」
「あんたの旦那はしっかりコカインに捕まってるってことだ。抜けるまでここにいてもらう」
慌ててフェルを振り返った。

「嘘だ! リッキー、騙されるな! ミッチは僕をこのまま薬漬けにする気なんだ!!」
「フェル、落ち着けよ、ミッチはそんなことしねぇよ。お前が一番それを知ってるじゃねぇか」
「リッキー、お前、僕を信じないのか!? 現にミッチはあんなにたくさんの注射器を出して来たじゃないか!!」

ミッチを振り返ると一瞬辛そうな顔をした。俺と目が合うと怒りがその目にあった。

「俺がわるいんだ、俺が……」
「ああ、お前が悪い。俺は壊さずに連れ帰れと言ったはずだ」
「そうだ……俺が……俺がフェルを壊しちまった……」
「壊したってなんだよ!! 僕は壊れちゃいないっ!!」

「リッキー、帰ってくれ。こいつは俺が預かる」
それは出来ねぇ……

「フェルのいるとこが俺の居場所なんだ」

ミッチの目が細くなった。すごく怖い目だ。
「じゃ、俺の指示に従うか? どんなことにも逆らわずにいられるか?」
流れっぱなしの涙を手の甲で何度も拭う……止まんねぇ、どうしても。
「何でも聞くし、何でもやる」
「何でもか。ショーン、フェルを地下室に連れてけ」
喚いてるフェルが部屋にいたもう一人の男と二人がかりで両脇からガッチリ掴まれて地下室に連れて行かれた。

「さて、リッキー。『何でも』と言ったな。そこで全部脱げ」
躊躇わずに脱いだ。どうってことねぇ、こんなの。
「潔いな。じゃ、俺を満足させてもらおうか」
「どこで?」
「ここでだ」

真ん前に立った。
「俺と出来るのか?」
「ただのセックスだ。愛は無ぇ」
「俺を愛してるって言ってみろよ」
「お断りだ。その言葉はフェルのもんだ。イきたいのか? イかせたいのか? しゃぶらせたいのか?」
「どれもいいな。じゃまずその気にしてもらおうか」

 

 ミッチが立ち上がった。かしずくようにその前に膝をつく。さっさとベルトを引き抜いた。久しぶりだ、こんなの……

 今になってやっとはっきり分かった。
『お前がそれ好きなのか?』
 あの言葉。フェラをやらせるヤツは俺を物としか扱ってない。俺はこいつの前じゃ人間ですらねぇ。俺の口を大事にしてくれんのはフェルだけなんだ。他の連中は性器だと思ってんだ吐き出すための。

「全部飲めよ、残すな」
毎度お馴染みの言葉。ズボンを引き下ろしてそこだけ裸に剥く。兆してないソレに手を添えて口を開けた。慣れっこだったはずだ、なのに……なんで涙が落ちるんだろう……

「よし、もういい。お前の覚悟は分かった。悪かったな、試して」
試した? 下着を上げてミッチは元の姿に戻った。
「リッキー、服を着ろよ。ちなみに俺は男とヤったことは無いしその趣味も無い。安心したか?」
気がついたらぶん殴ってた。ミッチは避けなかった。
「フェルほどじゃないがいいパンチだ。さ、その悩ましい姿を隠してくんないか? 俺でさえクラっと来そうだ」


「これから辛いぞ。出来れば見せたくない」
「俺、いたい。離れることは出来ねぇ」
「じゃ、まず二つ条件がある。泣くな。それから俺が許可するまでフェルに近づくな」
「フェルは……ずっと地下室に閉じ込めるのか?」
「大丈夫だ。地下は明るいしベッドもシャワーもトイレもある。時間はどれくらいかかるか分からない。個人差があるからな」
「フェルは……治るだろ?」
「意思が強くても抜け出せないヤツもいる。打たれた回数が少ないのが救いだ。それでも上質なヤクを打たれてるからキツいだろうと思う。安物じゃない、クラックを打たれてるからな」


 ミッチが部屋をくれたけどほんの少しだけ横になって起き上がった。地下室に続く階段の途中に座り込んで頭を壁につけた。小さく聞こえるフェルの怒鳴り声……
  ――泣きたい

 でも泣いちゃいけない。フェルが苦しんでる。俺だけ逃げるわけにはいかねぇんだ……

「何かしたい」
次の日の夕方にはいても立ってもいられなかった。下ではフェルが暴れてるって聞いた。

「お前、夕べ寝てないだろう」
「俺、フェルいねぇとどうせ眠れねぇんだ」
「お前がへばったらダメなんだぞ」
「平気だ、フェルが俺のこと分かってくれるまではいつも寝なかったし」

「何が出来る?」
「……料理とか洗濯とかなら」
「料理ね。俺たちにも作れるか?」
「作れる」
「ならキッチンを任せる。キッチン係のマイキーに今日からお前がやると言っておく。きっとヤツは大喜びだろう。買い物はマイケルに任せろ。お前は外に出なくていい。お前みたいなのがブロンクスで歩き回ると面倒ごとしか起こさない」
「分かった」
「美味いの頼むぜ」

「フェルにも作って……いい?」
「食える状態じゃない」
「それでもいい。スープとか」
「そういうんならいい。ただ期待するな、口にするかどうか分からないから」
「そんなに……酷いの?」
「今はな」
「だって打たれた回数少ないって言ってただろう?」
「少ないよ。ただ、打たれた時間の間隔がマズかった。純度の高いヤツを1日に4回。急激な中毒さ。死んでもおかしくない」
「……なんでフェルばっかこんな目に遭うんだよ……」
「……さ、買い出しのメモ書け」

ミッチの声が優しかった。

 やれることがあってホッとした。それに会えないけど俺の作ったもんをフェルんとこに届けられる! だから料理を頑張ることにした。精魂込めて作るんだ。

「たいしたもんだな! こりゃ美味い! こんなの毎日食ってるのか、フェルは」
「フェルは俺の料理好きなんだ」
「そりゃそうだ、これならレストランも霞んじまう」

 ミッチもショーンも、そして食事ん時にここに寄る連中もみんな喜んでくれた。今の俺には料理が救いだ。フェルの役に立てるのは今はこれだけ。スープはいろいろ工夫した。大好きなトマト、羊肉、チキン。なるべくこってりしないように。けど最初の2日は何届けても手つかずで返って来た。

「仕方ないんだ、とても食える状態じゃない。もうちょっと待ってやれ」
ショーンが慰めてくれる。俺はなるべく笑顔で頷いた。もっと頑張らなくちゃ。

 フェルはあの痛みを取っ払ってくれたコカインの快感が頭から離れないんだって言われた。昔は痛み止めに使われてたらしい、だから無理もないかもしんねぇ。だがその代償は大きい。下手すると一生ヤクに支配されて、しかもその一生は短くなる。大事なもんはみんな消えていく、ヤクと引き換えになって。

 ある朝、あっさりしたチキンスープが3分の2になって返って来た! 俺は嬉しくってその残ったチキンスープを全部飲んだ。飲んでくれたんだ、俺の作ったスープを!! 昼はオニオンスープにした。バニラアイスもつけた。アイスは食べてなかったけど、スープは半分減ってた。夕食には、じっくり溶けるほどに煮込んだ野菜スープを作った。

「リッキー、ミッチが呼んでる」

ショーンに言われてミッチのところに行った。フェルの話だ! そう思った。

「いつも美味い食事をありがとうな。どうだ、フェルに会いたいか?」
「会ってもいいの!?」
「ヤマ場は越したよ、一応な。元々体力のあるヤツだからそんなに苦しまずに済んだようだ。ただな、今はまだ目の前にコカインを出されたら簡単に手を出すと思う。コカインの怖いのはそこだ」
「じゃ、まだ帰るのは無理なんだな……」
「俺は勧めないね。ここからは精神的な戦いになる。コカインは抜いた後、心が沈みがちになる。それがきっかけでまた簡単に戻ってしまう。支える助けが必要だ。覚悟が要るぞ、頑張れるか?」

俺はしっかりと頷いた。

「どんな要求も頭から否定しちゃいけない。それが良くないと本人が納得しなきゃ意味が無い。次に手を出したらフェルはお終いだ。後は転がり落ちていく」
「分かった」
「もしかしたら無茶なことを言うかもしれない。本気になるな。いいな?」

やっとフェルに会える! そばにいられる。

 スープを手に階段を下りていくとショーンがドアの外に立っていた。
「今は眠ってるよ。見て驚くなよ。ここまで頑張ったんだ、まだ先があるが後はリッキーにかかっている。支えてやってくれ」

 ドアを開けてくれた。静かだ。眠っているって言ってた。俺はそっと近くに行った。涙が……

「フェル……頑張ったんだな……こんなになるまで……」
 頬が痩けて目の下にははっきりと隈がある。きっと今は疲れ果てて眠ってるんだ。手を握った。泣いちゃいけねぇのに……そのまま声を出さずに泣いた。

 

「リッキー?」
「目が覚めたか? 来るのが遅くなってごめん」
「会いたかった……僕こそごめん……こんなことになるなんて思いもしなかった」
カサカサの唇にキスをした。
「なにか飲むか?」
「うん、水が欲しい」
冷蔵庫にミネラルウォーターが入っていた。グラスに注いで助け起こしてやる。
「ゆっくり飲めよ、焦らないで」
美味そうな顔したから安心した。

「何か欲しい? 野菜スープ、作って来たんだ」
「少しもらうよ。……食事、せっかく作ってくれてたのにあんまり食べられなくてごめん……」
「いいんだ、またいくらでも作ってやるから。何か食べたいなら言ってくれよ」

少しずつ時間をかけてスープを口にする。少なめに注いできたから何とか最後まで飲んでくれた。
「リッキー……考えたんだ、離婚……してくれないか?」
「え?」
「それが一番いいと思う。きっと僕は抜け出せない。頼む、離婚してくれ」

  りこん  りこん  離婚。

 

『頭から否定しちゃいけない』 ミッチはそう言った。でも……

「今はそういうの、考えんのは止めねぇか? まだ俺、何も頑張ってねぇよ。フェルだけが頑張ってる。俺も一緒に頑張る。その後ゆっくり考えよう」

 その言葉で安心したみたいでまたすぅっと眠っちまった。俺は泣いちゃいけねぇって必死に天井見て……

これじゃいけねぇと思った。支えなきゃなんねぇんだ、俺がめげちゃいけねぇ。ジーナ母さん、シェリー、ビリー、タイラー、エディ、……みんなのところにフェルを連れて帰るんだ。俺は負けちゃいけねぇ。それは本当にフェルを失うことになるんだから。


 滲む汗を拭いてやる。苦しそうな息に手を握った。目を開けたら水を飲ませる。水を飲むのはすごく効果があるんだって教えられた。
 眠ってる間にいろんなスープを作った。具の多いものは今は受け付けねぇんだと分かった。傷は何度も治療してもらった。治りが悪いって医者は言う。肩は大丈夫だけど足がだめなんだ。トイレとか行く時も痛そうに足を引きずっている。無理もねぇんだ、あれだけのことがあったんだから。

 

 フェルは立つ努力をだんだんしなくなった。あまり言うと不機嫌になる。怒鳴って、そして必死に謝って。フェルだって努力してるんだ、今のままじゃいけないって。

 

 俺が地下に来て4日目。今朝は久しぶりに落ち着いた話が出来た。
「マリソルのこと。ちゃんと話して無かったね。結局どうなったんだ? 自分のことばかりにかまけててお前の話を聞きもしなかった。ライ……だめだな、記憶力が悪くなってる」
「ライムンド?」
「そう、ライムンド。彼は結局なんだったんだ? 連れて行きたいとところがあるって言ってただろ?」
「俺……まだ自分の中でそれ、整理ついてねぇんだ。ホントはフェルに聞いてほしい。けど急ぐことじゃねぇ。だから良くなったら聞いてほしい」

「良くなったら……リッキー、良くなるって信じてるのか?」
「信じてるよ! フェルは強い、いつだって俺を助けてくれる、いつだって支えてくれるんだ。フェルくらい強いヤツって見たことねぇよ。俺、自慢なんだ、俺の夫はすごいんだぞって」

「目を逸らすのは止めないか。僕は……あの感覚に呼ばれる時がまだあるんだ。とても戦えるとは思えない。まさか、自分がこうなるなんて……耐えられないんだ、リッキー。自分がこんなもんだったなんて」
「ヤクと縁切るのって大変なことだって聞いた。お前、すごく頑張ってるよ。そばにいて支えたい、俺のフェルを」
「『お前のフェル』って、もういない…… これ以上僕で時間潰すこと無いんだ。お前にはお前の道がきっとある。だから……別れよう。マリソルの話は聞くから。何も出来ないだろうけど……でも、それは聞くよ」

 

 せっかく落ち着いて話せたのに。フェルの頭ん中には引け目しかねぇ。それは俺なのに。あんなとこにフェルを連れてったのに。得たものは結局あんな話だったのに。
 また返事を曖昧なまま、俺は他のことに話を向けた。

「フェル、どんどん体力が落ちちまうよ。俺の肩に掴まれ、一緒にこの中を歩こう」
何とか運動させたくて歩かせた。無気力なフェル。悲しくて、悔しくて……

 


 今日はスープだけじゃない、パンもサラダも食べてくれた。量はちょっとずつだけど増えてきて、いい傾向だってショーンも言った。
「今は辛抱の時だ。お前もキツいだろうが頑張れ」
「別れようって……別れようってフェルが言うんだ」
「そうか。それはな、フェルばかりじゃないよ。いろんなヤツがそう言う、恋人や女房にな。相手を苦しめたくないって言ってるんだよ。自分より相手を大事にしてるってことだ。負けるな」

 


「なぁ、俺、隣で寝ていいか?」
「セックスはしたくないんだ」
「いいよ、それで。俺、寂しくてさ。フェルの胸で眠りたい」

久し振りにフェルがニッコリ笑った! 
両手を広げて「おいで」って言ってくれて……俺は嬉しくてフェルの胸に頭をつけた。
「どうした?」
「うん。ドクン ドクンって聞こえる。俺の音だ」
「お前の?」
「俺の。誰にも聞かせねぇんだ」

 フェルの隣で髪を撫でられながらとろとろ眠くなる。そのうちフェルの手も止まって寝息が聞こえ始めた。

な、フェル。俺たち離れんのは無理なんだよ。思い出してくれよ、指輪のこと。俺からは言わねぇから。自分から思い出して、フェル。

  # Fel #

  ――僕じゃリッキーを幸せに出来ない
 そう感じ始めていた。リッキーには幸せになってほしい、僕なんか忘れて。それがリッキーのためなんだ。放したくない。離れたくない。けど……お前のためなら離れることを考えるのも仕方ないんだ……

 夕食を作りに行ったリッキーと入れ違いにミッチが入って来た。

「だいぶ良さそうじゃないか」
「厄介かけてるね。でもまだ自信が無いよ。自分を信じられないんだ……僕が僕を裏切った。次は誰を裏切るんだろう……」

「離婚したいんだって? リッキーと」
「なんでそれを?」
「リッキーがあんまり元気無いから聞いたのさ。ってことは、あいつをフリーにするってことだな?」
「僕のそばなんかにいない方が幸せなんだと思う。いつまたヤクが欲しくなるか分からない」
「ふ~ん。じゃ、早く離婚手続きしてくれよ」
「なんで?」
「俺が後はいただく。大学もやめさせてそばに置く」
「結婚……するつもりか?」
「お前じゃあるまいし! あいつ、お前のためならなんでもするって言うからさ、脱げって言ったら目の前で脱いだよ」
「なっ!?」
「従順だよな、その辺の女よりよっぽどいい、綺麗だし、あっち上手いし。お前を助けてくれるならって言うから、しゃぶれって言ったらその場でやってくれた。上手いな、あいつ。見事に全部飲み干して、あれは堪んねー。みんなも抱きたがるだろうよ。取り合いでケンカが起きそうだ」
「ミッチ!! リッキーは物じゃない!!」

「おい、お前には何の権利もないぜ? 離婚するんだからな。心配するな、俺が飽きたら誰かが拾うだろう。この組織にいりゃ、ずっと誰かが面倒みる。だから死ぬまで安心だ。あれならみんなが可愛がる」
「飼い殺しにするつもりか!?」
「ジャンキーの旦那に任せとくよりはいいだろう? お前も言ったじゃないか、そばにいない方がいいって」
「リッキーを連れて出て行く」
「この部屋の鍵は俺が持っているんだ。お前はここに。リッキーは俺のベッドに。聞いてみるか? お前のためなら俺に逆らわず何でもするし何にでも従うって言ってたぜ? あの声にもゾクゾクする」
「ミッチ!!!!」

殴りかかった。けど殴り倒されたのは僕の方だった……
「リッキーの方がまともなパンチを出すな。今のお前はクソだ。お前なんかにリッキーは返さない。今夜からあいつの寝る場所は俺の隣だ。食事は作らせるがもう会わせない。お前は負け犬だからな。一人で落ち込んで寝てろ」

 

 追ったけど一足先にドアを閉められて鍵をかけられた……

「ミッチ!! ミッチ、リッキーに手を出すな! ミッチ!!!!」

どうしよう……どうすればいいんだ、今のままじゃリッキーを守れない……どうしたら……

 食事はショーンが運んできた。

「ショーン、リッキーは!」
「ミッチに呼ばれてる」
「連れてきてくれないか?」
「大事な話があるとか言っていたからちょっと待て」
「少しでいいから僕を部屋から出してくれ」
「そいつはダメだ。お前はまだ体力も戻ってないし不安定だ。それにミッチが決めることだ」
「今じゃなきゃダメなんだ!!」
「どうした? また暴れんのか?」
「いや……違う、僕はもう大丈夫だから」
「俺はたくさんのジャンキーを見てきた。お前は今崖っぷちだ。崖に背を向けるかどうか。そこにいるんだよ。だから我慢するんだ」

 その時開いてるドアからリッキーの悲鳴が聞こえた!

『何すんだよっ!! 止めろ! イヤだ、フェル! フェルっ!!』
「ショーン、行かせてくれ!!」
「待て、何があったか見てきてやる」

 バタン とドアが閉まってカチャッと音がした…… リッキー、僕のせいで……お前を守ると誓ったのに。

ドアを叩いた、蹴った、喚いた。ミッチを、ショーンを呼んだ。でも誰も来ない…… 座り込むと微かにリッキーの悲鳴が聞こえ続ける。何を言ってるのか分からない、けど……
(ミッチ、リッキーに何かしたらお前を殺してやるっ!!!!)
 声が止んだ……何をしてるのか、いや、されているのか。させられているのか。もうそんな目に遭わせないと誓ったのに。

 眠れないまま朝を迎えた。朝食はまたショーンだ。
「ショーン! リッキーはどうなった!? 見て来るって言っただろ!?」
「いいから飯を食え。夕べも手つかずか。このまま一生ここで暮らす気か?」
「ショーン!」
「聞こえてるよ。リッキーのことは心配しなくていい」
「何かしたのか? あいつに何をしたんだ!」
「今のお前が知ってもしょうがない。どうせ何も出来ないんだし。それに聞いたよ、離婚するって言ったんだって? あんないいヤツを泣かせるなんてな」

ショーンに掴みかかったけどベッドに突き飛ばされた。
「禄に体力も無いくせに。いいから大人しくしとけ」


 体力……意地。思考。僕から消えたもの。リッキーは? 誰かのものになる? また人格否定されて? 
そういうものから僕は守るはずだった。
 何か忘れてる。大事なもの。大事な思い。なんで頭が回転しないんだ……無意識に思い浮かべてるコカインの快感……こんなだからリッキーを取り上げられてしまった。

『しまった』……? 過去形で考えるのか? もう終わったことにするのか? そのままにしとくのか、リッキーを。

 頭の片隅に浮かんでは消える言葉……なんだ? 大事な思い。気がついたら言葉が口から流れ出てた……

 

  自分を犠牲にしてでも守りたい気持ち
  たとえ死が二人を分かつとも
  なお途切れぬ愛情がこの結婚にある。
  あなたと共に生涯を歩き、支え合う。
  あなたにこれを誓います

 

 涙が……溢れてくる…… 大事なもの『リッキー』。大事な思い『リッキーへの愛』。リッキーに誓った、離れない、支え合う、共に歩く。

 暴れている時に傷つけた左手の包帯を解く。直に指輪を触る。キスをする。
「僕の心はお前のもの」
もう一度言う。
「僕の心はお前のもの」

「僕はお前のものだ。お前は僕のものだ。お前のためなら何でもする。何でもだ。何でも……何でもするんだ」

 悲鳴はあれきり聞こえない。僕がいないのにどうやって眠っているんだろう。取り返さなきゃ。リッキーを取り返す。体力をつけて、前のように強くなって、考えて行動する、お前をこの手に取り戻すために。何だってやってやる、お前のためなら。


「ショーン、お代わりくれ」
「飯か? 食うのか?」
「腹減って」
「よし、持ってきてやる!」

 

 吐いても食べる。体に取り込めば吸収はするはずなんだから。ショーンが部屋から出て、またトレーニングを再開した。これしか無い、今ここで出来ること。でもやるんだ、お前のために。

 時計を要求した。体内リズムを蘇らせなきゃ。小刻みに3分トレーニング。最初は辛い。でも時間通りにこなす。汗をかいて、シャワーを浴びて。
 ハサミを借りて髪を切った。洗濯を頼むのを止めた。バスルームで自分で洗う。きちんとした生活。爪の剥げた指はもうそんなに痛くない。肩も痛みはするけど大丈夫だ、傷が乾いてる。足。空気に晒す、無理のないように動かす。

 絶対に熱を持たせない。自分をコントロールする、ヤクへの渇きを、飢えを、捻じ伏せる。そんなものとリッキーを引き換えにして堪るか。

 焦っちゃダメだ。何度もその言葉を繰り返す。焦ることにいいことは無い。何をされようとも何をしようとも、僕には清い人でしかないんだ、お前は。自分の全てを懸けて取り返してやる。

 ショーンが入って来る度に寝転がった。飯は食べる。リッキーが作っている、僕の好きなものばかり。これはリッキーからのメッセージだ、僕を待っている。

 汗をかき、シャワー。水を飲んでトレーニング。続けるうちに体が軽くなっていく。徐々にヤクの快感が遠いものになっていく。

 一週間が過ぎていた。もう9月。リッキーを連れて大学に戻る。二人の生活をまた始めるんだ。体力に自信がつき始めてから4日間ショーンを見続けた。

 ドアを開けると必ず中を見回す。隙が無くて無駄が無い。動きはガタイの割には滑らかで常に片手を空けておくことを忘れない。

 ただ、ショーンの欠点は僕に甘いこと。疑うより先に心配する。2度試した。

 

「フェル、どこだ?」
「バスルームだ」
「飯置いとくぞ」
「分かった」

「フェル! おい!」
「悪い、バスルーム。リッキーは無事なんだろうな?」
「まぁな。じゃ置いていく」

一日3回の食事。掛ける4日。12回の内2回、バスルームだ。

 


「フェル、飯だ」
開いたドアの裏に潜んでいた。
「フェル? バスルームか?」
覗きに行こうとしたショーンの後ろから首に腕をかけた。声を出さないように正確な場所を絞める。外そうと動いていた手から力が抜けていくのを確認して床に寝かせた。
「悪いな、ショーン」
肩を叩いて、一応謝っておく。

 

 静かに階段を上がった。話し声がする、リッキーとミッチだ。

「もうフェルに会わせてくれよ、ミッチ、お願いだ!」
「だめだ。会うのは諦めろって何度も言ったろ? お前は俺のそばにいればいい」
「……はい」
「それでいい。フェルの面倒を見てほしかったら言うことを聞くんだ」
「はい」

 呼吸を整える。タイミングを計る。音を聞く。そのまま静かに待つ。


 椅子のズレる音がした。今だ、椅子から立ち上がる時には体のバランスは崩れている! 飛び出して驚く間も与えず、一気にミッチを殴り倒した。膝をついたところを後ろに蹴り上げて仰向けに引っ繰り返す。後は何も言わず腹に乗って何度も拳を振り下ろした。足が痛むのも忘れた。

「ふぇ、ふぇる?」

 

 ミッチが動かなくなって後ろを振り向いた。
「リッキー! ごめん、ごめん、そばについてなくてごめん……酷い目に遭ったか?」
首を振るリッキーを抱きしめた。リッキーの……体だ。僕のリッキーだ、僕の。何度も口付けた、腕の中にリッキーがいる。抱き返されてお互いの口を貪り合う、足りない、足りないと。

「フェル、どうやって?」
「僕と最後に会った後お前の悲鳴が聞こえた。何をされた?」
「あれは……急にミッチに抱きしめられて、キスされてあちこち触られて…… でも、それ以上ミッチと何もしてねぇよ! それだけだ。ミッチはその後良くしてくれた。ただお前には会わせないって言われたんだ。大人しく言うこと聞いてねぇとお前の面倒見ないって。俺は食事作る以外はあの寝室に放り込まれてた」

 

 呻き声がしたからミッチを見下ろした。

「やって……くれ、るぜ、手加減、無しかよ……」
「必要か? リッキーは渡さない」
「要らねぇ、よ、そんなじゃじゃ馬……キスしたら噛みつきやがって……」

どうやら起き上がれないらしい。横になったまま喋ってる。

「くそっ! 痛ぇ、ちっとは考えて殴れよ」
「あんたのことなんか考えちゃいなかったからね」
「抜けたろ? ヤク」

声に笑いが含まれている。キスと触っただけ……? 部屋に閉じ込められただけ……

「ミッチ、まさか僕に喝入れるために煽ったのか?」
「煽り過ぎたって、今反省してるよ。ジャンキーなりかけだったから油断した……」

やっと起き上がって腫れあがった顔を擦ってる。

「いい男、台無しにしやがって。……ショーンはどうしたんだ!」
「あ! 見てくる! 殺しちゃいないよ!」
「お前の場合、洒落にならねぇ」

 

 足の痛みを無視して階段を駆け下りた。まだ引っ繰り返ってる。
「ショーン! ショーン!!」
目が開いてホッとした……
「ごめん、ショーン。やり過ぎた」
げほげほ咳をしながら弱々しいパンチを繰り出して来たから頬に受けた。これくらいは受けてやらないと。
「本当に悪かった。今ミッチから聞いたよ」
「気をつけろって……言われてたんだがな、こんなに早く反撃、してくると思わなかったんだよ……相変わらずすぐキレるヤツだな」

 ショーンを手伝って階段を上がった。リッキーがミッチの顔に塗れたタオルを当てている。

「ミッチ!! いい顔だ!」
「笑うな! 顔が歪むなんて久し振りだぜ」
ショーンの笑いが止まらない。
「いや、たまにはいいんじゃないか?」
「冗談だろ、ボスが学生に伸されたなんて言うなよ」

「フェルは治ったの?」
「嬢ちゃん……じゃなかった、リッキー。こいつは爆弾抱えてると思ってくれ。このまま何も無いかもしれない。きっかけがあってもなくても突然欲しくなる時がある。何年か経ってぶり返すヤツもいるんだ。残念だが保証は出来ない。当分酒は飲ませるな」
「分かった」
「フェル、お前にはリッキーっていう楔がある。有難いと思え。お蔭で今回は沈まずに済んだんだからな」
「分かってる。大事にする。もう二度と離婚なんて言わない」
「フェル……」
「おい、後は家でやってくれ! これ以上俺に迷惑をかけるな」
「帰っていいの!?」
「帰れ。もうお前たちのお守りはたくさんだ」
「ハックに礼を……」
「伝えとく。お前、有り金全部出せ」

リッキーが僕らのバッグを持って来た。札もコインも全部出す。
「コインは要らない。他はもらう。いいな?」

当然だと思う。世話になり過ぎた。アフターケアまでされて。

「ミッチがこんなにお人好しだとは知らなかったよ」
「ちょっと懐古主義になっただけだ。どうもお前相手だと甘くなる。あんまり頼ってくるな」
「出来れば縁切りたいよ、僕だって」
「それでいい。リッキー。嘘じゃない、手放したくないって思ったよ。色気あり過ぎだ。気をつけるんだぞ、お前の旦那はキレると何するか分かんないからな。変なのを近づけるな」
「気をつけるよ。あの、ごめん……フェルがミッチ殴ったの、俺のせいだ」
「謝んなくていい、みっともないから。誰にやられたかなんて死んでも言えねぇ。さっさと帰れ。ショーン、送ってやれ」

礼は言わなかった。金を払ったらチャラ。それがミッチ流だ。

 車の中でショーンが真剣にミッチの言葉を繰り返す。

「分かってるだろうが手を出すなよ、フェル。次は助からない」
「出さないよ、ショーン」
「たいがいそう言うんだ、抜けたばかりのヤツは。そして気がついたら手を出してる。自分を過信するな」
「……肝に銘じる。ありがとう。どうして商売するんだよ。売っといてこうやって助けて。おかしいだろ?」
「助けたのはお前だからだ。昔のよしみってヤツ。いいか、俺たちが止めたって誰も止めないんだ。手に入らなくなった連中は他のところから買う。ほとんどが粗悪品だ。ミッチは汚い商売はしない、金持ちは別としてな。要するに俺たちは必要悪だ」

 頷くしかない。僕になんとか出来るものでもない。嫌ったヤクのあの量であそこまで苦しめられた。この先も油断は出来ない。今はもう、憎んでいるかもしれない。それに屈した自分の姿は醜かった。


 ショーンにはボルチモア ワシントン国際空港まで送ってもらった。遠い! と文句言われたけど僕らの車はそこにある。
「コインしか無いから車が無いと帰れないんだよ」
「そうだろうけど。クソ、俺が一番割り合わねぇよ。ミッチの計画に引きずり込まれてお前に首絞められるし」
「ごめん! それも俺のせいだ!」
「いいんだよ、お前は」
「フェル! お前が言うな!」

 ミッチもショーンもいいヤツだとは思う。話していて楽だ。けど、ミッチの言う通り、僕らは相容れない世界に住んでいる。互いに世話になりたくないのは本心だ。いつかまた会えるのかどうか。それは僕にも分からない。

 

 僕の足はしばらく使い物にならない。ミッチを殴っていた時と階段を駆け下りた時の痛みが本格的になっている。だから車はリッキーが運転してくれた。まだ心配なんだろう、何度も僕の顔を見る。

「大丈夫だよ、ヤクは要らないから」
「鎮痛剤だけで何とかなるか? 病院行く?」
「ハックの手配だったから入院も出来たんだ。普通に病院に行ったら銃弾の痕なんて警察に届け出されちゃうよ」
「そうか……でもそのままにしとけないだろ? な、松葉杖、買おうよ!」
「松葉杖?」
「少しの間。運転は俺、ずっとやるし。今は足に負担かけない方がいいよ。痛み……強くなったら困るだろ?」

リッキーの言いたい意味は分かるんだ。まだ抜けたばかり。痛みに負けるかも知れないと。

「分かった。そうするよ、自分でも不安だし」
「そうか、良かった。カッコ悪いって言うかと思った」
「言わないよ、そんなこと」

クレジットカードも何も持ってきていない。いったんは部屋に戻らなくちゃならない。

 

 


「なぁ……」
「どうした?」
「気が重い……なんて言うんだよ、みんなに」
「本当のことを言うしかないよ。あ、ヤクの部分だけは伏せたいけど」
「それは言えねぇよ! 俺、シェリーに殺されちまう!!」
「どっちにしろ謝って済むことじゃないだろうね。絶縁されるの覚悟で話さないと」
「そうだよなぁ。悪いことしたなんて言葉じゃ済まねぇよな……」
「とにかく誠心誠意謝ろう。それしか出来ないよ、いくら考えても」
「うん……」

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