
宗田花 小説の世界
Fel & Rikcy 第1部
7.愛しくて
リッキーは今、僕のせいでえらい目に遭っている。
「言ったはずだよな、僕は生活スタイルを変えるつもりは無いって」
「人非人!! だからって 最初っからこんなに付きあわせるか!?」
と言いつつも僕のメニューに頑張ってついてきてるんだからたいしたもんだ。
朝、5時半に叩き起こす。ストレッチを20分。そのまま約1マイルのランニング。帰って来て20分のトレーニングと20分のストレッチ。トレーニングっていったって、腕立てや柔軟みたいな筋トレものとストレッチだけど。
シャワーを浴びて朝食食べて。街にドライブしてプールで2時間泳いで太陽を浴びる。驚いたよ、リッキーは泳ぐのが速いんだ。抜かされて頭に来て、必死に泳いでも追いつかない。でもなにせ彼にはスタミナが無かった。2回目のターンが限界だ。
「怠惰の賜物だな」
肩で息しているリッキーにタオルを投げる。
「俺、寝たい」
「なに言ってんだよ。昼飯食べたらボーリングに行こう」
「俺、死ぬ。多分午後死ぬと思う」
「死にやしないよ」
ホントに死にそうな顔するから吹き出してしまう。
「楽しいからボーリングには行こうよ。ただのゲームだしさ、たまにはいいだろ?」
「それ、やったことねぇからヤだ」
「え、ホント? じゃ、やらなくちゃダメだ」
「ジェフじゃねぇんだからそんなこと言うな! 釣りはこんなに疲れねぇ」
「リッキーさ、抱かれてばかりだからスタミナ無いんじゃないの?」
きょとん としてる顔が……。あぁ、完璧に僕はリッキーに参ってる。可愛くてたまらない。プールじゃなくて、またキスで溺れさせてやりたいんだから自分でも重症だと思う。
「だって、されるだけなんだから疲れないだろ?」
みるみる怖い顔になっていく。お! だいぶ怒ってる。
「されたことも無いお前に分かって堪るか!」
「分かんないよ、ホントに無いもん。だって女の子としたって彼女らより僕の方が疲れる」
「抱かれる方が疲れんだよ!」
「どうして?」
「……お前と話してるとセックスがバカバカしく思えてくる」
「バカバカしいとは思ってないよ、欲求は欲求だし。そんなに疲れるんなら、せめて僕くらいのスタミナ付けないとな」
「お前さ、俺より開けっ広げだよな。スポーツ感覚でセックスの話するヤツ、初めてだ。3Pのポルノ見てたまげてた最初が懐かしい……あの時のお前思い出すと……」
そこでとろんとするなよ!
「ストップ! しょうがないだろ? 僕はポルノなんか見たことなかったんだから。ずっと実戦派で真っ当にセックスしてきたんだ」
「男と男ってのが新鮮だったのか?」
「僕にはリッキーの方が開けっ広げに見えるけどね」
それでもボーリングは楽しかった! 初めてのリッキーはどうやっても溝掃除をしてしまう。フォームを教えてもなかなかピンの前に辿り着けない。
「もうヤだ! やめる!」
不貞腐れだしたリッキーを宥めすかしつつ僕はストライクをポンポン出した。
「お前、胸が痛まねぇか?」
「何のこと?」
「初心者の前で手加減無しか」
「なんで手加減しなくちゃならないのさ。僕はちゃんと教えてるだろ?」
「お前って……お前みたいなのをスポーツ馬鹿っていうんだよ!」
「機嫌直せよ。ほら、足の位置はここ。右足から出して、そう! そこで思いっきり球を後ろに引く!」
何度か修正していくうちにタイミングが良かったのか、パーーンッ! といい音が響き渡った。ピンが全部倒れてる。
「ウソだろ……」
散らばってるピンをじっと見て僕を振り返った。
「おい…見たか……? 見てた!? 見たよな!!」
「ああ、見たよ、見た! やったじゃん、リッキー!」
「おい! ストライクだよ! 俺、天才!!」
そこからが大変だった。一度味をしめたリッキー。そう続けて出るはずないだろ? その焦りがフォームを崩す。崩れるから益々ピンに近づかない。それでもストライクの感触が残った手が2本、3本、5本と倒れるピンを増やしていった。
そして、テンションが一気に上がったのが4本倒した後だった。
「チクショウ! なんであんなもんしか倒れねぇんだよ!」
「力み過ぎなんだ。ストライク出した後、ずっと肩に力が入ってるじゃないか。ちょっと気を抜いてみろよ、もっと自然に投げるんだ」
残った6本をじっと見て、大きく吸った息を止めてゆっくりと体が動き始めた。僕は不覚にも見惚れてしまった。あまりにもそれまでと違うフォーム。滑らかで体のどの部分を取っても無駄のない流れるような動き。立っているピンに吸い込まれるようにボールが滑って行った。大きな音もせず、倒れ始めた1本のピンが次々と回りのピンを巻き込んでいく。
「……見た?」
なんで? 明らかにフォームが変わった。
「お前にキスされた時のこと思い出しながら投げたんだ。自然な気持ちになれたよ!」
……呆れるよ、ボーリングとキスを合体させるなんて。でも、らしい と言えば、らしいのか。
「ストライクとスペア、どっちが気持ちいい?」
「スペア! 取り残したヤツを全部拾う……いい! すごくいい!」
僕がストライク派なら、リッキーはスペア派。なんだか性格を表わしてるみたいだよね。多分、僕らの相性は最高だ。
次の朝。家族そろっての朝食。もちろんアルはいないけど、リッキーが家族として座ってる。ワイワイガヤガヤ、いつもの様に賑やかな食事。
「あ、言っておきたいんだけどさ」
ごくついでのような僕の声に、みんな手を止めることも無く顔を上げた。
「僕はリッキーとパートナーになるつもりなんだ。多分ってとこだけど」
そのままパンを頬張った僕に双子以外が硬直した。スプーンを取り落とした母さんの顔には跳ねたスープがかかった。フォークが宙に浮いたままのジェフ。突然英語が分からなくなったらしいグランパとグランマ。やった!! となぜかガッツポーズをしているビリー。そして、何が起きたのか訳が分からないという顔のまま呼吸停止まで起こしているリッキー。
ジェフが沈黙を破った。細い声だ。
「そういうことになるとおもってはいたが……そういうことはわたしだけにそっといいなさい。ジーナ、しっかりするんだ」
母さんにはジェフの呼びかけも聞こえてないみたいだ。
リッキーには人工呼吸した方がいいんだろうか。なんて考えてたら、ガタン!! と椅子を倒して立ち上がった。
「お前……バカか!? パン食いながら言うことか? 見ろよ、みんなを!!」
「だって言っといた方がいいじゃないか。僕と隠れてつき合いたかったのか?」
「まず、俺に言えよ!」
「今、みんなと一緒に聞いたろ? でもな、まだ『多分』だからな。よっぽどリッキー頑張ってくれないと」
みんなが一斉に喋ろうとする中で最初に響いたのはビリーの声だった。
「何を頑張んの?」
どうしていいか分からない母さんの隣に、困ったような顔をしてジェフが座っていた。
「フェル。この前の誘拐騒ぎの時に君の取り乱した様子を見て、もしかしてと思いはしたんだよ。でも、君は違うはずだとも思ったんだ」
「ゲイってこと?」
咳き込んだのは僕の隣に座っているリッキー。
「その…まあ、そうだ。リチャードはそう思わせるところはあった。君に依存しているからね。君を見る目は友だちを見る目じゃない」
隣を見ると身の置き所が無いという顔。
「私はね、偏見を持つつもりはないのよ。だって前は周りにそういうカップルがたくさんいたんだもの。こんな短い時間だけど私はリッキーがとても可愛い。まるで母親になったような気持ちよ。ごめんなさいね、こんなこと勝手に思って」
リッキーはただ首を横に振った。
「でも…いざ、自分の家族に起きてみると……というより、まさかフェルが…」
「すみません! 俺……」
「謝るなよ、リッキー。なんだか悪いことしてるみたいじゃないか。母さん、ジェフ。僕はこそこそと何かするのはイヤなんだよ。そんなのアルだけでたくさんだ。これが女性相手だとしても婚約期間とかあるだろ? それと同じだよ。婚約の間に破綻することだってあるし」
う! という小さな声が隣から聞こえた。頑張れよ、リッキー。そうならないようにさ。
「君たちはその…もうそういう関係……」
「まだだよ。まだそこまで行ってない。いつ行くかも分からない」
「なのにパートナー宣言をするの?」
「恋人を紹介したってことだよ、結婚を前提としたつき合いだけど」
思わずリッキーが え? という顔をして振り向いた。
けっこん
小さな声が聞こえる。にこっと笑った僕の横で目を見開いたままリッキーの動きが止まった。
「母さんは僕に聞いたよね。リッキーに対して覚悟を持っているのかって。よく考えて出した結論がこれなんだ。これからはいつもリッキーと一緒にここに帰ってくる。いつか一緒にベッドにいるかもしれない。何かでバレてあたふたして。そんなのは御免だ。僕は自分がノーマルだって知ってるけど、リッキーに対しては最近その気持ちが揺らぐんだよ。リッキーのことをとても大切に思っている。心配だし、離したくないし、見ていて目が離れなくなるし。だから、『バレるかも』って感覚は持ちたくない」
リッキーが驚いた顔のまま僕を見てる。
「リチャードはどうなんだ? 見てるとなんだか今回のフェルの宣言で一番驚いている、というより困っているように見えるのは君の方なんだが」
「俺…俺、今何言ったらいいか……フェルに一目惚れだったんです。俺はひどくだらしない生活をしてきた。けど、フェルと一緒にいるようになって変わり始めました。認めてほしくて、それには頑張るしか無くて…いえ!あの、そういう頑張るじゃなくて、本当に頑張るって意味で…でもまさかこんな風になれるなんて……」
じっと聞いていた母さんが口を開いた。
「言おうとしてること、分かってるわ。あなたが何にでも一生懸命なのも見ていて分かってる。でもあなたはフェルのことをどれだけ知ってるのかしら。見ての通り、真っ直ぐだけど頑固。こんな分からず屋で自分勝手だって知ってた? 逆に私はあなたに言いたいの。考え直すなら今の内よ」
「…なんでもいいんです、一緒にいられるなら」
消え入るような小さな声だった。抱き寄せてキスをしたい そう思った。
しばらく沈黙が生まれた。
「これは許すとか許さないとか、そういう問題じゃない。フェルとリチャードの問題だ。フェル。出た言葉は戻らないよ。後悔しないね?」
「しない。言っておかなかったことで後悔する方がイヤだ。後はリッキーとやっていけるかどうか、ただそれだけだ」
「俺、寝る。頭ん中、弾けた」
部屋に戻ったリッキーはひどく疲れ果てた顔をしていた。
「ちょっと驚いたよ」
「なんだよ」
「リッキーの反応さ。もっと喜ぶかと思った。でもまず最初に僕の家族のことを気遣ってくれたのがすごく嬉しかった」
「喜んでるよ! 信じらんねぇくらいだ、こんなこと。でも…」
「悪かったかな……僕はちゃんとみんなに言いたかったんだ。いい加減なつき合い方をするつもり、無いから」
「フェル…それって俺を受け入れてくれたって思っていいんだよな? 今さら否定すんなよ、俺、死ぬからな!」
「それって脅迫じゃないのか?」
「笑って言うな!俺は真剣なんだからな!!」
「リッキー」
怒っているリッキーはいつだって可愛い。
「ふざけた気持ちで家族に言うと思うか?」
肩を引き寄せた。目の前の顔が目を閉じる。長い睫毛が震えている。ただアクションを待っているだけの、女の子みたいなリッキー。
「リッキー」
その目が開いた。
「僕からだけじゃ永遠に僕を口説き落とせないよ」
「なに?」
こんな時のリッキーは、本当にどこまで行っても女の子だ。
「リッキーが頑張んないと。そう言ったよね。本当に僕を口説き落とせよ」
言った途端にベッドに押し倒そうとしてきたリッキーを、僕はあっけなくベッドに組み伏せた。
「な? これじゃダメだ。僕を手に入れたいんだろ? 僕がリッキーを手に入れるのはきっと簡単だ。でもそれはいやなんだ。欲しがれよ、リッキー」
僕の下で暴れ始めたリッキーは、それでも僕を跳ね除けられなかった。
「チクショウ!! 放せ、この野郎! バカにしてんのか!」
「ああ、そうかもな。でも僕を選んだのはリッキーだろ? だったら何とかするんだ。今までの連中みたいに寝れりゃOKってそんな相手がいいんなら他を当たれ」
強くなれよ、リッキー。自分の意志で、嫌な相手なら寄せ付けるな。選ぶのはリッキーなんだ、威圧的な相手に屈するな。ソーヤーもアルもぶっ飛ばしてしまえ!
自分の在り方を模索し始めた彼を僕はじっと見て、じっと待った。答えにたどり着くのに、もしかしたら何年もかかるかもしれない。そしてその間に彼の気持ちが変わってしまうかもしれない。
リッキーは僕の <破綻する> という言葉を誤解してとっているけど、破綻させるのが彼とは限らないんだ。彼が僕を見限るかもしれない……。追い詰められてるのは、本当は僕の方なんだ。
ビリーのウザさが始まった。というより、好奇心?
「ねぇ! フェル、どうしてそんな気になったんだ?」
「いつから?」
「どっちが先に好きになったの?」
「女の子相手とどう違う?」
その度に僕に蹴り飛ばされ、リッキーは困った顔をする。
「リッキーさ、俺の兄貴になるってことだよね! 俺、大歓迎なんだけど。でもさ、兄貴じゃなくて姉貴になるのか?」
さすがにこれにはリッキーもカチンと来たらしい。
「ビリー! そんなことは俺に勝ってから言え! 答えるつもりはねぇ!」
こっちを向いたビリーは僕の足が上がったのに気がついて
「やべっ!」
と部屋を飛び出した。
すでに二人は兄弟になってるように見えるんだけど。
「こういう反応にお互い、慣れとかなきゃならないな」
パートナー。そこまでは考えていなかっただろうリッキーは複雑そうな顔をしていた。
「お前、いくらはっきりしなくちゃ気が済まねぇからって、行き過ぎてねぇか? ホントに後悔しねぇのか?」
「リッキーは不安なのか? これからが」
しばらく考えて首を横に振った。
「お前は相手にも自分にも嘘つかねぇからな」
「そうか。僕は不安でたまらないよ」
え? という顔をするリッキー。
「あの時のキスよりいい気持ちを欲しくなったらそっちに行くかもしれない。アルが本気で襲いかかってきたらリッキーは拒めないんだろ?」
「……お前が言ったのはそういうことか? 頑張れって」
「だって、セックスってご馳走を並べられたら飛びつくようなリッキーなら見たくない。僕を守るって言って、ロジャーをキスで落としてきたよな。つき合うならああいう守り方は勘弁してほしい」
「セックス無しの俺……確かによっぽど頑張んないとダメかもしんない……」
ほとんど毎日セックスに溺れてきた彼にはキツいはずだ。大学に帰ればいやでも誘惑が増えるだろう。NOを貫けるのか? 例え相手が高圧的でも。
けど僕はリッキーのトラウマを取っ払ってしまいたかった。本人はトラウマだなんて気づいてないんだから。
「それから対等になりたい、どっちが上でも下でもなくて。相手に従属するパートナーにはなりたくない」
「対等……?」
なんて顔してんだよ。そんなに驚いたのか?
「じゃリッキーの言ったつき合うって、どういう形だったのさ」
「俺、ただそばにいられりゃいい って」
「そう? でもそれじゃ足んない。その程度しか僕を思ってくれてないなら僕の方こそリッキーを諦めなきゃな」
「その程度って、俺は本気だ!」
「じゃ、それを見せて。僕のこと以外は見るな。僕を引きずり回せ。この新しい関係を自分のものにしろよ。僕は待つから」
僕の方がリッキーに待たされているんだとリッキーが飲み込むのには時間がかかった。
「俺がフェルを引きずり回す……俺がフェルを待たせる?」
「意味、分かんないならしばらく考えて。セックスさ、無しなんて言わないよ。だってリッキーには拷問だろ?」
「だってお前、さっきそういうのすんなって言ったばかりじゃねぇか!」
「誰が他人とセックス処理してる恋人なんかとつき合うんだよ。相手は決まってるだろ?」
リッキーの目がだんだん見開いていく。
「じゃ……解禁か?」
真剣な顔に笑わずにはいられない。
「笑うなよ! 俺にとっちゃ死活問題だ!」
「そうだよな、笑っちゃいけないよな」
それでも可笑しくて涙が出た。
「この間言ったろ? 欲しがれって。自分から何とかしてみろって言ったんだよ」
「そう言ったの? 寝るのは無しでって言ったんじゃなくて? マジ? なぁ、ホントに何とかしていいのか?」
「だから、口説き落とせって何回も言ってるじゃないか」
「俺…頑張る、あれもこれも」
抱きつこうとしたリッキーをするりと交わした。
「は?」
「だからって、早々寝てたまるか。まず体力をつける! 僕と寝るにはまだスタミナ不足だよ、今のリッキーじゃ」
「どんだけ俺とヤる気だよ!」
「ま、あのキスは越えないとね」
「俺……ヤり殺されんのか?」
それでも希望を持ったリッキーは変わり始めた。希望って…セックス出来るかどうかってことなんだけど。でも、トレーニングも積極的にやり始め、努めて健康的な生活を送ろうとする。夜だってなんとか一人で部屋で眠ろうとし始めた。たった一人で閉じられた空間の夜を過ごすことが出来ない彼は、ここのところ、リビングのソファに寝るようになってたから。
「変わったわね、リッキー」
諦め顔だった母さんが目を細めて食器を洗ってるリッキーを見た。母さんの存在は有り難い。どんなことでも受け入れる強さがあるから、僕のパートナー宣言の後だってリッキーをちゃんと見てくれる。
「洗い物を任されてから、この家の中での立ち位置を掴んだ気がして自信がついたんだって」
「じゃ、今度は料理も一緒にやってもらおうかな」
母さんの方が楽しそうだ。
「母さん。もしさ、ジェフが何か隠し事してたらどうする? 問い詰める? 待つ?」
僕の目を覗きこんだ母さんが なに? と聞いている。
「いいから聞かせてよ。母さんならどうするか」
「そうね……私はきっと待つと思う。隠すって結構大変なことだと思うの。でもそうしなきゃならないほどの事なのよね、きっと。だから待つ。その代り、何を言われても正面から受け止めるわ」
母さんの言葉はそっくり僕の気持ちだった。
「何かあるの? リッキーは…追い詰めちゃだめよ。繊細な子だわ。今あなたからそんなことされたら」
「しないよ。僕も同じ気持ちなんだ、言ってくれるのを待ちたい」
ジェフも言っていた。
『彼にはいろいろ事情がありそうだね』
なぜあんなに自分を捨てる様なセックスに溺れたのか。きっとそれはあの言葉と繋がっているんだ。
『por faver』 ぽるふぁぼーる
またスペイン語なんだろうか。
『お前には隠し事しねぇんだ』
そう言ったリッキーの隠し事。知りたいけれど、知るのは怖くもあった。
「リッキー」
母さんが抱いて、ジェフが抱いて、ビリーも双子もグランパやグランマまでリッキーを抱きしめた。
「また来るわよね?」
あっという間の春休み。いろいろあったけど、もう僕らは大学に帰らなくちゃならない。みんなとハグを交わした後、もう一度母さんに抱きついた。震えてる背中を母さんの手が優しく撫でる。
「来てね、待ってるから。ここはもうあなたの家よ。あの部屋はあなたの部屋にしておくから。だから帰って来て、フェルと一緒に」
リッキーは母さんの肩で何度も何度も頷いた。
「はい、帰ってきます。ここに帰る……」
「もうさ、兄貴でも姉貴でもいいや。さっさとフェルと結婚してさ、ちゃんと家族になろうよ!」
なんて励まし方するんだか。でもそんなビリーの言葉にさえもリッキーは頷いていた。
「大丈夫か?」
大学への道中はえらく車の中が静かだった。
「同じ部屋なんだからさ、もう一人で眠ることも無いし。元気出せよ」
「フェル。俺、こんなに人に大事にしてもらったこと無かった。フェルを好きだってこと知られた時は、みんなの顔見るの怖かった。でも誰も俺を責めたりしなくてさ。あんな風に家族になろうって言ってもらえて。俺なんかを受け入れてくれるなんて……」
少し間が空いて思い切ったように妙なことを言いだした。
「俺、決めた。風呂、ずっと一緒に入る」
「は?」
「お前、俺がいない時にバスルームに行くな。約束しろ」
「なんで!」
「もうお前に死なれたくない」
僕の首から上が一気に火を噴いた。
「あ あれは…もう忘れろよ! バスタブで溺れたりなんかしないよ!」
「いや、お前は溺れる。俺が目を離したら溺れて死ぬんだ」
「イヤなこと、言うな! 何決めてかかってるんだよ!」
「もうあんな思いはしたくねぇんだ……お前さ、俺の腕の中で息してなかった。思い出すと今でも震えが止まらなくなるんだ。
お前を死なせたら……お前の家族、きっと壊れちまう」
ブレーキをかけた。違うだろ? 壊れるのはリッキーだろ?
「リッキー。いい加減僕を信じるってことをしてくれよ。いつまで悪いこと引きずっていくんだ? どうしたい? あの寮を出るか? でも僕のバイトじゃきっとやっていけなくなる。どうすれば安心するんだ?」
返事が無いから僕は外に出てリッキーをドアから引きずり出した。
「僕を見ろよ」
のろのろとリッキーの顔が上がる。
「僕は最初リッキーのこと、なんとも思ってなかった。正直言って引いたし、勘弁してくれって思ってたよ。まさかリッキーが僕の中でパートナーにしたいって思うほど大事な存在になるなんて思ってもいなかった。でも今はリッキーにそばにいてほしい。頼むから安心してくれよ。僕はお互いに腫れ物に触るような生活なんてしたくない。それじゃやっていけない」
「……死なないか?」
「死なない」
「消えないか?」
「消えない。リッキーも僕の前から消えちゃだめだ。僕らはどっちも死なないし、消えない。相手を独りにしない。でも、それは相手を束縛するのとは違う。僕らは自由でいなくちゃならない。僕をただの大事な飾り物にするな。僕は僕だし、リッキーはリッキーなんだから」
「そういうのが…フェルの理想か?」
「ああ、そうだよ。リッキーの理想からかけ離れてる?」
「……それ、夢みたいだ。俺はフェルのものなのに自由なのか?」
「そう。好き勝手やるってことじゃなくって、縛り合わないってこと」
「そういうつき合い、したことねぇ。でも…俺もフェルに信じてもらえるように頑張る。誰彼構わず寝るなんてこともうしない。その代り寂しい時はお前に噛りつく。いやとは言わせねぇ。お前をうんと引きずり回す。いいか?」
「覚悟しとくよ。だからリッキーも覚悟しとけ」
リッキーはあの時の答えに辿り着いたんだと思う。初めにセックス在りき。その考え方が変わっていきそうな気がする。
大学には大学の匂いがあって、僕は決してそれが嫌いじゃない。けどリッキーにあんなこと言っておきながら、僕の背中にはどっしりと不安が乗っかっていた。
ここを出て行った時の経過を考えたら、リッキーを守り通すのは僕の責任だと思っている。僕が言った言葉と矛盾するのはよく分かっているけど、ここでは彼に何が起きても不思議じゃない。もうリッキーを誰にも襲わせない。
母さんは襲われて僕を産んだ。リッキーは男だから子どもは出来ないけれど、心にも体にも傷を負うのに変わりは無い。束縛じゃなくて、守ること。それは僕にも大きな課題かもしれない。
あっけらかんとしていたのは、シェリーだった。荷物を解いていた僕らの部屋にノックがあった。
「私を家に帰しておいて、自分も家に帰ったんだって?」
「あ! そうだった。ごめん。ちょっといろいろあってさ」
「言わなくていいわよ、そのためにロジャーがいるんだから」
リッキーでさえ吹いた。そうだった、ロジャーがいる。全部知れ渡ってるってことだ。
「リッキー、もうロジャーにキスするの許さないからな」
「あら!」
シェリーが僕らの顔を交互に覗く。
「ふ~ん。あんたたち、そういう仲になったの。これは驚き! フェル、あんた頭でも打ったの?」
「そういう仲って……」
「黙って」
もう一度リッキーの顔を覗きこんだ。
「意外ね。あなた、すっごくいい顔になったわ。どうしちゃったの? フェルに洗脳された?」
シェリーには参る。物事をはっきり言うことにかけちゃ、僕なんか太刀打ち出来ない。
「友だちになれそうかな」
手を出したリッキーの手をすぐに握ったから本当にほっとした。
「ええ。前のあなたなら嫌いだったけどね。ね! フェルって凄いって聞いてたけどどうだった?」
「シェリー!! なんてこと言うんだよ!」
「そんなに凄いの!?」
「食いつくなよ、リッキー!」
「ってことは、あんたたち、まだなわけ? あら、勿体ない!」
そう言って出ていった彼女に、つくづくカップルになるような関係じゃなくて良かったと思う。
「凄い……凄いんだ、フェル、凄い………」
なに感動してんだよ!
「寝ないからな!」
「そうだよな…キスであれだったんだから……」
「人の話聞けよ!」
「だめ、俺今夜寝たい。今すぐでもお前と寝たい。なぁ、俺しばらくヤッてない。だから…」
「うるさい、その顔やめろ!」
期待にうるうるしている目。すでに上気している顔。だめだ、猫のように擦り寄ってくるリッキーには僕は弱いんだ。
慌てて飛び出したところにロジャーが走ってきた。まずい、今リッキーが追いかけてきたら……。
「ねぇ! 聞いた?」
出た、お得意の言葉。ロジャーのスピーカーからファンファーレが鳴る。返事しなくっていいから助かる。どうせ勝手に喋ってさっさと行っちゃうんだから。
「テッドさ、学校やめたよ!」
「え?」
「あと、他に3人。そのメンバーってさ、君が叩きのめした連中だよね。やめさせるほど痛めつけたの?」
そこまで言ったロジャーが赤くなりながら僕の後ろに目をやった。振り返るとリッキーが立っている。その顔は真っ青だった。え? さっきは赤かったんだけど……。
「ロジャー、そいつら家に帰ったのか?」
「知らないよ、そこまでは。でもあの後すぐだったみたいだよ。どうなったのか調べてほしい? リッキーのためなら調べるよ」
「いや、止めとけ。首突っ込むな。分かったな?」
振り子のように頷くロジャーを置いて、部屋に入ったリッキーの後を追っかけた。さっきまでの猫はどこかに行ってしまって、険しい顔をしたリッキーがベッドに座っていた。
「どうした? あいつらの心配してたけど学校をやめたっていうのには驚いたよ」
「フェル。しばらく俺のそばを離れねぇでくれ。頼む、そうしてくれ」
あまりに真剣な言い方に違和感を感じる。いつものリッキーとは全然違う。
「なんだよ、どうした? 何かあるのか?」
「何も聞かねぇでくれ、ただそばにいて欲しいんだ」
「連中がやめたことに関係があるのか?」
リッキーは無言だ。
「何聞いても驚かないから」
沈黙の後、やっと開いた青い口から聞こえたのは思いもよらない言葉だった。
「フェル。俺、お前とパートナーにはなれないかもしんねぇ」