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Fel & Rikcy  第2部

2.怖い

「フェルなんか大っ嫌いだ!」

 なんだよ! 人がこんなに真剣に言ってんのに、シェリーのクッキーを食べる手が止まらない。もう一度、言ってやる。

「フェルなんか、大っ嫌いだ!!」
「で?」
「で って、理由聞けよ!」
「理由は?」
「ひどいこと、言うんだ」
「で?」
「俺が……」

 言葉なんか出ない、悲し過ぎる…… 俯いて泣き始めた俺の肩をシェリーが押し上げた。

「なんだよ、シェリー、俺が心配じゃないのか!?」

吹き出すのを我慢してるらしいシェリーに腹が立つ!

「悪いけどね、その角度で泣かないでくんない? もう、堪んない!」

ヒクついてる……

「弟がこんなに泣いてんのに、笑うのか!? 分かった、 弟差し置いて フェルをエコひいきしてんだろ!」

なんでウケてんのか分かんねぇ。

「あんたね、忘れたかもしんないけど、あんたの ”大っ嫌いなフェル” ってのも私の弟なの。勉強や他の事じゃあんなに優秀なのに、なんでフェルが絡むとあんたはバカな子になっちゃうんだろう」

シェリーがロッカーを指差した。
「タオル、取っておいで」

俺はタオルが欲しかったから素直に取りにいった。

 シェリーんとこには俺専用の引き出しがあって、そこにタオルが3枚入ってる。最初1枚だったのが今は3枚。特別に俺にだけなんだ。だからこの引き出しを見ると、なんか優越感に浸っちまう。

「シェリー、これ、何?」
タオルの脇になんか置いてある、俺の引き出しなのに。

「ああ、それね、あんたに編んだのよ。被ってごらん? きっと可愛いわ」
俺はシェリーに帽子を投げつけた。
「俺は禿げじゃない!!」


 ひとしきり笑い終えたらしいシェリーが俺をじっくり見た。

「真面目な話、なんでスキンヘッドになんかしちゃったの? あんた、似合うから私は構わないと思うけど、フェルはだいぶショックだったみたいよ。あんたの髪、大好きだったから」

「それは……」


  ――だめだ、
  ――言っちゃいけない、
  ――言えない、
  ――口に出来ない、
  ―― ……………

 

「悶々としてるなら言いなさい! あんたがそういう顔してる時はたいがい碌でもないこと考えてんだから」

俺って分かり易いんだろうか……違う、シェリーが特別なんだ。

「言いなさい」
「俺……」
「俺? 続きは?」

「……癌……なんだ……」


「何、それ! 何ってった?  私、何も聞いてないわよ!? フェルは? フェルは知ってるの?」

俺は頷いた。シェリーが黙ってしまった。

「いいんだ、それは。どうせ俺の人生なんてこんなもんだよ。この数ヶ月いろいろあったけど幸せだった。こんなに幸せだったこと、生まれて初めてだった。だからきっと幸せになり過ぎた分、反動が来たんだよ。それはいいんだ」

シェリーが俺の膝に手を置いた。小さくて可愛らしい手。

「確かなの? 何かの間違いじゃないの?」
「フェルと医者が話してた。この前ちょっと入院したろ?  あん時話してたのを聞いちまったんだ」

 

 フェルと結婚して1ヶ月。ある日突然俺は血を吐いた。大騒ぎになって、救急車で運ばれた俺。フェルはうろたえて真っ青な顔だった。

「胃潰瘍だって……」
フェルが愕然とした顔でベッドの上の俺に言った。
「あんた、ストレス溜め過ぎたのよ。何をそんなに一人で頑張ってるのよ」


 俺はいい奥さんになりたかったんだ。メリッサっていう結婚してる子に教えてもらった、いい奥さんってどういうのか。

「まず、相手をいつもリラックスさせてあげられること。笑顔でいること。料理が上手なこと」

 頑張らなきゃって思った、フェルに相応しい人間になるために。料理、勉強した。ずっと笑った。リラックスを……

 俺が幸せならフェルも幸せなんだって言われた。だから俺は幸せになろうと思った。それにはフェルの笑顔がどうしても必要だった……

 癌だって聞いてシェリーはすぐに携帯をかけた。

「私。すぐ来なさい。……四の五の言わない! 待たない。来なさい!」

そのまま腕組みして黙ってしまった。しばらくしてノックの音がした。


「シェリー、僕は今忙しいん……」

俺の顔を見て固まった。

「リッキー! またシェリーんとこに駆け込んだのか!?  誤解だって言っただろう! そんなこと本気にす」
「黙んなさい、そんなことって何? いったいどういうことなの?」
「シェリー、誤解なんだ、リッキーの早とちりなんだ」

「フェル! いい加減誤魔化すのやめろよ! 俺は何もかも知ってんだ! なのにフェルは髪切ったことの文句しか言わないし、なんて言った? スケベは禿げるからな そう言ったよな!!」

「落ち着いて話してごらん。ちゃんと聞いてあげるから」

 シェリーがそう言ってくれたから、ポツリポツリと俺は喋った。 時々タオル使ったけど。

 入院して三日目の夕方、俺は目が覚めて廊下に出ようとした。少しなら歩いていいって言われてたし。


『それは……』
『力不足で済まない。でもどうしようもないんだ』
『間違いないんですね? ……癌って……リッキーには耐えられないかもしれない……』
『彼はひどく繊細だからね……』
『……リッキーの手術は……』
『もう必要無いよ……』

 


 所々聞こえなかったけど、それだけ聞けば充分だった。頭が真っ白になる。耳鳴りがする。心臓が駆け出し、息が詰まる……

 何も考えらんないまんま部屋に戻ると同じ部屋のティムがチラッとこっちを見て雑誌を放り出した。

「どうした、リッキー! 真っ青だよ、ナースコール押そうか?」

気のいいティムは立ち上がって点滴のぶら下がったスタンドを押しながらそばに来てくれた。さっきのフェルの驚いた声がまだ反響してる。


 ……癌……癌……癌……癌……

 

「俺、癌だ……」
「まさか!」

彼が絶句した。ぺたん とベッドに座り込んだ俺……

「間違いないのか?」
そばに座ったティムが肩を抱いてそっと聞いてくれた。
「フェルが……医者と話してた、俺には耐えらんないだろうって……」


 深いため息をついたティムのぎゅっと肩を抱く手に力が入った。

「実は俺もな、癌なんだ。今はまだ化学療法だけど来週から放射線療法だ。若いうちはさ、進行が早いって言うから俺は多分もうだめなんだと思う。リッキーはきっと発見が早かったんだと思うよ、検査の種類も少ないし。大丈夫だよ、きっと。俺なんか発見が遅かったから家族は告知を拒んだらしい。けど化学療法がすぐ始まったからやっと言ってくれたんだ」


 ティムが癌だと知って俺はショックだった。仲良くなって3日。やっぱり寝食を共にするとそこには特別な関係が生まれる。あ、SEX的な意味じゃない。互いに入院している身。そんなこと、チラとも頭に浮かばない。

「癌だって分かって……何を考えた?」
「そうだね……まず恋人と別れたよ。辛い思いをさせたくなかった……」

  ――フェルと、別れる

  吐きたい 吐きたい 体が凍る 心が凍る 俺が

「今は家族のことを考えてる。来週から放射線療法が始まるだろ? だから……髪を剃るつもりなんだ」

ティムは滅多に無い見事なブロンドの巻き毛だ。

「なんで!?」
「治療の過程でさ、髪が抜けていってまばらになるんだってさ。自慢の髪がそうなるの……俺には耐えられない、家族にも見せたくない…… 鏡見るのが今から怖いんだ。なら一層の事全部剃り落とした方がいい。覚悟もつくだろ?」


 あの悲しい顔は忘れらんない。俺だって…… その後鏡を見た。想像もつかない、まばらに残る髪……ティムの言う通りだと思った。次に考えたこと。フェルにそんな俺を絶対に見せたくない!!


 退院は早かった。

「俺、リッキーと同室になって良かったよ。誰にもあんなこと、話せなかった……ありがとう、聞いてくれて。大事にしろよ、俺も最初の退院は……早かったから。手術、もう出来ないんだって? ……残念だよ……」

だから退院してすぐに髪を剃りに行ったんだ……

 

 じっと聞いてたシェリー。ショックを受けた顔をしてるフェル。そうだよな、まさか俺がそこまで覚悟してるなんて分からなかっただろうし。そうだ、だからあんなこと言ったんだ。きっと冗談だったんだ、俺の考え過ぎだった、だって『禿』だなんて、そんなこと本気で言うフェルじゃない。


「フェル、ごめん。俺、フェルの冗談本気にしちまった。きっと俺のこと、笑わせようって思ってくれたんだよな……残り少ないから」

「リッキー……そんなこと考えて髪を切ったなんて知らなかった。なのにあんなこと言うなんて……」

抱きしめてくれたフェルの肩が震えてる。

「大丈夫だ、俺、覚悟出来てるから。残り、フェルに負担かけないように頑張るよ」

頑張る、泣かないように。最期はフェルに笑顔だけ見せるんだ。

「リッキー、本当に違うんだ。あの話はお前のことじゃないんだ」

フェルがゆっくり話し出した。

「あの時、一緒の部屋にいたティムが癌だって聞いたから、それを知ったらリッキーがショックを受けるだろうって思ったんだよ。それが心配で話してたんだ。仲良くなってたからね。だから他の部屋に替えてもらえないか相談したんだけど、空いてなくて無理だって言われた。力不足ってそういう意味だったんだよ。きっとリッキーはそこを聞いたんだ。分かるか?」

「いいんだ、フェル。告知って辛いと思う。けど俺、受け止めるから。ティムにいろいろ聞いた。俺の今の症状とおんなじだった。胃が痛くって、だるくって、吐き気して、血を吐いた…… だから俺、分かってる。あんまり幸せだったからさ、調子に乗っちまったんだ、多分。それで済むわけ無かったのにな」


 言葉にしたら、少し落ち着いた。フェルにはシェリーもいる、母さんもビリーもジェフもグランパもグランマも。だからきっと大丈夫だ。

「俺の手術、もう出来ないんだろ? そこまで悪くなってんだよな」
「違う!! リッキーには手術の必要は」
「ああ。無いって言うんだろ?」

「フェル……私、言ったわよね。リッキーには助走が必要なんだって。こういうことだったの」

何がこういうことなんだろう? フェルが唇を噛んでる。俺の手を握る。シェリーが真剣な顔で俺を見た。

「リッキー。よく聞いてね。あのね、あんたは幸せになっていいのよ。あんまり幸せだから怖くなっちゃったのね? だからティムの話を納得して受け入れてしまった…… 」

途中でシェリーの言葉が何度もつっかえた。

「私はフェルの話、ホントだと思う。でも愛してるからこそ信じられないこともあるんだよね。自分を辛い目に遭わせたくないから嘘を言ってるんじゃないかって。今までのことなんか関係ない、今のあんたはもっと幸せを欲張っていいの」


 よく、分かんねぇ。だって欲張る必要なんか無いじゃないか、俺はもう充分幸せだ。これ以上を望むなんてバチ当たりってもんだろ? シェリーも……俺を誤魔化そうとしてる?

「シェリーまで俺を……」
「リッキー、私が甘っちょろいこと言わないの、知ってるよね? あんたが終わりなら終わりって言ったげる。必ず言ってあげるから。だから信じなさい」

  ……無理だ……無理だよ、シェリー……

「俺、知ってる。幸せなんて長くは続かねぇんだ。まして俺はこんなに幸せ過ぎる。有り得ねぇんだ、忘れてたんだ、有り得ねぇってこと……足元掬われるに決まってんのに」

 言い終わらないうちにフェルが強く抱きしめてくれた。


  ――俺はいつまでこの背中を抱き返せるのかな


 シェリーまで抱きついてきた。

「どうやったらあんたを幸せに出来るんだろう……私たち、あんたに何もしてあげらんないのかなぁ」

シェリーの肩もフェルの肩もずっと震えてる……

「ごめん、ホントに俺、大丈夫だからさ。たいしたこと無ぇんだ、こんなこと。シェリー、俺は幸せだよ。今まで俺のために泣いてくれたのなんて、フェル以外にいなかった。それが2人も泣いてくれるんだ。充分だよ」

 

 


「リッキー、僕の話、信じられないか?」

 ベッドの上でフェルが聞く。今日も熱っぽくて胃が痛い……ティムも痛いって言ってた。フェルが髪の消えた俺の頭にキスをくれた。やっぱり、俺、幸せだ。

 フェルとこうなる前のことが遠い昔のように感じる。なんであんなに手当たり次第に誰彼構わずセックス出来たんだろう? 今の俺には理解出来ない。あの頃の俺って、死んでたんだと思う。今は違う。死ぬのは近いけど、生きてる実感がちゃんとある。

 フェルがそばを離れなくなった。無理な時はシェリー。チキン……いや、今はチキンじゃないんだ、エディ、タイラー、ロジャー、ロイ…… みんなが俺に繰り返し言う、

『リッキーは死なない』

 俺のスキンヘッドを笑うやつらはフェルに一掃された。暴力と縁を切ったはずのフェルにまた俺のせいで…… 俺はシェリーの編んでくれた帽子を被った。

 

 


「ティムを見舞いに行きたい」

そう言ったらフェルが一瞬息を呑んで、ダメだと言った。俺には分かった。ティムは死んだんだ。

 

 

 

「リッキー、病院に行くぞ」

 俺は覚悟した。とうとう2回目の入院なんだ…… 荷物を用意しようとしたら必要無いって言われた。そうか、後から持ってきてくれるつもりなんだ。

 あれから俺はまた具合悪くなって、気持ち悪くなったり吐き気がしたり。フェルもシェリーも俺に無理させないようにって、すごく気を遣ってくれた。

 繰り返し二人が言う言葉。

『癌なんかじゃない』

「もっと早く連れて来たかったんだけど、ジャクソン先生が田舎に帰ってたからな。どうせならあの先生に話を聞いて欲しいんだ」

ジャクソン先生ってのは、あん時にフェルと話してた人だ。

「俺……も一回フェルに抱かれたかった……」

具合悪くなってからずっとセックス出来なかった。体に負担かかるからダメだって。

「許可出るさ、お前はすぐに治るんだから。そしたらいっぱいしよう! お前がもうイヤだって言っても僕はヤるからな」

優しいフェル……

 

「リッキー。そう呼んでもいいかな?」

俺は頷いた。ジャクソン先生は白髪が混じってグレイの髪をしてる。落ち着いた感じで白衣もキチっと一番上までボタンを留めてる。

「君は、自分が癌だと思い込んでいるそうだね」
「先生とフェルの喋ってるのを聞きました。俺、もう覚悟出来てます」

先生の目は俺を真っ直ぐ見ていた。

「リッキー、誤解を生むようなことをしてしまって申し訳なかった。フェルとは君と同室だったティムのことを話していたんだ」

すごく落ち着いた声。とても誠実で。

「胃潰瘍と言うのは、胃癌と症状がよく似ている。君の胃潰瘍はストレス性のものだ。結婚して1ヶ月だと言ったね? 多分それが原因だ。きっと君には今の状態が重荷だったんだね。だからあっという間に胃潰瘍に進行したんだよ。でも手術が必要なほどじゃない。食事療法と服薬で充分対処できる。1月も経たないうちに治るんだよ」


 なんか…よく分かんねぇ…… 『治る』って言った? 癌じゃないって?
「そんな訳、無いです」

盗聴器とおんなじだ、あれも無いなんて信じられなかった。騙されんのはいやだ。

「じゃ、カルテを見るかい? 全部説明してあげるよ。普通はそんなことまでしない。だが、今の君には必要に見える。どうするかい? 聞くかい?」
「先生、お願いです。聞かせてやってください。そうしないとリッキーは具合悪くなるたびに疑ってしまう……」
「分かった。胃のレントゲンを見ながら説明してあげよう。カルテを持っているといい」


 先生は丁寧に説明してくれた。何度も、

『この状態は癌とはいえないんだよ』」

そう言ってくれた。

『安心するなら、過激じゃなければセックスをしてもいい』
それも言ってくれた。
 俺は何に安心したんだろう。先生が俺なんかにちゃんと話してくれた。治るんだって証明してくれた。フェルととまた抱き合える。

「フェル、俺……」
「いいんだ、リッキー。僕が一番悪かったんだ。ティムの事、すぐにお前に言えば良かった」

「まばらな髪になるんだって聞いて……フェル、俺の髪が好きだからそんなの見せたくなかったんだ」
「いいさ、髪はすぐに伸びるよ。伸ばしてくれるだろう?」

俺はすぐに頷いた。

「今の生活お前辛いのか? 病気になるほどの苦痛ってもしかして僕に原因あるか? なんでもいいんだ、言ってくれよ」
「フェル……ごめん……俺、フェルをリラックスさせてあげてない」

キッ! と車が止まった。

「何だって? 今、なんて言った?」
「だから……」

 俺はメリッサに聞いたことを言った。いい配偶者になるための条件。だんだん目がキツくなっていくフェルに、俺の声は小さくなっていく。怒って……る?

「リッキー、はっきりさせておこう」

  ――怖い……

「僕はお前にそんなこと望んじゃいない。いつも笑顔だって? 料理だって? そんなことのために結婚したわけじゃないんだ。僕一人がリラックスして何の意味があるって言うんだ?」

フェルの怒った声が止まったのが怖かった……

「なぁ……結婚したのはお前をこんな風に追い詰めるためじゃない。二人で一緒に並んで歩こうって言ったのを忘れたのか? 僕は尽くされるためにだけ結婚したんじゃないぞ」

 怒ってなかった。フェルの声はすごく優しかった。

「幸せになろうよ、二人でさ。お前が僕を幸せにしようと思ってるのと同じくらい僕もお前を幸せにしたいんだよ。僕にはお前だけなんだ。お前がいさえすれば、それで幸せなんだよ。なんにも無理すること無いんだ。料理は一緒に作ろう。お前と一緒に笑ったり泣いたりしたい」

「俺、フェルの好きな髪、切っちまった……」

「それ、僕を悲しませたくなかったからって言ってくれたじゃないか。僕は幸せだよ、そんな愛、僕はもらったことない。忘れないでほしい、お前は僕の大事な人なんだってこと。お前の代わりなんて誰もいないんだ。お前以外に誰も欲しくない、お前がいいんだ」

「俺……お前とシェリーに聞いてほしいことがある。もしそれが話せたら俺、少し変われるかもしれない」

 

 病院から帰って、すぐにシェリーのところに行った。『癌じゃなかった』そう言ったら、ホントにバカなんだから って抱いてくれた。入れてくれたホットミルクを飲みながら二人に話し始めた、母さんのこと。

「俺、母さんを助けられなかったんだ、目の前にいたのに。母さん、辛い毎日だったのに、死ぬしか無かった…… それを見てただけの俺、幸せになるなんて……そんなの許されないって思った。幸せになればなるほどそう思ったんだ。それに俺は汚いし、フェルのそばにいてどんな役に立つだろうって……」

 言った途端にぶん殴られた。椅子ごと倒れた俺。拳が震えているフェル……

「フェル!!」

「シェリー、こいつの目を覚ましてやりたいんだ!」

こんなに怒ったフェルを見たことなかった。アルとの時でさえこんなじゃなかった。

「お前が汚いって? そう思うなら僕はお前を愛しいとも思わなかっただろうし、結婚したいとも思わなかったはずだ! 分かんないのか、こんなにお前が必要なのに…… お前は僕にとっちゃ誰よりも清らかなヤツにしか見えない…… だからそばにいたいし、いて欲しいんだ。僕たちの関係は役に立つとか立たないとか、そんなもんか? な、そんなもんなのか?」

 いつの間にか俺はぽたぽた涙落としてた。シェリーが抱き起してくれた……

「お母さんのこと……辛かったね。ホントに辛かったね。私にはあんたの気持ち、分かるなんて言えない。でもね、お母さんはきっとリッキーに幸せになってほしいだろうって思うの。ジーナも幸せになるならって私を手放したんだ。今は後悔してるって言ってくれた。母親ってそういうもんなんだと思う。きっと、母さん! ってリッキーが叫んだこと、嬉しかったはずよ」
「幸せになろうな、リッキー」

フェルの声が優しかった。

「お前の母さん、それで充分だって言ってくれるよ。お前まで不幸になったらきっとお前の母さんも救われない。だから幸せになるんだ。怖がるな、リッキー」


  ――俺は


「俺……もっと幸せになりたい……フェル、幸せになりたいよ……」


 フェルの殴った頬が痛い。でもきっとフェルの手も痛いんだ。

  ――母さん。

 

 あの瞬間だけ俺たち、親子だったね。大事にしていくよ、あの一瞬のこと。俺、フェルと幸せになれると思う。この俺をこんなに大切にしてくれる人なんだ。

 母さんの分まで幸せになるよ。こんな息子を持って良かったって思ってもらえるようになる。

  幸せになりたい。

  愛してるよ、母さん。

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