Fel & Rikcy  第3部[9日間のニトロ] B

  1日目


「フェル、一言も喋らなかったわね……」
「母さん、仕方ないって。俺だって恋人が殺されたら普通にしてらんないよ」
「あら、恋人が出来たの?」
「いたらってことだよ!」

 くすっと母さんが笑ったからホッとした。これなら俺がついてきた意味がある。ま、俺が来た目的は別だけど。


 今のフェルを一人にするのはヤバいと思う。そういうのを抑えてくれる筈のリッキーがやられたんだ、ただじゃ済まないことくらい分かる。まさか、昔みたいなことはもう起きないだろう。そう思って来たのに。

 

 フェルからかかってきた電話を取ったのは俺だった。

『ビリーか。リッキーが重傷を負った。母さんに伝えといてくれ』
電話を切られそうになったから慌てて喋った。
「生きてんだよな!?」
『ビリー。死んだら呑気に電話なんかすると思うか?』

 そのまま切れたから、マズい! と思った。声に感情なんか無かったから。あんな言い方をするってことは

事故とかじゃない。誰か相手がいるんだ。

 うろたえてる母さんにフェルんとこに行くって言ったら一緒に行くって言うから少し考えた。その方がいいかもしんない。母さんが身近にいたら歯止めになるかもって。

 リッキーの姿を見た時には俺も思考が止まった。母さんも泣いてリッキーに触ろうとしたけど、フェルは近寄ることも許さなかった、普通の顔で。

 あの時みたいに普通の顔。けど、あの時よりヤバい顔。何を話しかけてもリッキーの手を握ったまんま動かない。何も聞こえてないような。

 母さんを連れて出た。母さんは初めて見るフェルにショックを受けた顔をしてた。抱きしめることしか俺には出来ない。母さんが辛い時に抱きしめるのはいつもならフェルなのに。

 仕方ないんだ、きっとフェルは今忙しい。俺以外知らないフェルの顔。多分、リッキーも知らないと思う。

 


 スーの時のフェルは、怒っちゃいなかった。

「起きてしまったことをあれこれ言うのも思うのも時間の無駄だ」

それだけ俺に言った。普通の顔だった。あん時に 怖い って思ったんだ。片を付けるのにフェルは手段を選ばないから。

『花が返ってきてスーが死んだことを知った』って聞いた時に分かった。あん時ナイフに飛び込んだのは、アルを殺人者にするのが目的だったって。

  ――手段を選ばない

フェルの言う手段にはそういうのも入ってるんだ。

 

 


  2日目

 


「母さん、俺、病院に行ってくるよ。リッキー、目を覚ましてるかもしんないし」

「私も行くわ。フェルにも何か食べさせなくちゃ」

支度をする母さんが途中で手を止めて顔に手を当てた。俺はまた抱きしめた。

「大丈夫だよ。きっとリッキー、良くなるし、そしたらフェルも元に戻るよ」

 戻らないのは分かっている。フェルは終わったことじゃない、自分が次にすることを考えてる。その時を逃したくない。母さんを手伝って、母さんの肩を抱いてホテルを出た。

 


 リッキーは目を覚ましていて、フェルは喋った。笑った。食べた。母さんがホッとするリッキーで、フェルだった。二人から目が離れた時のフェルの目は凍っていた。そこには何も無かった。

 

  ——ニトロに導火線は要らない

俺はフェルから離れないことにした。こうなったフェルは誰にも止めらんない。

「本当に良かったわ! 聞いた時にはもうどうしていいか分からなかった…ここに着いた時はまだあなた意識が戻ってなかったから」

「ジーナ母さん、ビリー、驚かしてごめん。俺、もう大丈夫だから。全部フェルがやってくれるんだ、だから」

「リッキー、母さんにいてもらおう。まだ熱は下がらないだろうし、こうやって起きてるのもしんどいだろう? 僕じゃ手が行き届かなかったりね。それにそばを離れなきゃならないこともあるから。警察の現場検証にも立ち会わなきゃならないんだよ」

「そうか……ごめんな、厄介ごと起こしちまって」

「お前が悪いわけじゃないさ。そんなことよりのんびりしてろよ、奥さま」

途端にリッキーの顔が真っ赤になったし、俺も母さんも居心地悪くなった。

「や やめろよ、母さん、あの、フェルは俺をからかう時ああいう風に言うんで…言うんだ」

母さんが吹き出した。

「いいの、リッキー。今は無理しちゃいけない。あなたが楽な喋り方でいいから…… 良かった…こんなことで笑えるくらいに回復して…」

 母さんにコーヒー買ってくるってフェルが外に出たから俺は後ろについていった。

「何しに来た?」

自販のボタンを押しながら冷静な声。

「知ってるくせに」
「何もしない。帰れ」
「何もしないなら慌てて帰る必要も無いよ」

アイスコーヒーが手に押し付けられた。

「じゃリッキーのそばでのんびりしていけ。あいつも喜ぶ」
「俺がどうしようが俺の自由だと思うけどね」

「言っておく、ビリー。邪魔はするな」


病室でのリッキーを見る目はすっごく優しかった。

 

 

  3日目


「シェリー、時間ある時、話出来る?」

 俺は正直言ってシェリーが苦手だ。なんでか分かんないけど、いつだって俺ん家のこと…特にフェルのことに首を突っ込んで来る。従妹だからって、フェルの結婚式の時もまるで俺たちの家族みたいにべったりで。

 でも、フェルは昔っからシェリーのことを大事にしてるし、なんてったってシェリーはやり手だ。だから話しておこうと思って電話した。シェリーの言うことなら聞くかも…いや、聞かないだろうけど俺一人じゃどうにもならない。

『いつでもいいわよ。珍しいじゃない? あんたが私に電話してくるなんて』

「フェルの話なんだ」

『分かった、すぐに会いましょ』

シェリーは話が早いからそういうところは助かる。

「じゃ、あの時飛び込んだのはそういう理由だったのね!? それなら納得いくわ、いろんなことが繋がる、あの後荒れ狂ったのも」

やっぱりシェリーは飲み込みが早かった。無駄な喋りが無いから楽だ。

「誰も知らないことなのね? じゃあんたと私が動くしかないわ。大学は大丈夫なの? 休みだからってのんびりしてらんないでしょ?」

「何とでもなるよ、半端な勉強しないから」

シェリーが吹き出した。

「なに?」

「兄弟だなってね。あ、言っとくけど私、あんたの姉さんだからね。もう隠す必要無くなったから言っとく。フェルの双子の姉さん。ほら、コーヒー溢れるわよ」

俺は固まった。

「姉さん? うっそ!」

「バカね、嘘言ってどうすんのよ。フェルもリッキーも知ってるわ。アルもね。言わないと面倒くさいからあんたにも言ったの。これで話が早くなるね」

俺の首は振り子になった。後で頭ん中整理しなきゃならない。今はキャパオーバーだ。

「シェリーはどこまで知ってんの? 俺の知らないこと、あんだろ?」

「あんた、芝居が下手だからなぁ」

「知らないまんまの方がいいこと?」

「うーん…人に知られると一番困るのはリッキーだからね」

「俺が知らなくて今度のこと、乗り切れんの?」

「いやな聞き方するわね。確かにあんたも知ってた方がいいんだけど」

「なら話してよ。俺にとっちゃリッキーも兄貴だよ。そう思ってるんだ」

「ジーナにもジェフにも知られるわけにはいかないの。アルなんて、もっての外。出来れば、リッキーにもあんたが知ってるってこと知られたくない。どう?」

わ!! 確かに俺には超厳しいかもしんない。でも……

「俺、フェルとスーのこと、ずっとみんなに黙ってきたよ。フェルは大事な兄貴だからさ」

兄弟って不思議だ。姉さん。そう聞いた途端に特別な存在になる。これって俺が安直だってことなのか?

「俺、ずっと小さい頃から苛められてさ。人に言えないような目にもずいぶん遭ってきた」

 シェリーは何も言わなかったけど俺をじっと見ててくれた。確かにこんなところはフェルに似ている。俺はなんとなく昔のことを喋り出していた。

 あの頃を思い出すと、ただ苦い味が口に蘇る。泥水の味だ。フェルが6年で俺が5年の時は何もかもが上手く行っていた。たまに図書館に放り込まれたけど、フェルはすごくいい兄貴だったから。

 

 俺が苛められるようになったのはフェルが小学校を卒業してからだった。

『フェルはもう助けてくんないぜ!!』

二言目にはそれだった。

『アバズレの息子!』
『お前の父さん、誰だよ』
『聞くなよ、どうせ分かんないんだから』

 

 子どもって残酷だ。『アバズレ』の意味も分からないくせに平気で口にする、ただ相手を傷つけるためだけに。俺はケンカも弱くっていつも昼飯は取られ、ギリギリ持ってる小銭も取られ、そしてほんの欠片しか無いプライドを年がら年中むしり取られた。トイレに突っ込まれるなんてのは序の口みたいなもんだった。ロッカーの中が生ゴミだらけの時も結構あった。

 俺は連中が憎かった。知らない父さんが憎かった。『アバズレ』と呼ばれる母さんが憎かった。もう守ってくれないフェルが憎かった。

 そうやって一年、[フェルがいないとダメな弟]っていう烙印を押されて俺はフェルのいる学校に進んだんだ。

 

 そしてあの日。進学して間もなくだ。あの頃の俺にとっちゃ間の悪かった日。今思えば、感謝しているあの日。

 進学して、同じクラスになった、相変わらず俺を鬱憤晴らしの的にする連中。外は雨だった。学校を出た途端傘を取られ、頭から地面に叩きつけられ泥水が顔を覆う。自分の顔が濡れてるのが雨なのか泥水なのか涙なのか分からない。笑う顔が、どれもこれもおんなじ顔に見えた。連中の言ってることも言葉になって耳に届いてなかった。どうせおんなじことを言ってるんだ、いつもと変わらず。ただ下を向いて連中が消えるのを待った。頭を下げていれば飽きてくれる。

  バシャン!!

 すぐそばで大きな水しぶきが上がった。俺の顔にもビチャッとかかる。ま、今さらな感じだったけど。どうせ濡れてるんだから。でも、そこに転がってたのは俺を突き飛ばしたヤツだった。

『立て、ビリー』

 知ってる声。というか、一番聞きたくない声だった。その頃フェルは学校じゃ伝説の人だった。一番ケンカしたくない相手だって。俺はその伝説に巻き込まれたくなくてそっと生きていたんだ。だって『アバズレ』の息子同士でくっついてるのもイヤだったし、守ってもらうなんてもっとイヤだったから。

『立てよ、ビリー。なんか甘ったれてるのか?』

見上げた俺と、見下ろしてくるフェル。

『どうせあんたとは生きてる世界が違うよ』

『どういう意味だ?』

『強くてさ、何も怖いもん無くてさ、俺がちっぽけに見えんだろ』

『自分でちっぽけって言うんならそうなんだろうな』

 別に嫌な言い方じゃなくて昔のよく知ってる声だった。俺は滅多に家でも喋らなくなっていたし、そんな俺をフェルは黙って見ていたし、家の中でも爪弾きになったような気分だったのに。

『一生ちっぽけで過ごすか? 兄貴に守ってもらって生きてくのか?』

その時には周りの連中は消えていた。なんたって[伝説のフェル登場]だからな。

『アバズレの息子二人、仲良く帰ろうって?』

 今思えばよくそんなことが言えたもんだ、それもフェルに向かって。

 フェルは表情一つ変えずに俺を引きずり上げた。俺が歩いてるかどうかも確かめずに通りの向こうまで引きずって、道路に俺をいきなり放り投げた。

『見ろ』

 フェルの顎がその先のゴミ集積所を差した。そこにいたのは母さんだった。屋根も無い大きな集積所を掃除してる母さん。雨が顎から水道の蛇口を捻ったみたいに垂れている。

 そう言えば悪口の中に『お前んちもお前もゴミだ! 消えてなくなれ!』
ってのがあったのを思い出した。

 とっさに顔を背けた、みっともないってのが本音だったから。あんな仕事してるからバカにされるんだ。
 

 俺は今度は腕を掴まれて引きずられた。

『母さん! 手伝うよ、ビリーと一緒に』

勘弁して欲しかった。冗談じゃない、誰かに見られたらどうすんだよ!

『あら、学校終わったの?』
『それ、持つよ』
『ありがとう、助かる』


 二人は……自然だった。母さんはいつも通りきれいな笑顔で、フェルは陽気で優しくて。フェルは俺に何も言わなかった。手伝えとも、そこにいろとも。何も言われないのに動けなかった。雨の中、ゴミ置き場を掃除してる母さん。ゲロの跡をしゃがんで磨いてる。

『雨で助かっちゃうわ、流さなくて済むんだもの』

 それを聞いてなんだか泣きたくなって…… それを普通に手伝うフェル。一緒にゲロを磨き始めて…… 嫌いな家族。嫌いな連中。嫌いな世界。嫌いな……俺。

『来いよ』

 目を上げると普通の顔のフェルがにこっと笑った。俺はその声に飛びついたんだ、独りがもうイヤだった。

 

『歯を食いしばれ』

 食いしばって目をぎゅっとつむって容赦のないフェルの一発を食らった。口は切れて頭までガンガンするような一発だった。濡れた地面に引っ繰り返った後、雨の上がった暗い空を見上げていた。説教は無かった。怒りもしない、母さんを悪く言ったこと。


 引っ繰り返ってる俺のそばにフェルが座り込んだ。

『お前、いいよな。ちゃんと親父いたんだからさ』

その頃になってやっと殴られたところが痛み始めた。とんでもない痛み……

『僕にはいないよ、名前も分からない。お前にはちゃんとバーニー・デイルっていう父親がいたんだ。お前の父さんが母さんと一緒になったから僕はフェリックス・デイルになれた。僕にはさ、フェリックスっていう名前しか無かったんだぞ。母さんの名前のフェリックス・ロビンズだけだった』

 乾いた泥が気持ち悪い。でもそこに流れる涙も鼻水は、もっと気持ちが悪かった。

『母さんは被害者だよ、ビリー。お前にも本当は分かってるだろ? お前はあんな笑顔の母さんにアバズレなんて言えるのか?  もし言えるっていうんなら』

俺を見下ろした顔は普通の顔だった。

『殺すぞ』

 


「あれからさ、俺、フェルにケンカの仕方を習ったんだ。きれいにケンカしようと思うな、しょせんケンカなんだって。本当は人生に必要なもんじゃない、けどそれはいつか自分を助けてくれるって。あん時にフェルにいろんなこと教えられなかったら俺、本当のロクデナシになってたと思うよ」

シェリーがアイスレモネードのお代わりをしてくれた。冷たくて美味い。これが好きなのを覚えててくれたんだ。

「フェルが、『ドアが開いて僕だったら殴りかかって来い。たまには僕を倒してみろ』って言ってさ、それからドアが開くと殴りかかるのが恒例行事になったよ。でもやっぱりフェルにはまだ一度も勝ててない」

 一度くらい本当に殴り倒してみたいけど。フェルの期待にはまだ応えられない。

 

「ちゃんと家族を見るようになって、母さんがどんなに大変でも笑っているのが嬉しくって、それが自慢になったんだ。あのアルでさえ母さんの前じゃ優等生だった。母さんがジェフと結婚してからもフェルはブロンクスにしょっちゅう行ってた、スーがいたからね。あぁ、その辺、シェリーも知ってんだっけ」

シェリーが頷いた。

「アルとのケンカん時はシェリー、遅れて来たろ? 凄かった、あれ。最後までフェル、何も言わなかった。ナイフが刺さった後も。腹に刺さってるナイフ見て舌打ちしたんだ、血がダラダラ流れてんのに。みんなはアルを抑えつけてたから知らないけど、シェリーが救急車呼んだら『余計なこと…』、そう呟いたのが聞こえた。長いこと分からなかった、なんでフェルがあんな真似したんだか」

「アルに殺されることが目的だったなんて……」

「フェルが退院してからさ、ブロンクスで売人の車が3台爆発したの覚えてる?」

「覚えてるわ」

「あれ、やったのフェルだよ。スーにヤク売った連中の車。俺、跡をつけたから知ってるんだ。フェルが立ち去った後に爆発してさ、俺、途中で死に物狂いで止めた。売人に見つかったら殺されちまうって。そん時も表情無かったよ、『それで?』って。今はあん時より冷たい目をしてる」


 しばらく黙ってたシェリーが顔を上げた。

「私、やっぱりあんたに話すわ、あの二人のこと。このままじゃどうにもならない。別々に動いたって何の解決にもならない。せめてあんたと私だけでも力合わせなくっちゃ。ただ、この話には二人の命がかかってる。それだけは忘れないで」

 

 そこから聞いた話は俺の想像してたよりはるかに酷い話だった……


「じゃさ! リッキーは死んだことになっていて、それでもまだ実の父親に命狙われてたってこと!? 何年もそんなに辛い生活させられて……」

「ある程度はフェルは話してくれたの。だからそれ以上のことがあるんでしょうね。リッキーは必死だったわ、フェルとのこと。幸せになっていいってことさえ分からなかったの」

あんなにきれいに笑うのに。俺が弟にそっくりだって言ってくれた……

「シェリーはさ、今度の事件のこと、その国が関係してるって思ってるの?」

「私じゃない、フェルがそう思ってるのよ。そして、きっとそれは当たってるんだわ。だからあんなに殺気立ってる」

「具体的にどうする? 俺、とにかくフェルから離れないよ」

「私は情報を集める。エディたちの収穫と、私が調べることをまとめる。出来ることを片っ端からやるわ。連絡、取り合いましょ。いろんな角度から考えないと」


 シェリーと話して良かった。俺一人じゃ何も出来なかっただろう。フェルの役に立ちたい。そしてリッキーを守りたい。

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