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Fel & Rikcy  第3部[9日間のニトロ] 15- R

  6日目

「フェル、またバイトだなんて。本当はそばにいてほしいでしょう?」
「うん。でも母さん、仕方ねぇんだ。フェルは仕事ほったらかすようなヤツじゃねぇから」

 この頃はすんなり 『母さん』 って言えるようになったし、普通に喋れる。入院のせいかもしんねぇけど、母さんが優しいからだ、きっと。俺の母さんが生きてたらきっとこんな風に俺に優しくしてくれるんだ。

「そう、仕方ないわねぇ。お金なら気にしなくていいのに」
「でもフェルはそういうの嫌いだから」
「全く、なんであんなに頑固なのかしらね。ごめんね、何か困ったら言いなさいね、なんでも相談して」

 

 そこにノックがあって、シェリーが入ってきた。
「あら!  ジーナ、来てたの? なんだ、焦って来るんじゃなかった」
そう言うけど笑ってる。
「ロイから花を預かって来たわ。フェルに殺されない程度の愛を込めてだって。笑っちゃうわね、どういう顔して買ったん」


 ガンッ!! と音を立ててドアが開いた。一瞬で俺は固まった。オルヴェラ……

「ここに逃げ込んだのは知ってたんだ。死にかけてる? ふざけるなよ、ちょっと切ったくらいで! お前のダンナ、ありゃ狂ってないか? 」
「え? フェル? オルヴェラ! フェルに近づいたのか!?」
「そのつもりだったさ、けどあっちが先に来たんだよ。今頃ディエゴが捕まってるだろう。アイツは完璧にイカれてる! 灯台下暗しってヤツだ、少しの間ここに匿ってもらうぜ」

 

 何が、何がどうなってる?  フェル、何やってんだ? オルヴェラの手にはナイフが握られてる。

「お前、アイツに喋ったな」

コイツもキレてる、俺しか見てない。今度こそ殺られるかもしれない…… 立ち竦んでる母さんとシェリーに叫んだ。
「逃げろ、シェリー!  母さん連れて」
 母さんを、シェリーを守らなきゃ。急に立ち上がったせいで点滴のスタンドが倒れた。それがキッカケで弾かれたように動いたシェリー、動いた母さん。

 

「母さん、やめて! 逃げてくれ!」
 母さんが俺の体を庇うように前から抱きついた。シェリーがオルヴェラに飛びかかっていく。けど小さなその体は簡単に壁に撥ね飛ばされた。母さんを引き剥がそうとしたけど力が入らないし、母さんは離れなかった。俺は母さんを抱き抱えたままオルヴェラに顔を向けた。

 

「せっかくここにベッドもあるんだ、横になれよ。この二人が大事なんだろう?」
手にあるナイフをチラつかせながらオルヴェラが近づいてきた。
「出てけ! 今なら誰もいねぇ、黙っててやる」
「黙っててやる? 笑わせるぜ、喋られたら困るんだろ?  俺とお前の仲をさ。いいから来いよ、久し振りに可愛がってやる。その前にお前の口を味わいたいがな」

オルヴェラはジーンズを下ろしてベッドに座った。させる気だ、俺に咥えさせる気なんだ……

 逃げ場なんか無い。その力も無い。二人を守るためなら…… 俺はベッドに向いた。
「だめ! だめよ、リッキー!」
「母さん、何てことねぇよ、何てことねぇんだ……でも……見ないで」
 母さんの額にキスしてベッドに行こうとした。

 

 

 すぅっとドアが開いた。俺がドアに目を向けたから釣られてオルヴェラもドアに向いた。何が起きたのか分からなかった、あっという間のことで。

 オルヴェラの体にディエゴが投げつけられて二人の間に血が滴り始めた。

「オル……ヴェ、ラ……」
ディエゴが驚いた顔のまま崩折れていくのを見てオルヴェラが固まった。入ってきたのはフェルだった。

「いいのか? すぐに人が来るぞ」

 凍ってる、フェルが…… いつものフェルのなんでもない声だ、足元に血だらけのディエゴが転がってんのに。

 オルヴェラはディエゴに刺さってるナイフもそのまんまで、フェルに殴りかかろうとして片手で止められた。
「行けよ。止めやしない。安心しろ」


 後ろから飛び込んできたビリーが息を呑んだ。

「フェル! 殺っちまったのか!?」
「ばか、こいつがやったんだ。多分まだ死んでないだろう」

ドアの前からビリーを引っ張ってどかした。
「いいか、落ち着いて歩いて行け。走るな。普通に表から出て行くんだ」
「な 何を言って」
「逃げろって言ってるんだ。目立たない様に行け」
その言葉にオルヴェラは部屋を飛び出して行った。

「フェル、あいつを!」

フェルが俺を落ち着かせるように優しく抱いてくれた。
「いいんだ、リッキー。ここであいつが捕まったら困るのはお前だ。ごめん、ここに追い込むつもりじゃなかったのに」

「フェルっ!!」

フェルの肩越しに転がってたはずのディエゴがよろりと立ち上がるのが見えた。ナイフを持っている、自分の腹から抜いたんだ。
「リッキー、下がれ!!」
 俺目がけてナイフを突き出そうとする手をフェルが受け止めた。そのままベッドにもつれ込むように倒れてもみ合ってるうちに両方ともピタリ! と動かなくなった。ぐたっと二人の体から力が抜けていく。
 そんな……

「フェル!! いやだ、いやだ……いやだ!!!!」

 ディエゴの体を引きずり下ろした。目を閉じたまんまのフェルを揺さぶった。

「フェル、いやだ、目、開けろよ、目、開けろよ!!」

フェルが息を吹き返した。
「ごめ……ちょっと息が切れた」
「ケガ……どこ、ケガした? どこ、痛い?」
涙が止まらないし、震えが止まらない。
「大丈夫だよ、ごめん、本当にここに連れて来る気はなかったんだ。シェリー、大丈夫か?」

 そうだった、シェリーと母さん。蒼い顔で壁に寄りかかってる母さんを抱きしめた。俺を体を張って助けようとしてくれた……
「母さん、ケガしてないよね?」
言葉は出ないけどちゃんと頷いてくれて、力いっぱい抱き返してくれた。シェリーは抱き起こしたフェルをいきなり引っ叩いた。

「あんた、何やってんのよ! リッキーやみんなを危険な目に遭わせるなんて本末転倒でしょう!?」
「悪かった。母さん、ごめん。シェリー、母さんをちょっと外に連れてってくれる? 落ち着かせてやってよ」

そのまま返事もせずにシェリーが母さんを連れて外に出てった。フェルの体はディエゴの血で真っ赤だ。

 

「どうなってんだよ、フェル!」
「リッキー、犯人が必要なんだ、アイツ以外の。警察が欲しがってるのはお前を刺した犯人だ。それはこいつでいい。そして次に必要なのはこいつを刺した犯人だ。それは僕がなる。それで何もかも済むんだ」

泣き出しそうな俺の口がフェルの口に塞がれた。

「信じろ、お前の心配するようなことは何も起きないから」
「この後、どうすんだ? こいつ、まだ生きてる。医者呼んでやんないと」
「今呼ぶ。リッキー、よく聞くんだ。お前を刺したのはこいつ一人だけだ。まず後ろからお前は刺された。引き抜いたナイフを持って、振り返ったお前の正面からこいつは胸を狙って来た。それを防ごうとして腕を刺された。後は気を失って覚えてない。こいつは時々お前に近づいたけどあまり気にかけてなかった。どこの誰だか知らない」
「そんな嘘、通用しな」
「目撃者がいる。誰だかお前は知らなくていい。『痴情の縺れ』ってヤツになれば警察は安心する」

そばに突っ立ってるビリーにフェルが振り向いた。
「おい、何ビクついてるんだ。筋書きは分かったんだろうな?」

呆けたような顔でビリーが頷いた。
「分かってる。こいつはリッキーを狙ってここまで入り込んできた。思い通りにならないからリッキーを刺し殺そうとした。そこに来たフェルと揉み合ってる内にナイフが刺さった」
「そうだ。お前も見ていたな?」
今度はビリーがしっかりとフェルの顔を見た。
「ああ、見てたよ、全部。フェルが刺したわけじゃない。こいつは勝手に自滅したんだ。こいつ以外に誰もいなかった」

「母さんとシェリーに話通しといてくれ」

そうビリーに言うとべっとりと血が付いた手でフェルがナースコールを押した。
『どうしました?』
「すぐ来てくれ! ケガ人が出た!!」

フェルはビリーの耳に何か囁いた。所々でビリーが頷く。
「分かったよ、任せて」


 パタパタと足音がして、リズともう一人ナースが来た。キャシーだ。
「どうしたの!!」
倒れてるディエゴと真っ赤なフェル、真っ赤なベッドを見て二人が青くなった。
「リッキーがまた襲われて……」
 キャシーがてきぱきと手配してすぐに医者が来た。難しい顔した医者の指示で、ディエゴはストレッチャーに乗せられていった。俺は……目の前で起きることを受け止めるのにただ必死で……

 ビリーの声が聞こえる。

「フェルがリッキーを守ろうとして間に割って入ったんだ。そしたらあいつ、ナイフ振り上げてフェルと揉み合ってるうちに……」
「僕が刺したんだ、リズ」
「……正当防衛よ、フェル。心配することないわ。どこもケガしてないの?」
「ちょっと手を切っただけ」
「見せて」

腕の内側に傷があった。血が流れてる。
「フェル、血……」
「たいしたこと無いんだ、大丈夫だよ、リッキー」
「とにかく手当てしましょう。リッキー、あなたは大丈夫?」

 返事なんか出来なかった、この後フェルはどうなっちまうんだよ……

「ショックを起こしてるわ。キャシー、ガーフィールド先生に連絡して!」
「……フェルは何にもしちゃいねぇんだ、何も……俺のせいなんだ!」

フェルに抱きついて縋りついて俺は泣きじゃくった。フェルが取られちまう、どっかに連れてかれちまう……悪いのは俺なのに。フェルは何もしちゃいねぇのに。

 フェルが抱きしめてくれる、キスをくれる、口を塞ごうとする、いやだ、いやだ、いやだ!!!!

「リッキー、ベッドに行きなさい」
ガーフィールド先生の声だ。でも、でも。涙が、声が止まんない。
「興奮し過ぎている、鎮静剤」
「薬なんか要らねぇ! フェルは何もやっちゃいねぇんだ、本当なんだ!」
「分かってる、フェルは正当防衛よ。大丈夫よ」
「そうじゃねぇんだ、リズ、本当にフェルは何もしてねぇんだ、ビリー、言ってくれよ、お前、全部知ってるじゃねぇか!」
「リッキー、フェルはすぐ警察から返されるよ」
「警察なんて必要ねぇ!! フェル、どこにも行くな、俺と一緒にいてくれ、何もしちゃいねぇじゃねぇか、アイツを刺したのは」

 

フェルが俺を掴んだ。いつの間にかリズの手に注射器が握られていた。

「いやだ、やめろ! 薬なんかいらねぇっ!! やめろ!」

   チクッ    

 

  ――いやだ 薬なんかいやだ


「大丈夫、ただの鎮静剤よ。少し眠りましょう。きっと落ち着くから。フェルのことは心配無いわ」

すぐに頭がボーっとしてきて、フェルに抱き抱えられるのを感じた。

「ふぇる、ここにいて……どこにも……ふぇる、なにもしてな……」
「大丈夫だ、心配するな。愛してる……」

自分が何言ってるかも分からなくなって、フェルの言葉も途中までしか聞こえなかった。

目が覚めた時、フェルはいなかった。逮捕されたんだって聞かされた。

  

 

 

 

「母さ……」

 薬のせいでまだ体がだるい。急に動き回ったせいで傷口がひどく痛んだ。でも、それでも何よりもフェルの逮捕がショックだった。

「ありがとう、リッキー。私たちのために体を差し出そうとしたんでしょう? でもね、私はたとえ死んでもそんなこと、あなたにさせたくない。分かった?」

涙が止まらない俺の顔をずっと優しくタオルで拭いてくれる。

「ふぇる、は?」
「フェルは警察に連れて行かれたわ。ここで……逮捕されて。私もシェリーもビリーももういろいろ聞かれたのよ。あなたも事情聴取を受けるわ、被害者だから。ビリーにね、フェルからの伝言聞いたから話し合わせてある。フェルの言う通りにしましょうね。考えも無しに行動する子じゃないから。ジェフに連絡してあるから弁護士がすぐに来るわ。後のことは全部任せましょう」


「母さん……フェル、何もしてねぇんだ」
「うん。私の子だもの。分かってる。けどフェルがあなたをどんなことをしても守りたいんだってことも分かってるの。何か……事情があるのよね」

母さんの手が髪を撫でる。何もかも言ってしまおうか……

「言わなくていいんだから。ビリーの言ってた通りね。フェルがあなたに出会って良かった。そう思うわ。ありがとう、フェルと結婚してくれて。あんなにフェルが誰かのために必死なの、見たことがない…… あのね、ちょっとお喋りを聞いてもらっていい?」

俺は涙拭いてもらいながら頷いた。

「アルのことがあってから私、よく考えてみたの。アルのことを知らなかった。みんなの言う本当の姿って言うのをね。でもフェルのことも知らなかったことに気づいたのよ。ひどい母親だと思わない? 息子たちのことを何も分かってなかったって今頃気づくなんて」
「母さんはいい母親だよ。だからフェルは母さんを大事にしてんだよ」
「そうね、大事にしてくれる。だから私はそれに甘えてきた。小さい時からずっといい子だった。優しくて明るくて、手はかからないし、誰とでもちゃんと付き合える。自慢の息子よ。でもね」

 母さんの目が逸れていったから俺の手を母さんの手に重ねた。母さんがそっと撫でてくれた、まるでフェルみたいに。

「私、フェルのことをどれだけ分かってたんだろう。あなたたちが最初にパートナーになるって言った時、私、リッキーに聞いたわね? どれだけフェルのことを知ってるのかって」

俺が頷くのを見て母さんは微笑んだ。でも、その拍子に涙がほろっと落ちた。

 

 思わず起き上がろうとして母さんに抑えられた。

「無理しちゃだめ。あんなに動いた後だから静かにしてるようにって先生も言ってたわ。ごめんね、こんな話しちゃいけなかった」

「母さん、話して。俺聞きたい。俺しか聞く相手いねぇと思うんだ、その話」

母さんが笑う、泣きながら。起き上がれないから母さんの手を引っ張ってそこにキスした。

 ああ 俺、"母さん" にキスしてんだ。"母さん" が俺に話を聞いてほしいって言ってくれてんだ。"母さん" が……

「私ね、噂を聞いたことがあったの、フェルの。それはフェルからは程遠いような話で全然本気にしてなかった。けど今日のフェルを見たらその時の話を思い出したの。フェルとスーと……アルの話、あったでしょう?」
「うん、覚えてるよ。あの時の話は全部」
「あの頃、車の爆破事件がいくつかあったの。その犯人がフェルだって言う噂が流れてた」
「まさか」
「爆破されたのは全部麻薬の売人の車だった。フェルが刺されて退院した直後からそれが始まったの。誰かが面白がって話してるんだと思ってたわ。真相は今も知らない。でも、思い出せば他にもいくつもフェルの噂があった。それは全部私の知らないフェルで、だからあの頃の私は笑ってたわ、悪い冗談だってね」

 

 フェル。あの顔は俺の知ってるフェルじゃなかった。まるで壊れちまったような。温度が無くなっちまったような。

 あの夜を思い出す。フェルが話した父親のこと。アルとの憎み合いがあって、スーのことがあって。たくさんのことをフェルは抱えてきたんだ、苦しい生活の母さんを心配させないようにいつも笑顔浮かべて。そして俺のこと。

 フェル……壊れちまってるのか? どっか苦しいんだろ、なんかが詰まってるみたいに。俺、どうしてやったらいい? お前が苦しむの、俺耐えらんねぇよ……

「きっとあなたしかいない、フェルを救えるのは。お願いね。本当にフェルのこと、お願い。私には何もしてやれない……」
「大丈夫だよ、母さん。俺、いつもフェルに守られてばっかりだ。でも俺だってフェルを守れるよ。必ず守るから」

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