宗田花 小説の世界
Fel & Rikcy 第6部
4.ロバート
本格的にフェルがリハビリを始めた。朝6時に部屋を出て歩いて15分位のとこにある公園に行く。それは散歩みたいな感じ。けど必ず一定のリズムで。杖は俺が持っている。しんどくなったら使うんだ。けど、意地っ張りなフェルはなかなか杖を要求しない。早い時間だから人もまばらだ。みんな走ったりトレーニングしたり。人がいても静かだ。
公園に着くと、まずストレッチ。フェルはこれを欠かさない。
「きちんと解さないと体を痛めちゃうからね。トレーニング終わった後も放ったらかしにしちゃいけないからストッレチするんだ」
本当にスポーツ大好き人間のやる徹底管理だ。ちょっとついていけねぇ…… 俺は加減しながらつき合う。だってあんまり筋肉質になったらきっとフェルは抱き心地悪くなると思うから。
速くじゃなくて、ちゃんと腿を上げて走る。時々立ち止まった場所で足踏み。そしてまた走る。
「陸上やるわけじゃないから速く走る必要無いんだよ」
走る距離もだけど、一つずつのトレーニングにかける時間をゆっくり増やしていく。腕立ても今日が3回なら明日は4回、明後日は5回って具合に。その腕立てが変わってる。1回にすっごく時間をかけるんだ。体を持ち上げる最中、下ろす最中の時間がやたら長い。俺には出来ねぇ、あんなの。だからフェルの筋肉はヤバいんだけど。あ、涎落ちそう……
「足、もう大丈夫か?」
「そうだね、走るのもゆっくり馴らしていくよ。無理していいこと無いから」
フェルは頑固だからこういう時にその威力を発揮する。焦らないと決めたら、焦らないんだ。
でも、俺はちょっとおっかない。フェルはいつも自分を追い込むやり方を選ぶから。
「杖、使えよ」
「そうやって甘えるのは嫌なんだ」
「こんなの甘えなんかじゃねぇよ、お前、無理していいってこと無いって言ったじゃねぇか」
「じゃ、帰りに使うから」
あの時……マリソルから戻って入院した病院でフェルはもう持たないだろうって言われた時。
俺は初めて神さまに祈った。俺の命、要らないから助けてくれって。ダメなら俺も一緒に逝く。そう決めてた。熱は下がんなくてどんどん上がって、うわ言が引っ切り無しで、リッキー、リッキーって呼ばれて…… だんだんその声もなくなって。
俺は……本当は足、切断してくださいって言ったんだ、医者に。助かるならそれで構わねぇって。迷って迷って、でもお前の命を足に代えらんねぇだろ? 俺が杖になる、俺がお前の足になる、そう決めた。
その夜に奇跡的に熱が下がり始めて、俺はお前の手を握ったまんま泣いてた。助かるって。持ちこたえたって言われて、俺は……
だから今二人の時間があることが嬉しくて堪んない。フェルの言ったことも真剣に考えよう、俺の選ぶ道。俺たちの生き方。フェルに相談しながら、ちゃんと先を考えるんだ。
部屋に着いてからフェルを寝かせて俺は買い物に出かけた。車があって本当に助かってる。俺たちの車だ。そう思うだけでこの車が可愛くて仕方ねぇ。タイラーもこの車を見て、
『いいなぁ、これ! ちょっとあちこち傷があるけどいい車だと思うよ!』
そう言ってくれた。そのうちにいい車をってフェルは言ったけど、俺はこの車を大事にしていきたい。なんて言うか……愛を感じるんだよなぁ、不思議だけど。
あのメッセージカードのせいかもしんない、短かったけど心のこもった言葉だった。
[使ってほしい 愛を込めて]
いつかその人がアメリカに帰って来たら絶対にお礼を言いに行こうって思ってた。
フェルに何度か聞いた。
「いつ戻りそう? その人。俺、礼が言いたいんだ」
「分かってくれてるから大丈夫だよ」
「じゃ、手紙はどうかな!」
「リッキー! もうその話」
フェルが黙った、こういうの初めてだ……
「ごめん、フェル。俺しつこかった。ごめん」
そうだ……もしかしたら亡くなった人の形見なのかもしんねぇ。だってあれ、ダイイングメッセージみたいに見える。
「ううん、リッキーは悪くないよ。ただその人のことあんまり考えたくなくて。もう会うことはないから。だからお礼は言えない。けど二人で大事に使うって言うのは伝えてあるから安心して」
そうか……やっぱり…… 俺はその話をするのをやめた。フェルが本当に辛そうだから。
(勉強もだけど、そろそろ働かないとやべぇかもしんない)
でも、俺が働き始めたら絶対にフェルも働くんだ。それが分かってるからどうしてもその気になれねぇ……
そんな時に同じ講義受けてるニックに声、かけられた。
「本当は俺が行きたかったんだよ。遠い親戚だからやらせてくんないかって。けどさ、お前じゃだめだって落とされたんだ」
残念そうに紹介されたのがモデルの仕事。モデルったって、絵のモデルだ。1時間で25ドル。それを休憩挟んで2時間やるなら60ドル!!
「怪しいモデルだったら困るんだ」
「そんなんじゃないよ。きちんとした人なんだ。今描く気になれる若い子を探してるんだって」
そいつの紹介で取り敢えず会ってみることにした。もしかして決まればたった2時間でいい給料だ。決まんなきゃそれまでだし。だからフェルには用事があるんだと言って出かけた。フェルはトレーニングを張り切り過ぎて眠そうだったから。
着替えを持って、前もって電話しといたタイラーんとこに行った。
「おい、フェル知らないんだろ? マズくないか?」
「だってバイト決まるかどうか分かんねぇし。今日は会うだけって言われてたから」
「ニックの紹介だって言ってたよな、まともなバイトか?」
「絵のモデルなんだって。すげぇんだ、2時間で60ドルくれる」
「ふ~ん。だからそんなお洒落していくのか?」
タイラーは怪しげな顔だ。一応場所も教えた。5時になっても連絡が無かったらフェルに言ってお前を探す。そう言われた。
今は9月の終わりだ。聞いてた林の間にある道路を真っ直ぐ行って、右の方に曲がっていく。黄色く色づいた樹木の間に見え隠れする建物。遠目だからよく分かんねぇ。
突然林を抜けて、鉄格子のデカい門。脇にセキュリティカメラがあるからそれで見たんだと思う、門がゆっくり開き始めた。
「でけぇ!!」
本当にお屋敷だ…… 古めかしくてなんかちょっと冷たい。見上げた上の方には塔みたいなもんが見える。玄関の両脇に、広く生垣が噴水を囲んでいた。その噴水からちょっと離れたところにやっぱり生垣に囲まれたでかい彫刻が立っている。正直、わけ分かんねぇ彫刻だけど。金持ちの趣味ってこんなもんなんだろうか。敷地がどのくらいあるのか、てんで見当もつかねぇ。
ニックには先に電話してもらってある。屋敷のそばに車を止めると、スーツ姿の男が二人出てきた。
「リチャード・ハワード様ですね。お車は駐車場にお預かりします。キーをお借りしてよろしいでしょうか?」
キーを渡すともう一人が「こちらへ」と屋敷の中に案内してくれた。
映画に出て来るような広いエントランス。そこにゆったりした階段が両側に大きな円を描くように2階に続いている。よくこういうのを映画なんかで見て思ってた。同じ2階に行くのになんで両脇に階段があるんだよって。でも、実際に見ると本当にお洒落だ。
思わず俺は自分のカッコをチェックした。
(大丈夫だよな、これで)
季節に合わせるように薄いエンダイブのスーツにオイルイエローのワイシャツ。タイはブルー系のヴェニットだ。全体的に抑えたイエロー系。ワイシャツにしたのは男でいたかったから。変な目に遭いたくねぇ。
上に連れていかれて右奥の広いドアの前に立った。真ん前には2階なのにエレベーターがある。ドアの横の低い所にあるボタンを押すと、すぅっとドアが横に開いた。
(すげぇな)
その広いドアから中に入った。
明るい部屋だ、でも何も無ぇ殺風景な部屋。窓から外を眺めてる人がいた。
「お連れしました」
こっちに体を向けた、車椅子だ。
「ありがとう。じゃ、そこのソファにかけてください」
言われた通りソファに座った。連れて来た男が出て行く。
「来てくれてありがとう。ロバート・グレンヴィルです」
真ん前に来て手を差し出したから俺も握り返した。
「リチャード・ハワードです。ニックの紹介で来ました」
少し後ろに下がった。じっくり見られる。今度は右に行く。そして左。
「モデルの仕事は経験ある?」
「無いです」
「結構キツいかもしれない」
「いいです」
「1時間? 2時間?」
「2時間です」
また後ろに下がって俺を見た。こういう見方をされるのは初めてだ。全っ然色気の「い」の字も無い淡々とした視線。
「どの辺まで出来るのかな、つまりカッコだけど」
「裸はイヤです」
「服はこっちで用意するけど構わない?」
「露出多いのはイヤです」
我が儘か? そう思ったけど、譲れねぇもんは譲れねぇ。フェルに顔向け出来ないことはしたくねぇ。
「うん、僕はそれでいいよ。商談成立でいいかな」
改めてロバートを見た。真っ直ぐな目をしてる。茶色の目。髪は明るい茶色で肩越すくらいに長い。全体的に痩せている。ラフなシャツの首元は空いていて、膝にはひざ掛けが被ってた。歳、30くらい? ミッチとは全然違うタイプ。ミッチは青い炎のイメージがあった。けどロバートは蝋燭のあったかい火だ。
「はい、お願いします」
「条件は、1時間僕がお願いするポーズをしてもらう。もちろん、その間にもちょっと休憩入れるよ。そして30分休憩で、次の1時間。1時間50ドル、2時間で100ドル。他に何かある? あ、休憩にはちゃんと飲み物出すから」
「あの! 1時間25ドルって聞いてます!」
「僕が金額を決めるんだ。だからそれで」
(2時間で100ドル? 裏に何かあんのか?)
そうやって考えて生きてきたからついそう思った。しばらく俺の言葉に間があったから何か思ったんだろう。
「なに、美味い話には乗るなっていうタイプかな」
ちょっと苦笑してる。
「僕は本格的な画家じゃないんだ。絵を売ったことも無い。言ってみれば趣味かな。他には読書くらいしかやること無いしね。絵を描いてると時間を忘れる。白いキャンパスに僕の付ける色が形になっていく。そういう趣味に君をつき合わせちゃうんだ」
真面目な人だ。そう思った。
「じゃ、それでお願いします。講義によっちゃ来れない日、あります。どうしたらいいですか?」
「来れるかどうか朝10時までには連絡もらえるかな。モデルになってもらう限度は夕方5時まで。だからそれを考えて連絡が欲しい。続けてきてもいいし、間が空いてもいい。だけど、最後までつき合って。完成したら終わりだ。どう?」
すごく俺には都合のいい話だ。それならちゃんと普通の生活がやっていける。
「そんなんでいいんですか?」
「急ぐわけじゃないし。締め切りとか無いんだから」
「分かりました、朝10時までに必ず連絡します」
「来る時の恰好ね、もっとラフでいいよ。毎回それじゃ疲れるでしょ。着替えるんだから気にしないで。ジーンズとかでもいいから。じゃ、1回目の連絡を待っているよ」
終わりだと思って立ちかけると、忘れてた みたいな顔をした。
「僕の方が都合つかない時もあると思う。その時にはごめん」
「分かりました」
帰り道、いいバイトだと思った。フェルに話そう。きっと安心してくれる。先の見通しがついてほっとした。これなら絵の仕事がある間は金を気にしなくて済む。
「今、屋敷を出た!」
ちょっとギリギリの時間。時計を見て慌ててタイラーに電話した。
「良かった、フェルに電話しようとしてたところだ」
「すぐそっち行くから」
タイラーんとこで着替えをした。
「どうだった?」
「真面目な人だった。普通の絵が描きてぇみたいだ。1日に2時間だけ。俺の都合のいい時に」
「でもそれじゃ話良すぎないか?」
「大丈夫だと思う。帰ったらすぐフェルにも話す」
「そうしろ。じゃ、後は心配しないぞ。でも何かあったら言えよ」
「うん、ありがとう」
俺は冷蔵庫の中身を思い出して、食材には困んねぇから買い物すんのはやめた。車止めて部屋に走って入った。
あれ? 電気……ドア開けて電気つけた。
「フェル、いない?」
最後に見たのはソファで横になって……
「フェル?」
眠ってる……おかしい、フェルはこんな寝方しない。額にうっすら汗かいてる。タオルと着替えと体温計と。用意してからフェルのそばに座った。
「フェル、おい、フェル」
ビクッ! と飛び上るように起きたから俺の方が驚いた。
「おい、俺だよ、リッキーだよ」
「ぁああ、リッキーか……」
「なんかイヤな夢見てたか?」
「そうかなぁ……よく覚えてないよ」
「脱げよ、汗かいてる」
手伝って裸にして体を拭こうとした。
「いや、シャワー浴びてくる。その方が早いし」
「大丈夫か?」
「心配性だな、リッキーは。きっと疲れたんだ、やり過ぎたかな」
普通にシャワーの音が聞こえたからちょっと安心した。あ、体、熱くなかったか? 寝る前に体温計口に突っ込んでやろうと思って俺の枕の上に置いた。俺が出かけたのが3時頃。帰ってきたのは6時前だ。どう考えたって変なんだけど。
あり合わせでたいしたもんは作れなかった。けど、相変わらずフェルは「美味い!!」って言ってくれる。フェルみたいな夫ならいくらでも作り甲斐がある。なんたって、食べてにこっと笑ってもらうとそれだけで幸せだって思えるんだ。今日はこんな食事だけど明日はいいもん作んないと。
食事が終わって二人で片づけして、落ち着いたからバイトの話を報告した。
「絵のモデル?」
もう不安そうな顔してる。
「大丈夫だって。相手は大人だし、それに足悪いんだ。趣味で書いてるだけで俺の絵を描いても売らない、ってか、今まで絵を売ったこと無いって言ってた」
「じゃ、お前の絵がどこかに出回ることは無いんだな?」
「うん」
「で、いくらになるの?」
「1時間50ドル。俺、2時間やるから100ドルだ」
「100……やめろ、そのバイト」
「え、なんで!」
「そんないい話あるもんか。きっと碌なこと無い」
「でもいい人だよ、」
「リッキー。僕らはもう何かのトラブルに巻き込まれたくない。もう普通の生活をしていきたいんだ。おかしなものには近づきたくないし、お前にも近づいてほしくない」
分かるけど……フェルの言うこと、確かにそうだけど……
「頼む、1回目、お前も一緒に行ってくんないか? 直に話してみてくれよ。俺、相手に連絡する。もしそれでお前と話すのはイヤだって言うんなら俺はすっぱり行かねぇ」
俺は今ある程度金を稼ぎたい。まだフェルには無理して欲しくねぇんだ。フェルは少し考えて頷いた。
「分かった。行くよ。僕にすら会えないって言うんならお前を行かせるわけにはいかない。それでいいな?」
「うん。それでいい」
あんだけ寝たんだからもう眠れねぇんじゃないかと思ったけど、フェルはすんなり寝た。寝る前に体温計突っ込んだら微熱っぽいけどたいしたことは無かった。
「安心した?」
そう言って、俺を胸に抱くとそのまんま眠っちまった。
「フェル、朝だ! おい、シャワー浴びて来いよ」
あんだけ寝たのにまだベッドから出ねぇなんて。朝飯の用意したのに返事もねぇからベッドに行った。
「どうした? 具合悪い?」
「うーーん……ごめん、おはよ。ちょっとだるいだけ。起きる」
パッと起き上がったから大丈夫そうに見えるけど。
「おい、体温計」
「いいって。シャワーでスッキリしてくる」
なんか心配だ……また俺になんか隠してんじゃねぇのかな。フェルは体のこと、自分からは言わないから困るんだ。
「さ! 食べよう。今日はトレーニングやめとく。家で出来るのとか、そんなリハビリにしとくよ」
「うん! それがいいよ、まだ無理すんの早かったんだ。フェルはすぐやり過ぎるから」
ほっとした、ちょっと今日はフェルの頑固虫が治まってるみてぇだ。
今日は午後2時と4時の講義を受ける。だから午前中は空いてる。今8時半だから電話してみた。
「リチャード・ハワードです。昨日絵のモデルの面接で行きました。Mr.ロバート・グレンヴィルをお願いします」
ちょっと待たされたけどロバートが電話に出た。
「リチャード? もう今日からいいの?」
「あの……」
ちょっと言い淀んだけど、これ言ってダメならそれも仕方ないって思った。
「実は俺、結婚してて」
「そうなの?」
「はい、で、夫がMr.…」
「ボブでいいよ」
「えと、夫がボブにお会いしたいって……」
少し無言が続いた。そうか、ダメか……
「ご主人が僕の品定めをしたいってことだね?」
愉快そうな声だ。
「そんなんじゃ……」
「構わないよ、来てもらって。仕事してもらうのに不安がられても困るし。何時ごろ来るかな?」
「10時なら」
「分かった。待ってるよ」
「会っていいって」
フェルが意外そうな顔をした。
「そう? じゃ、行こう。それで大丈夫だと思ったらやってもいいよ」
「ホント!?」
「僕はお前を縛りたいんじゃないんだ。本当に心配なんだよ、お前はきれいだから」
返事出来なくてドギマギしてたらフェルがそばに来て顎を上げられた。
「本当に困るよ、こんな美しい奥さんを持つとさ」
そっとキスをしてくれる……優しいキスだった。なのに俺の心臓はバクバクしちまって。10時にはあの屋敷だ。フェルから離れた。
「支度しねぇと」
「そうだな、行こう」
「すごいな!」
「だろ?」
フェルもすっかり屋敷と延々続く庭ってヤツに目を奪われている。この前とおんなじスーツの男たちが出てきた。まるで慣れてるようにすっとキーを渡した。
「すっかりここに馴染んでるな」
皮肉っぽくはなかったからちょっとホッとする。
それにしても、今日のフェルは迫力ある。ネイビーのスーツにブルーのワイシャツ。タイはネイビー。すごくシンプルなのにガタイの良さと高い身長が強調されていて。
ジーンズでもいいんだって言ったけど、
「妻の上司になるかもしれない人に会うんだからきちんとしていく」
っていう、大人のフェルに思わず、「はい」って言っちまった。
だから今日は俺は妻らしいカッコをしてきた。変な相手じゃないって分かったから、エンペラー・グリーンのスーツにオパール・グリーンのスタンドカラー。
屋敷に入る時にすっとフェルが差し出した腕に自然に俺は手を預けていた。案内されるままに2階のあの部屋の前に立った。フェルが手を下ろしたからその少し後ろに。ボタンが押されてドアが開く。
驚いた! この前は結構ラフな格好だった。シャツは襟元が開いてたし髪は下ろしていた。けど、今日はグレーのスーツで淡いクリーム色のワイシャツにスーツとお揃いのタイをしている。髪は後ろに束ねてあった。まるでフェルの恰好を読んでたみたいに。
フェルはまっすぐボブの前に行って手を差し出した。
「初めまして、Mr.グレンヴィル。リチャードの夫のフェリックス・ハワードです」
なんか、迫力を感じる、フェルのたたずまいに。本当に変わったんだ、マリソルから帰って。
「よろしく。Mr.ハワード」
「どうぞ、フェルと」
「では、僕はボブと呼んでください」
ソファを勧められてフェルは俺が座るまで待った。
「羨ましいな! 立派なご主人だね、リチャード」
「はい!」
フェルが褒められたのが嬉しい! 俺はすっかりフェルに目を奪われちまって、話しかけられなかったらボブのことなんか忘れちまってただろう。
「突然伺ってすみません。こちらでのモデルの話を聞きましてどうしてもお会いしたいと思いました」
スーツが入って来て紅茶がテーブルに置かれた。
「いいですよ、お若いのにしっかりしている」
じっとボブがフェルを見た。
「よほど苦労なさったようですね。あなたを見れば分かりますよ。僕は絵を描いてますからね、人を見る目は確かだと思います」
ボブはフェルに興味を持ったらしい。
「あなたとはじっくり話をしたい気がしますよ、フェル」
「特に何も無いんですが」
フェルを見るボブの目がすごく優しい。
「奥行きが深い。リチャード、素敵な旦那さまなんだね。同性のご夫婦って実は初めてお会いします。でもあなたたちは素敵だ。いい人にモデルをお願いしたようです」
フェルは最初よりずっと柔らかくなった。
「失礼しました。実は心配で伺ったんです。妻はいろんな目に遭って来たので余計な事を考えてしまいました。取り越し苦労だったと分かりました」
ボブがニッコリ笑った。
「良かった、そう思っていただいて。なんならご一緒に来ていただいてもいいんです、ご都合が良ければ」
「ホントですか!」
「ええ、リチャード、構わないよ。ここに一緒にいていただいてもいいし、図書館もあるし」
「図書館があるんですか!?」
「絵を描くまでは本を読むのだけが楽しみだったので」
「あの、失礼ですがご家族は? ここはとても静かですが」
「両親は母屋に住んでいるんです。ここは別宅ですから。僕が事故でこういう体になったのでここをもらったんです」
目がまわりそうだ、こんなすげぇのが別宅。じゃ、母屋ってどんだけすげぇんだ? 息子が足がダメになったからって、こんなのをポンッてくれるんだ……
「不自由でしょう? こんなことを聞いていいのか」
「いいですよ、何でも聞いてください」
「モデルを呼んで絵を描くのは寂しいからでしょうか?」
フェルの質問にボブが黙ってしまった。
(そんなこと聞いちまって……)
ちょっと俺は焦ったのにフェルは真っ直ぐボブを見ている。びっくりしたのはボブの目からぽろっと涙が落ちたことだ。
「ああ、すみません……みっともないな、僕は」
「余計なことを言ってしまって」
「いいんです、やっぱりあなたはいろんなことが分かるんですね。そうです、寂しいんですよ。友人は来なくなりましたし家族とは滅多に会いません。ここからは出ないし、だからモデルさんとちょっとしたお話をするのがとても楽しみなんです」
フェルが微笑んだ。
「一緒に来ていいというのは、じゃ話をしたいからと思っていいですか?」
ボブの目が広がった。
「ええ! 来てもらえますか?」
「友人として。歳上のあなたにそんな図々しい態度でも構いませんか?」
「もちろんです、友人……久し振りの言葉だ……」
「じゃ、都合が合えばたまに妻と一緒に伺います」
「遠慮なく来て下さい。良かった、本当にリチャードと知り合えて」
「あの、俺のことはリッキーって呼んでください」
「リッキー……フェル、リッキー。いっぺんに二人の友人が出来た。そう思っていいんですね?」
「ええ、ボブ。次はジーンズで来ます。こういう恰好は正直しんどいです」
ボブが大きな声で笑った。
「僕もこんなスーツは着たくない。歳は違うけど対等に付き合ってください。僕の生活が大きく変わる…… こんなに嬉しい思いをするのは何年ぶりだろう! ありがとう」
「今度はゆっくり伺います、二人で」
「待ってます」
1階に案内するスーツの男が握手を求めてきた。
「私はヒューズと言います。ロバート様があんなに喜んだ顔を見るのは10年ぶりだ。どうかよろしくお願いします。本当に寂しい方なんです」
「ずっと足が不自由なんですか?」
「10年前の事故以来。21歳でロバート様はご結婚された。その2か月後に事故に巻き込まれて奥さまのグレース様は亡くなり、ロバート様は足を失われた。どなたにも心を開かなくなられてご友人は来なくなりました。絵を描かれるようになったのは4年前からです」
「寂しい人なんだな、フェル」
「そうだね……ごめん、お前の目を信じれば良かった」
「ううん、俺、フェルが来て良かったと思う。ボブも嬉しそうだった」
「そう思ってくれる?」
「それに……」
「なに?」
「フェル、カッコ良かった。俺の旦那さん、すごくいい。俺の自慢だ」
返事がないから助手席を見た。初めて見た、フェルが真っ赤になってるのを!
「フェル! 真っ赤だ!」
「うるさい」
「なんだよ、俺、褒めたのに」
「リッキー、寮に着くのどのくらいだ?」
「時間? 12時には着いてるよ」
「帰ったらお前を抱く」
「へ? 講義ある……」
「だめだ、抱く。ドア閉めたらすぐ抱く」
今度は俺が赤くなった。
「その……講義、出たいんだけど」
「僕も出るよ。でも今抱きたくて堪んないから」
いつの間にか俺はスピードを上げていた。俺まで……して欲しくなっていたから。
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