J (ジェイ)の物語」

第一部
12.おねがい…… -1

 口づけに目を閉じていくジェイが委ねてきた体を受け取る。艶やかな唇を割って舌を差し込む。まだ臆病に迎え入れる舌を吸う。腰を抱えられて強い口づけに背中が反っていく。

 っは
離れた唇から息が漏れた。露わな首に降り注ぐキスに見悶える。

「シャワー、行こう」

 降り注ぐ湯の中で後ろから抱いた。
 あ! っは……
すぐにそこに向かわない。腿の間を、後孔を、そんな寄り道に焦れ始めるジェイを感じた。

「れ、れん、いや……だ、おね…が……」

 それを聞いてやっとそこに手を向けた。自分の肩にもたれた首が何度も揺れる。

  っ! あ…… はぁ、う

 くねる腰に合わせて手を動かす。あっと言う間に弾けて崩れそうになる体を支えた。まだ息の荒いジェイにバスタオルを巻きつけた。


 ベッドの上で蓮を見上げる目は濡れていた。足を割って入る。それだけで息を詰めて啜り上げるように息を吸う。しっとりしている肌に唇を這わせていく。

 ぅぁ…… あっ ぁ、あ……

 絶え間ない声が響く。肩にある力無い手が蓮の首に、頭に何度もしがみついた。用意したジェルを手で温めて後ろの孔に塗り込む。ゆっくりゆっくり指で刺激していく。まだこれだけで快感が生まれるわけがない。指を潜らせながら蓮はジェイの昂ぶりを口に含んだ。.

 はぁ……

切ない吐息が漏れ出る、その声が蓮を蕩かす……
――入りたい  でもまだ早い……

 絶え間ない愛撫はジェイから理性の皮を一枚一枚剥がしていった。

「れん…  れ…  あぁ、れん」

 愛しい者が自分を呼ぶ。自覚無く呼ぶ名前は自分の名前。そのことが蓮の心を震わせた。自分をあてがうと掻き分けながらゆっくり押し進んだ。

 ジェイにはどれがどう、どこがどう快感なのか分からない。まるで波の上に漂うように溺れていく。あるのは息が止まりそうなほどの快感の嵐だけ。だから息も絶え絶えになる。

(ああ れん くるしい きもちいい くるしい ……イきたい)
「おねがい……」

それを聞いて蓮は動きを速めた。両肩を掴む。さらに深く突き入れる。

  ぁあ っは! ぅ…… ぃや、っあっ……

 その口を塞ぐ。折り漏れ出る喘ぎとすすり泣くような甘い声……

 イ……たい、れ……ああ ……おねがい、れん……

「ああ、俺もだ、ジェイ……」

 蓮にもこれ以上はもう無理だった。ジェイを扱きながら腰を大きくうねらせた。前後に、そして回るように蓮が動くからジェイの中のあの場所に何度も打ち付けられる。

 も、だ、だめ……っあ……

大きく震えた、体が波打ち、中が引き攣りながら蓮を締め上げていく……ジェイが果てて、蓮が果てた。

 行為の名残りで二人は微睡んでいた。先に目が開いた蓮は思わず笑った。
(どこにひっついてんだよ、お前は)
 セックスの後、胸に頬を寄せて眠るのなら分かる。けれどジェイの頬は蓮の腹にあった。当然ベッドから足がはみ出すから体を丸くしている。
(無理な体勢だろうに)
 試しにジェイの顔の前まで下がってみた。正面にあるのはなんとなく締りの無いふにゃけた顔。無防備でなんの緊張感もない。
(なんて顔してん…)
ジェイの口元に笑みが浮かんだ。音を聞いたような気がする。
『ふにゅっ』
(か かわいいっ!!)
ベッドサイドテーブルに慌てて手を伸ばした。携帯を向けて写真を撮る。
『カシャッ』
 小さなその音が起こしてしまうかもしれない 思わず携帯を背中に回して(何やってんだ、俺)と自分に突っ込んだ。起きるものなら隠しても無駄だろう。ちょっとジェイの頭が動いて角度が変わった。
(あ)
そのアングルも撮った。

 少しして自分の取った行動に顔が熱くなる。
(俺は今どきの学生か?)
『かわいい』、それは流行りの言葉で、蓮は正直軽蔑していたのに。撮ったばかりの画像を見た。
(それでも……かわいい)
 茶色の巻き毛に覆われた顔の真ん中に浮かんでいるちょっと突き出た唇の笑顔。小さく丸めた体。体の下になっている手の軽い握り拳が口元にちょっぴり触れている。

 これがあのジェイだろうか。面接で、オフィスで、歓迎会で見せた鋭く冷ややかな態度、目。同じ人間なのか。歳さえもまるで違って見える。
(お母さんに見せてたのはこんな顔なんだな。ジェイ、絶対にお母さんはお前のことが可愛かったと思うよ)
 額に頬に小さくキスをした。本当は体を伸ばしてやりたいけれど。ふわっと毛布をかけた。また熱が上がっちゃ困る。静かに立ち上がってシャワーを浴びに行った。

「れん?」
 温もりが消えたような気がして目が覚めた。見回すより先に手で辺りを探った。
「れん?」
 起き上がってもう一度呼んだ。
「れん!」
 なぜかパニックが起きる。冷静に考えればここは蓮の家なのだから、例え出かけたにしろ帰ってくるに決まっているのに。
「蓮っ!」
 立ち上がって聞こえたのはシャワーの音だった。バスルームのドアを開けてその背中に飛びついた。

「わ! ジェイ? どうした、何かあったか!」
 取り敢えずドアを閉めて頭からシャワーを浴びることになってしまったジェイの体を自分に向けた。
「どうしたんだ?」
「……いないから」
(俺を探したってことか? この家の中で?)
「シャワー浴びてただけだ」
「いなかったから……」
 もうどうしていいか分からないほど(かわいい)。シャワーヘッドを壁にかけて向きを加減した。縋りついてくる体を抱く。
「黙ってお前を置いて行かないよ」
 脳裏に蘇った。『置いてかないで』とシャツを握ったあの手が。

「ジェイ、俺を見ろ」
 顔が上がる。濡れているのが湯の雫なのか涙なのかが分からない。
「お前は俺を信じてればいいんだ。そう言ったろ? 出かけるなら言うし、寝てたらメモを残すよ。そうじゃなきゃメールする。居場所が分からないようなことにはしない」
 頷いて抱きついてくるからちゃんと抱き返して頭を撫でた。保護を求める小さな子ども。
「安心したか?」
「うん」
「ならついでにシャワー浴びて来い」
「蓮は?」
「俺はちょうど終わったところだ。朝飯の用意しておくよ。ゆっくり浴びて構わないから」

 蓮の出た後じっと壁から降り注ぐシャワーに身を浸した。不意にアパートを思い出す。粗末な部屋の粗末なバスルーム。狭い中で浴びた温度の不安定なシャワー。

 東京に来た時に荷物をビジネスホテルに預けたまま行った不動産屋の男は熱心にあそこを薦めた。
『都内ですよ! 都内でこの値段でしかもバスルーム付き。これ以上にご希望に合う部屋は見つかりませんよ!』
 確かにそうだっただろう。高校の近くにとアパートを探した。だから場所は制限されていた。
『ジェイ、ここにしましょ! 私もいいと思うわ。これならやっていけるから』
 今思えばあれは自分を安心させるために言った言葉だったと思う。女親で学生を抱えて東京で暮らしていくことはどんなに重荷だっただろう……
 母が……いなくなった後、初めて浴びたシャワーの中でジェイは泣いた。声を殺して。バスルームを出て、湯気の立つほど暖まっても独りだった。心は凍えていた。そこには自分以外誰もいなかった。

(母さんをこんな家に住まわせてあげたかった……こんなバスルームに入れてあげたかった)

 どうしても謝りたい。けれど墓石にさえ手を合わせられない……

「遅かったな、迎えに行こうかと思ったぞ」

 明るい部屋。明るい声。そして自分に向けられた笑顔。愛しい笑顔。ジェイは初めて自覚した。

(蓮、愛してる。ずっとそばにいたい。そばにいさせてほしいんだ、お願い)

「座れ、今日は簡単なもんにした。言っとくがな、ちゃんとしたもんを作るのも好きだが、手抜きも好きだ。まともな物を毎日食いたかったらお前も料理覚えろよ。俺にばかりやらせるな」
「……母さんと違う……」
「お前……俺はお前のお母さんにはなれない」
「ううん、そうじゃなくって。俺、言われるまんまここに来ちゃったけど……来て良かったって……蓮といると気持ちが楽な気がして」

 声を荒げずに良かった。きっとまだ時間がかかるだろう、この状態に慣れるまで。何度も立ち止まって、道を確かめて、そして次の一歩を踏み出す。いつか自分と同じペースで歩けるようになるまで支えてやらないといけない。今朝の無防備な笑顔を守りたい。

「出かける。支度しろ」
「どこに?」
「秘密だ」
「遊園地?」
(お前はホントにお子さまだな)
「いや」
「えと……東京タワー?」
(危ない、吹き出すところだった……)

 ジェイの過去の行動範囲が掴めてきたからどんな場所が飛び出してきても耐える覚悟はあるはずだが、それでも不意打ちのようにやられた感がある。
(『お出かけ系』の話じゃ特に気をつけないと)
ジェイとの生活はスリルに満ち溢れていて楽しい。

「今度行こう。連休中にでも行くか?」
 ジェイの目が輝いたからそれもリストにあげた。連休中に行くところ。遊園地は行ったばかりだ。だからもう少し先にしたい。ボウリング。水族館。東京タワー。
(まるで学生のカップルだな)

 パチンコ。ささやかな楽しみだったがこれはしばらくお預けだ。連れて行くなんてとんでもない! 万が一気に入ったとして、当たるたびに大騒ぎするだろうし一喜一憂が激しくてこっちも身が持たないだろう。
 ディズニーランドは考えたくもない。会社の連中も行くに決まっている。

 そして、今日の目的地。
(泊りになるかもしれないな……)
「一応着替え持って行け、俺も持つから」
「え、旅行?」
「ま、そんなもんだ」
「どこ!? どこに行くの?」
「だから、秘密」
 休みになったら連れて行こう、そう決めていた。

(今日は泣いても引きずってでも連れて行く)
ジェイの熱が高くてうわ言の続いた中で決めたこと。これはどうしても譲れない。

「こんなもんでいいかな」
「ああ、充分だ。せいぜい一泊だから」
「ホントに教えてくれないの?」
「教えない」
「……楽しいところ?」

(ごめんな、答えられないんだ)
「いいから駐車場に行くぞ」

 蓮の答えも無いまま、不安を胸にジェイは蓮の後ろをついて行った。
(楽しいところって、答えてくれなかった……)
 以前と違う。不安に耐えられない……それでもジェイはそれ以上聞くのを止めた。蓮に言う気が無さそうだから。そして、たとえどこに行くとしても蓮と一緒だ。

 車の走る道を見て あれ? と思った。
「蓮、この道前に来たよね?」
「覚えてるか。ああ、一度通ったよ。お前道を覚えるの得意そうだな。免許取ったら交代で運転しような」
 さっきの不安を押しやるような嬉しさがこみ上げてくる。
「うん、絶対免許取るよ」

 覚えがあるはずだ、あの古着屋だ。
「旅行なのに買い物していくの?」
「お前、靴買わなかったろ? 2足くらい買っとけ。スポーツシューズとお洒落なヤツ」
 思わずもじもじする。足元の靴を隠したいけどそうは行かない。これでも何度も洗って履いていたけど実は踵のそばには小さな穴がある……

「あの、お洒落なヤツって……」
「お前といいとこにデートしたいからさ」

 デート……
(デートって言った?)
自分にあるとは思ってもいなかったデート。

「この前の遊園地は、デート目的じゃなかったからな。その、結局デートみたいになったけど」
「だって……」
「お化け屋敷。入って良かったよ、お前と。本当に入って良かった! また入ろうな」
「いやだ! あれは絶対にもういやだ!」
「あそこじゃなくったっていいんだ。日本一長いとかいうお化け屋敷行ってみないか? それなら俺も楽しめる」

 ジェイにしたらあれほど恐ろしいところだとは思ってもいなかった。ホラーなんて知らない。母はそんなものを見なかったし、幽霊だのゾンビだの、ジェイには遠い世界だったからまともに仰天してしまった。

「蓮は……見たことあるの? ゾンビとか」
「バカ、あるわけ無いだろ。あんなもん作り物だよ。本気にするんじゃない。全部普通の人間がバイトでやってるんだ」
「バイト?」
「そうさ! だからそんなに怖がるな」
 ちょっと脅かし過ぎたかもしれない。
(まさかトイレに行けないなんて言い出さないよな?)
 そんなことを言っても、ジェイなら不思議じゃない。ちょっと安心した顔のジェイと古着屋に入っていった。

「気に入ったのか?」

 嬉しそうに足元を何回も見ている。その様子を見ているだけで微笑ましくなってくる。

「とっても! あの、3足も良かったのかな……」
「いいんだよ、靴は必要だからな。お前、俺が金出すのに抵抗があるんだろ?」
 返事が聞こえないからそうなのだと思う。
「そうか。休みが終わったら生活のこと、具体的に相談しよう。お前の給料もちゃんと含めてな。ただな、昼を抜くだの金が無いから要り用な物を買わないだの。そういうのはもう無しだ。それは贅沢なんかじゃない。勘違いしちゃだめだ。分かるか?」

 その境界線ってどこなんだろう。そんなことを考えた。蓮と出会ってからたくさんの贅沢をしている。

(これ幸いと知らん顔出来るヤツじゃない)
蓮はそう思っている。ジェイは上手く生きていくタイプじゃない。

「ま、いいさ。お前の考えるのも分かるし。連休終わったら考えような、一緒に。その代り、この連休の間のことは俺に任せろ。俺が好きなようにお前を連れ回すんだからお前が考えることじゃないんだ」

 蓮の言葉は自分の気持ちを楽にしてくれる。任せていいんだと安心させてくれる。だから笑顔を見せたいと思った。それしか自分には蓮に応えるものが無い。

 車の中でリラックスし始めたジェイは何となく蓮の質問に返事をしていた。車の振動が心地いい。小さく流れる音楽が気持ちを解きほぐしてくれる。なるべく景色を楽しもうと思うのに、うとうとゆらゆらしてくる。

「じゃ、お父さんのことはあまり覚えてないんだな。写真とかあるのか?」
「多分、母さんの持ち物に入ってると思う。俺はほとんど覚えてないけど俺そっくりだったって。いつも母さんは嬉しそうに言ってた」
「一番嬉しかったことは?」
「母さんが笑うようになったこと! 父さん死んでから初めて笑ってくれたのは俺が学校で描いた絵を見せた時だったんだ。すごく喜んでくれたんだよ! 俺も嬉しかった……」

 昔のことを話す。それほど昔ではないのに、思い出を話したことの無いジェイはいろいろ聞いてくれる蓮が嬉しかった。

「そうか……住んでいたお祖父さんの家って小学校の近くだったんだな?」
「歩いて10分かかんなかった。道は真っ直ぐだからあんまり楽しくなかった」
「どうして?」
「見えるんだ、お祖母様が外を掃除してると。なんか遠くから怒られてるような気がして」
「……もうどれくらい経つ? 東京に来て」
「えと、17の時だから5年くらい」
「誕生日、3月だったな」
「3月14日」
「次の誕生日まで遠いなぁ」
「連は?」
「俺か? あんまり言いたくない」
「なんで?」
「30になるんだぞ? もう20代じゃなくなるんだ。今は7つ違いだが8つ違いになってしまう……」

 そう言われると聞いちゃいけないような気になってくる。
「俺、蓮がいくつになっても好きだよ。ずっと一緒にいたい」
 左手が伸びてきた。なんとなく頭を右に傾げる。蓮の手が頭に載った。
「ありがとな。俺もずっとお前とこうしていたいよ」
 その言葉だけで幸せになれた。