宗田花 小説の世界
「 J (ジェイ)の物語」
第二部
13.救い -1
一通り歌った後、お喋りに花が咲いた。それが途切れた時に思い切ってジェイは聞いてみた。
「あの、聞いてもらってもいいですか?」
「なんだ? 難しい話か?」
哲平がすぐ反応してくれた。ジェイは池沢に話したようにみんなに話した。
「で、何悩んでんのさ?」
「謝罪する相手、誰に謝っていいのか分かんなくて」
「そんなの簡単じゃん。湯川さんに頭下げときゃいいんだよ」
「湯川課長?」
「そ! だってそこにいた人事の人で一番偉い人って湯川さんじゃん。だから礼儀として湯川さんに頭下げりゃいいと思うけどな。三途さんや哲平さんなら誰に謝る?」
「塩崎は無いわね」
「無いな。やっぱり湯川さんだろ。わざわざ人事まで行って面談の責任者でもない人に謝ってもしょうが無いからな」
なんでこんなに簡単に答えがでるんだろう? いや、そもそもそれが答えでいいんだろうか?
「それで終わりで……いいんですか?」
「難しく考え過ぎなのよ。あんたの言った言葉の中で謝罪の対象って左遷だけでいいんでしょう? つまりね、形としてその部分だけ謝っとけってことだと思うけど」
拍子抜けするほどみんなはシンプルに考えている。
「反省すべきところは反省しましたっていうのを見せれば、課長だって話通しやすくなるしな」
「そうそう。ジェローム、気にし過ぎてる。分かるけどそんなに神経質になったら見えるものも見えなくなるわよ。塩崎さんに左遷の決定権なんて無いんだから、『勘違いして勢いで言ってしまいました』っていうことでいいんじゃないかしら」
4人が4人とも同じ結論。
「分かった! お前さ、『社交辞令』って知らないんだな?」
花の言葉にみんなが そうか! という顔をした。
「俺、それ得意だから教えてやるよ。例えばさ、三途さんがピンクのワンピ―ス着て来たらお前、何て言う?」
「え? あの……」
「いいから言ってみろ」
「そんな色着るの珍しいですねって……」
「それだよ! 似合いませんねとは言わないだろ?」
言った途端に哲平の頭にゲンコツが降っていた。頭を押さえて呻いている哲平の後を花が引取った。
「出来るじゃん! 『左遷って言って申し訳ありませんでした』って言っときゃいいんだよ。課長もあんまり頭下げたくないと思うよ。多分お前一人で行かせたくないだろうし」
「一緒に謝罪に行くってことですか!?」
「ま、そうだろうな。あの課長が『一人で行って来い』なんて言うわけ無いだろ?」
(これが社会人? 体裁を整えればいいってこと? そういう考え方でいいってこと?)
「俺、分かんないんですけど、それっていい加減ってこととは違うんですね?」
「いい加減ってのはさ、ここで頭下げないことなんじゃないかな。お前は多分こういうこと嫌いなんだろうけどな、筋を通せばこじれずに済むってのはこっちだけが思うことじゃないんだよ。向うだっておんなじさ。100%自分とこが悪くなるんじゃ反論するしかなくなるけど、お前が頭をさげることで『しょうがないな』ってあっちも引っ込むことが出来るのさ」
尚も迷いの見えるジェイに三途川が言葉を重ねた。
「ジェロームに課長が求めてんのは、けじめつけとけってことよ。それで問題点が絞れる。課長がこのことで一番問題にしてるのは人事のやり方なの。そこが論点なのにこのままじゃぼやけるわ。あんたの言った『左遷』って言葉は現実的じゃない言葉だったの。だってあんたを飛ばしようが無いんだから。だからその言葉が浮いてる。そこを切り離したいのよ」
ようやく納得がいったような気がする。自分の言った余計な一言が、大きな問題に取り組もうとする蓮の邪魔になっている。
「イヤだろうけどさ、会社ってそういうもんだから。何でも正しいって思うことを言い通すと上手く行くもんも行かなくなるからさ」
「花がそんなこと言うなんてなぁ……お兄ちゃんはお前の成長が見れて嬉しいぞ」
「誰がお兄ちゃんなのさ。出来の悪い兄貴持つの、勘弁なんだけど」
「花っ! 前言撤回だ! お前みたいんひねくれもん、誰が弟にするか!」
また二人のやり取りが始まってジェイは釣られるように笑った。
「うん、いい顔よ。ここんとこあんたの顔、暗かったからね。どうせなら気持ちよく謝罪してきなさい。新人らしく爽やかにね」
「そ! ウチのマドンナなんだからさ、お前の笑顔なら相手も受け入れちゃうって」
「マドンナって、止めてください! 俺、そういうのイヤです」
「分かった分かった。な、ここでいつものやろーよ」
「いつもの? 花さん、何?」
「ジャンケンよ、スリル満点の。ジェロームが負けてくれれば助かるわ! たいがい私が負けちゃうんだもん」
「何なんですか?」
「いいから! ほら、ジャンケン…」
なぜかそのジャンケンの輪の中に哲平がいない。あいこが2度続いて、花が勝った。
「やった!」
次は三途川が勝って千枝と一騎打ち。
「ジェローム! 先輩立てて負けろよ!」
「勝ったら怒るからね!」
二人の妙な掛け声に不安を感じる。1回目は、あいこ。そして、知恵がグーを出して、ジェロームがチョキを出した。
「やった! 私勝ったわよ!」
「偉いぞ、ジェローム。じゃ、罰ゲームだ!」
「罰? え? 俺、何かやるんですか!?」
こんな遊びを知らない。何をやらされるのかとドキドキする。
「よし、ジェローム。マイク握れ」
哲平がまるで得意満面という顔でマイクを掴んでいる。みんなが期待するような顔でジェイを見た。差し出されたマイクを持った。
「ジェロームさ、『粉雪』って曲と『残酷な天使のテーゼ』と。どっちなら知ってるか?」
「……後の方。それなら知ってますけど」
「可哀想に、外れを引いたわね」
「済みません、緑巻き一つお願いします」
千枝が何か注文している。それはすぐに届いた。5、6センチくらいの海苔巻きが一本。中に太いキュウリが入ってるみたいだ。
「負けたらね、これ食わなきゃなんないんだ」
「ジャンケン?」
「違う。これから哲平さんと一緒に歌うんだよ。釣られずに最後まで歌えたらジェロームの勝ち。釣られたら哲平さんの勝ち」
「頑張んなさい! これ食べたくなかったら」
千枝が海苔巻きを持ち上げてくれた。
「きゅうりの海苔巻きでしょ?」
「あのね、これ、ワサビ」
「え!?」
もうイントロが流れている。
「頑張れ! 期待してるぞ!」
逃げようとするジェイを哲平がガッシリ掴んだ。
「男だろ? 勝負だ!」
ジェロームは必死に歌った。真横で哲平がデカい声で歌っている。あまりに自信たっぷりに歌っているから、まるでこっちが間違ってるみたいだ。
(音が聞こえない!)
この曲を実際に歌うのは初めてだし、画面の歌詞を必死に追いながら哲平の側の耳を塞いだ。それでもメロディより哲平の声の方が曲を支配している。
(だめだ)
とうとう引きずられ始めた。もう、どう歌っているのかさえ分からない。座ってる3人が笑い転げてるし、哲平は我が道を行くという感じで堂々と歌っている。もはやジェロームの歌も、歌ではなくなっていた。
「さ、一気だ!」
「お水はいくらでも飲んでいいからね」
「この前は私が食べたんだからぁ。頑張って!」
長い。たっぷり見える『緑』。大きく息を吸って息を止めて口に頬張った。
(早く飲み込んじゃえばいいんだ!)
そうは行かなかった。涙が出る、鼻の奥が痛い、舌が痛い、喉が痛い! 飲み込み終わったと同時に水をがぶ飲みした。
「今日は楽しかったな。また罰ゲームやるから歌、練習しとけよ」
「無理ですっ! あれ、ホントに拷問ですっ!」
言い終わらない内にジェイの鼻を哲平が強く摘まんだ。
「痛っ!」
「ジェローム、また一騎打ちな。次も俺が勝つぞ」
自分の弱点をゲームのネタにしている……
(強いなぁ……こういう強さもあるんだなぁ……)
「ジェローム、凹むなよ。課長でさえ負けたんだ。音痴対音痴、すんごい不協和音でさ、耳塞いでりゃいいのか笑ってりゃいいのか、聞いてる方も拷問だったよ。今度一緒に聞こうぜ」
(音痴? 蓮? 音痴なの?)
「じゃな、ジェローム」
みんなと別れた電車の中。あれこれ悩んでいたのが嘘のようだ。楽しかった。誰かと騒ぐ、歌を歌う、ゲームをする。
(そうなんだ、蓮、音痴なんだ)
電車の中でにやにやする口元を手で覆った。
(聞きたい、蓮の歌。哲平さんと歌ってるとこ)
みんなのお蔭で心が軽くなった。あのまま帰っていたらまた一晩眠れなかっただろう。家に戻ってからも、哲平の歌を思い出してはくすくす笑った。
「答え、出たか?」
出勤してすぐに蓮に呼び出された。
「謝罪、します」
「じゃ、納得したということか?」
「はい」
「誰に謝る?」
「湯川課長に」
「どうしてそう思った?」
「あの場にいた責任者は湯川課長でした。だから」
「そうだな。ここまでは、いい」
蓮は少し考えた。きっとこれは自分で出した答えじゃない。ジェイは器用じゃない。本当なら謝罪をするなんて納得するわけがない。
「どう謝るつもりだ?」
「『左遷などと言ってしまい申し訳ありませんでした』と頭を下げます」
「何のために?」
(何のためって…)
「俺が頭を下げることで人事の人たちも少しは収まると思って」
「お前……」
課長の立場でどう指導したらいいのか。蓮は考え込んでしまった。他の部下になら いいから黙って頭下げろ と言う自分だ。だがジェイにはそうして欲しくない。心にも思っていない謝罪をさせたくない。
(課長の立場からはそれでいいと言うべきなんだ)
処世術を身につけさせたくないと思うのは間違っている。会社で言う『成長』と言うのは、それなのだから。
(俺自身の我が儘……なんだよな……)
こんなことで悩むことになるとは思ってもいなかった。
「待ってろ」
電話を取る。
「R&D 河野です。湯川課長はおいでですか?」
(離席中か?)
ホッとしている自分がいる。ジェイを連れて行きたくない……
『お待たせしました、湯川です』
「河野です、お疲れさまです。今からそちらに伺ってもいいでしょうか?」
『大丈夫ですが……どんなご用件ですか? 決裂したものとばかり思っていましたが』
「ウチの若い者を連れて伺います。よろしくお願いします」
電話を切っても動く気配の無い蓮。
「課長? あの、人事に」
「あ? ああ、そうだったな」
謝罪させなければならない。そう思っていたのに。
「行くぞ。きちんと謝罪するんだぞ」
この言葉で精一杯だった。これ以上口を開けば矛盾したことを言い兼ねない。
『そんな気持ちなら謝罪しなくていい!』
「こちらへどうぞ」
あのミーティングルームに通された。
(良かった、フロアの中で頭を下げさせたくない)
湯川が座った。ジェロームを見て不審な顔をしていいる。蓮は座ったがジェロームはそのまま立っていた。
「さて、何ですか、いったい?」
蓮が何かを言おうとする前にジェロームは頭を思い切り下げた。
「湯川課長。先日は申し訳ありませんでした。あの面談の中で自分の言った『左遷』という言葉、不適切な言葉だったと思います。よく分かりもせずあんな言葉を言ってしまい、ご不快だったと思います。本当に申し訳ありませんでした!」
そのまま頭を下げているジェロームを見て湯川の表情が和らいだ。
「そうか、分かってくれたのか。河野君、ちゃんと指導してくれたんだね。シェパード君、座りなさい」
「はい。失礼します」
ジェイの謝罪も礼儀も完璧だと思う。なら何でこんなに虚しいのだろう。
「若い内は気持ちが突っ走ってつい間違ったことを言ってしまうものだ。だが、こうやって間違いを認める気持ちが大事なんだよ。これからもその姿勢を忘れずにいなさい」
「はい。ありがとうございます」
「君の海外勤務の件だが、いったん白紙になる。再検討となるだろうが、正直なところ君は候補から外れると思うよ。そう思っていてくれ」
「分かりました」
蓮はすぐに立ち上がった。
「お忙しい所をお時間いただき、ありがとうございました。これで失礼します」
「では改めて。他の件もこうやって穏やかに話し合いたいね」
人事を出てから蓮はただ黙々と歩いていた。
(なんか機嫌悪い……謝り方変だったかな)
「課長、あの、俺の謝罪おかしかったですか?」
ピタリと蓮の足が止まった。
「なぜ謝ったんだ」
「え? だって……」
「謝りたかったか?」
「そういう問題じゃ……」
「じゃ、どういう問題なんだ?」
「何を……何を課長が言ってるのか分かりません」
「……そうだよな。悪かった、気にしないでくれ。今日はよくやってくれた。ご苦労だった。休憩してから戻れ」
歩き出すその背中に力無い物を感じた。
(蓮、どうしたの? 俺、何か間違った?)
エレベーターの中に消えていくまでその姿を見送った。
『よくやってくれた』
それは悲しそうな声だった。