J (ジェイ)の物語」

第二部
18.始まりのために -1

「おはようございます。そちらに伺いたいんですが」

 間が空いた。ため息が聞こえた。

『分かった。しっかり時間取って来い』
「ありがとうございます」

 機嫌が悪いようには聞こえなかった。たとえ悪くても引く気は無い。

「田中、結局今日は俺はいないのと同じだ。昨日言った通り頼む」
「分かりました。大丈夫ですよ」

(敵地に乗り込むみたいだな)
 夕べのジェイを思い出す。あの頑固親父に真っ直ぐにものを言った。相手の怒りなど考えることも無く思った通りを。
 もちろん、全てにそれが通用するわけじゃない。だが。
(俺はずっと仕事では真っ直ぐに来た。これが俺の芯だ。根っこだ)

 ノックをして返事を待たなかった。
「河野です。入ります」

ちらっと書類から顔を上げた大滝は、諦め顔に立って来た。

「ま、座れ」
「はい。用件、分かってらっしゃるようですね」
「昨日来なかったのが不思議なくらいだったよ。君がどういう人間かは知っているからな」

 ソファで挟んだテーブルの上に、バサッと資料が置かれた。

「君の最初の報告書を基に査定してある。それは持ち帰っていい。君の判断が欲しい。営業部も同じように対処する。今回のバカげた面談でそれでも前向きに返事をした者はそこに反映してあるが、面談し直してその上で報告が欲しい」

 ざっと目を通した。驚くほど細かく分析してある。

「営業は人数が多いですよね。あそこもこれだけの資料を作ったんですか?」
「おい、勘違いするな。私にも優秀な秘書がいる。彼がまとめたものを私がさらにまとめたんだ。暇じゃないんだぞ、他にもやることがある」

 その通りだ。部長自ら資料作りをするわけがない。大滝の秘書は自分で引き抜いただけあって優秀だ。地下の施設管理から大滝が引っ張った。

「失礼しました。面談した上でこれはご報告します」

 大滝は大滝で用心している。自分が手掛けた部下は、どれもこれも一筋縄ではいかない者ばかりだ。現に営業からも今日の午後伺いたいと言ってきているのだから。蓮は『これは』と言った。

「で、何が聞きたい?」
「人事部から部下への謝罪はいつどういう形で行われますか?」
「まるで決まったことのように聞こえるが」
「決まっていて当然だと思っていますので」
「河野……」
「無理なことを言っているとは思いませんが。悪いことをしたなら謝る。部長は私に清廉潔白を望んだはずです」

 さすがに大滝も黙り込んだ。その目を真っ直ぐ蓮は見た。答えをむしり取る気なのが伝わる。

「考えさせろ。こういうことでは片方だけを悪者にすることは出来ないんだ。君の部下にも使うべきではない言葉を使った者がいるだろう」
「ジェロ―ム・シェパードのことを仰っているならお門違いだと思いますが」
「なぜだ?」
「彼は人事に謝罪を申し入れました。私も同行しています。担当者はそれを受け入れジェロームを励ましてくれましたよ。その彼をこちら側の『悪者』に仕立て上げるのは勘弁願います」
「だがな、組織では誰かがスケープゴートにならざるを得ないこともある」
「冗談でしょう。私の信頼する上司は間違ってもそんなことを口にする人ではないですよ。今私の目の前にいる方は、自分の出世とスケープゴートにされる将来ある若者を天秤にかけるような人ではないはずですが」
「河野っ!!」

「なんでしょうか?」

 沈黙が漂う。今こそ、蓮は自分の職を賭けていた。

「部長は私たちに仰った。『死なば諸共だ』と。私も同じです。もし彼を処分の対象にするのなら私も一緒に処分していただきます。監督不行き届きの結果ということですから」
「辞職するつもりか?」
「いいえ。私に辞めるつもりはありません。処罰が解雇だというのならどうぞしてください」
「そうか。労基に訴え出るつもりだな? そうすれば何もかも明るみに出る」
「さあ、今答えられることじゃないです」
「私を脅迫するのか?」
「脅迫と取るのは弱みがある者だけですよ。私は正当なことを言っていると思っています」
「一人の部下のために会社と刺し違える気か?」
「人数の問題じゃない。私は上司からそういう教育を受けました」

 大滝は腕を組んだ。蓮を真っ直ぐに見る。その目から蓮は視線をずらさない。

「私はどうやら君を育て過ぎたようだな」
「有難いお言葉です」
「河野。綺麗ごとばかりでは上手く行かないこともあるんだぞ」
「申し訳ありません。ここまで綺麗ごとでやって来たので、社内の政治というものを知らないんです」
「今日はずい分痛烈だな」
「部長には助けていただきました。『お前程度』あの言葉が無かったら気がつかない内に自分の背中に父を背負っていたでしょう。お蔭で私はただの『河野蓮司』になれたんです」
「私にもただの『大滝彰吾』になれと言っているのか?」
「そんなことは言っていません。ただ正しいご判断をいただきたいだけです」

 時間が過ぎていく。そのまま大滝は立った。

「話は分かった。以上だ。報告を待っている」
「はい。すぐに面談に取りかかります」

 しっかりと頭を下げてオフィスを出た。きっと部長は苦々しい思いをしていることだろう。

(この報告書が最後の仕事になってもおかしくないな)

そう思えるだけのことをした。あれは、慇懃無礼に部長を罵倒したようなものだ。

『不器用なやつだ』

脳裏に聞こえてくる声。それも部長が言った言葉だった。

 

 書類に目を通した。細かく書いてはあるが、やはり一人一人を知っているわけではない。蓮は次々とパソコンに打ち込んで行った。
 正直、印刷をするくらいならデータのまま飛ばしてくれればとも思ったが、せっかくのみんなのチャンスなのだから文句は言うまいと思う。

(業務、田中に任せておいて良かった)
休むつもりで手配していたが、却ってそれが良かった。お蔭でこれに集中できる。そして、出勤して良かった。あのまま不貞腐れなくて良かった。
(ずい分ガキみたいな反応したんだな、俺は)
我ながら可笑しい。

 ある程度は出来上がっているのと、自分の頭にある情報で資料は難なく出来上がったが、井上のようなこともある。面談でしっかり聞きださないといけない。

 もう2時近い。急がないと今日中には片付かないだろう。どちらにしろ今日の提出は出来ないが。尾高功と柏木壮太が休みを取っている。


「みんな、悪いがちょっと手を止めて聞いてくれ。出張や転勤などに関わる面談を再度行うことになった」

 ざわめきが起こる。

「黙って聞け。面談対象は全員だ。これからチームごとにミーティングルームに来てもらう。その際に、俺の知らないみんなの事情で考慮してほしいことがあったら言ってくれ。言っとくが、食べ物の好き嫌いや通ってる飲み屋の姉ちゃんが気になるとかはだめだぞ」

 みんなが笑っている間に蓮は声を張り上げた。

「まず、田中。お前からだ。その後は田中チーム誰からでもいい。間を空けずに来てくれ」

 自分のノートをミーティングルームで接続した。田中が目の前に座る。

「田中、お前の場合は確認だ。今さらNOとは言うなよ。10月から営業二課の課長。1年間だ。その後はここに戻って課長となる。」

 そこまでは元々伝えていた話だから田中も黙って聞いていた。蓮がノートを脇に置いてデスクの上で手を組んだ。

「ここからの話、オフレコで頼む。お前には言っておきたい」
「なんですか?」

 単なる話ではないことが蓮の顔つきから伝わった。

「もし俺がここからいなくなる時には営業二課への転属は無しだ。このままここの課長として俺から引継ぎを受けることになる。それを頭に入れておいてほしい」
「え!? いなくなるってどういう事ですか!」
「そのままの意味さ」
「課長が異動するんですか?」
「いや」
「転勤……ですか」
「違う、辞めることになるかもしれない。多分決まるのは早い。そうだな、来週には結果が出るだろう。これから俺が作るフォルダにアクセスすれば済むように業務の概要をまとめておく。参考にしてくれ。後はやりたいようにやればいい。お前の部署になるんだからな」
「そんな…… 今回のことが理由ですか! 課長には何の責任もないじゃないですか!」
「田中。これは覚えておけ。部下を持つということは責任を持つということだ。『てっぺん』とはそういうことなんだ。だから自分の言動にも、後ろに部下がいるということを常に頭において気をつける。どこに行ってもそれば同じことだ、責任がついて回る」

 蓮の目が優しくなった。

「な、何でも起こり得るんだ。この前の事故で俺は死んでいたかもしれない。そしたら好むと好まざるとに関わらずお前は全部背負いこまなくちゃならなかった。そうだろ? だから日々業務を溜めないようにする。ま、こんなことは余計な話だな、お前はいつもちゃんとしているんだから」
「確定……ですか?」
「まだだ。返事待ちというところだ。万が一、俺が残ることになったら申し訳ない。お前を悩ませるだけで終わるんだからな」
「その方が有難いです。俺にはまだここは荷が重いです」
「おい、営業の方が大変なんだぞ。だからこそ経験してもらいたいんだからな。今の話、心に留めておいてくれ。いきなりそんな話になるのはお前も堪らないだろうからな」

 明るい顔の蓮に、田中はこれ以上口にする言葉が無かった。
「次の面談者、呼んでくれ」
 立ち上がると深く頭を下げて出て行った。


 順調に田中チームは終わるところだったが最後の笠井智美で爆弾が落ちた。

「前回の面談では特に何も無かったがその後変わったことはあるか?」
 下を向いたまま返事が無い。
「どうした? 何かあるなら言え」
「課長、怒るかもしれないからヤだ」

(こいつはいつになったら大人になるんだろう?)
正直、智美はここで唯一扱いに困っている。今風と言えばそうなのかもしれないが。

「言わなきゃ分からないだろう。この面談に関する事なら聞かせておいてほしい」

 顔が上がって泡を食った。泣いている……

「どうした、泣かなくていいんだ、異動の対象になってる訳でも無いし」
「人事の横川さん、どうなるんですか?」
「横川?」
「つき合ってるから……彼に聞いても分からないって言うばっかりで」
「ちょっと待て、お前は花が好きなんじゃなかったのか?」

 あれだけ騒ぐのだから誰でも知っていることだ。

「好きだけど。花さん意地悪だし。一緒に歩けたらみんな振り返るだろうって思うけど」

頭が痛くなりそうだ。それじゃ二股と変わらない。

「で、今度の面談とどう関係があるんだ?」
「いろいろ教えてもらってたから……それってマズいことですか?」
「お前……」

(みんなをいつも引っ掻き回していた曖昧な情報。その元は横川か……)
 さらに頭が痛くなる。知ってしまった以上、報告の義務が生じる。まして、中身は部外に漏らしてはならない情報だ。

「横川さん、大丈夫ですよね? 私困る。人事の話なら花さん、聞いてくれるのに」
「まさかそのためだけに横川と付き合ってたって言うんじゃ無いだろうな!?」

花が知ったら激怒するだろう。

「だって……」

 これ以上智美の面談を続けても意味はない。部下が情報漏洩を犯した。もう溜息しか出ない。
(これも俺の責任だな……)
これほど虚しい責任は無いが。

 野瀬チームは順調に行ってホッとした。井上にはもう心配は要らないと伝えた。資料では既に対象として不可となっている。

「ありがとうございます!」
「いいんだ、いろいろ心配させたな、申し訳なかった」
「私、一生懸命仕事します。頑張ります!」
「有難いが無理はするなよ」
「はい!」

 井上の明るい顔にホッとした。


 澤田は意外なことを言った。

「俺が腹が立ったのはいきなり言われたからですよ。別に行くのは構わないんです。実家が近くなるし。ま、ここが好きだから行かなくていいんなら残りたいです。でも帳尻合わせに必要なら俺、どっちでもいいですよ。課長に任せます」
「お前、それでいいのか?」
「塩崎のヤローに腹が立ったからソッコー断ったんで。でも呼び戻すチャンスあったら引っ張ってください。課長には未練たっぷりありますからね」
「お前の未練なら俺は要らないよ」
「またぁ」


(さて、問題の池沢チームか……)
チームとしてのまとまりは一番いい。けれどどれもこれもアクが強い。唯一普通なのは千枝だけだ。

 池沢はあっさりしていた。

「転属、出張、全てお断りします」
「分かった。それで報告する。次を呼んでくれ」

(来た!)
これは構えなければならない。冷えた目が自分を見下ろす。

「座れ」
「はい」
「で、人事はイヤなんだよな?」
「なんで人事で呼ばれたのか訳分かんないです」
「前にも言ったが経験としては財産になると思うがな。つまり、他ならいいということか? どっちにしろお前は対象に上がっている。覆すならちゃんとした理由が要る。今のところが気に入っているからっていうんじゃだめだ」
「母が倒れました」
「ピンピンしてるじゃないか」
「なら父が」
「親父っさんが聞いたら泣くだろうな」
「私、邪魔ですか?」
「そういうことじゃないって分かってるだろう?」
「なんか、理由考えて報告しといてください」
「俺に投げるな!」
「今のプロジェクト、中途半端になります」
「代わりが引き継ぐだろう」
「ああ、もう! イヤです! それで通します!」
「部長面談ということになるかもしれないぞ」
「構いません。その時は課長にご迷惑かけませんから」
「分かった。不可と報告しておく。だが保証は出来ないからな」
「それでいいです。相手が部長だろうが社長だろうが言うことは一つですから」

 喧嘩するかもしれない……三途川ならやり兼ねない。そうなれば頭を下げるのはやっぱり自分になるだろう。

(今日は厄日か?)

 これ以上は何も『変わったこと』を聞きたくない。そんな気分だった。