J (ジェイ)の物語」

​第4部
7.帰る場所 -2

 久しぶりの出勤。いつもより30分早く起きて支度を始めた。順調な出だしだったのにネクタイでつまづいた。

「あれ?」

「どうした」

「これ、変」

まるで初めてネクタイを首に通したような、そんな結び方にジェイが鏡を見ながら途方に暮れていた。蓮は手を出さなかった。

「ジェイ、鏡を見ないでやってみろ」

しばらく考えているから声をかけた。

「後2分で出るぞ」

慌ててネクタイを手早く締めた。

「あれ? え?」

「出来たろ?  今度は鏡を見て形を整えるんだ。出来たら見てやるから」

神妙な顔でそっと触っていく。蓮に向き直った。

「バッチリだ。合格」

ウィンクして親指を立てると飛びついてきたから、すんでの所で避けた。

「蓮!」

「ばか、時間だろ?」

時計を探すから蓮は自分の時計をツンツンと叩いた。あ! という顔で自分の手首を見る。事件の時にジェイの腕時計は壊れていた。その時のものとは全く違うデザインを退院祝いだとプレゼントした。

「これ、カッコいい!」

「そうか? 良かった、それにして」

 駐車場に急いだ。時間はたっぷりあるのだが、初日だ、着いてからゆとりを持たせたい。ジェイは自分が車を持っていることをすっかり忘れた。修理には出したが、売るしかないだろうと蓮は思っている。ジェイがあの車に乗れるとは思えない。

 

 いつも入るカフェの前で下ろした。

「先に入って俺にはブレンド頼んでくれるか?」

「ブレンド。俺はなに飲んだらいい?」

「お前はカフェオレ」

「分かった、ありがとう!」

あの駐車場にジェイを連れて行きたくない。今のジェイには致命的な場所だと思う。車を駐車場に入れてからカフェに向かった。ジェイが何度も入り口を見ているのが分かる。入ってすぐに手を上げた。立ち上がって来ようとするのを手で制する。隣に座って手を繋ごうとするから、その甲を軽く叩いた。

「ダメ。ここからは課長だ」

「はい」

ジェイの背筋が伸びる。雰囲気が落ち着いた。

(大丈夫かもしれない)

コーヒーを飲み終えて会社に向かった。

 オフィスに入るとすでに何人も来ていた。池沢チームは全員揃っている。蓮は池沢と花に夕べ念のためにメールをしておいた。

『事件の話は一切無し。時々子どもになるかもしれない。狼狽えずに受け入れてほしい』

「おはようございます! しばらくお休みして申し訳無かったです!」

蓮から聞き、メールはもらったが池沢も花も半信半疑だった。池沢は花の話からジェイが仕事を出来るはずがないと思っていた。

 花を見つけてジェイがそばに飛んでいく。

「花さん、俺、来たよ!!」

「ジェローム、ここは会社だ」

蓮の一声で抱きついた花から離れた。

「はい!  花さん、企画どこまで進んだんですか?」

 こういうことなのか…… みんなジェイの明るい声が嬉しい。けれど、そこにいるのはあのジェイじゃない。 声をかけ辛い……そう思っているうちに時間が来てみんなが揃った。

 池沢は意味が分からないまま、みんなに『時々ジェロームは子どもになるから受け入れてくれ』とだけメールを入れておいた。

「池沢チーム、全員います」

「野瀬チーム、橋田が年休です」

「中山チーム、全員います」

 池沢チーム全員…… やっと言えた、それだけで池沢は感無量だった。

「ジェローム、挨拶しろ。みんなお前をカバーしてくれてたんだ」

「おはようございます! お休みしてご迷惑おかけしました!  また今日からよろしくお願いします!」

 始業寸前に滑り込んだ浜田がジェイに声をかけようとするのを見て、野瀬が しまった! という顔をした。すかさず広岡が浜田の足を蹴る。

「なんだよっ」

「しっ!」

チームのみんなが睨むから口を閉じた。

「お願いがあります、これは提案です」

三途川だ。

「池沢チーフ、坂井病院の件は野瀬さんのところにもう回せますね」

池沢には三途川の言いたいことが分かった。

「じゃ、頼む」

「ありがとうございます。花、ジェローム、お願いね」

「じゃ三途は補佐という形で花のところに入ってくれ。俺の勤務は落ち着くまでまだ流動的だ。部署のフォローは今まで通り池沢、頼むな。今日は忙しい。みんなよろしく」

 浜田には早速周りが注意した。 <得意な余計なことは何も言うな>

 大滝には全て報告してある。ジェイを挨拶に行かせないことも。その大滝がR&Dに顔を出した。

「そばに来たからな、ちょっと偵察だ。たまにはいいだろう」

さすがにみんながピッ! とした。一人気にしないのがジェイだ。千枝が動こうとしたのを見て、大滝はみんなに手をあげた。

「元気そうで良かった。みんな体に気をつけて仕事に取り組んでくれ」

蓮は出て行く大滝の後ろ姿に深々と頭を下げた。

「メール、凄い!!」

381件、溜まっている。先にデスクの上に重なっている資料に目を通していった。急ぐもの、重要なものに分け、要らないものはそのままゴミ箱へ。急ぐものは優先順位で重ね直していく。重要なものはコピーを撮り、マーカーを引いていく。

 テキパキと仕事をしていくジェイは以前のままだった。効率的で無駄をしない。

「花さん、メールチェックしておいていいですか?」

「頼みたいけど。お前、自分のは?」

「俺のは後回しです。午後やります。先方との大事な連絡は全部花さんに来るでしょう? チェックさせてください」

「じゃ、頼む」

 スケジューラを開いて、メールを見ながら大事なことは転記していく。花にはそれを整理する余裕が無い。ジェイがいない間、それはおざなりになっていた。 

 ジェイは時計を見上げた。

「花さん! もう11時20分だけど」

「そうだな」

「廊下、走って!」

ん? という花の顔に

「受付!!」

と怒鳴った。

「あ!」

朝からジェイのことに気を取られ過ぎた。今日は受付で資料を渡すと、4日前にメールが来ていた。11時半にただ封筒を一つ受け取るだけ。けれどこういうことが印象に繋がる。飛び出して行く花が振り返らずに手を振った。

「ジェロームは立派な花の補佐だな」

広岡はなんだか自分のことのように嬉しくなった。

「あんたに負けてらんないわ!」

三途川が俄然張り切り始めた。

  

 隣のフロアから篠原という女の子が間違って郵便物が来ていると届けにきた。

「わ! ジェロームさんじゃないですか! もう具合いいんですか? みんな心配してたんですよ、男の人に駐車場で誘拐されてひどいケガしたって!」

 早口で止める間も無かった。一瞬でジェイが固まる。三途川が篠原を廊下に引っ張り出した。

「自分とこに戻んなさい」

「ジェロームさん、大丈夫なんですか? 入院してたんでしょ?」

「今ウチは忙しいの。分かった?」

「ジェローム?」

 尾高が声をかけた。息子のことが脳裏を走る。動かない、心がどこかに飛んでしまった。マズいことに蓮は池沢を連れて田中のところに行っていた。

「座って。誰か水持ってないか?」

けれどジェイは座らない。どうしていいか分からない…… 尾高の言葉に砂原が冷蔵庫に動いた。

「お茶なんですけど」

「ありがとう、砂原さん。ジェローム、これ飲むんだ」

口を開けたペットボトルを受け取って素直に飲んだ。

「大丈夫か?」

その質問が次の引き金になる。

「俺、ジョーグル飲みたい」

「ジェローム?」

「プリンも欲しい」

涙がポロッと落ちた。

 そこに花が戻ってきた。様子が違うことに気づく。

「何かあったの?」

小さな声で聞かれた千枝が呆然として答えた。

「隣のオフィスの女の子が事件のこと……駐車場でのことを直接ジェロームに聞いちゃって。みんなどうしていいか分からないの……」

「ジェローム、花だ。戻ってきたよ」

「花さん、どこ行ってたの?」

「お前が教えてくれたろ? 受付で資料受け取ってきたんだ、ほら。ありがとうな」

「俺、座りたい」

「いいよ。自分の席なんだ、座れ。俺さ、来るときにジョーグルとプリン、買ってきたんだ。要るか?」

「ジョーグル!」

みんなただ黙って見て聞いていた。

「午前中、頑張ってくれたな。助かったよ。昼飯どうしようか」

ジョーグルを飲みながら真剣に考えている。少しして、ジェイがハッとした。

「俺……何か迷惑かけた?」

「何も。どうした? お前がいないと俺はやっぱりだめだってことが分かったよ」

「俺、仕事頑張る。だからここに置いてくれる? まだいてもいい?」

 ジェイを抱きしめた。仕事だけなら大丈夫なのだ、仕事だけなら。ジェイの悲痛な言葉がみんなの心に刺さる。

「いいよ。俺を助けてくれ。お前がいない間にいろいろ溜っちゃったんだ」

「ほら! みんな仕事に戻って。こんなこと、どうってこと無い。忙しいんだからジェロームもボサっとしないで」

「はい、三途さん」

「ま! あんたも生意気に 『三途さん』 って呼ぶようになったのね。後でコーヒー奢んなさい」

「やだ、俺、奢んないからね」

「あっそ! 今から転送するデータ、2時までに片づけてね」

「分かりました、やります」

 また仕事モードに戻ってきたのを見てみんなホッとした。どう気をつければいいのか、対応すればいいのか分かったような気がした。

 蓮と池沢が戻ってきた。後ろにいるのは田中だ。

(何かあったんだな?)

蓮は敢えてそれを聞かなかった。会社では課長。それを通す。それはジェイが納得しているルールだ。

「まだ5分前だが昼飯にしよう。俺たちは打ち合わせがてら食いに行く。花、ジェロームを頼む」

「了解」

「私も行くわ、花」

「俺も」

尾高が珍しく加わった。やはり心配でならない。

 どこで食べたいか聞かずに近くのビルの地下に入った。ジェイはここに初めてくる。

「ここはな、穴場なんだ。お前の好きなものもずらっと並んでるよ」

花が指さすガラスケースの中にはいろんなパフェが並んでいた。

「俺、カレーが食べたい!」

「いいわね、カレー!」

「俺もだ。じゃ、全員それでいいか?」

花もそうした。ここのカレーは辛くて美味い。

「俺、チョコパフェも」

「え? そんなのも食べるの?」

「うん」

嬉しそうに笑うジェイに三途川も笑った。

「しょうがない! 今日は私があんたの分奢ってあげるわ」

  

 午後は順調に仕事が進んだ。ジェイはメールの確認に集中している。迷いなく業務をこなしている姿に、連れてきてよかったと蓮は心から思った。

 他のメンバーも受けれてくれて、この忙しさの中も和気あいあいと言ったところだ。蓮は廊下に出てカウンセラーの友中に連絡を取った。

「新川第一総合病院でお世話になりましたジェローム・シェパードの付き添いの河野です」

『退院、おめでとうございます。いかがですか?』

「実は早速今日から会社に連れ出しました。先生の仰った通りです。仕事には変わりなく対応しています。時々あの子どものような状況に陥りますが」

『そうですか! 良かったです。やっぱり日常生活の一部に拒否反応が出るという状態ですね。職場の皆さんの理解は得られていますか?』

自然に漣に笑顔が浮かんだ。

「はい。皆受け入れてくれています」

『それは何よりです。では予約を入れましょうか。東森尾のクリニックでは勤務帰りの患者さんに合わせるために6時から8時半まで受け付けています。休みは月曜、木曜と土日祝日です。高塚では私は月曜だけ日中診察をしています。今日は水曜ですね。どうなさいますか?』

 出来れば早くに受診させたい。最初の頃は不安定な状態がきっと続く。

「最短でいつなら予約が入れられるでしょうか? 東森尾のクリニックが有難いのですが」

「そうですね……来週の金曜にいらっしゃいますか? 予約は空いていないのですが、今が大事な時だと思います。8時過ぎに来ていただければ一番最後にお呼びします。もし遅くなってもいいようでしたらどうぞ」

それを延ばせば再来週の火曜になってしまう。蓮は金曜に予約を入れてもらった。

「申し訳ないです、無理を言いまして」

「いいんですよ。今は治療を優先しましょう。お仕事は彼自身にペースを決めさせてあげてください。ゆっくりでいいとか早くとか、そういう言葉で簡単に乱れてしまいますから」

「ありがとうございます。気をつけて対応します。金曜、よろしくお願いします」

 金曜で良かったのかもしれない。その後2日間、二人でゆっくり出来る。自分も久しぶりにのんびり出来るだろう。

 今日は4時に上がるつもりだ。定時まで仕事をさせるのはさすがに無茶だ。チーフたちにはもう言ってあるし、何より業務用のパソコンを持ち歩いている。不在になっても互いに安心感があった。

「ジェローム、来い」

「はい」

メール整理の手を中断してすぐに課長席の前に立った。

「今日は4時に上がる。花も知っているから安心していい。今日の業務は後1時間で区切りをつけてくれ」

「でも……」

「なんだ?」

「メール、後200件近く残ってる」

「明日やればいい。今日全部やる必要は無いよ。三途もいてくれるから慌てなくても……」

友中の言葉が蘇る。『彼のペースで』。

「帰るのは4時だ。それまで頑張れ。いいな?」

頷く顔が悔しそうだ。

 その時浜田が喚いた。

「なんだ、これ!」

「なに?」

「見ろよ、冷蔵庫の中!」

澤田が(なんだよ!)といった顔で冷蔵庫を覗く。目を丸くした澤田が爆笑した。

「俺が入れた時は4本だった!」

「マジか? 何本あるんだよ!」

「えっと……」

 なんの騒ぎかとみんなが冷蔵庫に集まってきた。蓮もジェイもそばに行く。

「どうしたんだ、これ」

「課長、どうやらみんな買い集めて来たみたいですよ」

呆れた声の浜田。

「浜田さん、左手に持ってるのは何ですか?」

聞きながら高野麻衣が笑っている。

「これはだな……」

「23本ある! 浜田が持ってるので24本だ」

蓮は笑わなかった。笑うことが出来ない。言葉が出なかった。

「わ! たくさんのジョーグル!」

「ジェローム、これ全部お前のだってさ」

「花さん、俺買ってない」

「きっと昼休みにみんな買ってきたんだよ。浜田さんでさえ買ってきてる」

「おい! ずいぶんな言い様だな、俺は別に……」

浜田のお喋りな口が止まった。ジェイが抱きついたからだ。

「ありがとう、浜田さん……それも俺のでしょ?」

照れたように浜田が差し出した。

「お前、好きみたいだからさ、小銭が邪魔で買ったんだよ」

「っていうかさ、買わなかった人、いんの? 数から言ったら何本も買った人がいるってことだよね?」

みんながニヤニヤ笑ってる。

「当分、買うな。これだけあれば充分だ。だろ? ジェローム」

蓮に頷くジェイの顔は嬉しさでいっぱいだ。

「ありがとう! 俺、ジョーグル大好きなんだ。ありがと……」

「プリンは買わないぞ、傷んじゃうからな」

「プリンは家で食べるようにするよ、和田さん」

「そうだな、その方がいい。欲しいものがあったら途中で買いに行ったっていいからな」

「一人じゃ……いやだ、行かない、行きたくない、一人はいやだよ……」

池沢は慌てた。

「違う、ジェローム、一人でなんか行かせないよ。ちゃんと誰か一緒に行くから」

「……うん……一人で行かなくていい?」

「ジェローム、一緒に行ってあげるから。なんならあんたは残っててもいいわよ。買ってきてあげるわ。参っちゃうわね、なんで私、あんたに甘いんだろ」

 それはみんな同じ気持ちだっただろう。今までだって仲良くやってきたR&Dだ。けれど今はみんなで守らなくちゃならない相手がいる。みんなにとって、ジェロームはやっぱり『末っ子』だった。


「ジェローム、3月頭にお前に任せる仕事がある。新入社員の情報が人事からくる。分析してチーム編成に役立つように明日から資料を作ってくれ」

「課長! それ、一人じゃ……」

「砂原、お前が組んでくれ。遅くても3月中旬には欲しい。4月からのチーム編成については叩き台を作っておく。それを参考にしてくれ」

「はい!」

ジェイは元気に返事をしたが、砂原は迷った。自分がジェロームと組んでそんな大事な仕事を?

「どうした、砂原。これは業務命令だ」

「は、はい。分かりました」

(仕事なんだから。でもあの子はあんなだから私一人で頑張らないと)

責める気持ちではなく、そう覚悟した。

「課長、あと10分、時間欲しいんですけど」

「だめだ、時間は守れ」

「……はい」

キリが無いのだ、どうせ後200件の整理など定時までかかっても出来ない。それよりメリハリをつけてやることが大事だ。

 ジェイの給料は今月から減る。フルで働くのは厳しいだろうと人事とも話した。会社に残るのはいい。一人では帰れないのだから。蓮が4時に上がるのは今日だけのつもりだ。

「じゃ、お先! 何かあれば遠慮なく連絡くれ。なんなら戻ってくるから」

「了解です。ジェローム、お疲れっ!」

あちこちから お疲れっ の声が飛ぶ。

「はい! お先に失礼します!」

 午前中の騒ぎの後、ジェロームが引っ切りなしに入り口を見ていたのをみんな知っていた。怯えているけれど、パソコンを叩き始めていると仕事に集中する。そして突然怯え始める。トイレに行くのは誰かがそれとなく迷っているジェイに声をかけた。

「ずっと治んないのかな……」

ポツンと広岡が呟いた。

「そんなことにはさせない」

柏木が断言する。自分があの時相田のことをみんなに言うべきだった。今もその思いに苦しんでいる。

「おい、仕事! 脱線するな。手が少しでも空いたら明日のノルマに手をつけろ」

「池沢チーフ、だんだん鬼度が上がってきてますよーー」

「澤田! コピー機のトナー、交換しとけ」

「しまった……」

「疲れただろう」

 返事が無くて隣を見ると、ジェイはぐっすりと眠っていた。程よく暖かい車の中。楽しい夢でも見ているような、そんな顔。頭を撫でる。スピードを落とし遠回りをする。あまり細かく道を曲がらず、揺りかご代わりのドライブだ。1時間近く走ってやっとジェイの目が開いた。

「起きたか?」

「ここ、どこ?」

「さあな。適当に走ってたからな」

「え?  蓮、迷い子?」

 車を路肩に止めた。6時近い。灯りを消せば外は暗く、行きすぎる車のライトだけが車内を照らしていく。ジェイの頭を引き寄せた。驚くジェイの唇をゆっくり味わう。

(ああ……今夜は抱きたい……)

この体に浸りたいと思う。動き始めた舌と動き回る口から僅かな音がエロティックに密室に響く。やっと離れて呟いた。

「ここは狭いな」

「うん……俺、抱いてほしい、蓮とセックスしたい」

「でも食事しないとな。何が食べたい?」

「蓮の食べたいもの」

「スパゲティでもいいか?」

「いいよ」

 車をUターンさせる。外のネオンを楽しみながら軽いお喋りをしているうちにイタリアンの店を見つけた。こじんまりとした家庭的な雰囲気。誘われるように入っていった。

「美味いか?」

「美味しい!  何て言うんだっけ、これ」

「カルボナーラだよ。お前、いつも和風食べてたからな」

「カルボナーラ。またこれ食べる!」

 このままでいいのかもしれない…… こんなに楽しそうで幸せそうで。けれど、それは幻影だ。いつかは壊れるガラス細工。どこかで自分の嘘に追い詰められる。

 悲しい思いを抱いたまま、笑う顔をジェイに向ける。

(お前を連れてこのまま遠くに行きたいな)

 叶うことの無い夢を心の底に沈めた。

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