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Fel & Rikcy 第5部[ 帰国

1.溢れる涙

 たまに一人のバイトの帰り。40分位の道を僕はいつもあれこれ考えたり周りや空を見たりして歩いて帰る。だいたい時間は10時過ぎ。リッキーと同じシフトの時は、時間も何も考えずにわいわい喋ったりただ手を繋いで帰ったり。途中でキスもするし、その、アウトドアを楽しんだりもする。

 でも一人だと楽しいことだけじゃなくて余計なこともいろいろ考えてしまう。

 

 今まで分からなかったけど、タイラーの言う通り僕は考え込んでしまう質なんだろうか。だからなるべく景色なんかに気を向けるようにしているんだけど。結局そんなごちゃごちゃしたことを考えていたから、近くに車が寄ってきたことにさえ気づかなかった。

 いきなり目の前でドアが開いて、足が止まったところを下りてきた男二人に車に押し込められた。この展開には覚えがある。ってことは次に来るのはクロロフォルムか? けれど男たちは車から離れて行った。

 

「久しぶりだ、フェリックス」

この声は良く知っている。気に入らない状況に僕は返事をしなかった。
「懐かしいね、その無言は」
少しその口調が気になった。力が無い、疲れきっている。
「今後のことが分からないのでね、君に別れを言っておきたかったんだよ。これからはリカルドを守るのは本当に君だけだ。頼む。あの子を本当に頼む」

二人だけの車の中。老人の声は最後の方が震えていた。

「国へ……帰るんですか」
「そうだ。まだ表には出ていないが……父上が暗殺された」
「え!?」
「クーデターの首謀者は……今は公には出来ない。しかしご長男のビセンテ様だ」

そんな……

 そこで僕は初めて知った。愛しい人の母国を。家の事情を。

 父親ベルムード・マルティネス。冷酷で身内にも容赦の無い将軍。彼の周りは腹心の部下によって警備体制が万全だった。だが身内となればそうもいかない。周囲の者にも家族に払うべき敬意と警備の範疇との境目が不鮮明だ。

 信望の厚い次男のエミディオ・マルティネスは、父親より数日前に暗殺されたのだという。今残っているのはその長男のビセンテ・マルティネスだけ。

「ご長女のアブリル様。ご兄弟では2番目になられるがこの方はとうに結婚されて外国に住んでおられる。だから何の心配も無い。奥様のブランカ様は行方が分からずにいるが、さすがにビセンテ様も母君には手出しをしないだろう。政治的にも力が無いからね」

「間違いないんですか、そのビセンテというリッキーのお兄さんが犯人だと……」
「ああ。間違いは無い。今ビセンテ様は表向きは犯人を追っている。こう言ってはなんだが、あの方の時代は長くは続かないだろう。あまりにも人望が無い。しかし容赦の無い点は父上譲りだ。犯人を特定するためと言って主だった人物はどんどん投獄されている。私はリカルドのことが心配で……生きていると分ればどうなるか……」

「ちょっと待ってください! すでに死んでいることになっているでしょう!? なぜリッキーのことがここで出て来るんですか!?」
「可能性は低いよ、フェリックス。本当に低い。だがゼロじゃないんだ」
「じゃ、どうすれば……」
「だからこそ国に帰ろうと思ったんだよ。もし何かあれば私はリカルドを殺したと証言するつもりだ。それで何もかもが終わりになる」
「そんな……あなたはどうなるんですか」
腕をガッシリと掴まれた。

「これしか出来ない、私には。あの子を守りたい。親族を殺したとなれば私は無事では済まないと思う。しかしリカルドは安全になる。だから頼む。君にしか頼めない。遅かれ早かれこれはニュースとなってリカルドは知ってしまうだろう。父上のことをどう思っているかは分からない。だがどうか支えてやってほしい。それを言いたくてここで君を待っていた。君に全てを託す」

 

「決めたんですね?」
老人は頷いた。

「会って……いきませんか? リッキーに。そうです、あなたはリッキーに会わなくちゃならない。会うべきです!」
彼は小さく微笑んで僕の腕を叩いた。

「ありがとう。もういいんだよ。リカルドがあのカフェで君と働いているところを見たよ。幸せそうに笑っているのを見た。充分だ。私はすぐに旅立つことになるだろう。会えば未練になる。もう感情は捨てるつもりだ。だからこのまま行きたい。君はただリカルドのそばにいてやってくれればいい。万一取り乱したとしても……」
「後は引き受けます。あなたは何も心配しなくていい。リッキーは僕の妻ですから」
「とうとう結婚祝いは受け取ってもらえなかったね」

僕は考えに考えた。
「中古車を」
「中古車?」
「ええ。ごく普通のありふれた中古車をいただけませんか? 1年くらい乗れればいい。そんなのを」
「それなら……受け取ってくれるのか?」
「はい。立派なものじゃ無ければ」
「あり……ありがとう! 贈らせてもらうよ、希望通りのものを。君が知り合いから譲られたということにしてくれ。海外に行くから要らなくなったのだと」
「はい、そうします」
「そうか……これで思い残すことは無い。行きたまえ、ずいぶん時間を取ってしまった」

 

 老人の出した手をしっかりと握った。『お元気で』 そう言おうとして止めた。これからの彼に必要な言葉じゃないから。僕らはただ頷き合った。互いにリッキーを思う心は一緒なのだと知った。

 

 

 

 

 

「ただいま!」

 なるべく元気な声を出した。リッキーが知るのはいつになるのだろう。あまりニュースを見る方じゃない。というか、極力見ないようにしている。それは逆に国のことを気にしているからだと思う。このことを知った時にどんな反応をするのだろう。

 父親は最後までリッキーを殺す気だった。けれどリッキーは父親の僅かな愛を信じている。


  ――あいつは俺を殺さずにいてくれた

 

そう言ったリッキーが悲しくて……

 

「おい、夕飯仕上げるぞ、さっさとシャワー浴びて来いよ。今日は遅かったんだな、途中まで迎えに行こうかと思った」
「リッキー……」

僕は何を言うつもりか? 髪が翻り、僕を見つめる黒い瞳。唾を呑み込む。……無理だ……

「頼みがあるんだ」

「なに?」
「シフト、僕と全部一緒にしてくれないか?」
「どうした? また不安になってきた? 俺もうどこにも行かねぇよ」
抱きしめた、近づいてきたその優しい温もりを。

「うん、ごめん。寂しいんだ、一緒じゃないと。しばらくの間、なるべく僕と一緒にいてくれないか?」
「いいけど……何かあったんなら言えよ。俺なんでも聞くよ」

 

 どうすべきなんだろう。自然に知るのをただ待つのか。それとも僕から伝えるのか。今の僕にはまだ何も決められない。

「そばにいてほしい。ただ僕のそばにいてほしいんだ」
首を引き寄せられて熱い口づけをもらった。
「いてやるよ。それでフェルが安心するならいくらでもそばにいる。シャワーくらいなら一人で入れるか? 今日はムニエルなんだ、トマトソース添えだぞ」
「美味しそうだ! すぐ出て来るから待ってて」

 シャワーを……水を浴びようとして手を止めた。もう水は浴びないとリッキーに約束させられている。思い切り熱いシャワーを浴びてバスルームを出た。リッキーの美味しい手料理が待っている。

「フェル、こっち来いよ」

 あれから3日目。僕の心はまだ決まらない。リッキーは知らなきゃいけない、自分の父親がどうなったのか。家族がどうなったのか。分かってる。分かってるけど……

「来いってば。もう本なんか読むの止めろよ」
「うん……今行く」

どうせ読んでやしない、僕に勇気が無いだけだ。

「夕べも寝てねぇだろ。どうしたんだよ、いったい。一昨日、何があった? こんなお前見るの初めてだ。何思い詰めてんだよ」
「ごめん、ちょっといろいろ考え事。もう大丈夫だよ。抱きしめてもいいか?」
「俺が抱きしめてやる」

 

 温かくて優しいリッキー。お前が苦しむのを、悲しむのを見たくない。けれどもし……もし、母さんに何かあったら? それを知らないでいたら? それをリッキーが辛いだろうって僕に黙っていたら?

 突然、僕はするべきことを知った。僕が守らなければ。こうやって心配されるんじゃなくて。これじゃあべこべだ、リッキーは自分のために時間を割くべきなんだ。

 僕は背中に回っているリッキーの手を解いて抱きしめて包み込んだ。

「どうした?」

額に髪にキスを落とす。

「愛してる、リッキー。僕はずっとそばを離れない。ずっと一緒にいる」
「分かってるよ、そんなこと」
「これから話すこと、辛い話だ。でも僕の腕の中にいると誓ってほしいんだ」
「この腕の中に? え? 俺のことなの?」

リッキーの頭を胸に抱き込んだ。

「ああ、お前のことなんだ。迷ってた、どうしようかと。でもこれは僕が迷うことじゃなかった。それが分かった。知ってることを何もかも話す。だから終わるまでただ聞いていてほしい」

 

 頷く頭にまたキスを落とす。深呼吸をして僕は話し始めた、あの老人の語った全てを。クーデター。首謀者。殺された次男、殺された父親。今の国の状況。リッキーは黙って聞いていた。時折り息が止まり肩がピクリと震え、ほんの僅か手に力が入る。


 話し終わって静かに時が過ぎた。僕は、ただ待った。

「そうか。いつかそんなことになると思ってた。ありがとな、教えてくれて。なんだ、それを俺に言うのであんなに悩んでたのか? バカだな、どうってことねぇのに。お前が苦しむことじゃねぇし、俺もどうってことねぇよ。俺の国じゃ普通のことだからな。あいつがあの地位についたんだって碌な手を使ってねぇんだろうし。自業自得ってヤツだ。それにしても一番ひでぇヤツが残ったのか。みんな大変だろうな」

まるで他人事のように淡々と喋るリッキー。喋り続けるリッキー。

 

「アイツさ、人が苦しむの見んのが趣味みたいなヤツでさ。頭悪いし。だから誰かに担ぎ上げられたんだろうな。きっとちょっと落ち着いたら殺される。きれいさっぱり俺んちの男共は消えるわけだ。いいことだよな、それって。マルゼロは可哀想だったと思う。でもこうなってみれば早くに死んで良かったのかもしんねぇ。エミディオが死んだのはちょっと意外だ。そんなドジ踏むなんてらしくねぇけど油断してたんだろう、きっと」

 

僕の顔を見上げる。笑った、優しい顔で。

「ちゃんとお前の腕の中にいてやるからさ、寝ろよ。眠らないと体壊す。俺、こうしててやるから」

どうしてやればいい? お前は心を閉ざすつもりなのか? なぜ泣かないんだ……

「リッキー、お前……」
「しょぼくれた話は終わりだ。何も心配要らねぇよ、シフトだって一緒にしたし、そばにいてやるから。それなら安心だろ?」
「お前が寝たら寝るよ」

背中に回っている手が一瞬ぎゅっと僕を掴んだ。でも本当に一瞬だった。

「分かった。なら寝るよ。ホントどうってことねぇからな、お前も早く寝ろよ」

 キスを強請るからそっと口づけた。僕の胸に耳を当てて、そんなに時間もかからず寝息が聞こえ始める。お前はまた心を殺すんだろうか……

 次の日は何も変わらなかった。普通に講義とアルバイト。変わらないからこそ不安で堪らない。なんとか吐き出させてやらないと。そう思うのにどうしてやればいいか分からない。僕の前じゃ穏やかなリッキーを、包み込む以外にどうするのか。

 講義の間は僕らは離れてしまうけれど、リッキーと一緒のヘンリーというやつに何か変わったところがあったらすぐ知らせて欲しいと頼んでおいた。仲がいいわけじゃないが金を渡せば何でもする。ロイと違ってあまり深くものを考えないし勘ぐらないから楽だ。

 今回のことは誰にも話してないし、相談もしてない。そういうことじゃないと思っているから。それにリッキーの事情をそこまで知らないのだから話したくなかった。

 


 その次の日。ランチを一緒に食べて、午後は僕の方が早く終わるからカフェで待っていた。

「フェル!」
手を振ってこっちにリッキーが駆けてきた。
「ごめんな、すっかり待たせちまった」
「どうした、その顔!」
「あ? ああ、これか?」

左頬が腫れて唇が切れている。

「廊下でぶつかって来たヤツがいてさ、持ってた本が全部吹っ飛んじまったんだよ。ちょっとケンカになった。でもたいしたことねぇよ」
「バカ、結構腫れてる。帰ろう、口も心配だ」
「心配性だなぁ、フェルは」

嫌な予感がした。僕の前では普通のリッキー。けれど何かが変わり始めている。

 次の日もその次の日もケンカして帰ってくるようになった。僕と一緒にいない時だけ。講義中は変化が無くて、だからそこから僕と合流するまでにケンカをしてくる。聞いてもたいしたことないと言うしきっかけもささいなことだったり。

 

 僕は少し早めに教室を出てリッキーを迎えに行くことにした。

「……んだってんだよ!」
「ふざけんな! 今変な目で俺を見たろっ!!」
「たまたま目が合っただけじゃないか!」
「言いたいことがあんならはっきり言えよ!」

二人相手に殴りかかろうとするリッキーを後ろから掴んだ。

「悪かったな、行ってくれ。ちょっと気が立ってただけなんだ」
「最近しょっちゅう気が立ってるみたいだけどな!」
「フェル来たから逃げる気か!? お前らの相手はこの俺だぞ!」
「やめろって、リッキー、行こう」
 怒りで殺気立っているのを感じた。ああ、やっぱり……そう思った。何も感じないはずがないんだ。二人がすんなり行ってくれたからリッキーの肩に置いた手を離さずに歩き始めた。

「リッキー、辛いなら僕に言え。無茶はするな」
無言のリッキーの足が止まった。
「リッキー?」
「俺……俺」
体が震えはじめる。掴んでる本が歪んでいく。
「帰ろう。部屋で話そう」
「キスして、フェル……」
 すぐに唇を重ねた。そばを人が行きすぎていくけど構うもんか。リッキーが求めるものなら何でも渡したい。安心したように僕の背中をリッキーの手が掴んで歩き出した。

 もう少しで寮というところでまた足が止まった。
「どうした?」
「俺……フェル、俺、国に帰りたい」

まさかそんな言葉を聞くとは思わなかった。時間が止まったように感じた。


 抱いた。しがみつくその手がぎゅっと背中を掴む。僕の手が潜る黒髪は指の間をさらさらと滑っていく。微かに震えるから声を殺して泣いているのだと分かる。

  ――お前はいつもそうやって泣いてきたんだな、他国に来てずっと。
 自分の国を忘れようと、父を、家族を、生まれ育った何もかもを忘れようと。酷い目に遭わされたのにお前は父親を求めてたんだ……


 声を出さずに泣き止まないお前が愛おしい。どうしてお前の求めるものを拒めるだろう。

 

  ――おまえのためならなんでもする

 

 揺るがないよ、その気持ち。望むものは何でも与えてやる。欲しいなら願えよ。叶えてやる。僕にはお前以上に大切なものなど無いんだから。

 

 

 少し落ち着いたリッキーを連れて部屋に行った。ドアに白い封筒が貼ってある。開くと手のひらに鍵がポトンと落ちた。小さなメッセージカードが1枚。

  ――使ってほしい  愛を込めて――

 

「リッキー、おいで」
 不思議そうに見ている手を引っ張って駐車場に行った。一目見て分かるような古ぼけた車。でもちょっとお洒落で。多分型が古いせいだ。キーを差し込むとドアが開いた。やっぱりこれだ。

「おい、これ……」
「この間な、ちょっと世話になってた人から連絡があったんだよ。海外に行くから古い車を始末するんだけど使うか? って。つい貰うって返事したけどこんなボロくってもいいか?」
頷いて車の屋根を撫でる。
「これ、俺たちの車?」
「そうだよ。立派なのが買えるまでな」
「これでいい」
「そうか?」
「うん。これがいいよ」

中のシートは真新しいのに張り替えたらしい。ピカピカの黒だ。
「やけにシートがきれいなんだな」
リッキーがくすくす笑う。
「そうだね」
笑い声が聞けて嬉しい。
「乗れよ。初ドライブしよう」


 ずっとただ走った。どこという目的も無く。窓を開けて風を受けるリッキーの髪が舞う。どこに行こうが一緒だよ。

 決めるのはお前だ、僕はついていくだけ。

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