J (ジェイ)の物語」

​第4部
8.うそ -1

 翌日は悪夢のような一日だった。

 10時を過ぎて。部長室にジェイと共に呼ばれた。

「今日は西崎さんが見えている。言いにくいんだが……いや、直接聞いてくれ、事件についてだ。上の応接室に案内してある。河野。西崎さんはカウンセラーの友中さんとも話をしている。友中さんから君が同席した方がいいと言われたそうだ。一緒に行ってやってくれ」

 隣を見た。
(ジェイにはきっと何のことか分かっていない……)
 友中と話をしているのなら、今のジェイの状態がどうなのか分かっているはずだ。それだけが頼りだった。


「こんにちは! お久しぶりね、シェパードさん」

 ジェイに向けたにこやかな西崎の顔は、蓮に向けた顔とは違っていた。
(マズい話なのか……)

 テーブルを挟んで最近の状況を聞き始めた。

「退院してからまだ2日目ね。出勤したって聞いて驚いたのよ。でもカウンセリングの友中先生がその方がいいって言ったのね?」

 どこまで話を理解してついていけるのだろうか……

「えと、友中……」
「ほら、最後に会った女の先生だよ。覚えてないか? 仕事のことを話したろ?」
「あ、髪の長い先生。ともなかやすこ先生」
「そうよ。その先生にお仕事戻っていいって言われたの?」

 状況は把握しているらしい。子どもに聞くような話し方だ。困った顔で振り向くジェイに代わって蓮が答えた。

「その話をしたのは私です。彼はレントゲン撮影に向かったので。身内のいない彼の保護者の立場としてお話を伺いました。仕事復帰も一つの治療になるだろうというお話でしたので出勤させました」
「分かりました。私もいろいろ事実を把握しておかないといけないんです。友中先生もそう仰っていました」

 ホッとした、きちんとした確認を取ってから出勤させたわけではなかったから。

「それで」

いったんそこで言葉を区切った西崎は、一気に要件を話した。

「警察の方からの連絡を私が受けています。退院したのだから状況確認と現場検証をしますとのことです」
「え? ジェロームにですか?」
「そうです」
「でもビデオにも映っていますし、現行犯として逮捕されたじゃないですか」
「法的手続きは踏まないとならないんですよ、河野さん」

 そんなむごい話があるだろうか……

「現場検証は……」
「ここの駐車場です」
「……いつ?」
「今日の午後。本人から暴行内容についての聞き取りをして、駐車場での現場検証です。検証は多分20分くらいでしょう。それから警察署に向かいます。そこでは現場に似た部屋で……事件の状況確認となります。1時間くらいかと思います」

 ジェイは何の言葉も発しない。心の中はどう動いているのだろう。どこかでちゃんと聞いているはずだ。

「事件の状況って……」
「椅子に座っていた様子。それからベッドに寝た様子。いろいろ聞かれます」
「それは避けられないんですか? 被害者に負担がかかるだけじゃないですか!」

ビクッとジェイの体が反応した。

「被害者の誰もが思うことなんですよ。いくらかでもそういったことを軽減するお手伝いをしていくのが私たち弁護士であり、カウンセラーだったりするんです。もう一つ今のうちからお伝えしてしまいますが、別の専門家の診断を受けることにもなります。警察側の精神分析を受けるんです。裁判の用意です」

 拷問でしかない、壊されてしまう……

「なんとか対策を考えられませんか? 本人がこの状態ですから耐えられるとは思えません。全部は無理としても何か」
「そうですね…… 時間の短縮なら可能かもしれません。私がそう要求します、短時間で終わらせてほしいと」
「一緒にいることは出来ませんか⁉」
「聞き取りには私が同席しますから。現場には……その近辺まで行くことは出来ても弁護士も付き添えるだけです。あくまでも答えるのは本人だけなんです」

 

 応接室を出た。

「ね、蓮……あ、課長。今の、なんの話だったの? 俺、よく分かんなかった。どうして俺も呼ばれたの?」

(このまま……かっさらって……)

「来い」

 思わずそばにあるトイレに連れ込んだ。抱きしめる……

「頼む……頼む、戻ってくれ、思い出してくれ、ジェイ……このままじゃお前、滅茶苦茶にされてしまう……」
「蓮? 蓮、泣いてるの? どうして? 蓮」

(時間が無いんだ……)

口づけは、したくても無しだ。会社でそんなことをすればジェイが混乱してしまう。

「オフィスに戻る。話をしよう」

 

 顔を上げた池沢チームが手を止めた。

「課長、どうしました⁉ 真っ青ですよ!」
「いや、ちょっと調子が悪いだけだ」

 もう狼狽えてはいけない。ジェイがここへ帰ってくるために出来ることはなんでもしてやらなくては。
 深呼吸をした。

「午後、警察が来る。ジェイは事情聴取をされることになった。弁護士の西崎さんが同席する」
「無理だよ!」

花の声に被せて次を言う。

「その後、駐車場での検証。警察署で事件当時の状況を再現する」

誰も声を発しなかった。

「俺は近くにいてやろうと思う、何も出来ないが。ここに連れ帰ってくる。弁護士もそばにいる。後はジェロームが自分で頑張るしかない」
「何も…… 何もしてやらないってことですか? そばにいて!」
「そうだ。手も口も出せない。いるだけだ」
「俺も行く!」
「無理だ、花。ジェロームが混乱するだけだ、お前に甘える」

「ズタボロになって帰ってくるのを待つだけですか、被害者なのに」

尾高の目に怒りが生まれる。広岡が叫ぶように言う。

「精神障害を主張できませんか、どう見たってそうでしょ⁉ 俺だってパニックで障害だと認定されてる!」
「警察側の診断を受けることになるそうだ。でも今日じゃない」
「じゃ守るものがなにも無いじゃないですか……」

 

 シンとした中にジェイの声が小さく響いた。

「ジョーグル、飲んでいい?」

花がすぐに反応して取ってきた。

「ほら、飲めよ」

開けて渡したが飲まない。頬に涙が伝ってる。

「俺のことでしょ? ケンカしないで……俺の……ことだから」
「ジェローム、分かってるのか?」
「嫌なことを……されるんでしょ? でも頑張んなきゃいけないって。俺だけで」

柏木が囁くような声を出す。

「俺たちもせめて駐車場の近くに……階段の上でいいから」
「お前たちはここで仕事をしているんだ」
「でも!」
「この状態で仕事しろって言うんですか!」

蓮の手の平に痛いほど爪が食い込む。口を開けば怒鳴りそうだった。

「仕事しよう、野瀬さん。ジェローム。俺たちケンカしてるんじゃないんだ。だから普通に仕事するよ。ここでお前が帰ってくるのを待ってる。だからちゃんと帰ってくるんだぞ」
「うん、チーフ。俺、帰ってくる。みんなのジョーグル、持って行ってもいい?」
「お前んだよ」
「違うよ、花さん。みんながくれたんだよ。だからあれはみんななんだ。俺、それを持ってく」

「これからジェロームと話をする。誰か昼飯を買ってきてやってくれないか?」
「私が。ジェローム、美味しいの買ってくるからね」
「はい。三途さん、ありがとう」