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Fel & Rikcy 第5部[ 帰国

​3.旅立ち

「忘れ物は無いか?」
「無ぇよ、全部持った」
「部屋の見納めかもしれない。いいのか?」
「ちゃんとしっかりシャワー浴びたし。それに俺の家はお前のいるとこだ」

 それだけで充分だった。車に荷物を放り込んで出発した。もう後は振り返らない。
(悪い、シェリー)
それが置いていく最後の言葉。

 

 誕生日を祝ってもらった次の日、僕とリッキーはとんでもない忘れ物をしていることに気づいた。シェリーは僕とおんなじ誕生日じゃないか!
 僕らはすぐに出かけて細い銀のブレスレットを3つ買った、3人でお揃い。受け取ったシェリーは僕らが慌てるほど泣いて喜んでくれた。
 そうだよね、シェリー。姉弟と名乗り合って初めての誕生日だったんだ。渡せて良かったよ。心残りになるところだった。

 


 空港までは1時間半。リッキーはいろんなことを教えてくれた。

「俺の国、『Mar y sol』っていうんだ」
「知ってる、『マル・ィ・ソル』だよな」
「ちょっと違う。『マルィ、ソル』だ」
「『マルィ、ソル』?」
「うん。それを早く言って、マリソル」
「マリソル」
「そう」
「きれいな名前だな」
「『海と太陽』って意味なんだ」

リッキーの声が嬉しそうだ。

「海と太陽か。きれいだって言ったね、海」
「そりゃもう! あんなきれいな海は無ぇよ! 隣の国のべリーズはカリブ海の宝石とか言われてるけど、俺んとこも負けねぇくらいきれいなんだ」
「ベリーズはグレートブルーホールで有名だね」
「うん……でも、俺んとこだって!!」
「ああ、もっときれいな海なんだよな、早く見たいよ、お前の海」

 やっぱりそういうもんだよな、自分の国が最高なんだ。こんなに生き生きとして……国を出なきゃならなかった時、お前はどんな思いだったんだろう。

「他には?」
「えと……あのな、フェル。ミッチの言ったこと、ホントなんだ。タトゥーが多いヤツはヤバい。全身にしてたらそりゃボスクラスだ。それから通りでは年中泥棒がうろついてる。金は隠して……バッグん中とかはダメだ、靴もダメ。連中は真っ先にそこを調べる。下着ん中か靴下だな。で、USドルで5ドル札と10ドル札を1枚くらいずつケツのポケットに分けて入れとく。小銭も少しな。それ取れば連中は引き上げてくから後は騒ぐな。その後次の分の小銭を用意するんだ」
「それで助かるのか?」
「まず大丈夫だ。それでも充分大金だから」

貧しい国なのか、失業者が多いということか。

 

「アメリカ人は嫌われてる?」
「それは歴史のせいだ。土地をだいぶアメリカに取られたからな。でもそれを怒ってんのは年寄りがほとんどだ」
「ラテンアメリカってもっと陽気な感じかと思ってたよ」
「陽気だけど……フェル、『ラテンアメリカ』って言うなよ。相手によっちゃ半殺しにされる。その名前、嫌われてんだよ。『イスパノアメリカ』って言った方がいい」
「『イスパノアメリカ』」
「うん。スペイン系の人間は『イスパニダード』だ」

「覚えることがたくさんあるな」
「ややこしいからな、あっちの方って。やっぱ歴史のせいなんだけど。『ラテンアメリカ』って、外の連中が勝手につけた呼び名だからな、みんな強いプライドがあるから」
「英語、全く通じないのか?」
「そうとは限らない。やっぱ英語は大事だ。観光ってのも大口の収入だし、だからある程度は通じるヤツもいる。それでもほとんどはスペイン語とマヤ語だ」
「マヤ語? リッキーもそう?」
「うん。スペイン系のスペイン語とはだいぶ違う。だから普通のスペイン語覚えて来たヤツはたいがい失敗する」
「じゃ、下手に喋れない方がいいんだな?」
「ああ、そうだ」

知らないことばかり。そう考えるとアメリカは単純な国に思えてくる。

 

「あと知っておいた方がいいことは?」
「……ベリーズとかホンジュラスは世界的に危険地域だって知られてる。けどその陰に隠れてるだけでマリソルも変わんねぇ。麻薬とギャングと兵隊の街だ。油断できるとこなんて無ぇんだ……」
「リッキー、きれいな海があるんだろ? 恥じるな。アメリカだって一歩裏を見りゃ碌なもんじゃないとこがいくらでもある」
「でも……マリソルは普通に禄でも無ぇんだ……」
「それでもお前の国だ」
「フェル……」
「だから帰るんだ、そうだろ? そう簡単には行けないさ。もしかしたら最後になるかもしれない。だからそのつもりで行こう。そして帰ってくるんだ、無事にこの国に。きちんとリッキーが自分の国にサヨナラ出来たら、その時こそアメリカがお前の母国になる。自分の国に別れを告げるって大変な事なんだろうな……でも、僕はそう思っているんだ」

 

 これは強要できることじゃない。むしろ強要しちゃいけない部分だ。後はリッキーが決めることだ。辛い荷物を下ろすことは簡単じゃない。そこにはたくさんの決断が要る。捨てられない荷物なら尚のこと。リッキーが必要としてくれて、初めて僕はそこに介在できる。

 ボルチモア ワシントン国際空港。ここは近代的に出来ていて妙によそよそしい。レトロな空港の方が僕は好きだ。食べるものはとにかく高い。リッキーと顔を見合わせて食べるのを諦めた。金は大事に使いたい。

「時間あるからさ、外に出ようか」
「俺、腹減った」

 朝は早くに食べて出てきた。ぐずぐずすると誰か来るかもしれないし、講義が始まって学生が流れる中を出たくなかったから。今はまだ10時半。フライトは2時なんだから余裕があり過ぎるくらいだ。とは言っても、駐車場から空港カウンターまでの方がよほど時間がかかるんだけど。

 

「1時前にはここに戻ろう。この近くでカフェでも見つけるか」

二人で探しながら歩いた。意外と手頃なカフェがあったからそばのファーストフードは無視してそっちに入った。でも値段の割にはコーヒーが不味い……

「マリソルに行ったらコーヒー美味いから! こんなんとまるで違うんだ!」

リッキーのテンションが高い……

「せっかく行くんだからマリソルのいいとこ、あちこち連れてってくれよ」
「もちろんだよ! 俺、見せたいとこたくさんあるんだ、海だけじゃなくって」

 もう行くことが無いだろう。そう思うから余計妙なテンションになってるんだと思う。テーブルの上のリッキーの手に僕の手を重ねた。自然に指が絡み合う。

「楽しみだ、本当に」
「うん」

 僕の笑顔にリッキーの笑顔が応える。お前の手を離さないよ。ぎゅっと力の入った指にリッキーの手にも力がこもった。

 

「そう言えばさ、名前、フェラルド・ヘイワードとリック・ヘイワードだろ? 偽名ってもっと違うのにするかと思ってた」
「咄嗟に出る名前って呼び慣れた名だろ? フェルとリッキーで済む方がいいんだ。ヘイワードもそう。うっかりしてもバレにくいだろ?」
「そうだな……フェルさ、そういうの考えるの得意だよな。裏っぽいこと」
「裏っぽい?」
「ああ。悪だくみっぽいってヤツ。アルよりフェルの方がギャングに向いてたかもしんねぇな」

 

 ちょっと笑えないジョークだ。ミッチがいつも言っていた。
『お前は素が違うからな。ある意味アルよりタチが悪いかもしれない』

 僕のしてきたこと。『ニトロ』というあだ名。あの9日間。もしかしたらミッチが言っていた言葉は僕の芯をついていたのかもしれない……
 スーはもう遠い人になったけれど、あの辺りが僕のターニングポイントだった? いや、本当のターニングポイントはリッキーを愛していると自覚したあの時なんだと思う。リッキーと出会って全てが変わった。

「ごめん、俺変なこと言ったんだな、悪かった」

「あ、違う、考え事してただけだ。気にしなくていいよ」

 僕の変化にリッキーは敏感だ。あまりこの旅の中で心配をかけたくない。リッキーは自分の考え事で忙しいはずだから。

 飛行機は味気ないものだった。コーヒーは美味しかったけど、他にこれと言って印象に残らなかった。でもリッキーにいろいろ教わるから退屈じゃなかった。

「街の名前、難しいな。英語とまるで違うから覚えにくい」
「フェルなら大丈夫だよ。メキシコのカンペチェからのバスってチュロサカ行きなんだろ? でもその手前のタキナで下りよう。チュロサカって旅行者の終着点みたいなもんだから狙われやすいんだ。観光気分で来たヤツって油断してるからな。パスポートも隠せよ」
「パスポート?」
「売れるんだよ、高く。ヤバいことやる連中多いからさ、盗むの。で国外に逃亡する」

 聞けば聞くほど凄い国だ。そういうことをする連中はアメリカにだっている。けれどこの国は桁外れだ、それが日常だと言うのだから。

「タキナからどう動く? 海、行きたいんだろ? どこかで花買えるか?」
「いいの!?」
「もちろんだよ! それも今回の目的の一つだから。せめてそれだけでも無事に済ませたい」
「うん……ありがと……」
「泣くなって。当たり前のことなんだから。で、ルートは?」
「タキナから歩いて隣町のア二トまで行く。この辺りは比較的大人しいとこだから大丈夫だ。そこから40分位バスに乗って海岸そばのサンブレスって町に行く。歩いて30分位したら……」
「分かった。目的の場所に着くってことだね? じゃ真っ先に済まそうな。その後のプランは?」
「フェルはホテルにいてほしいんだ。俺、知り合いの爺さんがいるからそこで話聞いてくる。どんなだったのか、今どうなってるのか」
「却下だ。一人でなんか行かせない」
「でも、危ないんだ、本当に。俺なら何とかなるよ、言葉も分かるし」
「リッキー。僕が足手まといだと言うのなら言うこと聞くよ。はっきり言ってくれ」
「足手まといだなんて……俺、怖いんだ、フェルに何かあったら」
「お前は自分の心配だけしてればいい。夫の言うことは聞くもんだぞ」
「……亭主関白だ」
「たまにはね。いつも言うこと聞くだろ? 奥さま」

ポッと赤らむ。どれほど経ってもやっぱりリッキーは貞淑な妻だ。思わず指輪にキスをする。

 サンアントニオには夕方5時半に着いた。緑豊かで、こんな時間なのにまだ暑い。7月終わりなんだから当たり前と言えばそうなんだけど。でもメリーランドと違ってカラッとしている。

 時間があればリッキーとリバーウォークに行ってみたいけど6時10分のエルパソ行きのバスに乗らなきゃならない。結構タイトなスケジュールだ。

「帰って来たらさ、リバーウォークでデートしよう」
「デート?」
途端にリッキーの顔に笑顔が溢れた。
「アメリカのベニスって言われるくらいにきれいなとこだよ。街をぐるっと川が囲んでいて、イルミネーションが凄いんだ」
「フェル、来たことあんのか」
「違う、友だちがそう言ってた」
「なんだよ、受け売りか」

そうだ、デートしに帰って来ような。お前とその明かりの中を歩き回りたい。

 

 

「しっかり飲み物と食べ物買っとこうぜ、11時間のバス旅なんて死んじまいそうだ」
「今からそんなこと言ってどうするんだよ。シウダー・ファレスからグアダラハラまでは24時間乗るんだぞ」
「飛行機にする?」
「だめ」
「本当にきっと死んじまう……」

飛行機の乗客名簿。あちこちの空港に二人の名前が残るのは避けたかった。

 

 バスの中はまぁまぁだった。それでもバスはバスだ。この座席の硬さならきっと1時間も座ってたら尻が痛くなるだろう。
「これで11時間!?」
 リッキーがアメリカに来た時は飛行機と高級車に乗って来たんだろうから、うんざりした顔になるのも無理はないんだけど……

「こら! 文句ばっかり言うんじゃない、お前も男らしく黙って乗れ」
「俺、男じゃねぇもん、お前の奥さんだもん」
時々リッキーはこういう言い方で逃げるんだ。でも今回はそうはいかない。

 

 バスでの長旅が始まる。乗ってる内にゆらゆらするのが心地良くて、座席の文句も忘れてリッキーも僕もうとうとし始めた。こんな旅をするのはお互い初めてだ。緊張していたのがバスの揺れで解れてくる。周りもみんな居眠りしてるし。終点まで行くんだから余計気持ちがゆったりする。
 リッキーの頭が肩にもたれてきたから膝の上に載せてやった。少しもぞもぞしてたけど、その内楽な姿勢を見つけたらしい。動かなくなってすぅすぅ眠ってしまった。荷物にしっかりと手を置いて僕もうつらうつら始めた。


 荷物をを引っぱられる感じに目が覚めて咄嗟に引き寄せた。
「フェル、俺だよ。腹、減ってさ」
僕の膝に寝転がったままバッグからペットボトルと食べ物を取ろうと頑張っていたらしい。
「起こせばいいんだよ」
「だって気持ち良さそうだったから」
「何時頃だ?」
ペットボトルを渡しながら聞いた。
「8時半。外、きれいだぜ」

 

 ホントだ、遠くに輝く街の光。手前が暗いから一際映えてきれいだ。
「な、エルパソじゃ泊まらないんだよな。飯食う時間くらいあんのか?」
「えと……」
スケジュールを書いたメモをポケットから出した。
「エルパソに明日朝6時前に着くよ。で、30分くらい歩いてメキシコへの国境を越える。その後バスが10時過ぎだ。間が空くから、エルパソか国境渡った後か、どっちでも食えるよ。どっちがいい?」
「うんと……」
「エルパソならステーキが美味いんじゃないかな」
「ステーキ! ステーキが食いたい!」
「分かった、じゃそうしよう。そうだな、メキシコじゃステーキは期待できないかもしれないし」

 

 途中6回くらい休憩で止まった。運転手だって疲れるんだろうし、交代もあった。その度に二人で外に出て夜の空気を吸ったりトイレを済ませたり歩き回った。とにかく体を伸ばさないと座り続けられない。本気でシウダー・ファレスからの24時間のバスが不安になってくる。

 交代してからのドライバーは運転が荒くて参った。平気で急ブレーキをかける。とうとう他の乗客が文句言ったくらいだ。だから僕らは2時くらいからはまともに眠ってない。でも飛ばしていたせいか、5時ちょっとには着いた。

 終点に着いた時にはホッとした。

「ひどかったな、あの運転手!」
「ああ、疲れたぁ!!」


 腹が減ってるけどまだどこも開いてない。当然だよな、こんな時間なんだから。しょうが無いから近くにあるベンチでバッグに入れてきたビスケットやらチョコチップクッキーやらを食べてすきっ腹を誤魔化した。途中でリッキーが笑い始める。

「どうした? 何が可笑しい?」
「だってさ、やっとバス下りたのに座り心地が変わんねぇ!」
確かにそうだ、ベンチはしっかり硬い。僕も笑い出した。ひとしきり笑ってリッキーが静かになった。

「ここで……ここでならフェル、お前引き返せる」
「またその話を持ち出すのか?」
「この後は国境越えるんだぞ? みんなのこと考えたら……」
「僕は考えない、誰のことも。振り返る気は無いんだ」
「そんなこと言ったって! シェリーとか」
「黙れよ」

また泣きそうになる顔に口づける。たっぷりのキスを味わう。

「チョコの味だ」
「フェルも……」
「先のことを考えよう。帰ったらきっとみんなから大目玉を喰らうよ。それを覚悟しとかなきゃな」

 

「な、サンアントニオからここまでバスじゃなくても良かったんだろ? なんで飛行機にしなかったんだ?」
「飛行機じゃ足が付く。僕らの行先はいずれバレるとは思う。エディなら乗客名簿を調べるだろう。だからバス。シウダー・ファレスに向かっているのは分かるだろうけど、これで時間帯は分からなくなるはずだ」
「探しに来ると思ってるのか? 飛行機なら」
「少なくともシェリーならやり兼ねない。だから時間を確定させない。経路もね」

「俺が一人で来てたらお前には簡単にバレそうだな」
「一人にする気なんか無いけどね」

 もういないことがバレてるだろうか。どんなに心配するだろう。そんなことを考えたくなかった。

 

 いろんな別れ方がある、人生には。もしかしたら僕は一番酷いことをみんなにしているのかもしれない。行方不明。生死不明。そんなことだって考えられるんだ。
 けれどそれは僕の選択。この道を選んだんだからもう後ろは見ない、先のことだけ考える。それが僕の生き方だから。

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