宗田花 小説の世界
九十九と八九百と十八
5. 「ウンチだったらどうします?」
さすがに眠くなってきた。夕方 4 時から夜中の 1 時半までのバイト。朝は8時に起きてゴミ出ししたし。
「悪い、寝る」
「あの、僕はどうしたら」
「布団あるから。十八と一緒に寝れば?」
「困ります!」
「なんで」
「夜中泣いたらどうしましょう」
ちょっと無言になる。
「ホントにこの子のパパじゃないわけ?」
「分かんないです」
「でも抱いてたろ? 車の前にいた時」
「そうなんですよね……」
不安になって来た。記憶喪失だとして。なら頭を打ってるとかが原因? ならこのアホさ加減にも納得がいく。だいたい全然焦ってないのはなんでだ? 俺ならきっと慌てる。たとえ記憶喪失になったとしても立派に慌てて見せる自信がある!
「どう見たって八九百がパパだろ。じゃなかったら……」
恐ろしいことを想像(妄想?)してしまう。
『しめしめ、赤んぼが一人でいる。こいつをさらって身代金を……』
『誰だ! ウチの子をどうする気だ!』
『金と引き換えだ、5,000万用意しろ』
『そうは行くか! えいっ‼‼』
頭をバットで殴打されて倒れそうになる男A。そのバットを奪って相手を強打! 父親が倒れている隙に赤ちゃんを抱き抱え窓から外に逃げる。走って走って走り抜いて、暑くなったから途中で上着を脱ぎ、また走って。その内殴られた頭がぐらぐらしてきて眩暈を起こしたところに善良な若者の車が。ライトに目が眩んで一気に記憶喪失…………
「何か考えてます?」
「わあああ‼」
「わあああ‼」
互いに驚いて後ろに後ずさりした。
「頭」
「頭?」
「見せろよ」
ちょっと怖いけど、今は記憶喪失だから暴れないだろうと踏んで髪の間をあちこち覗いた。
「傷も打ったような痕も無い……」
「九十九さん、やっぱり優しい…… 手当てしてくれるつもりだったんですね」
「も、もちろん! ケガしてたら大変だし」
いったん、さっきの妄想を取り下げる。
「パパじゃなかったら僕はその子のなんなんでしょう」
「さあ…… 俺に聞かれても」
「分かんないからパパってことにしときます? その方が悩まないで済むんなら」
「じゃあ、それで」
なんとなく安直な気がするけどそうすることで互いに了解した。
「それじゃお休み」
「待って!」
「今度はなんだよぉ」
ワンコ目になってる八九百の頭を撫でたくなるのを抑える。
「パパだからって、夜中に泣かれたらどうしたらいいか」
「抱いてあやせよ。その内寝るだろ?」
「でも、おむつとか替られないです」
「ハサミ置いとくから。鈴蘭テープ切って全部剥がして、引き出しからペーパータオルとバスタオル出してさっきの要領で縛る」
疲れてるんだ、寝たい。後は親として子どもに責任持ってもらいたい。
「でも!」
「なに……」
疲れる。
「ウンチだったらどうします?」
……それは思いつかなかった。どうしたらいいんだ? 大人じゃないからトイレは役に立たないだろう。そうかと言ってあのバスルームでウンチのついたケツを洗われるのはいやだ!
しょうがないからまたパソコンをつけた。育児のサイトを探してやり方を見る。
「あ、動画がある!」
二人で頬がつくほどに肩寄せ合って一心にウンチの世話の動画を見た。
「なるほど、肌が弱いから普通のティッシュで拭いちゃだめか」
「何か拭くもの、あります?」
「そうだなぁ……」
パッと閃いてシーツをもう一枚出してきた。これは一番お気に入りのシーツだ。結構長く使ってるから触り心地が滅茶苦茶いい!
あまり考えないように、考えないように、とハサミでハンカチくらいの大きさに切っていく。
(さよなら、マイシーツ)
「ほら、これをキッチンのお湯で濡らして拭く。ならいいだろ?」
「拭き終わったら洗っておけばいいですか?」
「どこで?」
「キッチンで」
「ぼ、ぼうりょくは、だめ、ぼうりょくは、」
考えるより先に手が出ていた。品行方正だったはずなのに。でもムカッと来たんだ、キッチンでウンチついた布切れを洗う? だから引っ叩いていた。みるみる白いきめ細やかな頬に赤い手形が浮き上がる。
「すみません、僕が悪かったです。そんなわけ無いですよね、キッチンで洗うなんて」
「分かればいいよ。ごめん。俺も思わず叩いて」
「洗濯機に入れておきますから安心してください」
「ぼ、ぼうりょくは、」
「悪い、もう耐えらんない。スーパーの袋置いとくからそれに入れて捨てる。いいな? 取っておこうなんて考えるな!」
「はい……」
ワンコのしっぽが足の間に入り込んだような顔の八九百。俺はつい顎を押し上げておでこにチュッとしていた。真っ赤になって手形の痕が薄れる八九百。
「ご、ごめん…… 疲れてるから、その…… お休みっ!」
今度こそ俺は隣りの部屋に敷いた布団に潜り込んだ。チラッと思い出す。
(驚いた顔…… 可愛かった)
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