Fel & Rikcy  第3部[9日間のニトロ]  23(9日目 -夜-)

  (F)

 隣にシェリーが座っていることすら忘れていた。頭の中が空っぽだ。まるで夢でも見ていたような、外から切り離されたところに僕はいた。病院の駐車場に入って車を止めてじっとする。違う、動き方を忘れた。

 

「フェル、あんた自覚あるかどうか分からないけどどこか壊れてる。アルのことが関係してるの?」

 

 静かな声がするから何となくそっちを見た。
「シェリー? どうしてここにいるの?」
シェリーの手が伸びて来る。頬を温かい手が触った。

「今度ゆっくり話しましょ。いい? 私を除け者にすんじゃないわよ。今回もそう」
シェリーの声が優しい。
「みんなに一緒にお礼を言いに行こうね。そしてちゃんと謝ろう。みんなあんたが心配で、それだけで動いてくれたの。あんた達の事情なんか知りもしないのにね。だからきちんとお礼言おう。お姉ちゃんが一緒に付いてったげる。あんたは大事な弟だから」

何を言われているのかよく分からない。言葉が素通りしていく。
「どうして? どうして泣いてるんだ? 誰か何かしたか?」
「フェル……ごめんね、気がついてあげられなくて。でも大丈夫。あんたにはリッキーがいるんだから」

 車を降りた。シェリーが回って来て背伸びしてキスをくれた。

「リッキーは……大事な人なんだ。だから守らなくちゃいけなんだ」
よく分からないけれどそれだけははっきりしていた。

「俺、お前の大事な飾りもんなんかじゃねぇよ」

 

リッキーの声に振り向いた。車椅子に乗ったリッキーが母さんに押されてそこにいた。

 

「ビリーが連絡くれた。待ってたんだ」

リッキーの前に膝まづいた。僕の大事な人。愛しい人。愛をくれる人。

「腫れもんに触るような暮らしはしていけねぇ。そうだろ? 俺たちは支え合うけど依存し合っちゃいけねぇんだ。このままじゃ俺はただお前に守ってもらって、一人じゃ歩けねぇ人間になっちまう……それはイヤだ。俺、お前に対等に扱ってほしい。横に置いてほしい。お前の後ろにいて、お前越しに先の方を見んのはイヤだ」
「リッキー……」
「お前が教えてくれたんだ、そうやって生きていこうって。今やっと俺、お前が言ってたことが分かったよ。互いに助け合うんだ、俺ばっか助けられるんじゃなくって。俺、お前を愛してるんだ。俺もお前を守るんだ」

 

 リッキーの膝に頭を載せた。手が髪に潜り込んでゆっくり撫でてくれる。僕は目を閉じた。優しい手。ホッとする、何もかもが消えてしまったような感覚…… 夢の中みたいな。でも、きっとこの手は僕を離さないでくれる。

「リッキー、疲れた」

  (R)

「ジーナ、帰ろ! 後は任せたわ、リッキー。あんたがフェルの面倒を見てくれるわね?」
「うん。俺の大事な人だから」
「リッキー、フェルをお願いね……あなたしかいないから」
「母さん、俺にもフェルしかいねぇんだ。だから大丈夫。俺たちなら上手くやっていけるよ。フェルの面倒は俺が見るから」

 フェルの髪にキスをしている母さん、シェリー。でもフェルはなんの反応もしない。母さんもシェリーもタクシーで帰って行った。

 一目で分かった、フェルがおかしいのが。ひどく疲れてる。心が遠い、どっか行っちまうみたいに。ちゃんと俺を病室まで連れてってくれてベッドに横にしてくれて。すごく優しくてきれいな笑顔のフェル。でも……
 そうだ、あん時に似てるんだ。俺を憎むくらいなら自分を捨てようとした、ファントムペインに捉まっていたあの頃。

「フェル、こっちに座れよ」
 すごく素直だった。すぐ脇に座ってキスをしようとしてくる。その抱こうとする手を握った。まだ手は痛むけどそんなこと言ってらんねぇ。目の前でフェルが崩れていってるのが見える、まるで砂で作られてるみたいに。

 

「フェル、俺が見えてるか?」
「もちろんだよ。なんで? お前は僕の愛しい奥さまだ」
「フェル、今日洗濯、ちゃんと出来たって思っていいのか?」
途端にギラリとしたもんが目の中に走った。
「終わった。全部きれいにしてきた。もうお前は何も心配要らないんだ」
「……お前、今俺の目を見てそう言ったから俺は何も聞くつもりねぇよ。ただな、お前が本物だったらってことだ」
「本物?」
「いつだ? いつ入れ替わったんだ? 今のお前に」
「入れ替わるって……なんのことだよ」
「お前ん中に違うお前がいる」
「リッキーは僕が多重人格だって言うのか?」
「そんな大層なもんじゃねぇよ。お前の中にお前を消すやつがいるってことだよ。きっと自分でやってるんだ」
「何を言ってるか分からないよ」


「一番最初に……お前が絶望したのはいつなんだ? 俺がこんな怪我をして」

 フェルの唾を飲みこむ音が聞こえた。やっぱりそれが原因なんだ。

「俺が死んだら自分も死のうと思ってた そう言ったよな。それ、いつ?」
「……最初は……」
「最初?」

「お前の血が止まらなかった時」

 

「次は?」

「救急車でお前の手を握った時」

 

「医者が全力を尽くすって言った時」
「お前が手術室に入って行った時」
「真っ白な顔で手術室から出て来た時」
「お前が目を開けずにそれを待っていた時」
「お前が……」

 

 淡々と言葉が止まらなかったフェルがつっかえた。俺は手を撫でた、そんなに何度も……何度も死のうと思ったのか?

「お前の心臓が止まったと聞かされた時」

 

 俺もそれは後で聞いた。けど自分じゃ分かんねぇからどっか他人事だった。

「お前は……消えてたかもしれないんだ……僕の前から、僕のそばから、この世界から、お前は消えてたかもしれないんだ、僕は一人で残されて、お前のいない世界に残されて……リッキー……いやだ……リッキー、いてくれなきゃ……お前がいなくてどうやって生きていけばいい? なのに僕はお前のそばから離れたんだ、そばにいるべきだったのに!!!!」

 俺は間違ってたよ、フェル。お前は強いやつで、いつだって俺が守られてんだと思ってた。違うんだな。お前は強くなんかねぇんだ……そうじゃなきゃいけなかったんだ……
 それって全然違うよな。お前を守るやつも甘やかすやつもずっといなかったんだ。シェリーが言ってた、何度ももう立ち直れないだろうって思ったって。

 

 涙の止まんないフェルを抱きしめた。
「言ったろ? 俺はお前を置いてかない。どこにも行かねぇし一人にしねぇって。もう大丈夫なんだ、だから安心していいんだ」
「でも、あいつが生きている! お前を穢してお前を否定して、お前の存在を脅かして! もう二度と僕は失わない、今度こそちゃんと守り切って見せる」

「フェル、俺が見えてるか?」
「さっきも……そう聞いたね、見えてるに決まってるじゃないか」
「違う。俺じゃねぇよ。誰を見てる? 俺、生きてる。死んじゃいねぇ。フェル、頼む、俺を見てくれ。俺だけを見ててほしい。他のヤツのことなんか考えるな」
「他の……?」
「なぁ、分かんねぇか? お前、売人の車爆破させたんだよな。下手したらバレて自分が殺されたかもしんねぇ。スーのことだよ」

フェルの体が震えた。

「それからもう一人」
「もう……一人……」
「お前の……ごめんな、でも俺しか言わねぇから。お前の親父だ。お前は親父がいるってことがきっと嬉しかったんだ。なのに川に浮いた…… お前さ、小さかったんだよ。何も出来るわけ、ねぇんだ。だから自分を許してやれよ」

「あいつは母さんを襲ったんだ!」
「ああ、そうだな。それでも親父だった。俺さ、クソ親父だけどやっぱ、アイツ親父なんだ。だから俺を殺さずにいてくれた。そう思ってんだ。ホントなら殺されてんだよ、アイツの性格ならな。でも殺さずにいてくれた。だから分かるんだ、お前にとって親父だってことに変わりねぇんだってこと」
「そんなこと……ない、僕があいつのことで喜んだなんて……」
「どっちも潰したのはアルだ。だからアルのこと、許せねぇんだ。そん時もお前、死のうとしたんだよな。オルヴェラがアルに見えたのか? だから復讐しようとしたのか?」

 返事が出来ねぇってことは、フェルにも分かったってことだ。体がずっと震えてる……


 俺はフェルにとって三番目に失うものになってたかもしれなかった。きっと『失う』って感じた時にフェルはおかしくなってたんだ。だから今度こそ失わないためにオルヴェラを潰しに走った。

 フェルを引っ張った。隣に寝せて腕の中にフェルの頭を抱き込んだ。髪を撫でた。
「寝よう。俺、こうやっててやる。お前、疲れたろう? ずっと一人で頑張ったんだよな、俺のために。もう俺、大丈夫だ。もうすぐ退院も出来る。そしたらずっと一緒だ。だからぐっすり寝ような。俺、抱いててやるから」

 泣いて震えてるフェルは俺の胸で少しずつ落ち着いて、寝息を立て始めた。


 そうだ、シェリーはこうも言ってた。

『あんたに何かあったらこれじゃすまない。だから気をつけて』

 

 俺はお前のために無事で元気でいなきゃなんない。お前を守るために。俺、死んだりしねぇからな。もう一度髪を撫でてキスした。俺もフェルの体温でいつの間にか眠っていた。

      ―― 第3部 完 ――