
宗田花 小説の世界
Fel & Rikcy 第1部
16.愛してるなら
いろいろな事実が浮かんできて、どれから手を付けたらいいかまるで分からなかった。どこまでが憶測なのか。僕はどこまで確信しているんだろう。彼に聞くべきなのはなんだ? リッキーに伝えていいのはどこまでだ?
「すみません、しばらく1人にしていただけませんか?」
「私は……君に言おうと思って来たんだ」
「何を?」
「これ以上首を突っ込むなと」
「そうですか…… 僕には首を突っ込んじゃいけない境界線が見えないんです」
「……明朝、話そう。その写真はしばらく持っていて構わない。その後どうするかは今は考えずにおこう」
写真をじっと見た。最初に見た時に何も疑わずにリッキーの母親だと思った。自分の直感は正しいのだと今写真を見直してそう思う。なら……
『孫のように見守ってきた』
『命をかけて責任を持つと言った』
どの言葉も1つの事実に辿り着くじゃないか。この生ぬるい監視。目の届く範囲にリッキーを置いておきたかったのは、本当にリッキーの父親か?
リッキーに聞いた非情な将軍としての父。アメリカに送ることさえ考えていなかった…… 担任を消して、リッキーを食い物にしていた連中を始末して。
自分の地位を脅かす張本人のリッキーをどうするつもりだった?
「葬るつもりだったんだ」
声にしなきゃ良かった……現実味を帯びたその言葉。
『少なくとも今生きてはいる。アイツが示した最後の温情ってヤツだ』
リッキーはそう言った。そこにはまだ親としての情があったと信じて。
祖父はリッキーの命乞いをしたんだ、非情な将軍に逆らうことに自分の命を懸けた。
『私が殺した』
なら、あの意味はなんだろう。すでに本国では死んでいることになっている。
もう一度、殺した 行動範囲を制限した
何の必要があった? 本当はリッキーは生きている。それを知っていたのは……
目眩がしそうなほど、その行き着く結論に怒りが渦巻く。悲しみが渦巻く。
リッキーは本国で周囲を欺くために殺された。そして、リッキーの死を諦めない父親の目を欺くために再度殺された。二度目の死を隠すためにリッキーは何もかも奪われた。
言えやしない、リッキーには。じゃ、僕がこれ以上知る必要があるんだろうか。いつか口に出てしまうかもしれない、何かの拍子に。そんな危険を侵してまで知りたいか? リッキーにとって一番いい選択はなんなんだろう……
まるで昨日という衣を脱ぐように夜が消えていった、考えがまだまとまらないというのに。シャワーの刺すように冷たい水に体は凍え、痛み、麻痺していく。震えはとうに止まり、ただ感覚だけが研ぎ澄まされる。要らないものはみんな剥がれ、排水口に流れていった。
――考えない
――用意しない
僕の準備が出来た。
朝食が並び、彼が正面に座った。
「夕べは食事に手をつけなかったそうだね」
最初の頃の厳しい声じゃなかった。今の僕には必要の無くなった優しさがあった。
「リッキーはお母さん似なんですね」
僕から出た言葉には抑揚がなかった。
――考えない
――お前のためなら何でもする
彼は硬直していた。
「いい写真です。これを撮ったのはあなたですか?」
返事が無い。
「あれこれ知りたいとは思いません。でもこれだけは知っておきたい、リッキーはお母さんにいつか会えますか? 母親だと知らなくてもいいから」
間が空いて、棒のような答えが返ってきた。
「それは無理だ、リアナは死んでしまった…」
続いた質問は空っぽになってしまった僕の言葉なんだろうか……
「どこで? どうやって?」
囁くような声。時間が凍った。あのシャワーより冷たい……
「娘は……海に身を投げた」
「リッキーは……それがお母さんだと知っていた?」
「いや。リカルド様はご存知ない。あの方にとって娘はあくまでも乳母だった」
リッキー お前…… 何もかも……
「リッキーは……」
僕の中にそれ以上言葉は生まれなかった。冷たくて乾いた怒り。
「いえ、聞きたいことはそれだけです。僕は今日帰ります。あなたが誰でもいいです。リッキーを僕にください」
やっと彼は顔を上げた。
「間違えないでください。僕は頼んでる訳じゃないんだ。確認しているだけです、彼はもうあなたのものじゃないと」
「リカルド様は」
「リカルド でしょう? あなたの中では」
「リカルドは……娘の忘れ形見だ。君は本当に幸せを約束出来るのか」
「あなたに約束する必要はありません。それはリッキーと僕の問題だ」
「送金はする。生活を手伝わせてほしい。私の条件はあのままだ。それ以上は言わない。何かあれば手を貸したい」
「要りません、金も条件も何もかも。リッキーは自由です。僕らは何の束縛も受けません」
「私は孫を守りたいんだ!! だから刺された時に死んだと報告したんだ!!」
「あなたはリッキーを二度殺した。三度も殺させやしない。あなたの孫はこの国であなたが殺した、抜け殻にして。もうたくさんだ、彼はリカルドじゃない、リチャード・ハワードだ!!!!」
「君は……惨いことを言う……」
「リッキーを惨い目に遭わせたのはあなただ、何年も。あなたのしたことはリッキーを守りはしなかった。自己満足のためにリッキーを縛り付けたんだ」
弁解の言葉も、反論も出なかった。そこにいるのは軍人のように毅然とした老紳士じゃない。ただの萎れた年寄りだった。気づいてるんだろうか。『リカルド』を守りたかったんじゃない。その向こう側に見える『リアナ』という愛しい娘を守りたかったということに。
どういう経緯でリッキーの父親に抱かれたのかは知らない。リッキーを産んだあの女性は上官に差し出され、そして海に身を投げて死んだ。そしてその事実をリッキーは全部知ってたんだ。
父親が動いてたんじゃなかった。リッキーの父親はとっくに、正妻との間に生まれれたわけじゃない息子は死んだと思っていた。アメリカに来てすぐに、リッキーは本国とも父親とも縁が切れてたんだ……
「リカルドを……大切にしてくれ、頼む。あの子の傷を癒してやって」
「僕に傷を舐め合う趣味は無いです。互いに相手を幸せにする努力を惜しみなく精一杯する。でも妥協はしません。喧嘩もすれば泣かせもする。僕らは普通の夫婦になるんだから。あなたはああするしか道が無かったと言うのでしょう? 愛してるならリッキーを離してください」
写真は返した。多分今のリッキーを苦しめるだけだ。
盗聴器の場所を聞いた。
僕らの情報を流していた人間を聞いた。
最後まで渡そうとしたアタッシュケースは受け取らなかった。
せめて自分に送らせてくれという言葉を拒んだ。
クロロフォルムは自分から吸った。
彼がついてきたかどうかは知らない。
リッキーのお母さん。分かってください。
可哀想だなんて思わない。
僕が酷い仕打ちをしたとも思わない。
もうとっくに『リカルド』はあなたの父親に殺されていたんだから。
ピシャン! ピシャン! と、結構な勢いで頬を引っ叩かれていた。
「いい加減にしろよ!」
「あら、起きた。ね? これ、一番手っ取り早いでしょ?」
シェリー……これじゃ何言ったって敵わない。僕は文句を言うのを諦めた。
見慣れた天井。見慣れた壁。すぐ横に泣きそうなリッキーがいる。パッ! と起き上がって、ドスン! とベッドに倒れた。慌ててリッキーが手を出したけど間に合わなかった。
すっごい頭痛…… そう言えばクロロフォルムを目一杯吸ったっけ。あんなに吸う必要はなかったのかもしれない。
「どのくらい寝てた?」
「あんたが届いたのは昨日の夕方の5時。今は1時半。もちろん、昼間のね」
出たのは1時頃だったと思う。ってことは、24時間? え、『届いた』って、ナニ?
「まさかデリバリーで届くなんてね。開けた時のリッキー、見せたかったわよ」
「だって、あれじゃ死体が入ってると思うだろう!?」
「まあね。さすがにギョッとするわよね」
「何のこと?」
「あんたね、これに入って届いたの」
リッキーのベッドの脇に大破したバカでかい木箱があった。
「え? あれ?」
「そ! ドアの外にあれが置いてあったのよ。上開けてあんたが見えた途端にリッキーが粉砕したの。あんた、くたんと床に転がって。もう大変な騒ぎになったんだから。危なく警察沙汰よ、リッキーが『殺された!』なんて喚くから」
「だって……シェリーだって泣いたくせに」
途端にシェリーから怒鳴られた。
「余計なことは言わない!」
さんざん泣いたんだろう、リッキーの目の周りがひどく腫れあがってる。そりゃ驚くよな、箱の中から恋人が転がり出たら。ずいぶん悪趣味な届け方だ。でも意識の無い僕をその辺には置いてけないだろうし、下手すりゃホントに通報されただろうし、そう思えばこの手段しか無かったのかも…… じゃトラックで運んだのか?
「はい! もう泣かない! どんだけ泣くの? 目の前にフェルがいるでしょ? ほらほら、抱きあって。フェル、後で容器返してね」
バタン! と音を立てて閉まったドアを見る。抱き合ってって…… そんな風に言われたら抱くにも抱けな
ガシッ!!
一気に首が締まった。
「お おい! バカ、離せ! 首絞めるな、ホントに死ぬ!」
「やだ!」
「力、緩めろ!」
「やだ!!」
「もうどこにも行かないから!」
「手を離したらフェルは消える!!」
「消えな」
塞がれた口。おい、僕の言葉も聞けって……
押し倒されて、発熱したような唇は離れずに乱暴に上着のボタンは外され、シャツのボタンは弾け飛び、ベルトがあっという間に抜かれ、ジッパーが下り。そして直に僕は握られた……
まるで噛みつくようなキスの中に、縋りつくようなリッキーを感じる。頬を伝うのは僕じゃない、リッキーの涙だ。左手は愛撫してるんじゃない。僕が確かにここにいると確認してるんだ。
その激しい手の動きに一気に爆発しそうになるのを堪えて、僕は覆いかぶさるリッキーを引き剥がした。僕の上に座ったリッキーが何も言わず上半身裸になる。
シャツを脱ぐ動きの中で左手の薬指が煌いた。僕の頭の両脇に手をついて布越しに僕に腰を擦りつけてくる。その瞳を見つめながらリッキーのゆっくり動く腰からジーンズを下ろした。流れるような黒髪……その中に手を通す。
「長くなったな、髪」
「うん。伸ばすんだ、長い髪が好きなんだって聞いたから」
「誰に?」
「ビリーに」
「あいつの言うことなんか、真に受けるなよ」
「でもそうなんだろ?」
押しつけ合うような腰の動き。髪を梳いた、何度も。何の抵抗も無くさらさらと落ちてくる。その奥にリッキーの顔がある。
あの写真の顔が重なる
あの写真の母の顔が重なる……
「ああ。好きだ、お前の髪が」
僕には今のお前だけでいい。
首を引き寄せた。僕の頬が髪に覆われる。下りてくる唇が待てなかった。首を浮かせて迎えに行った。さっきとは違う緩やかなキス。両手で髪を撫で、首をなぞり、背中を下り、腹から胸へと這い上がる。唇を離したリッキーがわずかな愛撫に身を反らせた。目の前に来た胸の突起に舌を這わせる。ゆっくりと舐めて転がす。
っは……ぅふっ
溜め息が漏れた。さざ波のように小さな震えが走る。
「お前を触りたかった 夢に見たよ、こうやって下からお前を見上げるのを」
ボクサーを脱がせる前に、もう濡れきっているのが分かった。僕もそうだ、すっかり熱を持ってただお前に入ることしか考えて無い。だから先延ばしにする、だってもったいないだろ? こんなに早く終わりにしちゃ。
脱がせながら、触りながら、後ろに手をやりながら、なんて長い三日間だったんだろうと思う。たった二晩。たった二晩だよ、リッキー。それでこれじゃ、もっと離れたらどうなるんだろうね?
体がゆらゆらしてるから、多分目を閉じてもう夢の世界にさまよっているんだろうと思う。夢に片足突っ込んでるだろうに、それでも真っ直ぐ僕に快楽を求める体。
ちょっと心配になる。快楽を追ってるだけ? 誰に?
「リッキー リッキー」
髪が揺れながら下に落ちてきた。
「なに ふぇる……」
必死に目を開けようとしてる。可愛いからもう一度呼んだ。
「リッキー」
「なに……」
「僕は? 僕は誰?」
「ふぇる ふぇる ふぇる……」
喘ぐような声。
自分の名前に煽られるなんて僕も相当ヤキが回ってる。腰が細くなった。僕とトレーニングし始めてからだよな。ああ 入る前にイってしまいそうだ……
細い腰 しなやかな背中 唇を誘う胸の突起 手を伸ばしたくなる首筋 目が離れない揺れる髪 しめやかに高く低く啼く声……
後ろに入った増えていく指に息を詰めては吐き、すすり泣くように吸ってはまた息を詰める。指の動きだけじゃ足りないかのように腰が回る。焦るなって。それじゃ僕も追い詰められてしまうだろう?
「ふぇる……」
「ん?」
「はいって……」
「だめ」
「ふぇる……おねがいだ……ふぇる……」
ほら、簡単に追い詰められる。待てないのは僕の方だ。お前はこうやって女の子になる。僕は男を抱いてんだか女の子を抱いてんだか分かんなくなるんだ……
起き上がって膝に抱いた。長い長いキスをする。まるであったかいマシュマロを舐めるようにリッキーの舌を舐める、吸う、絡ませて裏に回り、上顎を撫でまわす。
リッキーが僕の口を振り切った。
「や……だ……きすだけ、や……」
抱き抱えてベッドに降ろした。そのまま膝を折らせて体を前に押す。形のいいスーツを脱ぎ捨て裸になった。突き出る二つの丘の間に蠢き誘う秘所がある。背中に胸をつけて前に進み始めた。この奥に天国がある。
ぁは…… く……っ
小さな声が耳を蕩かす。分かってる、早く そう言ってるんだろ? ゆっくり入っていく自分を突き上げた。
ゃ…… あ ぃや ぁぁ……
何度も突き上げて小さな悲鳴を聞き続けた。いやだと言いながらどうしてそんなに擦りつけてくるんだよ……僕にはこの声こそが愛撫だ。知らないだろう? 僕がキスだけでイかせるなら、お前は声だけで僕をイかせるんだ……
胸を弄る、背中を舐めて突き上げる。お前は狭いんだ、そんなに腰をくねらせるなよ…… 浅い場所での出入りはお前の嬉しい場所を擦ったらしい。身をよじる、震わせる。何回も擦れば痙攣が起き始めた。前に手を伸ばす。待っていたかのように ドクドクッ と波を打つ。
それを感じて僕も安心して自分だけの快感を追った。痙攣する中の締めつけが僕を解放していく……頭が白くなる前に外に出た…… 手に受ける飛び出す粘り……弾けた自分……
痙攣の続く体をさすって足を伸ばしてやった。喘ぎが少しずつ収まってくる。うつ伏せのリッキーから声が漏れた。
「もっと……」
隣に寝転がって閉じた瞼にキスをした。
「今は終わり」
うっすらと目が開いた。手が僕を求めて下に下りてきた。潤んだ瞳で見つめながら握り込む。
「もっと」
柔らかく口づける。横に上がり耳に言葉を吹き込む。
「だめ」
途端に手の力が強くなった。
「ばか、痛いよ」
「しないんなら手、離さねぇぞ」
「さっきまでの色香はどこ行ったんだよ」
「するんだ、も一回」
「しない」
「なんで! 俺に飽きたのか!?」
ひとしきり笑い転げてリッキーの鼻のてっぺんにチュッと唇をつけた。
「お前みたいなバカ、見たことない。こんなバカ、ほっとけないだろ?」
「なら、頭良かったら捨てんのか!」
抱きしめてもう一度言った。
「お前、バカだなぁ」
「なんだよ! さっきからバカバカって! フェルなんか嫌いだ!」
「じゃ手離せよ」
「いやだ! その気にさせてやる!」
顔が下りていく。辿り着く前に引きずり上げた。
「やめろ」
真剣な声に目が大きく開いた。
「フェラなんかやめろ、お前が好きなのか?」
「俺…… 上手いんだぜ? みんな俺にこれやらせてすぐ勃つんだ。あっという間に気持ち良くなるって……」
「聞いてるんだ、お前が好きなのかって。それ、したいのか?」
口を閉じてしまったリッキー。
「僕は嬉しくなんかない。お前が好きならいいよ、そりゃ気持ちいいし。けどお前にかしずかれるのはいやだ。僕はお前のものだろう? "みんな" の一部か?」
――従属するお前が見たくないんだ……這いつくばるなよ、自分から。
「分かんねぇ……分かんねぇよ、フェル。しねぇと離れていきそうで……これしてると俺とのセックス、もっと楽しくなるはずなんだ……」
消え入りそうな声に切なくなる……
「一緒に歩いていこう。でもな、並んで歩くんだぞ。僕の後ろに下がっちゃダメだ。いいか、お前がしたいんならいいんだ。僕もお前に悦んでほしいから。でも他の誰かにしてたように、繋ぎ止めるためにっていうのが理由ならするな。そんなの、本当のお前の意志じゃない」
「……じゃ、フェルはどうやったら悦んでくれるんだよ……」
見上げてくる顔にはただ不安しか見えない。いてくれるだけでいいのだと、どうやったら伝わるんだろう。
「俺……」
「リッキー、早く結婚式挙げような。お前が不安なの、よく分かった。何回もお前の前から消えた。僕が死ぬんじゃないかって何度も思わせた。僕はお前に不安しかあげてない。ごめん、お前が悪いんじゃない。愛してるならこんな思いさせちゃいけなかった」
不安になるとセックスで確かめずにはいられないんだ…… そうやって生きてきた。僕はそんな相手じゃないんだ。そんなことしなくったっていいんだ。
『家族ってなんだ?』
そう聞いたお前と、揺るぎない家庭を築き上げていこう。僕のやかましい家族がお前の家族だ。もう寂しい思いなんかさせないからな。
「もう一回、したい?」
震えるように頷くから僕は笑って答えた。
「じゃ、しよう。お前が満足して不安じゃなくなるまで。僕だってセックスは好きだ、お前となら。僕をカラッカラに搾り取ってしまえ」
飽くことなく欲しがるリッキーに僕は応え続けた。
「僕はお前のものだよ ずっと一緒にいる」
囁き続けた、聞こえてなくても。意識を失っても、また手が伸びてくる、唇が肌を這う。
4度目。途中でとうとう動きが止まった。
「リッキー? どうした?」
「つかれた……も、いい」
「まだ4回目だよ?」
「ふぇる、ばけもの」
「なんでさ! 最後までしようよ。中途半端だろ? これじゃ」
「ふぇる、ばけものだ」
最後の方は呟くような声だった。僕の胸に耳を当てたまま、呼吸が穏やかになっていった。
くぅ くぅ
危なかった、もう最後までなんか出来ないと思ってたから。だって最初のを入れたら5回だぞ。本気でヤり殺されるのかと思ったよ、リッキー。そういえば、お前も前にそんな心配してたっけ……
とんとん
胸を叩かれて目が覚めた。
「ごめん、寝ちゃった」
「俺も寝てた」
「何時だ?」
「知らねぇ」
窓の外を見るとまだ暗くはない。
また胸を とんとん と叩く。
「どうした?」
「何、話してきた?」
ああ、そうだよな、そうだった、まだ何も言ってなかった。
「お前と喋ったろ?」
「盗聴器で?」
「そう。あの時さ、『ここの手がかりになることは言うな』って言われたんだよ。けど、僕が知ってたのはソファと枕とコーヒーだけだったんだ。笑えるだろ?」
とんとん
聞きたいのはそんなことじゃない そう言ってるんだね。
「ちゃんと話してきたよ、リッキー。最初は話しても話してもだめだった。僕のことを変態だと思ってたみたいだし」
ようやく クスリ と笑った。
「じゃ、俺も変態だな」
「そうだね」
「相手、どんなやつだった?」
「軍人みたいな男だったよ。いかっつい感じ。ずっと死ぬ覚悟して話した。なんで結婚したいんだ、体目当てかって聞かれた」
少し間が空いて、とんとん
「お前に惹かれたからだって答えた。その後はもう聞かれなかったよ」
とんとん
「お前をくれって言った。何もかも終わりにしてほしいって。金はもう要らないって言ってきたよ。お前を働かせる気か? って聞くからそうだって言った。良かったか?」
とんとん
「なら良かった。安全な生活を僕たちにくれるって言うからそれも断わってきた」
とんとん
「僕らは、自由だ」
……………
駆け出した鼓動が伝わってくる。胸に手を当てた。
「信用出来るか? 僕の言葉」
答えが無い。ただ心臓が大きく手を叩く。
「お前がリチャード・ハワードになったら完全に縁が切れる。もう予算かけないってさ」
リッキーの顔が上がった。ただじっと僕の顔を見てる。
「……なにが……あった?」
「何も。さっき言ったことで全部終わり」
「そんなに簡単に俺を手放すわけねぇ。フェル、騙されてんだよ。これからもずっと盗聴されて、見張られるんだ」
「新婚旅行、どこに行きたい? 南極? サハラ砂漠? 月?」
「ウソだろ?」
「もうどこにでも行けるよ。連中も暇じゃないってさ」
「……ホントに?」
リッキーの薬指を持ち上げてキスをした、お揃いの指輪に。
「フェル……」
ムクッと起き上がったと思ったら、いきなりシーツを剥がして僕を転がし始めた。全身を隈なくチェックしている。
「おい、何だよ!」
容赦のないその転がし方と押さえ方で本気だと分かった。背中に乗って足まで広げるから悲鳴を上げた。
「リッキー! 何だよ、やめろ!」
ようやく解放すると飛びついてきた。
「フェルがなんかされたかと思った……交換条件はなんだ? これからなんかさせられんのか?」
怯えたような顔に思わず抱き返した。
「なんにも心配しなくていいんだ、僕は何も強要されてないし、代償も払わないよ。お前の心配することなんか何も無いんだ」
言ってやりたかった、お前はとっくに死んでるんだと。お前が生きてることを知ってるのはたった一人なんだと。でもその先に繋がることは決して言わないと誓った。
「そうだ! リッキー、シャワー浴びよう! お前とすることがある」
急き立ててシャワーを終えた。
「ドライバー、この辺にあったんだけど…」
机の中を引っかき回した。
「あった!」
窓のそばに椅子を置く。ドライバーをリッキーに渡した。
「あれ。外して」
エアコンのそばのコンセントを指差した。意味が分かったらしい、すぐにネジを回し始めた。
その中に盗聴器があった。
「お前に任せる」
リッキーの叩きつける足音が響いた、何度も何度も何度も。振り返った顔が涙で濡れてる……
「俺、自由か?」
頷いた。
「ホントに終わったんだな?」
「長いこと、辛かったな」
「終わった? ……なんか……信じらんねぇ……」
解放感が無いんだ……少しもほっとした顔してない。僕は思い知らされた。そんな簡単なものじゃない。僕のあのことと同じ。決して消えない傷。
「他にあるのかもしれない、フェル、コンセント、この部屋いくつある!?」
全部のコンセントを開けるリッキーが悲しい。冷蔵庫を動かし、ベッドを引きずり出し、壁を確認してそれでも不安なリッキー……
「もうやめよう」
尚も狂ったように部屋を見回すリッキーを抱きしめた。
「やめよう、リッキー……終わったんだ、何もかも終わったんだよ。寮長に空き部屋を聞く。無かったら外でアパートを借りよう。この部屋を出るんだ」
ドライバーが落ちてしがみついたリッキーの号泣が響き渡った。
空き部屋は無い と言われた。
(アパートを探すしかないか……)
生活は厳しくなる。けれどリッキーには代えられない。安心して眠れることが最優先だ。
リッキーのバイトは流れた。僕のことで面接をすっぽかしたからだ。それくらいで断るマスターじゃないんだけど、どうしても働かさせてほしいと泣いて頼んだ女の子を雇ってしまった。
「すまんな、バイトするところが見つからないんだって泣きつかれてね」
決まってしまったものは仕方ない。なんとかこういう『諦める』って状況からリッキーを遠ざけてやらなくちゃ。
リッキーの受けてる講義が終わるまで、僕の時間が空いていた。今日の夕方にでも一緒にアパートを見に行くか…… そんなことをカフェでコーヒー飲みながらぼんやり考えているとこに携帯が鳴った。
「どこ? ちょっと話したいんだけど。その騒がしさからいうと、いつものところね?」
「うん、窓よりの席で……」
いきなり ゴンっ と頭をこづかれて、何だよ! と振り向くとシェリーだった。
「あのさ、もうちょっと穏やかにつき合えないもんかな!」
「あら、威勢がいいじゃない」
僕のクレームなんかシェリーにとっちゃこんなもんだ。
「なに、話したいことって」
少々ふくれっ面の僕を無視してシェリーが喋り始めた。
「あのね、リッキーのことなんだけど」
「なんだよ」
「あんたどうするの? 式はいつ? 招待状は? 場所は? 卒業するまでの生活は? 将来どうすんの?」
う!!
「分かってるよ、早く色々決めなきゃならないって」
「そうしてあげなさい、じゃないとあの子、不安なままよ」
あの子……
「これに掴まれば100%幸せって分かってるロープを、『待て!』って言われたら掴まないで待ってるタイプ。手に結わえてあげなきゃダメなの。ずっとそういう生活を強いられてきたんだから」
確かに、自分から幸せをもぎ取ろうとしない……
「逃げたり隠れたりする生活って人をいびつにするわ。だから周りで気をつけてあげないと」
「でも僕らは対等にやってくつもりなんだ」
「分かってるわよ、あんたの考えそうなこと。でもちゃんと助走させてあげてね。やっと人並みの生活送れるんでしょ? 愛してるなら自立出来るまで待ってあげなきゃ」
「シェリー、ずいぶんリッキーに甘いんだね」
「あの子、母性本能くすぐるのよ。可愛いし。あの子ならつき合ってもいいかななんて思っちゃう」
「冗談だろっ!? シェリー、女の子専門じゃないか!」
「だって、女の子みたいじゃない、リッキーって」
ホントに冗談じゃない、シェリーに目を付けられたらえらいことになる!
「大丈夫。あの子は女の子じゃなくて妹って思ってあげる。もうあの子の国とは縁が切れたの?」
「うん。もう大丈夫だよ」
「そ! 良かった!」
にっこり笑うシェリーに疑問が湧いた。
「シェリーさ、リッキーにどこまで聞いたの?」
「どこって……あの子、自分のことはなんにも喋んなかったわよ。あんたの今の返事で確信しただけ」
僕は……墓穴を掘ったってわけ?
「私の仮説。まず、彼は亡命してきた。多分スペイン圏の小さな国だわ。きっと地位の高い人の関係者。で、結婚する相手のあんたを連れ去った。あんたを返したってことは、お互い歩み寄れる状況になったってことね? だからもう心配は無い。私が気にしてんのは最後の『心配ない』ってとこだけど。本当に心配ない?」
「……ほんとに何も聞いてないの? シェリーがその結論に辿り着いたのはなぜ?」
僕の驚く顔を見て、シェリーはニヤッと笑った。
あんた、突然スペイン語に興味持ったでしょ? あれはリッキーと付き合い始めてからだったわね。
彼、どう見てもアメリカ系じゃないし。ひっそりと暮らしてたじゃない?
あれだけの容姿を持ってながら大学から外には出ずに生活してた。
盗聴だなんだって、身辺は常に見張られてて自由が無かった。
見張ってる割りにその相手が手を出してこないってことは、お偉いさん関係ってことでしょ?
あんたが連れ去られて取り乱したけど警察には届けなかったんだから、連れ去った相手を知ってたのよね。
誘拐されたのに、あんた頑張って帰るって言ってたじゃない?
この場合、あんたが頑張れることって結婚しかないから、
それで得られる自由ってたいがい国籍だとか国のしがらみ。
国と縁が切れて良かったってあんたが返事したから亡命。
ってことは、あんたが連れてかれたのはその大使館。
あんな木箱なんかでお粗末な返し方してきたから大国じゃない。
呆気に取られる……たったあれだけのことでその推理?
「驚いてるってことは、ほぼ当たりね?」
「シェリーさ……何になるんだっけ?」
「有名な歯医者!」
「なんでだっけ」
「子供の頃はうんと偉い人になろうなんて思ったけどね。歯医者の前じゃその偉い人たちはバカみたいに口開けて待ってるしかないじゃない? それが笑えるから」
そう。こんなところが怖いんだ、この姉は。
「で、なんで煮詰まった顔してたの? 困ったこと出来た?」
もう隠したってしょうがない。こんな姉を持って、不幸なんだか有難いんだか。
「住むとこ探してんだよ」
「なるほどね! そりゃ、盗聴されるような部屋で安心して夜は過ごせないわよね」
「スケベなこと言うなよ! 僕はちゃんとリッキーを眠らせてやりたいんだ! 僕がいなくなった時からずっと眠れないでいるんだから」
「あんたがいない間ならたっぷり寝せといたわよ」
「どうやって! 僕がいないとリッキーは眠れないんだ。僕はあっちでつい眠っちゃって……リッキーは寝てないだろうに寝ちゃってごめん! って思ってたんだよ!」
「睡眠薬、口に放り込んでやったの。あんたのを見つけたからね。眠れないだの、じっとしてられないだの、泣いてばっかりでごちゃごちゃ面倒くさかったから。リッキーを頼むって言ったの、あんたよ」
「……ありがとう」
なんだか悔しい。礼を言わなきゃならないのが理不尽に感じるのはなぜだろう。
「他に空き部屋、無かったの?」
「無かった」
「どうする気?」
「アパート借りるしかないよ」
「それだけの働き、あるの?」
「……無い。リッキーは働くとこさえまだ見つけてない」
大きなため息。
「あんたたち、呆れるわ。それじゃ結婚どころじゃないじゃない! しょうがないわね、住むとこ、お姉ちゃんが当たったげるわ。そうね、まず式をいつにするか、誰を呼びたいか。あんたはその辺をリッキーと一緒に考えるのね。それなら今のリッキーの負担にならないはずよ」
そこで言葉が止まった。こんな時は何か企んでるんだ。この場合、もちろん僕関連だよな……
「明日、夜。空けておいて。いい? お召かしして二人で連絡待ってて」
シェリーの楽しそうな後姿を見ながら、僕は心底怯えていた。明日、何をする気なんだ?
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