Fel & Rikcy 第5部[ 帰国

5.国境

 ステーキは美味かった! 極上とは言えないのかもしれないけど分厚くてデカい!! さすがテキサスのステーキだ。リッキーもただ無言で食ってる。僕もそうだ。しばらくこんなものは食べられないだろうし。
 近くで朝一番に開いた店に飛び込んだから向うもビックリしてたけど、お蔭でたっぷりのコーヒーとアイスクリームを無料で付けてくれた。太った店主は笑っていた。
「こんな時間に食わせてくれって。たまたま早起きして表を掃除しようと思ったんだ。そうじゃなきゃ店なんか開けないよ」
 だから運が良かったしか言えない。僕らも必死に交渉したけど、いい店主に巡り合ったということだ。あっという間に平らげて何度も礼を言った。本当にいい人で『気をつけて行けよ。帰りも寄りな』と言ってくれた。

「この後は?」

「サンタフェ橋。いよいよメキシコだよ。ここからは歩いて15分だけど多分僕らの足ならそんなにかからないで着くんじゃないかな。ちょうどいい腹ごなしになる」
細かい地図を持って来たからそれを見ながら歩いた。
「もう一度言うけど……」
「無駄だ、黙れ」
「……分かった」

それっきりリッキーは僕に戻れとは言わなくなった。

 すぐに広い通りに出た。
「これを真っ直ぐに行けば橋だ」
それほど人通りが無くて、店が少しずつ開き始めている。周りの看板はスペイン語が圧倒的に多くなってきた。
「ここからはリッキーに頼るしかない、頼むな」

 看板でさえ何を書いてあるのか分からない。本当にアメリカを出るんだという実感が湧く。言葉が分からないというのは不思議なものだ、急に不安になってくる。ただでさえ僕を連れて行くのを躊躇っているリッキーにそんな顔を見せるわけにはいかない。僕は努めて明るい顔をした。

「あれはな、洋服屋だ。こっちは造花屋」

 

 開いたばかりの店で、リッキーが欲しいというからリンゴ飴を買った。それを舐めながら隣を歩くリッキーの唇が赤く染まっていく。僕はリッキーの帽子を下げた。

「何すんだよ!」
「僕以外にそんな顔見せるな」
「そんなって?」

 立ち止まってリンゴ飴を取り上げて真っ赤な唇にキスをした。飴を返して自分の唇を舐めた。甘い。
「赤い唇がきれいだから」
ぽっと頬が赤らんだ。

 僕らは9時半にサンタフェ橋に着いた。この橋の真ん中が国境だ。
「いよいよメキシコだな」
 リッキーがギュッと手を握って来たから僕も強く握り返した。バスは10時20分発。渡っていく人が向うからこっちに来る人より少ない。メキシコ側からエルパソに買い物に行く人や通勤する人が多いと書いてあったけど、本当にその通りだ。きっと今はラッシュのタイミングなんだろう、多いというより団体で通過していく。まるで国境越えの緊張感が無い。

 

その時後ろから肩を掴まれた。
「フェルとリッキー だな?」
  
 小柄な男。英語は流調だけど、どう見てもアメリカ人じゃない。警戒して背中にリッキーを回した。無言でいると男が笑った。
「聞いてた通りだな、あんたは何も喋らないだろうって言われてたよ。トムの使いだ」
トム。ミッチのことだ!
「じゃ、あんたはハック?」
「いや、ハックはあっちの国にいる。俺はここの受け持ちなんだ。名前はどうだっていいだろ?」
僕が頷くのを見てリッキーが隣に来た。

「何の用? まさか帰らせろなんて指示じゃないよね?」
「いや、あんたに渡すものがあってここで待ってた。今朝早くから待ってたんだぜ。次のバスかと思ったよ」
「悪かったね。飯食ってきたんだ」
「そうか。いや、いいんだけどさ。気を抜いて食事出来んのも最後かもしれないしね」

 

 持っていた2つのバッグを渡してきた。
「これに荷物を入れ替えろ。トムに言われて用意したんだ」
それほど僕らの持って来たのと変わらない。怪訝な顔に男が真面目な顔をした。
「時間を無駄にするな。手を止めずに俺の話を聞け」
僕らは座り込んでバッグを開けた。

「そのバッグは底が二重底になっている。まずそこを開けろ。中を確かめるんだ」
中にジッパーがあって開けると銃が見えた。リッキーが驚いた顔で男を見上げた。
「弾もある。いいか、メキシコから出たらそれを背中に差せ。銃を打った経験は?」
「ある」
「触ったことも無い」
「あんたはリッキーだな。これはスライドするだけで撃てる。後でフェルに説明してもらえ。底には金も入れられる。全部はだめだ、バッグごと盗られる可能性も考えておけ」
僕らは荷物を移し始めた。小さな袋を渡された。中を見ると紙幣。

「3000ペソ入ってる。約60ドルだ。ドル札も使えるがレートが悪い。細かい買い物ならなるべくそれを使え。銀行、ホテル、両替所があるが手数料を取るところもある。一日に1ヶ所300ドル以上は両替できない。お前たちの行き先じゃドルは使えないところもあるし、狙われるだけだ。だからメキシコにいる内にあちこちで両替しろ。ここまで分かったか?」

どれも僕の知らない情報だった。
「分かった。一ヶ所で300まで。ドルはなるべく持たない」
「そうだ。破れたのや汚い札を渡されたら突っ返せ。使えないからな。札のことは端折っても構わないか?」
「いい、俺が分かるから」
「良かった、時間が無いからな」

空になったリュックを男が受け取った。

「お前らツーリストカードは?」
「まだ。通過する時に発行されるんだろ?」
男がため息をついた。
「勉強不足だな。場所によっちゃそうだがここは違う。発行所にはここから車で行かなきゃならない」

発行所の違いがあるとは知らなかった! 僕の焦った顔を見て男はポケットから何かを出した。

「トムから用意しておけと指示があった。これを持って行け。半券を返されるから失くすな。ま、無けりゃ出る時に再発行はしてもらえるがな、金がかかる。それが使える範囲があるが、係員に金を出せばなんとでもなる。いいか、言われた額を渡せ。値切るな。特にあっちの国に入る時はそうだ。使い惜しみするな」

しっかりと頷いた。

「聞きたいことはあるか?」
「向うが危険なのは知っている。メキシコはどうなんだ? 危ないって言う噂しか知らない」
「昔はな。今は裏通りや夜、街を出歩かなきゃ大丈夫だ。泊まるのか?」
「1泊。メキシコシティで」
「じゃ、安いとこに泊まるな。外観がそれなりならOKだ。飯はホテル内で食え。外で食べるとドンパチ始まることもあるからうるさいだろう?」

他に幾つか聞いて話が終わった。


「あんたへの礼は?」
「受け取ったら殺すとトムに言われてるよ。大丈夫だ、彼からたっぷりもらってる」
笑うと愛嬌のある顔に変わった。
「トムに心から感謝してると伝えてほしい」
「無事に帰るこったな。どんな訳があるか知らんが、遊びに行くにはいい時期とは言えない」
「ありがとう、本当に助かった。調べが足りなかったことが良く分かったよ」
「用心するんだ。金の使いどころを間違うな。向うに行ったら銀行と警察と親切な人間を信用するなよ。いいな?」
「分かった」
「じゃ、行け。着いたらハックに連絡を取るんだ」

 危なかった。メキシコに入る段階で躓くところだった。男と別れ、バッグを担ぎ直してサンタフェ橋に向かう。お蔭で簡単に入国が出来た。ミッチに感謝だ。帰ったらこの借りも返さなきゃならない。

 

 ゲート付近はのんびりした行き交う人たちとは対照的に、マシンガンを抱えた警官、兵士が10人くらい乗ったトラックなんかが行き来している。さっきの男の話では大丈夫だということだったけど、どうやらアメリカで言う『大丈夫』とはだいぶ意味が違うみたいだ。

 通り過ぎる時に橋に取り付けられた国境線を触った。初めての国外…… リッキーの視線を感じて指を離した。
「フェル、大丈夫か? 俺、分かるから。国境越える時の気持ち……」
リッキーの額にキスをする。
「大丈夫だ。お前の時と違うんだ。僕は自分の意志で越えるんだから」

 


 シウダー・ファレスのバスターミナルでバスチケットを買った。一見清潔で活気あふれる場所。けれどその明るい中にある何本かの柱にはポスターがびっしりと貼ってある。行方不明者たちの写真、連絡先。明るくて陽気で、そして陰のある街。


 バス乗り場に着いたのは10時15分だった。乗り場で簡単な荷物検査とボディチェック。中に入って慌てて二人で下りた。なんでそんなに驚いたかって、中のグレードが高かったからだ。サンアントニオまでの飛行機よりもゆったりしたリクライニングシート。
 リッキーが運転手にいろいろ聞いている。スペイン語で喋っている姿が別人に見える。

「間違いないってさ。これ、グアダラハラまでのバスだ」
「こんなに立派なのが?」
「うん、特等で直通だから待遇いいらしいよ。直通じゃないと途中止まった時に強盗が乗ってきたりするらしいんだ。これなら安全だって」

強盗が乗ってくるかもしれないから直通が安全。凄い話だ。

「休憩も無しでってことか?」
「トイレ中にあるって。急いで食いもんだけ買って来ようぜ」
リッキーが運転手に何か言いに行った。
「少しなら待つって。コーヒーご馳走するって言ってきた」
「了解。じゃ、急ごう!」

 ぼくらはあれこれドルで買い込んだ。さっきのバスのチケット代もドルで払った。ここならまだ普通にドルが通用する。チケット代をペソで払うとあっという間に貰った紙幣が消えてしまう。運転手にコーヒーを渡すとにっこりと受け取ってくれた。

 バスに乗って改めて豪華なのに驚く。確かにトイレがある。リクライニングシートはきれいで座り心地がいい。これなら長距離もそれほど苦痛じゃないだろう。

 もっと驚いたことに座席一つ一つにテレビが備え付けられている。番組のリストを見るとかなりの映画数。これならスペイン語が分からなくても退屈じゃない。
 食べたり飲んだり映画を見たり。外のゆったりした景色もあって何度も居眠りしながら旅を楽しんだ。そうだ、今はまだ楽しめる。今はまだ。

 

 夜の街はどこも同じにきれいだ。時計を確認したら11時。リッキーは窓にもたれて眠っていた。引き寄せて肩を抱くとすりっと僕の腕に身を寄せた。腕の中で安心した寝息を立てているリッキーに、僕は泣きたいほどの幸福感を味わう。

 初めての頃を思い出す。

 

 『映画、見に行こーぜ!』
 『アイシテル』
 『また俺たち生理現象起こそうぜ』
 『俺、このままじゃ浮気すっからな!』
 『元々俺らはこうなる運命だったんだ!』

 

 お前の言う通りだったよ。こうなる運命だったんだ。映画に誘ってくれて良かった。『アイシテル』そう言われて良かった。生理現象、何回起こしたっけ? もう数えきれないよ。僕に告白してからはお前は誰とも寝てない。

 僕には誠実な妻がいる。お前という人間に出会えて良かった。何があっても僕に自分の真実を見せてくれるお前を尊敬している。

 国境を遥か背中にし、全てを置いて僕は今お前とこの地にいる。何が消えようともお前がこの腕の中にいる。充分だ。そう思う。

 僕が一つ自分を自慢出来ることがあるとしたら、お前を愛することを選んだことだ。お前は僕を選んだ。僕はそれに応えることが出来た。その奇跡が僕をこんなにも幸せにしてくれているんだ。

 リッキーを抱いたまま僕は目を閉じた。夜はまだ長い。朝陽が見たい そう思いながら眠った。

「フェル」
その声に目が覚めた。
「見ろよ」

 外がぼんやりと暗い。遠くの山肌がうっすら明るくなり始めていた。座り直して窓の外をリッキーと眺めていた。空の色が変わっていく。光が空に漂う影を追う。山肌がオレンジに光り、だんだん直視できないほど輝き始める。
 厳かな情景が新しい一日をくれるんだ。やがて空は光色から青に変わっていく。その光を浴びた横顔があんまりきれいで、僕はリッキーの顎を引いた。ゆっくりと口づけを交わす。

 

「おはよう、リッキー」
「うん、フェル。おはよう」
「なぁ、リッキー。お前は知らないだろうけど僕には貞淑で美しい妻がいるんだ」
「そうか。俺にはデカい夫がいるよ」

ちょっと体を離した。
「それから?」
「何が?」
「デカいだけ?」
「だってデカいだろ?」
デカいだけ…… ちょっとムッとする。朝のロマンチックなひと時が台無しだ。
「僕から見下ろされてるのが嫌だったのか」
「お前のここがデカいって言ってんの!」
いきなりジッパーの上から撫で上げられた。
「ぅ…! ばか、朝だからキツいよっ!!」
リッキーが吹き出してちょっと腰を浮かせて周りを見回した。

「みんな寝てるぜ」
「だから?」
「ヤるか?」
「お前さぁ」
「なぁ、ヤろーよー。俺、ヤリてぇ。抱いて、フェル」

僕はゲンコツを落とした。全く、何言ってんだか!
「僕はお前のこと、『貞淑な妻』って言ったんだぞ!」
「だから妻の義務を果たそうって思ったんだ」

熱を帯びた目をし始めたからマズいと思った。僕だって我慢してるのに……

「リッキー、今夜まで待て。どうせならホテルでゆっくりしよう。6時前にはグアダラハラに着く。次の出発は明日の夜7時だ。たっぷり時間あるんだからさ、そこで楽しもう」

「今夜?」
「そ! 今夜。僕もたくさんしたい、覚悟しとけ」
「え!? それ、困る!」
良かった、目が戻った。でもこれが一番効くって、正直複雑だけど。


 少しずつ両脇の景色が変わっていく。看板が増え始め、建物がまばらに。そしてその間隔が狭くなり始めやがてビルが並び始める。人間の街になっていく。

 街と言うより、都会だ。人並みは途切れることなく、不思議な美しい形の建物が結構ある。人はアメリカ人と大差ない服装だから異国に来たという気にはあまりならない。

 ターミナルで下りてリッキーが名残惜しそうにバスの中を見ているから、ちょっと予定を変更した。
「リッキー、ここからメキシコシティまでのバスも直通にしよう。その方が安全だって言ってたんだろ?」
振り返った顔が明るい。
「うん! そう言ってた!」
「じゃ、そうしよう。なるべく危険なことは避けたいし」
嬉しそうな顔がいい。マリソルに着いたらもうこんな顔は見られないだろう。

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