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Fel & Rikcy 第5部[ 帰国

12.遺されて

 3時過ぎには寮に着いた。僕らの車はまだ知られてないし、時間が中途半端で誰にも会わずに済んだ。リッキーの肩を借りながらゆっくり歩く。時々顔が歪む僕を見上げるリッキーに微笑む。痛くてもあの時よりはずっとマシだ。

 まだ誰にも会いたくない。最初はすぐにみんなのところへ。そう思ったけど、僕らは疲れすぎていた。入り口に隠して貼り付けておいた鍵で部屋を開けた。

 なんて懐かしいんだろう! 芯からホッとした。我が家っていいもんだ。荷物をドサッと足元に落として僕らは抱き合った。

 

「帰ってきたんだな、俺たち……」
「そうだね」
「帰ってこれた」
「二人で無事に」
「フェルは……無事じゃねぇよ」
「その話は今は止めよう」
「うん……フェル! 熱っぽい、横になれよ」

枕を持ってきてくれたから僕はソファに横になった。

「具合、悪いか?」
「大丈夫だよ、ちょっと疲れただけ」

 片付けた物はそのままだった。でもテーブルに置いたブレスレットとメモはなくなっていた。

(シェリー……)

 中はちょっとムッとしていたからリッキーが小さくあちこち窓を開けた。空気が通る。微かなその動きが気持ちいい。カーテンがちょっと揺れている。

 リッキーが来たから僕はちょっと奥へ詰めた。空いた場所にリッキーが体半分だけど横になって僕を抱きしめてくれた。何も話さずゆっくりとキスを交わす。

 僕らは今、平和だ。心からそう思う。ここでの生活は幸せなぬるま湯に浸っていられる。けれど見てきたあの国にこれからどんな激動が起こるのだろう。だからと言って今は深刻に考え込みたくはなかった。ただ互いの無事を噛みしめたかった。

 優しいキスを繰り返し僕にくれるリッキーの頬が涙で濡れていく。ちょっと離れて聞いた。


「悲しいのか?」
「分かんねぇ……俺、分かんねぇよ。ただ泣きたいんだ…」


 またキスを繰り返す。僕にはリッキーの気持ちが伝わっていた。だって僕も同じだったから。なぜかは分からない、けれど泣きたい気分だった。

 僕らは無理な場所で二人抱き合っていた。眠るつもりなんか無かったのに、いつの間にか互いの体温でうとうとと眠っていた。風が…優しい……

 ガチャっとドアが開く音が微かに聞こえた。

「フェル……フェルなの? リッキー、いるの?」

 そんな声がボンヤリ聞こえて目を開けた。ドアからオレンジの光が差し込んでいる。そこに小さな影と大きな影が見えた。

「シェリー?」
「フェル!!」

リッキーが目を覚まして起き上がったところにシェリーが飛びついてきた。

「カーテンが……カーテンが動いていたから……フェル……フェル、リッキー……」

「生きてたんだね? 君ら、生きて帰ってきたんだね……」
「エディ? エディか?」
ソファの前にエディが立った。
「そうだよ。やっと放蕩息子たちのお帰りだ」

声が震えていた。シェリーの肩に手をかけてエディが床に膝をついた。

「バカだ、フェルもリッキーも……なんで黙って消えたんだ?」

「ごめん……本当にごめん、心配かけて。俺の我が儘だったんだ。俺、どうしても帰りたくて……」

 

「どうしたの? フェル、どこか痛いの!?」

 ぱっとシェリーが顔を上げた。手当もしてもらって傷も乾いてはいるけれど、肩はまだ痛んだ。もちろん足ほどじゃないけれど誰かの体重を預かるほどには回復していない。シェリーの軽い体重でさえ堪えた。

「シェリー、フェル、ケガしてんだ。撃たれたんだ、肩と足」

「撃たれた1?」
慌ててシェリーが僕から離れて僕の額と首を触った。
「熱があるわ!」
「まだ治ってないから……でもこれでも良くなったんだよ」

「何か食べさせて薬飲ませねぇと……」
リッキーの呟きに、エディがすぐに電話をかけた。

「タイラー? 僕だ、二人が帰ってきた。……うん……うん、そうだ。悪いけどすぐ食べられるものあるか?  二人に食べさせないと。……ああ、頼むよ。すぐに来て」

他のみんなにもエディが知らせてくれた。

「すぐタイラーが食べられるもの持って来るから」
「帰ってきた途端に迷惑かけるね」
「迷惑かけられた方がよっぽど嬉しいよ! 本当にバカだ! みんなどんな思いでいたか……」

返事が出来ない……シェリーの震える肩に手を乗せた。
「ごめん」
「帰ってきれくれた……あんたたちが心配で。もう死んじゃったかもって……もう会えないんじゃないかって思ってたのよ!」
リッキーが震える体を抱いた。
「もうどこにも行かねぇから」

101.8度(38度8分)。自分で思っていたよりも熱は上がっていた。
「これ以上熱上げちゃなんねぇ。どうしよう、氷も無ぇんだ」
取り敢えず濡れたタオルをちょっと冷凍庫で冷やしたのを首に巻いてくれた。
「待ってて」
シェリーが外に出て行った。すぐに戻ってきたその手には袋があった。
「ニールに貰ってきたわ。会いたいって言われたけど今日は無理だって言ってきたから」
「ありがとう!」

氷を受け取ろうとする疲れた顔のリッキーを座らせて後は全部シェリーがやってくれた。氷を入れた袋は2つに分けられて僕の両脇に当てられた。
「気持ちいい……」
目を閉じるとシェリーが髪を掻き上げてくれる。女性特有の優しい手の動き。母さんに撫でられているような気がした。

「みんなも来るからコーヒー淹れるね。フェル、飲めそう?」
「うん。薄いの飲みたい」
「分かったわ、少し冷やしてあげるわね」

「疲れた顔だ、二人とも」
「うん、疲れた。エディ、嘘じゃねぇ、早く帰りたいって思ったよ」
「もう、消えるなよ」
「うん」

 ドンドンっ! とノックに続いてすぐにドアが開いた。ツカツカ入ってきたタイラーがテーブルに袋を乱暴に置いて僕の前に立った。起き上がろうとしてエディに止められた。

「タイラー、フェルはケガしてる」
タイラーの目が柔らかくなってみるみる涙でうるんだ。
「ばかやろう……心配、したんだぞ……」
「うん。ごめん、本当にごめん……」
リッキーがタイラーに跳びついた。
「俺が、俺が頼んだんだ、フェルに。フェルを怒んないで、タイラー。俺が……」

その体を抱きしめたタイラーの声も震えていた。
「どっちもバカだよ……」

 レイ、ロジャー、ロイも来た。みんなただ僕とリッキーを抱きしめてくれた。

 

 少しずつ落ち着き始めて、シェリーが暖めたタイラーの差し入れをリッキーと食べた。コーンスープとタイラー特製のシチュー。ゆっくり食べた、久し振りの味だから。それでもだいぶ残してしまった。みんなの手にはコーヒーがある。リッキーの出した鎮痛解熱剤を飲まされてやっとほっとした。

「リッキーの国に行ってたんだね?」
「うん」
「大変だっただろう?」
「アメリカは平和だ。そう思ったよ、エディ」
「帰ってきたってことは、目的は達成したのか?」
「もうあの国に用は無ぇ、二度とマリソルに行くことはねぇよ」
「それでいいのか?」
「もういいんだ、タイラー。俺の国はここだ。もう迷わねぇんだ」

「撃たれたって言ったね?」
「撃たれた!?」
みんながエディの言葉に過敏に反応した。


「フェルは肩と足を撃たれてるんだ。ギャングの麻薬抗争に巻き込まれて……ごめん、シェリー。俺がいたのに」
「それってミッチって人の組織?」
「なんでミッチを知ってる!?」
「そこまでは調べたんだよ。でもシラを切られたけどね。ミッチって怖い人ね、何を言っても頼んでも揺らぎもしなかった」
「ミッチの組織が助けてくれたんだ。だから帰って来れた」

「フェルは……酷かったんだ。傷が化膿して熱下がんなくて……シェリー、俺怖かった、フェルが死んじまうかと……俺、怖かったよ……」
「リッキー……」
「医者に足切断するかもしれないって言われて……」
「リッキー? 僕はそれ知らないよ」
「お前、ずっと意識無かったから」
「今はどうなんだ?」
「まだ治ってねぇよ、レイ。だから俺、ちゃんとフェルを世話してゆっくりきちんと治すんだ」

「ネットではそういう抗争ってずい分読んだよ、君たちがいなくなってから。でもこうやって目の当たりにするとまるで違って見える。本当に命あって戻ってきたのが奇跡に見えるよ」

「なんでさ! なんで黙って行ったんだよ! シェリー、可哀想だった。僕たちだって途方に暮れた。なんで一言でもいいから言ってくれなかったんだ!」
「ロジャー……俺、行くことしか頭に無くって。他の事考えられなかったんだ」

「フェルは!? 君、いつだって独断専行で周りを頼みにしないよね。そんなに僕らを信用してない!? そりゃ、僕はお喋りだから信用されなくても仕方ないよ。でもシェリーにさえ言わないなんて……」

「フェル、それについては僕も言いたいんだ。あの事件の時もそうだった。君は人に話すことを全くしない。確かに、君たちの問題だとは思う。でも僕らは仲間のはずだ。少なくとも君たち以外はそう思っている。なぜ、何も言わない? 何も聞かない?」
「ロジャー、エディ。フェルが話さねぇのは俺のこと大事に思ってくれてるからなんだ。俺の抱えてる秘密を誰にも言わねぇために」

リッキーが僕をじっと見つめた。静かな目だ。

「俺、全部話す」

「リッキー!」
「けじめつけたいんだ。それに俺は……みんなに知ってほしいと思う」

 もう……後は任せるしか無い。リッキーがどこまで話すのか分からないけど、知ってほしいという思いはリッキーのものなんだから。

 

「長い話になる。いいか?」
みんなが頷いた。

「俺、リカルド・マルティネスっていうのが本名だ。親父はベルムード・マルティネス。あの国の将軍だった。俺には4人の兄弟がいた」

 リッキーは全部を……何もかもを話し始めた。母のこと。追いかけられて力づくで抱かれていたこと。そのせいで国を追われたこと。ずっと監視がついていると思い込んでいたこと。そして……

「俺、それでも親父は俺のこと、最後の最後で情けをくれたんだと思ってた。けどそれは違ってた。マリソルに行ったのはせめて親父とエミディオの最期を知りたい、その思いが止まんなかったからだ。けど……向うで殺されたはずのエミディオに会った」

 驚いたのは僕だった。まだそういう話を聞いていない。僕の知らないところであったこと。

「エミディオは計画的に自分が殺されたことにした。そして裏でビセンテを操って親父を殺した。あいつは人が変わってしまった。そして教えてくれたんだ、親父はアメリカに逃がした俺のこと、端っから殺す気だったんだってこと」

とうとう知ってしまった……一番知られたくなかったこと。よりによってやっと会えた自分の兄の口から。

 

「笑っちまった、なんてバカげた真実だったんだろうって。知って良かったのかどうか、俺まだ気持ちの整理がついてねぇ。エミディオには俺のこと、忘れてくれって言ってきた。もうあの国に未練は無ぇ。そんなことを知るために俺は……」

黒い瞳がゆらゆらと涙の中で揺らいでいる……

「フェルを危険な目に遭わせた。フェルは俺を逃がすために銃撃戦のど真ん中に残ったんだ、そして撃たれた。……何も出来なかった……シェリー、ごめん。俺、何も出来なかったんだよ」
「リッキーが悪かったわけじゃない、僕が逃げろって言ったんだ」
「フェル。俺、お前にもどう償えばいいか分かんねぇ…… 理由なんか問題じゃねぇんだよ。元を作ったのは俺なんだ。俺の我が儘だったんだ」
「あれは我が儘じゃない。シェリーもみんなも分かってくれ、お願いだ……ずっとアメリカに追いやられて、死んだ親のこと知りたいって思うのは我が儘なんかじゃないよ」

「リッキー、じゃ本当に気持ちに決着ついたんだね?」
「うん、ロイ。ごめん、みんなごめん、フェルも。そうだな、行って良かったのかもしんない……あの時から戻るんじゃなかったって思った。でも今、みんなに話してるうちに……そう思い始めてる。ほんとのこと知らなかったら一生ただ後悔したまま親父のこと思い出してたと思う。俺、やっとあの国と関係なくなったんだ」

「リッキー。伝えなきゃいけないことがある」


 エディの言葉に涙の止まらないリッキーが顔を上げた。
「君はその後のマリソルのこと、知らないんだね?」
「知らねぇ……なんかあったのか?」

「言うべきだと思うから。ビセンテは死んだよ。殺されたんだ、麻薬組織に」
「え?」
「エミディオは……」
「エミディオ? ヤツがどうしたんだ!?」
「生きていることがどこからか漏れたんだよ。そして父親を殺したということで死刑になった。あまり裁判に時間をかけていない、体裁だけ裁判にしたんじゃないかな。副将軍は消えたよ」
「……じゃ、今は」
「確かライム……ごめん、忘れた。そいつが今は政府をまとめている。多分それで落ち着いていくんだと思うよ。人望が厚いと書いてあった」

 ライムンド。エミディオの部下だった。陰謀の渦巻く国の中で、人望が厚いと言われた男。これだけ色々なことを知って、果たしてそれは真実だと言えるんだろうか? 何もかも裏を知っていたライムンドは清廉潔白なんだろうか。


 くすくす笑う声が聞こえた。それは大きくなり始め、終いにはゲラゲラ止め処ない笑いに変わった。

「リッキー……」
「笑わずにいらんねぇよ! 俺のさ、俺の家族ってなんて立派なんだろうってさ! 本当に消えちまった! きれいに……消えた……結局大層なことを言ってたのにエミディオも利用されてたんだ……バカみてぇだ……」

 

 どうなっても構わない、縁を切った そう言いながらも『いる』と『いない』とではまるで違う。今、リッキーは本当に孤児になったんだ……

「僕がいる。お前には僕がいるから」
抱きついて泣きじゃくるリッキーの背中をずっと擦った。

 みんな何も言えず、泣き続けるリッキーの声をただ聞いていた。

「ごめ……ごめん、泣いて、ばっか……ごめん……」
「いいんだよ、リッキー。辛い時にあんなこと伝えなきゃならないなんて……すごく残念だよ……でも今知ってる方がいいと思ったんだ」
「うん……ありがとう、言いにくかったのに」

「俺たち、いない方がいいか?」
「いて……お願い、いてほしい、何か寂しい」
「いいよ。今日はみんな、何となくわいわいしよう。疲れたら眠ればいいんだ、二人とも。誰か買い出しに行くぞ」
「あ、フェルはアルコールは」
「ケガしてるんだ、当然飲ませないよ。消化のいいものを買って来る。冷蔵庫、空なんだろ? しばらく困んないくらいいろいろ買うから、のんびりした方がいい」
「ありがとう、レイ」
「俺が行く。レイだけじゃ何買うか怖い」
「なんだよ」
「本当のことだ、リッキー、食材も欲しいんだろ?」
「うん、俺、料理したい。フェルに美味しいもん作るんだ」
「了解」
「僕も行くよ。荷物持ちくらい出来る」
「へなちょこだけどな」

 出て行こうとしたタイラーが振り向いた。
「少しはいい話聞かせてやるよ。エディに彼女が出来た」
「え? ホント!?」
「エディ、それって僕たちの知ってる子?」
「うんと知ってる女の子だよ、フェル」
「誰? 教えろよ、ロイ!」

エディが手を上げた。
「自分で言うよ。フェル、リッキー。報告する。僕ら、つき合うことにした」

エディが手を振る方向を見た。リッキーと顔を見合わせる。
「何の冗談?」
「冗談じゃないよ、リッキー。おいで、シェリー」

『おいで、シェリー』

なんだか恋人みたいなことを言ってる…… シェリーが赤い顔をしてエディの隣に立った。エディがシェリーの腰に手を添えている…… 僕の熱は今何度になってるんだろう、幻が見える…… エディは知らないのか?
「あの、エディ、シェリーはダメだよ」
僕は変なことを言ってるのかもしれない、だってシェリーがエディの腕に頭を預けてる。


「無理だって! エディ、知らねぇのか? シェリーは」
「そんなことどうでもいいから。僕らはステディになった。弟くんたちに伝えたよ、シェリー」
「ええ……私ね、フェル。ずっとエディに支えてもらったの。嬉しかった。だから」

「リッキー、僕はもっと熱が上がったみたいだ……なんか変な幻聴が聞こえる……」
「ホントに!? ホントにエディとシェリー、ステディになったの!?」
「だからそうだってば!」
「あの、ラナは?」
「いいの、その話は」
「ソロリティとか親衛隊とかは?」
「もうサヨナラするわ。エディといたいから」
「本気、なんだね?」

ニヤニヤ笑った買い物部隊が出て行った。


「本気だよ。僕は真剣にシェリーとつき合う。君たちの許可をもらう気は無いからね」
「何が何だか分からないけど……それでシェリーが幸せなら」
「私、幸せよ、フェル。エディに巡り合えて良かったって思ってる。彼になら安心して寄りかかれるの」
「おめでとう! シェリー、幸せそうだ! エディ、シェリーを頼むな!」
「もちろんだ。彼女のことは任せろよ、リッキー」
「すっげー! 俺たちいない間にこんなことになってたなんて。な! フェル」
「そうだね」

ぼんやりと返事をした。本当のこととは思えなくて、驚いたままだ。消化するには時間が要るのかも。

 

 買い物してきた連中が穏やかに、でもそれなりに賑やかにテーブルにいろいろ広げている。それを二人で眺めていた。リッキーがそっと手を握ってくるから僕も握り返した。

 見たことも無い、女の子のシェリー。絶えずその肩に腰に手をやる優しい顔のエディ。消化できなくったって見ている僕はとても幸せで。
 頬にキスされて、リッキーの指輪に唇をつけた。


 食べたばかり。薬も飲んだし。ひんやりと両脇が冷たくて気持ち良くて。いつの間にか僕はそのお喋りの中でとろとろと眠くなっていた。リッキーの手が僕の手を握っている……

「僕のリッキー……」
「なんだ? 俺のフェル」
「お前は一人じゃないからな……」
「分かってる。お前がいる」
「うん……僕がいる……」
「そのまま眠れよ。俺、そばにいるから。みんなもいるから」
「リッキー……」

指を絡めた。
「俺、いるから。ずっと支えていくからな」
「僕も……支えるから……」

  ――お前がいれば大丈夫だよ 僕はあんなもの、もういらない 

  ――お前のためならなんでも………

     ―― 第5部 完 ――

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