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Fel & Rikcy 第1部

6.抱きしめる

「夕べ夜中に急に発ったのよ。会社から連絡があったらしいの」

 朝食後の片づけをしながら母さんが言った。僕が要求した通り、朝にはアルは消えていた。出来れば生涯会わずに過ごしたいくらいだ。ジェフは僕を見て、また何かあったのか? と、そんな顔をしていた。


 リッキーはどうしても食器洗いを手伝うと言って聞かなかった。ここでは普段したことのないことばかり出来るのがよっぽど嬉しいらしい。 

 ――俺、器用だろ?――

そんな言葉が聞こえそうだ。


「リッキー、今日は私たちとお茶を飲みに行くでしょう?」
「そうよ、昨日はパパと釣りに行っちゃって約束を破ったんだもの」

おませな双子は遠慮が無い。

「アナ、マリー、リッキーはもう……」
「行くよ、マドモアゼル。フェル、後で車を貸してくれないか?」
「リッキー?」
「まだおばあさんのパイも頂いてないしね。ジェフリーとまた釣りに行く約束もしてるんだ。もう少しいても構わないかな?」
「あら! 帰るつもりだったの? いてちょうだいな。フェル、もちろん構わないわよね? まだ3日目よ」

「……いいのか?」

昨日の今日だ。無理はさせたくなかった。

「じゃ、決まりだ。でもアナ、マリー。僕は街を知らないからちゃんと案内してくれる? じゃないと迷子になっちゃうからね」

二人がクスクス笑ってる。

「大丈夫よ。ちゃんと連れて帰ってあげるわ」
「良かった! それなら安心して行けるよ」

二人が顔を見合わせてにこっと笑う。

「リッキー、私とマリーと見分けつく?」
「ああ、分かるよ」
「ホント!?」
「じゃ後ろを向いてよ」
「いいよ」

彼からウィンクが飛んでくる。

「無理だよ。今まで当てたヤツ、いないんだ」
「こっち向いて、リッキー!」

どう? という顔でそれでも期待を込めて二人が彼を見つめた。

「君が、マリー。そして、君がアナ」
「すごーい!!」

二人とも一発で当てたリッキーに驚いて興奮している。

「さぁ、支度しておいでよ。待ってるから」

二人とも喜んで自分たちの部屋に走って行った。


「何で分かったの?」
「そうね、私も聞きたいわ」

ジェフも興味津々の顔をしている。

「レディを間違えるのは男の恥ですからね」
「ホントのこと言えよ。どうやって見分けた?」
「しょうがないなぁ。種明かしはプライドを捨てるようなもんなんだけど。アナの スカートにスープの跡があったんだよ。多分今朝こぼしたんだろ」

ジェフも母さんも大笑いだった。

「なぁ、リッキー。墓穴掘ったな。二人と街に行くんだろ? 着替えてくるんだからどうやって見分けるつもりなんだ?」

あ! という顔を見て、僕らはさらに笑った。

 リッキー。気がついてるかい? 僕らは今、普通の会話をしてるんだ。殺伐としたセックスのことなんか忘れてさ。

 

「本当にいいのか?」
「いいさ、二人といんのは楽しいよ。街までの道もシンプルだしね」
「じゃなくて。ここに残って構わないのか?」

楽しそうに頷くリッキー。

「だってアルはもういねぇし。俺、ここ好きだぜ。お前の母さん、ここ自分の家だと思っていいって。さっき皿洗いしてる時に言ってくれたんだ」

 ならもう、余計なことを言う必要なんてない。リッキーの行きたい所に一緒に行く。僕はそう言ったんだから。

 

「ついてってやろうか? 二人を間違えないように」
「フェル、お前分かってねぇな」
「何が?」
「レディを間違えるのは男の恥。そういうこと」
「え! ホントに分かってたの!?」

にやっとして彼はそれ以上答えない。そういうところはさすがと言うべきか。

 支度の出来た二人が来た。

「あなたたち、リッキーを困らせちゃだめよ。リッキー、行儀が悪かったり言うことを聞かなかったりしたらちゃんと叱ってね。つき合わせてしまって申し訳ないわ」
「いいんですよ。フェルの妹なら僕にとっても妹みたいなものだから」

彼は二人に両腕を差し出した。

「じゃ、レディ.アナスタシア。レディ.マリアンヌ。お手をどうぞ」

まるで淑女の様に扱われて、二人は上気した頬で腕に手を通した。

「じゃ、二人のプリンセスをお借りします」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 

「疲れなきゃいいけどね」

真面目な声に振り向くと母さんが気遣うような顔で閉まったドアを見ていた。

「彼は楽しんでるよ」
「私にはリッキーが必死になってるように見えるのよ。一生懸命にこの時間に縋りついているように」

 

 震えるような母さんの声……。想像できないほどの苦労をしてきた母さん。襲った男の子どもを二度も産んで、それでも惜しみない愛を注いで育ててくれた。やっと掴んだ結婚生活もあっという間にビリーだけを残して消えてしまった。そんな辛い中で、笑って過ごして僕らを抱きしめてくれたんだ。


 14になったばかりの頃。盗みに入った僕はあっけなく見つかり、それまでの所業を知られていなかったおかげで初犯として扱われた。迎えに来た母さんは盗みは悪いことなのだと、帰り道で僕に言い聞かせようとした。

「けど、母さん! 昨日だってこのオレンジ美味しいって言ってくれたじゃないか!」

その目にはみるみる涙が溢れ、とうとう座り込んで泣き出した。

 僕はあれきり盗みを止めた。母さんが僕のせいで泣いたり恥じたり頭を下げたり。そんなことは二度とするまい、そう決めたんだ。

 そんな母さんだからこそ、人の痛みには敏感だった。

「リッキーみたいな人がブロンクスで沈んでいくのをたくさん見てきた。抱えている自分を抱えきれなくなって落ちていくの……ジェフに聞いたわ。彼、信じられるのはあなただけだって言ってたって。フェル。人の心を背負っていくのは大変な事よ。あなたにそんな覚悟、あるの?」
 僕は母さんを抱きしめた。いつだって大事なことを教えてくれる。

 そうだ、僕はちゃんと覚悟をしているだろうか。リッキーは僕のためならきっと何でも捨てるだろう。けど、僕はどうするんだ? 

[守りたい]

言って、思って、それで済むことじゃない。

 

「ありがとう、母さん。僕はリッキーにちゃんと向き合っていくよ」

 優しく背中をぽんぽんと叩かれ、僕は今、自分が幸せだと実感した。辛い時期を過ごして来た? だから? 今はこんなに幸せじゃないか! 

 部屋に戻った僕はこれまでの事とこれからの事を考えた。どんなに思っても目の前にいる僕に気づかれず、孤独を抱きしめてきたリッキー。

 僕には彼の在り方がずっと理解出来なかった。けど今は痛いほど分かる。誰からも一人の人間として扱われて来なかった彼を、僕は憐れんでいるんだろうか。なら彼を思う時、この湧き上がってくる感情は何なのだろう? ノーマルだとか、ホモセクシュアルだとか。そんなことはどうでもよくなっている自分に気がついた。ただリッキーに幸せになってもらいたい、リッキーと一緒に幸せになりたい。

 これが僕の辿り着いた結論で 、覚悟だ。彼の手を離したくない。独りにしたくない。するもんか。

 

 

「どうしたのかしら。遅いわね」

携帯にかけてもリッキーが出ない。

『これから街を出るよ』

 リッキーはジェフと母さんを心配させないようにきちんと電話をくれた。とっくに着いていておかしくない時間だ。けれど携帯も繋がらない。
 やきもきしている所にジェフの携帯が鳴った。

「はい。はい、そうです。え?  私が彼に二人のことを頼んだんです。分かりました。ありがとうございました」

「何があったの!?」
「警察からだ。リチャードが二人を車に乗せようとしたのを誘拐と勘違いしたバカ者がいたそうだ。そのせいで警察署に連れて行かれたらしい。三人の身元の確認の電話だった」
「まあ! なんてこと! でも三人は無事なのね?」
「ああ、すぐに返してくれるそうだ。アナとマリーが誤解だと言ったから確認のための電話だと言っていた」

 

 よくよくリッキーはついてない。彼が悪いわけじゃない。でもまるで彼は、トラブルをひっ抱えた女神に魅入られているようだ。


 待っていても携帯が鳴らない。何か変だ。リッキーなら警察を出た時点でかけてくるだろう。こっちからかけてもまた出ない。

 しばらくして車の止まる音に、僕は飛び出すように外に出た。出かけた時と違う車だった。でも中から出て来たのはアナとマリー。

「大丈夫!?」

僕の後に飛び出してきた母さんに二人は飛びついた。

「私たち、大丈夫よ」
「リッキーは!?」

なぜリッキーがいないんだ!

「あのね、先にアルが来てくれたのよ」
「それで、リッキーとご用が出来たから先に帰りなさいって」
「どこに!?リッキーはどこに連れて行かれた!?」

 頭の中に、嫌がるリッキーを抑えつけるアルの姿が蘇る。二人が答える前に僕は車から降りていた運転手の胸倉を掴んでいた。

「リッキーは、二人を連れていた男はどこだ!!」

 自分でも驚くほど頭がぐらぐらと沸騰する。運転手は僕の剣幕に気圧されていた。

「私はお二人をお送りするよう副社長から言い使っただけです」
「アナ! マリー!」

アナとマリーは泣きそうな顔だ。

「どこに行ったのか知らないの。リッキーは困った顔をしてたけど、私たちに 心配要らないよ って笑ってたわ」


 その様子が目に浮かぶ。きっと二人を心配させないように気遣ったんだ。もしどこかに連れ込まれてたら…僕はきっとアルを殺すだろう。どす黒い怒りの波に呑み込まれる………。


「ジェフ! 車、借りる!」
「待ちなさい、当てはあるのか?」

無い。アルの行動範囲なんて知らない。僕は携帯を出した。けどジェフの方が先にアルの携帯にかけた。

「君がかけたんじゃアルは出ないだろう」

ジェフの呼び出しにアルはすぐに出た。

「私だ。今、どこにいる? ロジソン・ホテルのレストラン? そうか。ならいい。アル。リチャードは我が家の客人だ。分かっているな?」

それだけ言うと電話を切った。

「アナとマリーが世話になったお礼に夕食に招待したそうだ」
「なら二人も一緒のはずだろう? 第一携帯に出ないなんておかしい!」
「車は使って構わない。ホテルに置いてきていい。私にだって何かがおかしい事くらい分かる。だが、くれぐれも兄弟だということを忘れんでくれ。アルは君の兄さんだ、無茶なことなどしないよ」

ジェフはアルを知らない……。

「フェル! 俺も一緒に行く! アルなんか信用出来るもんか!」

そう叫ぶビリーをジェフが止めた。

「行くのはフェルだけでいい」

駐車場に走ろうとする僕をまたジェフが止めた。

「着替えなさい。ドレスコードで引っかかる。落ち着くんだ、フェル」


 ジェフの冷静な声に頷いて、いったん部屋に戻った。着替えてるうちに、少しはまともに頭が働き始める。今ジェフに釘を刺されたんだ、確かに無茶な真似はしないだろう。でも、レストランに入る前は? その上はホテルだ。

 ジェフの判断は正しい。僕の頭には血が昇っている。あのまま突っ走ったら僕は何をするか分からなかっただろう。

 

 ロジソン・ホテルのレストラン。僕は暗くなる前にそこに着いた。洒落たライティングに淡いブラウンの壁がよく合っていて、いかにも『高級でございます』と、バカっ丁寧に挨拶されてるような気分になる。

 入り口で ハワードだと告げるとすぐに案内された。

 

「来ると思ってたよ。ジェフから電話があったからね」

ちゃんと3席目が用意されていた。

「何を飲む?  たまには奢るよ」

 席につくなりアルが大人の対応をしてきた。その鷹揚な声にまた腹わたが煮えくり返りそうだ。リッキーを見るとホッとした顔がこっちを向いた。手元を見ても、ナイフもフォークも使われていない。

「飲み物は要らない。なんの真似だ?」
「警察からの問い合わせが僕にも来たんだよ。だから3人を受け出した。アナとマリーはちゃんと家に着いただろう?」
「ああ。けど、リッキーはいなかった」

「だからこの前のお詫びさ。リチャードは奥床しくて何も手を付けないけどね。お前も食べていくといい。リチャードの緊張も解れるだろう」
「いや。リッキーは僕と帰るよ。ずいぶん都合よく通報があったな」
「それは勘繰り過ぎだろう?」

僕が立つのを見てリッキーが口を開いた。

「携帯を返してくれないか?」

アルがため息をついてリッキーの携帯をテーブルに置いた。
 ――人目が無ければ………。

 

 気配を読んでリッキーが僕の手を掴んだ。

「行こう、フェル。アル、楽しい夕食をありがとう」
「車は駐車場だ」

キーを手に乗せた。リッキーの手を待っている。僕は脇から手を伸ばしてそれを掴んだ。

「僕の車だ」

アルは お好きに と、酒を口に含んだ。

 

「フェル、落ち着け!」

僕よりリッキーの方が冷静だった。

「なんでアルについて来たんだ!」
「二人に、泊まるか帰るか? ってアルが聞いたからだよ。帰らせなきゃみんなが心配する。そしたら夕食に付き合えって」

「それだけ?」
「それだけだよ。俺、あそこに座ってただけだ」

そう聞いてもあのアルの皮肉めいた笑いが頭の中から離れない。しばらく無言で車を走らせて街を出た。

 

 陽が落ちかかっている。伸び始めた木の影の中に止めて車を降りた。

 ――息を吸え
 ――落ち着くんだ

そう思うのにどうしても突き上げてくる何かが暴れ出しそうだ………。

「なんだよ、怒ってんのか?」

面白いものでも見るような顔で覗き込んでくるリッキーを気がついたら僕は抱きしめていた。

「フェル……苦しい」
「心配したんだ………アルに何かされてやしないかって」
「フェル?」

 

 自分の衝動が分からなかった。心配、不安、怒り、安心。それらが一気に混ざり合って僕の中で暴走した。

 

 見上げてくるリッキーの唇が近くて
  リッキーがひどく脆くて
  危なっかしくて
  独りに見えて
  だから守りたくて
  だから抱いていたくて

  だから だから だから………

 

 何もかも言葉にはならず、でも全部を伝えたくて僕は口づけた。驚いたリッキーの体が僕の腕の中で少しずつ柔らかくなっていく。

 僕が誘った舌は僕より相手を求めていた。何度も舌を擦り合わせ、お互いの口の中を探り合い、吸っては絡め合わせ、唇を舐め合い。

 自分を抑えきれずにいつの間にか僕の方がリッキーの口を貪っていた。

「フ…フェル……」

 ほんの合間に漏れる声。僕は喋るのを許さなかった。彼の黒髪に指を埋め、動くことも許さなかった。彼の背中がしなっていく。倒れそうな彼を片腕で抱え上げた。体の間にリッキーの腕が割り込んでくる。そこに生まれた空間のせいで唇が離れた。

「い… 息、させろよ」

 まるで全力疾走でもしたかのように胸が上下して、それがまた僕を誘う。ほんの少しの息継ぎが待てない。また僕はリッキーを引き寄せた。


 ――離したくない
 ――また手の届かないところへ消えるかもしれない


焦燥感が僕を襲う。

 ――失っていたかもしれない……リッキーを失っていたかもしれないんだ

その感覚に目眩がしそうだった。リッキーが間違いなく腕の中にいることを確かめずにはいられなかった。


空気を求めてわずかな隙を唇が逃げる。

喘ぐ息が頬にかかる。

反り返っていく首筋に唇を這わせていく。

何度も何度も往復する。

震える体。

  あ っぁ…ぁ…… 

耳を侵す甘い声。

頭を抑え込んで、また口づけた。

熱い口の中に僕が蕩けていく。

また唇が逃げる……

 「息…を……」

喘ぐ声が僕を煽る。少しの風が頬を撫でる。

 「…please…」

僅かに聞こえる揺れる声。

 「……por faver……」

微かに聞こえる異国の言葉。


激しい感情の波に流されて
早鐘を打つ鼓動が苦しくて

 

 リッキーを腕に抱いたままそばの茂みに転がった。小さな坂をごろごろと二人で落ちていく。リッキーが下になって止まる頃には、また僕は彼の口を塞ぎ始めた。角度を変えてはリッキーの口の中に押し入る。深いふれあいが欲しかった。

 ――ここにいるよな?
 ――僕の腕の中に

 言葉で聞くより唇で知りたかった。腰がふれあい、張り詰めた彼を感じる。自分も体が弾けそうなほど熱く高まっていく。

僕は知った、自分の中の本当の気持ちを。

 ――リッキーが愛しい  
 ――何もかもが愛しい………

大きな鼓動を手に感じながら、その手を下に降ろしていく。充分に膨らんだそこが手のひらを押し返してくる。

 一瞬離れた唇をまた追いかけた。口を取られまいとして顔の前で広げられた手の平を、すい  と横に逸れて耳元で囁いた。

 

  「僕のそばから離れるな」

 

 

 

 泣いているリッキーが可愛くてその頬に小さくキスをした。

「キスだけでイくなんて……」
「そんなに良かった?」
「なんてキス、すんだよっ! 俺を殺す気だったろ!」

怒る彼に、も1つキス。

「何が 禁欲 だよ!」

また1つ、キス。

「大嘘つき!」

僕は大笑いした。


「こうでもしなきゃリッキーは簡単に誰かに抱かれちゃうだろ?」
「恥だ、こんなの! セックスじゃねぇ!」
「だから、健康的に付き合おうって言ったじゃないか」

「じゃ、こんな目に合わせても何もしねぇつもりかよ! もう……」
「なに?」
「お前としたくてたまんねぇ…」

「それは、ダメ」
「なんで!」
「僕はまだリッキーに口説き落とされちゃいない。だから」

「優しいヤツだと思ったのに。うさぎの皮を被った狼かよ!」
「ひどいなぁ、イくほどのキスをしたって言うのに」
「それ言うな!」
「当分、キスだけで良さそうだね。安上がりだ」
「詐欺師!」

「じゃ、もうしない?」
「……あんなキス……生まれて初めてだ、溺れそうだった……キスであれじゃ、お前に抱かれたら…………」

「リッキー、脳内妄想やめとけ。また勃ち始めてるぞ。もう僕は手伝わないからな」
 「バカッ!!!」

 

 やっと治まったリッキーは、それでも家に帰れないと駄々をこねた。確かに。リッキーのスラックスにははっきりと染みがあり、これじゃどうしようもない。僕は来た道を逆走した。

「どうすんだよ」
「仕方ないだろ? 着替えを買ってどこかでシャワー浴びないと」
「俺のせいみたいに言うな!」

唇を突き出して文句を言うなよ。また抱きしめたくなる。いつの間にこんなに愛しくなったんだろう……。


 街には古着屋があるんだ。そこならあまり照明も明るくなくて、安心して買い物が出来る。あーでもない、こーでもない。
僕らは下らない小競り合いをしながら買い物を済ませた。買い物の後じゃたいした金も残っていなかったから、モーテルにでも入るしかなかった。

「シャワー、浴びて来いよ。あ、期待すんなよ、もう何もしないからな」
「ケダモノ!」
「襲わないのにその言葉は無いだろう?」
「襲わねぇからだよっ!」

 目の前で煽るように着ている物を全部脱ぎ捨て、バスルームに向かうリッキー。その後は不貞腐れたようなシャワーの音が響いた。

 

 髪を拭きながら出て来たリッキーを見て大きなため息が出た。まだ水が滴っていて垂れた髪のせいでひどく子どもっぽく見える。

「なんだよ」
「きれいだ。なんで今まで気づかなかったんだろうな、ずっと同じ部屋にいたのに」

そばに立って真っ赤になった顔を両手で包んだ。
小さく軽く、キスを落とす。

「俺、裸だ」
「だから?」
「バカっ!  も1回シャワー浴びてくる!」

その腰を見て僕は目を丸くした。

「元気だなぁ! もう勃ったの?」
「お前なんか好きになるんじゃなかった!!」

 タオルを投げつけ、シャワーにとって返した。切ない声が水音の中から聞こえてくる。僕は目を閉じてそれを聞いていた。僕だって禁欲してるんだぞ、リッキー。

 

 

 家に着いた時にはもう9時を回っていた。腹減ってる。そう伝えたから食事が用意されていたた。

「心配したんだから!  食器は自分たちで洗いなさい!」

ぷりぷり怒る母さんに はぁい と間延びした返事をして湯気の立つ食事を味わった。

「俺、これから休みにはお前んとこに入り浸るかも」
「みんな喜ぶよ」

「明日は釣りして、グランマのとこにパイを食べに行かなくちゃな」
「僕はパスかな。ジェフのお喋りはリッキーに任せるよ」
「勿体無ぇこと、言うな。俺なんて……」

言葉が消えた。


「なぁ、リッキー。『ぽるふぁぼーる』そんな言葉だった。どういう意味?」

フォークを持った手が止まった。

「なんで?」

一瞬で尖った目になった。間違えれば砕けてしまいそうなリッキー 。

 「いや…どこかで聞いた言葉なんだけどさ」

フォークが動き始めた。

「俺、知らねぇ」

 

 きっぱりと言うリッキーにそれ以上は聞けなかった。でも僕は確かに聞いた。

  『……por faver……』

揺れる様なリッキーの声を。

  

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