Fel & Rikcy 第6部

7.宝物

「帰ったよー」

「お帰り。今日はどうだった?」
「うん、絵を描いてる時は元気だったよ。でもヒューズが言ってた、最近塞ぎ込むことが多いって。フェルにまた来てくんないかなって」
「そうか…次行く時に一緒に行くよ。今はレポートで忙しくって」

 

 結局フェルは講義を減らして留年すんのをやめて自分を追いこむ道を選んだ。つまり、いつも通りってやつだ。今までドタバタして講義が二の次になってたから取り返すのに一生懸命。フェルは負けず嫌いだから取ってる科目を全部満足するまでやんないと気が済まない。だからめちゃめちゃ忙しくなってるんだ。この頃じゃ、俺を抱いた後また勉強してるなんてこともあって、正直心配で堪んねぇ……

 俺は元々そんなにハードルを上げてなかったから、無茶なことをしなくてもついて行けてる。ただ俺の場合、その中身が将来を考えて組んじゃいなかったから、何の役にも立たねぇし方向性も無ぇってことなんだ。

 フェルにしたって、環境学を専攻してるけど、『じゃ、その先は?』って聞かれると詰まっちまうらしい。ホントに俺たちの未来ってヤツは、今んとこ手詰まりになっちまってるんだ。

「やぁ! よく来てくれたね!」
ボブのこんなに溌剌とした声は久しぶりだ! やっぱフェルはボブにとって特別な友だちなんだ。

「やっぱりまだ見せてもらえない?」
「だめ。出来上がってから」

 フェルは俺がどう言う風に描かれてるのか見たくて堪んねぇんだ。そりゃ俺だって見たい。だって人からどう見られてるのかなんて自分じゃ分かんねぇんだから。

「いつ頃出来上がる?」
「僕がいいと思った時」
「だいたいそれってどれくらい?」
「それはみんな違うよ。あっという間に終わることもあれば、描き込んでも描き込んでも終わらない時がある。ある時、パッと思うんだ、これ以上は必要無いって」

 芸術家ってヤツはそういうもんなんだろう、全て心のままにってことだ。

「今まで何作書いた?」
「眠っているのは60枚くらいある。表に出して額に入れているのは4作かな」
「どうして?」
「そうだね……描いて満足したものは表に出さない。出しているのはそれ以上の作品だけなんだ」

 

 俺とボブの会話はこんな風にならねぇ。だいたい世間のことや大学のこと。俺のぼかした過去のこと。そんなもんだ。けど、フェルとの会話はもっと奥に踏み込んだものになる。
 それは羨ましいとか、どうして俺とは違うんだ! とか、そういうのは関係無い。フェルのスタンスってヤツがはっきりしてるからボブは付き合いやすいんだと思う。

「ここは別邸だと言ってたね。母屋は遠いの?」
「ここから10分くらい車で言ったところだ。滅多に行かないけど」
「そうか……この部屋とエレベーターは改造したんだろ? 万一開かなくなったりしたらどうするんだ?」
「外に手動で開けるレバーがあるんだよ。中からは無理なんだ、僕に力が無いから。廊下とはインターホンで話すんだ。この部屋の仕組みが知りたいの? ならヒューズに聞くといいよ」
「弟が建築を勉強をしてるからね、何となくその影響。変わった造りっていうのに興味惹かれて」
「じゃ、あとでヒューズに聞いてみたらどうかな」
「ありがとう」

 その間もボブの手は止まってないし、俺はポーズを崩さない。いや、楽にしていいよって言われてんだ、動かないと辛いだろうって。けど俺はボブの役に立ちたくってあんまり休憩取らねぇんだ。

 


 俺のモデルのカッコはすごくシンプルだ。真っ白なただのシャツ。ボタンは4つ開けている。ソファに寝転がって腕を上に向かって伸ばす。
「何でもいいんだ、何かに手を伸ばす。そういうイメージで頼むよ」

それが初めての日のボブからの注文だった。
 だから俺はあの時のことを思い出しちまう。撃たれたフェルに手を伸ばした時。届かない手。でもフェルを必死に求めた手。掴んで欲しかった手。

 時々手を下ろして合図があるまで寝転がったまま休憩だ。それが最初の1時間。そして次の1時間は、好きなポーズを取っていいって言われた。

「そうだね。リッキーはフェルを心から愛してるんだろう?」
「もちろん! 俺にとってフェルは全てだから」
「じゃ、フェルを思い浮かべてポーズして。どんなポーズでもいい」

 

 難しい注文だった。どうすればフェルを愛してるのを一番表わすポーズになるんだ?

 俺は目の前にフェルがいるって思い浮かべた。だめだ、抱きしめられてキスされてるとこしか思い浮かばねぇ……

 愛しい そう思ったのは? 何もかもどうでもいい、フェルがいれば。そう思ったのは? 俺は自然に祈る姿になっていた。真っ白なシーツの上で真っ白な顔をしたフェルが、呼吸器のお蔭で辛うじて息をしてる…… 時々その唇が『りっきぃ』と動くのが分かる……

  ――神さま 俺、どうなってもいいよ、助けて
  ――もし……もし助からなかったら俺も逝くんだ 
  ――フェルがいないなら俺はいてもしょうがねぇんだ
  ――だから、助けて

 涙が溢れてきた、まるでフェルがそこに横たわっているみたいに。もうそれはポーズなんかじゃねぇ、俺はフェルのベッドの前で膝まづいて祈った、上を向いて。ただ、祈った……

 ボブは何も言わなかった、俺の頬が濡れていくのにも何も言わなかった。10分位してボブがようやく喋った。

「いいよ、リッキー。辛い思いをさせたんだね。君の思いが伝わってきた。きっともう一度って言っても同じにはならないと思う。だから、好きなポーズというのはこれでお終いにしよう」
「でも……どうするんですか? 絵」
「最初のポーズの絵が出来上がるまで。それを頼むよ。もうそれだけでいいから」

優しい顔だったからそれ以上俺は言うのを止めた。

 

 

 

 そしてある日、フェルと一緒にボブに呼ばれた。雪が降ってた。ボブんとこの庭は真っ白な絨毯になっていた。入っていくとあったかい紅茶を出された。

「ボブ、今日はなに? ポーズは?」
「もういいんだ、リッキー」
俺とフェルは顔を見合わせた。
「じゃ……」
「うん、出来たよ」
にっこり笑うボブ。
「ヒューズ、頼むよ」

ヒューズは2枚のキャンパスを持って来た。
「2枚?」
「そうだよ。僕は2枚描いた」

その両方に白い布がかかっている。それをヒューズがイーゼルっていう木の枠に乗せた。

「これが、そう?」
「そうだよ。ヒューズ」

 白い布が外された。俺とフェルは……何て言えばいい? 
そこには俺がいた、俺とフェルが。

「いつ、僕を……」
「君をいつも見てたからね、僕から見た君のイメージだ」

 ソファに横になった俺が手を伸ばした先に……フェルの笑顔が浮かんでいた。ぼんやりと薄くて、でも間違いなくフェルが。俺はその顔に手を伸ばして微笑んでいた。光の中で俺の周りはほんのり赤くて、淡い青に包まれたフェルははただ笑顔で。


 もう1枚の絵。

「これ……俺、10分位しかポーズしなかった……」
「でも、リッキー。これが本当の君の姿だと思う。何があったかは知らない。けれど君はフェルのために祈ったんだ、心の底から全てを懸けて、全てを捨てて」

 涙が……溢れる。あの時の俺がそこにいた。膝をついて、天を仰いで、ただ祈る俺。闇の中に俺の姿は浮かび上がっていて、そして祈る先には温かな光があった。あの姿は……あの時のままの俺だ……

 

「リッキー……なんてきれいなんだ……僕のリッキーがここにいる、この中に」

フェルの声が震えてくぐもる。いつの間にか俺たちは手を握り合っていた。

「この絵は……眠るんですか?」
ボブは笑って答えた。
「これは君たちのものだ。あとでヒューズに住所を教えて。ちゃんと送るから」
「そんな……バイト代、俺もらってる! なのに絵まで俺たちにくれたらボブには何が残るの!?」
「僕の大事な時間が残るよ。この絵は飾らない。眠らない。僕の心の中にずっとある。こんなに大切な絵を描いたことはないよ。僕の絵をどうか受け取ってほしい」

フェルの手が俺の肩に乗った。
「ボブ……これ、もらいます。ボブの大切な絵、僕らも大切にする。ありがとう、本当にありがとう」

「一つ……お願いがあるんだ」
「なに?」
「これでモデルの仕事は終わった。けれど……どうか遊びに来てもらえないだろうか。友人として。君たちと過ごした間、僕は幸せだった。この幸せをこれからも味わっていきたい。もちろん、君たちの予定が最優先だ。時間が空いて、思い出した時に来てくれればいい。それでいいからどうか……」
「来ます。僕らもボブとの付き合いはこれで終わりだなんて思っていない。これからも友人だ、友だちだと、心から思ってる。いいですか? 押しかけても」

俺も頷いた。ヒューズの顔に笑顔が浮かんでいる。ボブは……泣いていた。

「ありが……とう、フェル、リッキー。いつでも来てほしい。ここの門は君たちにはいつでも開いている。電話を待つよ、これからも」

 ヒューズに住所を教えた。

「ちゃんと額に入れて送りますからね。私からもありがとう。ロバート様を訪ねてください、これからも」
「ヒューズ。また美味しい紅茶をお願いします。それからドレスコードには目を瞑ってください」
「はは、もちろん! 待ってますよ」

 俺たちは帰り、ずっと黙っていた。時々フェルが俺の手を握ってきたから、その度に握り返した。俺たちは宝物をもらったんだ。何にも代えられない宝物を。

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