J (ジェイ)の物語」

第三部
7.この腕の中に-1

「ジェイ、愛してる。お前が欲しい」
 体が震えた。蓮が求めてくれた、今の自分を。この自分を。顎が持ち上げられて暖かい唇が重なった。蓮の舌が自分の口の中を動き回る…… 一瞬、身を引きそうになった。
(いやだ、口の中にあの人が…)
その頭をガッシリと掴まれた。激しく蓮が自分の口を荒らし回る。唾液が溢れ蓮が飲み込む、つぃと流れる。
(っあ……)
 体の芯が熱くなる。ジーンズ越しに掴まれて痛いほど膨れ上がった。唇か離れて蓮の胸に頭を預けた、もう何も考えられない…… 揺するようにジーンズの上から刺激を与えられ腰が砕けそうだ。
 蓮は全て忘れさせたかった。自分との営みだけに溺れさせてやりたい。ジーンズを脱がせ下着を下ろし、ソファに座らせた。自分は全て脱ぎ、ジェイのシャツをめくり上げ胸を愛撫した。
 喘ぐ中をジェイはうっすら目を開けた。下半身だけ裸なのがひどく恥ずかしい。
(や、やだ、脱がせ……脱ぎたい…)
 声にならない。音が鳴る、左胸を蓮の口になぶられる音が。左手がもう片方の胸を翻弄する。空いている手がソファの上でジェイの足を立てさせた。
(恥ず……かし……い)
 けれど抗えない、魔法にでもかかったように蓮の望む姿になっていく。両脇に手をついて体を支えるのに必死だ。
 蓮の指が密やかな場所に潜り込んでいく。とろとろと流れる自分の雫で。
(ぁあ……さわ、って、さわっ……て……)
快感から置き去りにされたそこが苦しい。勃ち上がりっぱなしなのが辛い。胸と後ろだけ。その胸から蓮の唇が上へと上がってくる。
 首を這う感覚に僅かに逃げようと顔を背けた。
(首を……首を触られたくない……)
どこかで自分の声がする。けれど蓮は離れなかった。何度も繰り返す愛撫にジェイは陥落していく。もうどうでもいい、とにかく
(なん……とか、して……れん)
 頭にはそれしか無い。
「お……ねが」
「どうしてほしい?」
「あ……ぁ、も……もぅ、さわ……っ」
「触って欲しいか?」
 何度も頷く、触られたい、強い刺激が欲しい。
「ジェイ、お前を包んでやる」
 目の前の蓮の顔が沈んで欲しい場所がぬらりと舐められた。
 っあぁ!!
腰が浮き蓮の口に思わず押しつけた。吸われて吐き出しそうになる前に口が離れた。
「ま、まって、はな……ないで……まっ」
「まだだ、ジェイ、まだイかさない」
「ま……だ?」
 もうイくことしか頭にはない。蓮はソファに座って自分の上にジェイを跨らさせた。力の抜け切ったジェイに逆らう意思など生まれない。
「ジェイ、俺に下りて来るんだ」
 何を言っているのか分からない。けれど蓮に誘導されるままに自分の中に蓮を迎え入れていく。
 いつもベッドでは蓮が自分に覆い被さって来た。なのに今は自分が蓮の上だ。深く深く迎え入れ、体の中心に蓮を感じた。
「目を開けるんだ、俺を見るんだ」
 目を開けると蓮の顔が揺れていた。違う、自分が上下に動いている、蓮の肩に掴まって。
(っは……も、だめ……)
腰の動きを止められた。
「や……もイきた……」
「まだだよ、ジェイ、まだだ」
 息が収まりつつあるのを体が振られ、息が詰まる。
「あ、ぁああ、れ、ん……おね……」
「ああ、……おれも、もぅ……」
 激しく突き上げられ腰を何度も回され、肩に縋りついて小さな悲鳴を上げ続けた。やっと上下に扱かれてジェイは果てた。頭の中は空っぽでただ快感だけを追いかけた……

――とくん とくん
 虚ろな中に穏やかな音が聞こえる。その音に寄りかかるように耳を寄せていた。
――とくん とくん
 安心する音だ。母の胸にいるような。ずっとその音を聞きながら深い眠りについた……

 目が覚めて、疲れ切ったジェイは蓮にバスルームに連れて行かれた。全部してもらう、洗うのも掻き出されるのも。体を拭いてもらい、テーブルで冷凍庫のピラフを食べさせられ、飲み物を与えられ。それでもぼんやりしている。
 ベッドに連れて行かれ、また抱かれた。疲れた体を快感が駆け巡る。息も絶え絶えに蓮にしがみつく。胸に抱かれて、また眠った。

(いい匂いがする)
 それでも目が開かない。疲れ果てて動くのもいやだ。またゆらゆらと夢の中へ。夢に出て来るのは蓮の瞳、蓮の手。特に意味の無い夢。
(いい匂い)
また夢から現実へと戻って来る。
(お腹、空いた)
少し頭が空っぽに。
(れんは?)
やっと頭を少し持ち上げた。
(いたい!)
目を閉じて顔をしかめた。腰が痛い、体が痛い。
「れん?」
 驚くほど酷い声だ、喉も痛い。
いい匂いはサイドテーブルからだった。小さな土鍋が見える。やっと起き上がって蓋を開けると大好きなおじやが入っていた。まだ湯気が立っている。そばには凍らせたスポーツドリンクと水。
 時間が経っているらしい。スポーツドリンクは半分溶けている。水は大きなグラスにいっぱい入っているが、かなり冷たいところを見ると氷をたくさん入れてあったのだろう。
(れん?)
トレイにメモがあった。
『ゆっくり寝てろ。仕事に行ってくる。夜は美味いもの食いに行こう』
(うん)
メモに頷いてお椀におじやを注いだ。
(いただきます、れん)
 いつも通りに美味しかった。何も変わらない。事後の体の痛みも、おじやの味も。横になって、また眠った。

 午後。少し楽になり、シャワーを浴びた。今日はなぜか片付ける気になれない。食べた椀は水に浸け、ジョーグルとお茶のペットボトルをテーブルに置く。ポテトチップとカリントウを膝に抱え込み、テレビを見ながら交互に食べた。
 バカげた番組に笑いが止まらない。その内にカリントウを齧りながらぼろぼろ涙が溢れてきた。笑っては涙を拭き、ポテトチップを頬張っては涙を拭き……
「蓮……ポテトチップが……しょっぱいよ……」
 とうとうポテトチップをテーブルに投げ出し、声を上げて泣いた。よく分からない、悲しいのか辛いのか。ただ泣き続けた、また、声が枯れるまで。
(疲れた、れん)
散々泣いた。胸のつかえが取れたような気がする。
(ねむい)
ベッドに潜ってまた眠った。


「ただいま」
 下から見上げてまた明かりが点いていなかったから蓮は恐る恐る玄関から声をかけた。返事が無い。(まさか!)と思いつつ電気を点けて慌てて中に入った。
 小さな音でテレビがついている。テーブルの上にはジョーグルとお茶の飲み残しのペットボトル。ポテトチップが袋からこぼれていて、カリントウの袋は空っぽで放置されている。キッチンにはおじやを食べた後の椀がそのまま。
「ジェイ?」
 そっと寝室を覗いた。すぅすぅと寝息が聞こえる。
「なんだよ、カリントウのヤケ食いか?」
 自分で言って吹き出しそうになり口を抑えた。
(しょうがないなぁ)
 まだ飲みたがるかもしれない。ペットボトルを冷蔵庫にしまった。上着を脱いでワイシャツの袖を捲り、椀を洗った。土鍋を覗くとあらかた食べてあって放ったらかし。クスリと笑って(これじゃ洗えないじゃないか)と、水を張った。
 ジェイなりの発散だったのかもしれない。
 テレビはそのまま、少し音を上げた。自然に起きてほしい。無理に起こしたくない。
(今日も冷凍食品でいいか)
けれど美味い物を食いに行こうとメモを残した。
(どこに連れて行こうか)
 徐々に音を大きくした。シックなスーツに着替える。寝室から んんー、と声が聞こえた。さらに音を大きくした。
「れん?」
「起きたか? 一体どれだけ寝てるんだ?」
 むくっと起き上がった。周りが暗い。蓮がいるということは8時過ぎか?
「ごめん! 俺、寝すぎちゃった!」
 寝室から出てきて蓮の姿を見て息が止まった。
「どっか……行くの? パーティー? 着替えに戻っただけ?」
 それはイヤだった。今日は一緒にいてほしい。
「ばか、お前待ちだ。早く着替えろ」
「へ?」
「へ じゃないよ、このまえ牧野さんにいろいろ入れてもらったろ? あの中から選んで来い。食事に行くぞ」
「食事? スーツで?」
「お洒落していくとこだ。せっかく買ったのにあの靴履いてないしな」

 急いで顔を洗って着替えた。
(お洒落して食事……)
なんだか嬉しい。
(どの色にしよう)
きれいな、光るようなグレイ。
(これでいいかな?)
自信の無いまま蓮の前に立った。
「これ、どう……?」
 今度は蓮の息が止まる番だった。シルバーと言っていいほどの明るいグレイ。薄いピンクのシャツにエンジのタイ。
「変? 変えてくる!」
「いや、いい! いいよ、それ。似合う」
「本当?」
「ああ、うんとセクシーだ」
 抱き締めてキスをする。つい長い口づけになり、ジェイの顔が上向きになる。唇が蓮の舌の動きに合わせるかのように蠢く……
「出なきゃ…… このままお前をベッドに押し倒しそうだ……」
「蓮、困る、俺腹減ったんだ」
「お前は……ロマンの欠片も無いな」
 キーを掴みながらぼやいた。けれどジェイの雰囲気にほっとした。今日はゆったり過ごしたのだろう。帰ってくるまで心配だったがすごく落ち着いている。
(もう安定剤は要らないな)
 実は夕べ最後に口移しで飲ませた水は、安定剤を一緒に口に含んでいた。だからジェイは何度も眠った。

 嬉しそうに真新しい靴を履くのを見る。自然に口元に笑みが浮かぶ。
(本当にきれいだな、お前は)
見ても見ても見飽きない。そこに光が差すように振り返るジェイから光が溢れる。

「どこに行くの?」
「秘密だ」
「また?」
「そ! まただ」
 蓮が秘密と言うとドキドキする。今日はどこに行くのだろう。
 どこに向かっているのかまるで分からなかった。蓮は意外と早い時間に帰って来ていた。今日は残業しなかったと言う。それは自分のためだ。それが嬉しい。

 

 今は8時ちょっと。外は人口の光が溢れていて、夜とは程遠い世界になっている。遠くにライトアップされた高い建物が見えた。

(あれ……!)
「東京タワーだ!」
 そこからが大変だった。興奮してまくしたてていたが、要点をかいつまめば、『初めて来た』『きれいだ』『初めてこんな近くで見た』『写真みたいだ』その連発。
「おい、落ち着け、分かったから。まだ入ってもいないんだぞ。騒ぐならここでUターンだからな」
 ジェイはすぐに口を閉じた。どんどん近づいてくるその圧倒される光の塔に、ジェイの目は釘付けだ。

 駐車場に車を入れ中に入った。
「先に上に行きたいんだろう?」
 しっかり頷くからそれにも笑う。
「頼むから騒ぐなよ」
 エレベーターに乗ったと思ったらすぐに減速して扉が開いた。
「え? もう着いたの?」
「そうだよ。ここのエレベーターは速いんだ」
「それじゃつまんないよ……」
 口を尖らせているから頭に手を乗せた。双眼鏡を借りてジェイに渡す。
「ほら、あそこが空いてるぞ」
 走り出しそうな気配に慌てて腕を掴んだ。小さな声で叱る。
「走るな!」
「はい……」
 しゅんとしてそれでもその一角に急ぎ足だ。もう後ろも見ずに双眼鏡で外に夢中になっている。
(前に、金がかかるから修学旅行も行かなかったと言っていた……)
自分が連れて来なければ。仕事だけの人生にさせたくない。

 やっと双眼鏡を目から離した時には優に30分は経っていた。
「蓮?」
 見回すとちょっと離れた壁に寄りかかっている。
 ジェイは外のことを忘れた。黒い前髪が頬にかかり細い長身が黒のスーツで際立っている。目を閉じて腕を組んでいる姿が少し疲れて見えた。
(俺のことで疲れた? ずっと心配してくれた……)
 二人の間で時が止まっているように感じる。離れているのにあの(とくん)という音が聞こえてくる。ゆっくりと蓮に向かって歩き出した。気配を感じたのか蓮の目が開いた。
「堪能したか?」
「蓮の方が……きれいだ」
「俺?」
「うん。蓮、きれいだよ」
「お前、疲れてんだな」
「蓮もね。何か食べに行こうよ」
 ジェイの頭に手を乗せて微笑んだ。
「やっぱりお前はロマンチックじゃないな」


「美味しい!」
 入ったのは近くの和食の店。二人とも天ぷら刺身定食を頼んだ。
「こんなに高いところ、平気?」
「俺の残業は半端無いからな、大丈夫だ。今まであまり贅沢とも縁が無かったし。取引先との食事なんかであちこち店を知ってるだけなんだ」
 確かに服はあの古着屋で買っているし、部屋にも必要なもの以外何も無い。

「聞いて……いいかな……」
「なんだ?」
「蓮の家族ってその、5人家族?」
「両親と弟と妹と俺だ」
「あまり家に行かないね?」
「必要無いからな」
「仲、悪いの? でも妹さんには誕生日プレゼント渡してたし、事故の後、お母さん来てたよね」
 少し話が途絶えてマズいことを聞いたような気がした。
「ごめん、聞いちゃいけなかった?」
「俺は親父と仲が悪いんだよ。すごくな。だから実家には行かないし、親父も俺の所には来たがらない」
「お父さんと? ずっと仲悪いの?」
「大学の2年位からかな、仲違いしてそのままだ」
「よっぽど酷いケンカしたんだね」
「まあな。親父は……ちょっとした事業をしていて俺に跡を継がせようとしたんだ。経営学とか経済学とかそういう学科を取れって。けど俺は現場の仕事をやりたかった。だから情報工学を取ったんだ。それで絶縁状態さ。正月と冠婚葬祭なんかで会うくらいだ」
「そんな……」
「お前は? TR大学の情報工学をやってたんだろ? 俺のとはわけが違う。どうして企業に就職しようと思ったんだ? そのまま上に行けば研究職につけただろう?」
「面接でトップって言われたけどそういうわけじゃないよ。上位だったってだけで」
「それだってたいしたもんだよ!」
「母さんを……楽にしてあげたかったんだ。いい就職をしていい家に住まわせてあげて、働かなくてもいいようにって。病院だっていいとこに入院させてあげたかった」
「でも就職の時にはもうお母さんは……」
「うん。もういなかった……でも、その夢果たしたかった。約束してたから」
「そうか……お前、自分のために生きてるか?」
「自分のため?」
「人のためじゃなくてさ。楽しいから今の仕事してるっていうんならいいんだ。でも苦痛が多いなら縛られる必要無いんだぞ」
 言っている意味を理解しようとした。
「苦痛は……無いよ。チーフも花さんも三途さんも千枝さんもすごく良くしてくれる。俺、あそこ好きなんだ」
「ならいいんだ。この話、イヤかもしれないけれど聞いてくれ」
「なに?」
「相田は自己都合で退職になるよ。会社が懲戒免職にすると、下手するとお前のことが明るみに出るからな。だからそうなる」
 もうこの話を終わりにしてほしい……始まったばかりの話にそう反応してしまう。
「良かった、ホッとした。ありがとう、教えてくれて」
蓮も感じている、話から逃げようとするジェイを。だから構わず話し続けた。
「あの一件のことを知っているのは野瀬、池沢、三途と花とだけだ。千枝には言ってない、途中で帰ったから何も知らずにいる。その方がいいんだ、千枝に言うと哲平に知られてしまうからな。そしたら何もかも放り出してお前の所にくるだろう。そういうヤツだ」
 哲平の存在が自分に大きかったと思う。こんなにも恋しい。きっと今いたら…… でも、花がいる。そこまで思って あ という顔をした。
「どうした?」
「俺、あの後携帯見てないんだ。花さん、何かメールくれたかな?」
「そうだった、花に今日言われたんだよ。お前と連絡繋がらないって。連絡してやれ」
「うん。家に帰ったらそうする。置きっ放しだから。じゃ……本当にもう会わないで済む?」
 相田とのことだ。
「そうだ。会わずに全部終わる。後はお前の状態が落ち着いたら出社すればいい」
 蓮はチラッとジェイの首を見た。ワイシャツの襟元よりちょっと上。そこにまだクッキリと痕が残っている、相田の……唇の痕。目を逸らした。
「でももうしばらくは休め。俺がいいと判断してからだ。いいな?」
「でも、もう元気だよ。やっていける、大丈夫だよ」
 ジェイは自分の首についているその痕に気づいていない。
「部長も分かっていることだ。休んでも何も問題無いから。だからもうちょっと待ってくれ」
 出来れば気づかないまま痕が消えてほしい。やっと立ち直り始めているのにまたショックを受けるだろう。
「来週、3連休だろ? 体育の日があるから。どっか行こう。それまでのんびりしろ」
「俺、昼間すること無い」
「帰り、またカリントウ買ってやるよ」
 ニヤッと蓮が笑った、それでいいだろ? と言わんばかりに。
「毎日テレビじゃ詰まんないし」
「こうしよう、普段そんな時間無いんだからこの帰りにたくさんビデオ借りて帰ろう。あまり見てないんだよな、映画とか。せっかくだからいっぱい見とけ」
 何かが変だとは思う。けれど映画は確かに見たい。
「じゃ、明日は休む」
「明日の夜また考えような」